山梨文学講座 素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
『千句塚』序文。除風編。
『すの字』序文。座神編・支考編。
『誰身の秋』編。
『東山万句』支考編。
『菊の塵』素堂践文。園女
『素堂関連書簡』蝶羽・亀世宛
『素堂句集』所収。享保六年刊。子光編。
『行脚随筆』『東海道記行』
『風の上』「嵐雪を悼む辞」雷堂百里編。「嵐雪追善集」
『梅の時』
『とくとくの句合』自著
『葛飾序』芭蕉十七回忌追善集
『誰袖集』薯編。
『鉢敲』億麿(素白)編「蟻道二周忌追善集」
『千鳥掛』序文。知足稿、蝶羽編。
素堂序。『とくとくの叙』稲津祇空著
<年不詳のもの>、『鳳銘記』「出典不詳」
『茶入號朝日山』<出典不詳>
その他
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
素堂62才 宝永元年(1704)
『千句塚』序文。除風編。
吉備の中山の住、除風子、はせを翁の風雅をしたひ、さざなみや粟津の原は、遠き境なればとて、細谷川ちかきわたりに、五十四里の地を縮て、あらたに塚を築て、翁の旬を礎となし、其里人千旬旬のたくみを費しつくりたてて、千句塚と申侍るとかや。そのまま埋ミはてなんも本意なしと、梓にちりばめ、予をして一旬をたむけよとすすめられしに、吟魂は死してほろびざることを申をくりぬ。
しぼみても命長しや菊の底
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
素堂62才 宝永二年(1705)
『すの字』序文。座神編・支考編。
素堂63才 宝永二年(1705)『すの字』序文。座神編・支考編。
むちしの暮春の頃、美濃の狂客支考、予が旅窓をたたきて、しばしかたらひ、洛陽の花に吟じ、柳に随て、摂州伊丹にいたる。その里人に留別饒別のふた巻を残し、その身は四国におもむき、其ふた巻は予が手に落ぬ。是を電覧するに、殊にもて遊ぶに足れり。
しひて風情をもとめず
はずんでしかもはつみ過ぎず
句調をまたひきからず
凡艶なれはつよからす
つよからんとすれば、ふぶかになりやすく
今の時はやすみの外までおだやかに
俳風もまします
御代の松の若みどりさへ立そへてすみよしの
すみに
すすめの
すをかける心ちなるべし
武陽散人 素堂書
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
素堂64才 宝永二年(1705)『誰身の秋』編。
『誰身の秋』編。
去来丈追善の集編せらるるのよし聞侍りて、風雅のゆかりなれば、此句をあつめて牌前に備ふ。元察子執達し給へ。
枯にけり芭蕉を学ぶ葉廣草 素堂
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
素堂65才 宝永三年(1706)
『東山万句』支考編。
まえのちしの春ならん湖南の廟前に手向つる旬をふたたびここに備るなるらし
志賀の花湖の水それながら 素堂
生きてあるおもて見せけり蔓の宿 素堂
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
素堂66才 宝永四年(1707)
『菊の塵』素堂践文。園女編。
難波津の園女、菊の塵といふ集をゑらひて、そのしりへに一語をそふへきよしをすすめらる。我何をかいはん。そもそもやまとの句には、才女に富めり。伊勢小町をはしめ、中にも一条院のおはん時、数をつくして出ける。まつ清紫赤め三婦人、おやこの式部、そののちおのかねの侍従、ことこらの丹後、ふし紫の加賀、沖の石のさぬき、なといへるもありけり。また俳諧の連り、その名聞ゆるはたそや。赤石衛門妻、大津の浦の乙州の母、かいはらの捨、武陽に虎女、好女、桂男ほしとて入や闇の月、と詠しけるは名高き八千代なりけらし。しかはあれと、此道のものさためとなりて、集をゑらむといふ事を聞かず。その女はまことに奇異の人なり。
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
素堂66才 宝永四年(1707)
『素堂関連書簡』蝶羽・亀世宛
大阪の園女も江戸に出て、内々菊のちり当年中二出来ノ由に候。これハわれら敬を書遣申し候。云々
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
素堂66才 宝永四年(1707)
『素堂句集』所収。享保六年刊。子光編。
『行脚随筆』『東海道記行』
旅行のもよほしけるの初めに、
番信入梅報早春 時鞭心地向芳辰
改端六気往釆路 我亦乾坤一旅人
『東海道記行』
立ちのぼる雲とかすみも白妙の雲にかさなる山ハふじのね
大磯にて
あれて中々虎が箱根のつぼすみれ
鳴立沢の西行堂に投ず
何となくそのきさらぎの前の河
誠や、この本尊のみくしハ文学のきさミたまふといますかことくおもほゆるなるべし。
ねがわくハ花のもとにて春死なむそのきさらきのもち月のころ 西行法師
ねかひつるそのきさらきハたかはねと消にし雲のあれとかなしき 定家卿
箱根の峠に泊まりて
波の花か沖の小嶋の見ゆとまつ
箱根路をいまこへくれハ伊豆の海や沖の小嶋に浪のより見ゆ 定朝卿
するがのすミた河を尋ぬるに庵原左衛門の在所庵原村あり、其の前の流を庵原川と云、其の海の方に庵崎河あり。
都鳥のこととひてみし名にしほふすみたかはらの島ならはとり
夫木集に
都鳥ここにもありやいほさきのすみだ河原の名こそかハらめ
琵琶湖を遇る頃雨にあひて
風巻山雲落水涯 無辺姻浪雨尚歌
琵琶亦比美人面 正是昭君出漢時
東披が詩に
若把西湖比西施 淡粧濃抹両相宣
洛陽に春をむかへし頃
積隠啓 風色加
氷解水中水 雪残花外花
旅亭活計有何事 一曲春声一椀茶
石川丈山の詩仙堂をたつねて六言六句をいふ
先尋日東季杜 静対中華仙顔
山鳥暗長松林 野客人老梅関
詩興猶何処好 泉石前翠微面
朝鮮の学士丈山翁の日東の季杜と称美しけるにより、起白にしかいふ。又詩を題させれは庭に入るを許さず。よつて梅関といふ。
東山にて、
木の間ゆくかつぎにとらし桜哉
同じ豊国にて、
朝鮮もなびしきあとや野人参
鴨長明鎌倉にて頼朝卿の募に詣でて法華堂の柱に書つく
草も木もなぶしき秋の露きへてむなしき苔をはらふ山の勢
朝鮮まで切りしき玉ふ名残に薬種名に似たる無用の草の生出けるにや、実に感慨すくなからず。粟津が原にて奮友はせをの墓をたずねしに、
滋賀の花この海の水それながら
むかひに滋賀の山、前に潮水あり。そらハたぶさかにかけるたてる糸かかり三世の仏に花たてまつる。又一休の詠に、
山城の瓜や茄子もそのままにたむけなすこそ鴨川の水も
この二首にすがりていふ。
蛍見宇治
きせん法師蛍のうたもよまれけり
古今集の序によめる歌多からぬよえし見侍れとも、樹下集に其泉と文字かはりて蛍の歌あり。
木の間よりミゆるハ谷の蛍かも沖行舟の阿万のやく火か
<参考>
石山寺乃ふもとに蛍見にまねかれるころ、
水てりてうなぎの穴の蛍哉
粟津野やこのまの星の打蛍
ふくる夜は簾も蚊やも蛍哉
あくるあしたのあるじの手より蛍をうすぎぬに包て送りけるに
後朝にきぬ引かつぐ蛍かな 素堂 <山梨県立図書館蔵>
六月後四日あたこ山にのぼりて、大善院に一朝のころ、白雲を下界のかやにつる夜かな同じく教学院に十六ケ国の別当るよしをききて、
主賓携手上飛桜 二八国光入寸眸
亭外白雪塵外地 悠々自在乗風遊
ミな月晦日鴨川にあそびて、
みたらしや力は流るるとしハすれ
八月十五夜岩清水の詣侍りて、
くもりなき美代そや月のをとこ山名たかきかげをほてらすなむ
同じいざよいに廣澤に遊て、
我舞て我にミせけり月夜かな
北山の草枕にいざなはれし頃、
茸狩りひとつ見付しヤミの星
古き歌に、
ほしひとつ見付けたる夜のうれしさはつきにまさる五月雨の空
石山寺へもミち見にまかりし頃、
雲半ば岩をのこしてもみちけり
奥山氏の園中に遊びて
西瓜ひとり野分をしらぬあした哉
ずっしりと南瓜おちてゆふべかな
、西瓜のあした、南瓜のタベ対の対たり。
一二句失念。
嘗聴寒山道骨 秋中陶潜不知誰
草山集に愛こ山を釈中淵明と覚かし玉ふにより云。
嵯峨季秋遊嵯峨之圧離庵 両三日行臨大井川 清流坐看小倉山閑雲 園中貯四時之花謂之四時叢
我聞三閭太夫之九?之蘭 五柳先生之三径之菊 風涼則風流也 ?測然啻愛一様之花而不周
四時主人之愛花可謂至牟 我隠愛花之心和也 愛水心之情也 愛山心之静也 此境水辺而山不遠
花有四時叢心与境 夜道以為楽至 吟賞之余題一絶去
回序分略花作隣 一叢送古一叢新
文賓得客篇之閑 紫柱状還又向春
嵐山のふもとに禅坊を叩いて
朝送山雲山 夕看飛鳥帰
初知梁境婦 又 約叩柴之扉
大和めぐらせし頃、よしの山に入、
をちにミしきのふの雲をけふわけて花になれゆくみよしのの山
西行法師の蕾庵の跡をたづねて
はなころもけふきてそしるよしの山やがて出じのこころふかさを
同じくとくとくの文をむすびて、
山かげにひとくひとくとなくとりも岩もる水のおとにならひて
西行法師、
とくとくとおつる岩間の苔清水汲ほすほどもなきすまひかな
尋問南朝跡
尋問南朝跡 行々遠市塵 前山紅世界 後嶺白雲浮
皆聴降天女 今尚有地仙 臥花南三日 可惜別苔莚
同夜興唱句
自雲燭景(ボンボリ)
日月笠を暈(かさ)といへばたはれむにいふ。
よしの川にて
鮎に鮎花の雫を乳房にて此てはさかなにつよくなへしや
初瀬にて
宿からん花に暮なば貫之の
貫之は初瀬のまうし子なれハ其宿坊に初瀬もある可候やのきまり歌、古き集にただ一首ありと見へ侍り、ちかくは後水尾院御製もい出て、
人めの閑をしるしもうしゆるすとハなき袖のなみだの
三輪
至れりや杉を花とも社とも
この神にハ杜なし、なきそ神のかたちなりけれの心なるべし。
暮春、井出の里にて
春もはや山吹白く芭にがし
玉津嶋
霧雨に衣通姫の素貌みん
播磨めぐわせし頃唱句
牛行花緩緩
猶牡丹花をになひて
遅き日やしかまのかち路牛で行
書写寺へまいる詣しに、弁慶法師の手習せし所とて、其ほとりに弁慶水ハ是之と人の教へける。
弁慶の面影自し花の雪
姫路の丁を過けるに、名高きお夏の家はここなりとききて、
さてハそうか花の徳とてなつかしや
西国くたりに、
さみしさを裸にしけり須磨の月
明石の浦にて、
朝霧に歌の元気やふかれけむ
近思録に孔子は四時の元気之なるを以て人丸も歌の聖なれば云而
巌嶋、いつくしき此島のめくり七星回廊にうしほのみちたる景気ハさていはしかたなし。
額面
表 伊都岐島 空海筆
裏 巌島 道風筆
宝物あまたある中に平家一門寄向候書の法華経廿八品、清盛入道、安徳天皇御護生前の願書墨いまだかはかぬやかたあり、
回廊に塩みつくれは鹿そなく
唐津にて
珠は鬼火砂糖は土のごとくなり
<筆註--入手した手書きの写本はここで終わる。続きの復元は下記による>
『元禄名家旬集』『素堂句集』『素堂家集』
入船やいなさそよぎて秋の風
唐津にて、
二万の里唐津と申せ君が春
ふじ二て、
山は扇汗は清見が関なれや
中山
、茲ぞ命顔淵が命夏の月
六月やおはり初物ふじの雪
勢田にて、
夕立や虹のから構月は山
木曾路を下りけるころ、
タ立にやけ石寒し浅闇山
鴨の巣や富士にかけたる諏訪の池
紀南玉津島にて、
霧雨に衣通姫の素顔見む
高野山にて、
しんしんたる山はいりはのはじめ哉
丹陽のはしだてにまかりける頃大江山をこゆるとて、
ふみもみじ鬼すむあとの栗のいが
和泉式部、保昌に具して丹後に侍りける頃都に歌合ありけるに、小式部内侍歌よみにとられて侍りけるに、定頼卿の、つぼねの前にまうで来て歌はいかがさせ給ふ、丹後へ人はつかはしけるや、使まだまうで来ずやど、たはぶれて立てりけるをひかへてよめる
大江山いく野の道の遠ければ
はしだて、
月夜よし六里の松の中ほどに
橋立や景過もせず霧のひま
宮津のやどりにて、
浦島が鰹は過ぬ獅いまだ
宮津主人水上氏へ、
記得杜翁句 天柱再度時 四海浮海水 独月掛松枝
清話眼相対 吟行影亦随 人間萍水会 旅泊是生涯
勢州山田がはらにて、
ほととぎすかたじけなさやもらひなき
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
素堂66才 宝永四年(1707)
『風の上』雷堂百里編。「嵐雪追善集」
「嵐雪を悼む辞」
嵐雪子は芭蕉の翁とひとしく、予が市中に住みし頃より逢なれて、凡そみそちあまりの奮知音也。蕉翁みまかりて何となく遠さかりけるに、いつれの年か、重陽のあしたになりて、
かくれ家やよめなの中に残る月
と詠せしを、今にわすれす、其の後洛陽に遊ひしころ、大津の浦四の宮にて本間左兵衛(丹野亭)勧進能の沙汰を聞てまかりけるに、嵐子も彼浦にありて、山本氏の別業にて、両三日かたらひそれより高観音にうそぶき、からさきにさまよひ、八町の札の辻にて、たもとをわかちしより、面会せず。指を屈して数ふれば早七とせに及べり。其もとおもかけ今日にあるはことし。近き頃は禅味を甘なひ、ひたすら佛の道にそみて終焉にも心たかはすとききて、頼もしく覚え侍る。又蕉翁の宗祇法師の「さらに時雨のやとり哉」といへる句を行脚の笠にいだきてついに時雨の比に終りぬ。嵐子もその願ひありけるにや。時雨のころのたかはねも、又々あはれならすや。
かつしかの隠士 素堂 書
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
素堂67才 宝永五年(1708)『梅の時』
『梅の時』
いきて人をよろかばしふるほど死して人をなかしふることはり、今猶昔におなじ。世の名だたる中村七三郎過にし初三日のよるみまかりけるに、辞世とおぼしくて、梅に種を結びて、一句をのこせり。かつしかの同郷に追悼のこころざしあり。予もまた泣きをうつされて、
たきさしやそ架の中よりこぼれ梅
といひてさりぬ。かねてより、其人となかをかがなへみるに、風雅の酒落をしたひ、茶人の閑適をうらやみて、その業はひくきにかくるるものならし。もろこしの何とかやいひし人山林にいらず、朝廷をかくれがとせり。我日のもとにも髪をそらす妻を避けず翁和尚とよばれて、市中人なみなみにまじはり、淫逸伝にいれるも有りけるをや。縁に随ひてものずきもまた一様ならず。
かくれがの芝居の市に花ちりぬ
衣更着そねの日かつしかの隠居 素堂 序
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
素堂68才 宝永六年(1709)
『とくとくの句合』自著
七そじちかき秋の頃、わらは病にかかりて、三途川二瀬もこえなんとせしが、立帰り、病のひまある時、むかしいひ捨てたる狂句どもを債おもひ出て自の句を左右にわかち、西行法師の御裳濯川のまねして、三十六番の句合となし侍れど、今の俊成卿とたのむ人もなければ、判者も又素堂なり。其角が句兄弟は、他の旬を寄せ合ての名なり。今此句合は一腹一生にして、多くはみそじ前後の奮ことなれば、おかしくもつたなく見給はんかし。
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
素堂69才 宝永七年(1710)
『葛飾序』--芭蕉十七回忌追善集--
『誰袖集』薯編。
今はむかしの友はせをの翁、十暑市中に風月を語、七霜かつしかの隠れ家にともなふ。さすがに葛飾は万葉集に、赤人墨丸の詠を残されしより、其名もかうばしく、金城をさること遠からず、富士筑波を両眼にながめ、上野浅草の花の雲、出る舟入る舟眺望たやすくいひがたし。いつそかつしかをことごとく見廻りなんと、ことぐさにのみいひて、風雅のことしげきにやまきれけん。とかくするうちにふと行脚の心つきて、行ては婦り、かへりてはゆき、三たびにおよぶ頃、ついになにわの浦にて身まかりぬ。ことし十七回にあたりぬれば、門人したしき友、かつしかの志つがんと、日頃は名をだにしらぬ所々を、句につづりて手向草となしぬ。そもそも此翁の生涯宗祇法師にさも似たるをもつて、髭なき宗祇ともいへり。謝霊運の髭をうらやみ、玉摩詰が像に植しためしもあれば、宗祇のそりおとしにてもあらば植まほしけれど、尺八もたずの宗祇とやいはん。只あり芭蕉仏といふことしかり。
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
素堂70才 正徳元年(1711)
『誰袖集』薯編。
楚辞に梅を忘れ、万葉に菊をもらせること、鳳雅のうらみなるよし、花の兄と弟草と、和漢をわすれを対せるもをかしからずや。思ふに、のぼれる代にはしひて花をいわず。古詩におつるも梅あり、書にも塩海の臣などといへるも、みな花にあらず。漸盛唐にいたりて季社をはじめ、諸家の詩に見えたり。猶好文の名もあるをや。宗にいたりて、東披が風水洞の梅を、美少年の媒となし、林和講が狐山の梅を妻とせしも、又をかしらづや。我日のもとにては、くだらが王仁が難波のみこの位を定め、人丸に詠ぜられ菅家に愛せられて、其名ますますかうばし。二十四番の番頭となり、百家の魁として、いづれの花かこれに敵せん。梅もどきにもどくとも、中々もどれず。
忍岡のふもとよりかつしかの里に家をうつせしころ
長明が車にむめを上荷か上荷かな 素堂
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
素堂71才 正徳二年(1712)
『鉢敲』億麿一素白一編--蟻道二周忌追善集--
摂州伊丹の住、蟻道子しきしに五月中の三日に、世を早うすときくは実か、其人を見すとういへとも、茂兵衛そとしりつつあへれ鉢敲といへる句を耳にとどろきて反面をいる人の如し。今きけは五文字弥兵衛なるよし。されとも東部にてひとのよろこひし茂へいにて侍れは、いまさら改るに忍ひす。
予若かりしころ、難波津にて興行
春日の山の下手代めか
藤原の又兵衛とそ名乗りけり 梅翁(宗因)
と付けられしを人々興に侍りき。又近きころ、中村七三(郎)曽我のふることを仕りけるに、朝比奈も今は落ふれて鳶のものとなりぬ。名をも八郎兵衛とあらためけるよし申けれは、見物の諸人興にいりける。自然と其名の相臆せるにや、古今集、初の名を融位、紫式部は始は藤式部、これらは皆後をよろしとす。又後たりとも、茂へいとこそいはまはほしけれ、それはさるものにて、五月十三日竹酔日とかや。亡友芭蕉が句に、
降らすとも竹うえる日や蓑と笠
この句にすがりて、
竹植える其日を泣や村しくれ
辛卯の年神無月十三日 東部宿 素堂
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
素堂 正徳二年(1712)
『千鳥掛』序文。知足稿、蝶羽編。
鳴海のなにがし知足亭に亡友はせをの翁やどりけるころ、翁おもひらく、此所は名護や、あつたにちかく、桑名、大垣へまた遠からず、千島掛に行通ひて、残止を送らんと、星崎の千島の吟々此ことばを耳にとどめて、其程の風月をしるし集め千島かけと名付て、他の世植えにも見そなはしてんとのあらましにて、程なく泉下の人となりぬ。其子蝶羽父のいひけんことをわすれずながら、世わたる事しけきにまぎれて早と、せに近く星霜をふりゆけば、世の風体もおのかさまさまにかはり侍れと、父の志をむなしくなしはてんも、ほいなきことにおもひとりて、ことしの夏も半ば遇行ころ、洛陽に至り漸あずさにちりばむ事になりぬ。やつがれ折節在京のころにて、此趣をきき折ならぬ千鳥のねをそへて、集のはしに筆をそそぐのみ。
我聞、川風寒み千鳥なく也、の詠は、六月吟じ出てもそぞろ寒きよし。此千島かけも時今炎天に及べり。其たぐひにや沙汰し侍らん。。又聞、東山殿鴨川の千鳥を聞に出たまふに、千本の道貞といへるもの、柚に蘭奢香待をたきて出けるを聞召て、其香炉を御取りかはしありて、今の世に大千鳥.小千鳥とて賞せられけると也。此後かほと至れる千鳥をきかすよし。今香はたかずとも、星崎の千鳥に、ひとりもゆきあるは友なひてもゆきて、きかまほし。又其あたりの歌枕松風の里に旅人の夢やぶり、ねざめの里に老のむかしをおもひ、夜空の里の砧を聞、なるみ潟しほみつる時は上野の道を樽ひ、雨雪には笠寺をたのみ、月のなき夜も星崎の光をあふぎて、猶風雅の友をよび、つきのなきよも濱千鳥これかれ、佳興すくなくしとせず。むべなるかな、はせをか此慶に心をとどめしこと
武陽散人 素堂 書正 徳壬辰年林鐘下院
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
素堂72才 正徳三年(1713)
素堂序。『とくとくの叙』--稲津祇空著--
有無庵祇空といへる人、宗祇の墓どころにて髪をたちみづから祇の字を取て名とし、うつしおくわがかけ、とよめるをとりて
わが影もかみな月なり石の上
となん読よめるける。隅田川のほとりに庵をむすび、業平の、
わがおもふ人はありやなしや
とよみ玉へるをとりて名とそす。素堂もまねくにしたがひ、はじめてまかりて
髪をしみそり捨にけむかみな月 素堂
宗祇の蚊帳はありやなしや 素堂
秋山ぶきの葉さへ塵塚 祇空
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
素堂73才 正徳四年(1714)
『みかへり松』稲津祇空編。
蕾知青流子、去年のはじめ、箱根山早雲寺宗祇師の墓所の前にて髪をおろし、みづから名を祇空とあらためらるるとなん。
我聞、宗祇師は香をとめん為に髭をたしなみ給ふよし。
剃からは髭も惜まじかみな月 素堂
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
<年不詳のもの>、『鳳銘記』「出典不詳」
凡茶のたねの、わが日の本にわたりしは、建仁寺の開山千光国司、栂尾の明恵上人、同船に入唐して携へ来り築前のせふり山に植えそましか也。是を岩上の茶と號す。それより栂尾へうつし、宇治へうつす。それより以前も、日向国健干ほ(高千穂)といふ所に、神代の木あり。しかれどもこれをつみ、是をほうじて飲む事をしらず、あれどもなきがごとし。数奇の字、漢書季廣が傳に見えたれども、茶のことにあらず。茶の式法は、東山慈照院義政公、天下の名器をあつめて、それより能阿彌、相阿彌、芸阿彌と伝来して、和泉の境に武田紹鴎、此道をうけつぎ、宗易に榑ふ。利休と號す。秀吉公にめし出され、三千石まて御取立、天下の大名小名、もてはやといへとも、故ありて天正十九年二月廿八日、切腹おほせ付られ、年七十。惣領道安は出奔して病死す子なし、二男少庵は会津蒲生飛騨守殿へ御預けなされ、七十の後御赦免、其子宗旦、宗旦に三子あり、宗左・宗専・宗室此三男洛陽にありて、茶道の師範たり。扱茶の種国国へはびこり、中人以上は靱茶を用ゐ、中人以下はせんし茶を用う。しかれとも、貴人にてせんし茶を好たまふあり、また賎しきものにもひき茶を好めり。そのたのしみにおいては一也。それ人の人たる道は、礼儀を大なりとす。鳥獣にも寒暑をしり、死をおそるることは人におなし。かれには礼儀なし、礼は飲食たくはへ、手にてくむの時、は一や礼儀備はれり。それよりまゐれ、いやそれよりといふを以て、礼の字をいやと訓す。されは茶に天然と礼儀あれば、少年の人に、六芸の外に一芸くはえて、茶の式法ををしふべきことなり。.物みな一得あれは一矢あり、茶には得ありて失なし。またちかきころ、鎌倉雪の下に了明といふ尼、みそりあまりより食をたち、茶のみにて(以下半需ばかり欠文あり)神へ備へて、清浄なるもの、茶よりまさるものなし。是をしたしみ、これをたのしむべきのみ。
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
『茶入號朝日山』<出典不詳>
茶器のおもてに、片目のかたちあるを、朝日山と名つけられしをおもふに、月日もと陰陽の一体にして、月を日といへるも、その理なきにもあらず。また名にも似す。月こそ出れとうたひたるも、面自からすや。またまたおもふに、なら酒を三笠山とよへり、ことに宇治茶を入る器なる故、朝日山とよひたまふ、風流といはさらん。
宇治川浪 朝日山光 一壷洗眼 三椀探膓
最非和国 遥来盛唐 花雲雪後 相親相望
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
「投椎木堂」
<出典不詳>
むさしとしもふさの中に流たる川のほとりに、すみ所求てすむ人あり、川むかひに年経たる椎の木あり。是に月のうつるけしきたやすくいひがたし。ちかくわたりに牛頭山・すみだ川もまた遠からず、まつち山もはひわたるほどにして、人くる人にその心をのべしむ。予も万葉御代のふるごとを旅ごこちして、
椎の葉にもりこぼれし露の月
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
<出典不詳>
大井川のほとりにある老翁、髭の長きこと尺にあまれり、いくばくその年をかさねてかくのごときと問ければ、我世にすむ事四十年、髭もまた同年あると答ふ。
さび鮭も髭にふれずや四十年
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
<出典不詳>
田中八太夫といふ七十ぢあまりの翁、素堂がたらちめの賀を、ふみ月七日にいはひたるをうらやみて、ことし七日になんいはひて、素堂のもことばあらん事をのぞみたるに、よみてあたふ。
尾花かくす孫彦ぼしやけふのえん
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
<出典不詳>
かじの葉のかたちして色紙のやうなるが、なかばより折ていりどりなどあるに、かきつけをしるす。
地下におちて風折ゑぼしなにの葉ぞ
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
<素堂漢詩>
『義仲寺 芭蕉堂所蔵』漢詩
枯木冷灰物不月 遊魂化螺舞者風
夢中説夢伝千峯 真夢出錯詐誠終
素堂主人来雪書す
<素堂の漢詩>
旧膿罹池魚之災 他郷迎新歳
故有旅行之志 又三譚之硯
予旧物而飯恙 因詩中及茲
家成帰故郷 好見此風光
辺地四隣隔 閑居三徑荒
開□移月影 傍水納秋涼
養素今猶足 乾坤一草堂
初夏即席
雨餓風色白清函 雲外杜鵑聲未周
紅白散埋百花後 一庭新樹対青眸
八月十四夜 十五夜晴
月斯婁宿十分明 雲雁呼吾動客情
天似有心前夜雨 人間改観弄新晴
九月十三夜
中秋吟賞等斯時 昔日菅家題一詩
狂雨経旬漸向霧 月明夜半背灯枝
歳末吟
避暑衝寒既年暮 誰鞭天運速駒陰
今逃世路風波殆 却恐隠家霜雪侵
鑑水更知衰老貌 待春猶是嬰児心
微躯何?一枝外 抱影鷦鶴臥故林
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
<歳暮>
世は鳴門暦はづれに渦もなし
これは暦をまきたるを、初春より巻ほぐして、歳の暮にうたりて巻の末を見るゆゑ、はづれの渦もつきてなしとのこころなり、この句とり、もてはやし、このむほどの人へは、かたりつきたるほどに、世にひろくなりぬとなん。ある時、素堂相知れる人来りてそこの歳暮の発句とて、或方にて聞たるに心ことばおもしろう侍るとかたれければ、それいかに聞たまふととひければ、
名は鳴門暦はづれにうづもなし
かうこそ聞たれといふ、をかしや、わがしたるはさにあらず、されど此かたおもしろし、さらば聞ちがへのままにひろめたまへとて、是にきはめたるとぞ、ふるき夢物がたりに、小町が手よりこがねを得たるためし、八雲の御抄に申させ玉へば、それにならべんもをこがましけれど、折ふし口切のころなればおもひねの枕に
はつむかし霜の芭蕉のたもとより