船窓夜話(第11話)- 命懸けの航海
2002/10/ 7 13:52
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投稿者: メッセージを送信 ilkuji_99

イランとイラクの戦争の時、ペルシャ湾は戦争の砲火により殺伐な光景だった。
イラクの唯一の港であるバスラ港は、イランの攻撃により港の施設が破壊され、
船を接岸できる状況ではなかった。これに恨みを持ったイラクは、イラン港に
入港する外国の船まで無差別に攻撃し始めた。それにより外国の海運労働
組合では、ペルシャ湾行きを中止するようになった。いわば先進国と
呼ばれている国々では、他の国の船に貨物を積み込んだり、ペルシャ湾入り口に
あるアブダビの町に貨物を降ろして帰ることとなった。日本の船は国旗を
船の両側に大きく書いて中立国であることを知らせ、アブダビで荷物を降ろし
そのまま帰った。

問題は国力の弱い第3世界の国の船だった。他の船がペルシャ湾入り口に
降ろしておいた荷物を命懸けてペルシャ湾まで運ばなければならなかった。
設立したばかりのある船舶会社では、資本金が不足していたため、貨物を
運ばないわけにはいかなかった。ペルシャ湾行きを命令されたあの船の船長は、
航海士7年目で船長になった人で、商船学校の同級生の中でも昇進が早い方
だった。彼は船員を集合させ、ペルシャ湾航海計画を立てた。

当番の航海士と舵手を除いたすべての船員が、船橋(運転室)の両側に砂袋を
大人の背の高さ位まで積んだ。まるで軍隊の塹壕のようだった。全船員が
塹壕の中で救命服を着て待機した。そして機関室の船員たちも当番を除いた
全ての者が、機関室の入り口の所で待機していた。

Slow ahead 速力(航海用語で低速力で前に進むことを意味)のエンジンの
音だけが、不気味な沈黙を破り鳴り響いていた。緊張の中での航海が終わり、
イラン港に着いた時には、船員たちは死の影から救われたと心から安心した。
皆何も食べず、眠れなかったのでそのまま寝室に倒れ込んだようにして眠った。

難関は未だ待っていたのだ。出港をしてからの話だ。非常待機命令に従い、
入港のときと同じく待機しはじめてから一時間後、現地の時刻で昼の12時を
少し超えた頃、突然ブーンという音と共に、運転室のすぐ直下にある4番倉に
ミサイルが飛んできて甲板を貫通し、貨物倉の下にあった燃料タンクを的中、
爆発した。ものすごい大きな爆発音と共に火の手が上がった。同時に運転室の
床が割れ、炎と油が上がってきた。そのとき運転室にいた船長と当番だった
2等航海士はその炎に巻き込まれてしまった。驚いた船員達は慌ててバケツに
水を汲んできて掛けたが、もう遅かった。彼らは全身に火傷を負い、意識を
失っていた。しばらくして船長の意識が戻った時、彼は“俺はもう駄目だ・・・。
後を頼む。”という遺言を残して息を引き取った。

2等航海士はもう既に死亡していた。彼は当時、24歳で、一ヶ月前に結婚
していた。筆者とは同窓生で、商船学校時代にはナンパするのが好きで、よく
一緒に釜山の南浦洞で女を誘って遊んだりした思い出がある。あの世により
早くいってしまうことを知っていたのだろうか、彼は外出のときは狂ったように
多くの女をむさぼっていたのだ。

後から聴いた話ではあの船は戦争海域を定期航行する船で、前からイラク軍の
ブラックリストに乗っていたそうだ。そのミサイル攻撃で船員30人のうち、
半分ちかくが死亡するという大惨事だった。船はエンジンが完全に壊れて
いたが、幸いに沈みはせずに海を漂っていた。みんなぼっとした精神状態で
救出されるのを待っている間は、まるで夢をみているかのようだった。

本社のある釜山事務所では事務用具を全部しまって13人の死者を奉るための
大型喪屋が設けられた。香を焚き、死んだ人たちの写真を見ているとき、
この世とあの世でお互いを見ていると思ったら不思議な気分になった。
亡き人たちの冥福を心より祈る。

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