海洋手記(第4弾)
2002/ 9/13 8:38
メッセージ: 3330 / 6014

投稿者: メッセージを送信 ilkuji_99

(ああ、二等航海士よ)

貨物を満載してカナダのバンクーバーを出港した本船は1月の手酷い海風を
船首から受けながら台湾を向かって大圏航海中だった。 大圏航海中とは
地球の等級を考慮、、海図を平面に開いたとき、軽度や緯度の目盛りを
過ぎるたび少しづつ変針して最短距離で航海する技術である。

ある日、通信長が心配そうな顔でブリッジへ上がって来て船長を訪ねた。
無線で受けた気象図には台風が発生、本船の進行方向へ移動中だとのこと
だった。船長は即刻、大圏航海から離れ、アリューサン列島への接近を命した。
いざというときは島へ避けようとの計画だった。

北米航路で航海者達に悪名の高い冬の北太平洋。波がだんだん荒くなり
もう山になった。傾斜両方30度づつ船がローリングとピッチングをしはしめた。
当時3等航海士だった筆者の部屋にも椅子の上に置いてたラジカセが床に
まっさかさまに落ち込み、食卓のスープが迸て手で取って飲んだ。なにより
苦しいのはひどい揺れで眠れないことだった。つい前も北太平洋を航海して
いた原木船が何台も沈没したとの話が思い出した。

船酔いをめったにしない筆者も食事ができないほど中が吐き気をもよおした。
波はもうキャンバスを掛けた甲板の上に上がってきて沈み、ブリッジだけ
水上に浮かんだ形がつづけた。1等航海士が上がってきたので食事交代を
終えて部屋に戻ってきたとき、大きな轟音をきき、飛び出してみたら2等航海士が外側廊下に倒れていた。

船内巡視をしていた2等航海士が外側の廊下へ出たとき、たまたま押し迫った波で
2等航海士が外側廊下の壁にぶつかり、廊下に倒れたのだ。脳震盪だと思った。
医薬品担当の3等航海士としてはどんな処置を下ろすべきか分からなくて慌てた。
いったん部屋に移してベッドに横たえた後、船長を呼んだ。

2等航海士はまだ意識はいきていたが動けない状態だった。船内の医薬品で
解決できることじゃなかった。簡単な処置を取った後、手足が動くかを
確認したが、足指の先が少し動くだけだった。患者を安心させるため、
“すぐヘリコップターが来るからすこしだけ待って下さい”と言った。
しかし陸地と既に数千マイル離れた茫々大海でしかも荒天航海中の船に
ヘリコップターが来るわけない。ただし一日でも早く台風を避けて列島の島に
でも入るしかない状況だった。

患者の手足が固くなっていって按摩しながら“少し待って”というしか何も
できなかった。突然、彼が “ヘリコップター来るの?”と聞いた。
“はい、今来ます”と答えたら、すぐ息を引き取った。悲しいことだ。
若い年にまだ未婚だった彼が海の男になろうとあんなに難しい教育課程と
3等航海士を経て自分の夢を開こうと出たのに・・・

いったん棺を作って死体を入れた後、腐敗を防ぐため、冷凍室に保管する
ようにした。そして毎日当直が終わったら降りてきて死体の冷凍状態を確認した。
通信長が鳴咽しながら無電を打った。もう二日間、波にぶつかりながら
アリューサン列島中、‘カナ’という島の湾に入って錨を降ろした。

着いてから三日間水だけ飲んでいたのに気が付いた。その後、日本に入港、
死体を下船させてから次の目的地の台湾を向かって出港した。商船学校のとき、
“我らの故郷は太平洋で、我らの墓になる太平洋だ”という歌を歌ったが
2等航海士はその歌の通り太平洋で目を閉じたのだ。冥福を祈りながら
彼の分まで生きてあげようと念を押してみた。

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