
投稿者: ilkuji_99 学校を卒業して4ヶ月くらい小学生たちの家庭教師生活をした。学校のとき、
あまり勉強ができなく、いや、毎日、軍隊式生活に呆れて楽しみは土曜日の
外出だけ。
(学校では上陸という)そして日曜日の夕方に帰校するので丸
一日だけの自由なんだ。それも一週間の生活中、過失点が30点以上なら
外出禁止になり、それさえ唯一の楽しみがなくなる。それで、とにかく
過失点を取らないため努める毎日だった。過失点は服装不良、掃除状態不良、
敬礼怠慢および講義室での勉学態度不良などで教官、先輩、教授により
与えられれる。
従って土曜日に外出したら一週間のストレスを発散するため、快楽を追求するのに
努める週末になる。元気旺盛な若い男同士で監禁された生活をしていたら
精液はいっぱい溜まって外出でとりあえず女を探し、排出するのが唯一な
目標となる。団体生活に適応できない体質なのか、週末に学校に残って
勉強するなんて、とてもじゃないけど無理だった。そのわけで卒業成績順で
優良船舶会社に就職するのにいい会社が当たるわけがない。
就職もできずに家でのんびりするのも家族、特に父親からの虐待は度が
過ぎるほどだった。本来、仲の悪い関係だったので毎日、喧嘩ばかりの地獄の
生活の連続だった。お陰で今、父はなくなったが、そのときの傷で今も
許せないと思うほどだ。母は無銭取食は許さないというし、仕方なく考えたのが
家庭教師だった。
チラシを配り、隣に住んでる小学生児童を4―5名集め、私の家で個人教師を
始めた。子供たちが学校から帰ってきて家に集まると4―6年生の過程を
教えてた。たまには休日に児童たちを連れて子供大公園などに遠足もした。
子供たちへの人気作戦というか、とにかく退屈だと感じないようにしなければ
ならないと思った。
弟子の中には慶心という名前の可愛く、愛しい女の子がいた。当時小学校
4年生なので私とは10才の差だったな。たまに「慶心よ、10年だけ待って
くれ」と冗談のようにいうと「そのときになると先生は年寄りになってしまう
でしょう」と答えるのだ。7月に入ると親戚から電話がかかってきて、船に
乗るようにいわれた。その親戚はある船舶会社で長年、船長および海務部長を
していた。退職はしたものの、コネはあるので、前、就職を頼んでおいたのが
今回自分の勤めてた会社に依頼して、たまたま席が空いたので私を呼んだのだ。
浪人みたいな失業者生活に光のようなニュースで喜んで乗船準備に入るべき
だったはずなのに、なぜか全然楽しくない。児童たちとの情が深まったせいか、
それともあの女の子と別れたくなかったろうか。父はその私の躊躇するぶりを
みて又怒った。仕方なく、最後の授業が終わり別れを告げた。あの子には
「俺を忘れるな」と一言残したままに。
荷物を持って中央洞のあの船舶会社事務所を訪ねた。親戚は先に来ていて
海務部長に紹介した。そのまま追い出されるように、第3埠頭に停泊している
本船に乗った。釜山―神戸間を走るフィーダー船だ。フィーダー船とは遠洋
大型コンテイナー船が落としたコンテイナーを載せて両港を往来しながら
積揚荷する大体2―3千トンの小型コンテイナー船である。成績の悪い卒業者に
とっては文句いう場合ではない。
釜山に入港したら普通1―2泊する船なので家庭のある船員は家にもしょっちゅう
訪ねられるとのメリットはある。が、私には大型船に乗れなくて恥ずかしさ
さえ感じた。甲種2等航海士の免許を所持したので当然、遠洋大型船に乗るのが
正常なのに、乙種免許所持者が乗る船だと気が済まなかったのか。でもそんな
不満を吐露するほどの贅沢は私には似合わない。前任者との引き続きが終わり、
その夜、釜山港を出港した、3等航海士として。「釜山港へ帰れ」を内心
歌いながら。(続き)
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