船窓夜話―第18話―熱砂のサウヂ
2003/ 1/30 18:06
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投稿者: メッセージを送信 ilkuji_99

7月熱いある日、サウヂのダンマンという所に寄港してセメントを降ろした。
毎日摂氏45度。一日も曇った日はなく、火達磨のような太陽が登るとその日の
苦労がはじまる。接岸施設が落後で一週間を待って入った埠頭には古い起重機
一台だけがぽつんと立っていた。

日が登ると、あえて荷役は意欲さえも出しえなく人夫たちは皆帰ってしまう。
そういうわけで荷役は日が沈んでから登るまでの夜間作業である。たまに風が
吹くがそれこそ熱風だ。昼間に風吹くときがもっと働きにくい状況だった。
船の貨物倉庫に降りていって働く人夫は皆インド人であり、南アフリカでいう
いわゆるクリー(苦力)である。日本語で3K職種というか。餓死賃金をもらって
も危険できつい仕事を断われない人たち。

ところで貨物を受取る会社の人たちがみんな本国人である。いわば中近東進出
ブームで建設分野で出て来た人たちが本船に上がって来ててんから食堂で暮らす。
食堂にはエアコンが稼働するからだ。一日ずっとみんな食堂に座ってて食事時間
には各自が持参してきたラーメンを煮て食べながら船員たちが座る椅子を占拠
して故郷の消息を聞く。

船員たちには不便だが同族なので仕方がない。彼らも金を稼いでみようと1―2
年づつ雇用契約し、もしくは前借りして出てきた立場なのでいくら熱くて苦労
しても今更中途で帰ろうとはいえないのだ。年齢も多様で20代、30代、
甚だしくは50代までいる。我らも苦労だが同病相隣の情を感じた。あの人たちが
そのように苦労してドルを送金しているのにその子供たちは父親のその苦しさを
わかっているだろうか。彼らの話によると暑さのためにある日、いきなり四肢が
ねじれて体が麻痺され中途に帰国したケースもかなりあるそうだ。その場合、
前払いした金を全額返却し飛行機代さえ換えさなければならないそうだ。

彼らの中で偶然見知りの顔がいた。名前は知らないが前の船舶会社で瀬戸内海
航路を走ってたとき、釜山の埠頭荷役中、乗船しコンテーナーの検数を担当した
男だった。筆者はラーメンを煮て渡しながら慰めた。

回教国家なので酒は当然、販売禁止と知っているものの、本船にまで軍人たちが
銃をかけてきて食堂と廊下に立って監視した。酒を飲むかどうかを。上陸も
禁止だ。出ていっても見ることもないはずだが、航海に苦しだ船員たちが陸地に
接岸しても上陸ができないってなかなか苦しい。仕方なくみんなさおを垂れて
釣りながらつれづれを慰める。それも昼間にはみんなエアコンが稼働する食堂に
集まっていて日が暮れてから外に出るけど温度はあまり変りない。ただし
火達磨のような太陽がないとの差だ。

3等機関士は機関士1年生として当年24才。水泳に自信があり学校のときは
選手生活もしたとの若い人。 船尾でギターを弾きながら歌ってた彼が突然上着を
脱いでちょっとだけ泳ぎたいといって海にダイビングした。5分くらい
経ったのか。彼がいきなり水中であっぷあっぷしていた。ロープを投げたけど
潮流が強いらしくだんだん遠く流れてしく。案外に潮流がつよいのを
見過ごしたのだ。警察と代理店に知らせライフボートを降ろし捜索したがもう
見えない。

三日後、死体が浮かんできた。拾って清めた後、帷子を着せた。できるなら
棺に入れてそのまま飛行機で運区したかったが熱砂の国で金属製の棺に入れ
20時間も飛んで本国に到着したら高温で
惨たらしい水だけ残るそうだ。埠頭の
片角を借りて死体を火葬しながら人生無常を殊更に感じた。白くて美しい骨を
箸でとって箱に入れて封じた後、船員総員が集合、簡単な礼を揚げてから
代理店の人に引渡した。引渡すときになってそれまで耐えていた涙が溢れ出た。
3等機関士よ、さようなら。

熱砂の土地で同僚を失い本船は憂鬱な心でダンマン港を離れた。船長の命令で
長い汽笛を鳴らし、別れた霊魂を慰めながら。

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