
投稿者: ilkuji_99 その船舶の1等航海士は子供の時から数学の天才だと噂されて
高校の時、数学時間に教師が黒板に問題を出すと、教師が解く前にライバルの友達と誰が早く問題を解くか試合をして負けたらプルパン(20年程前は食べ物があまり豊富でなくって、素朴な形で簡単にパンを作った。)を奢ってくれる賭事をよくしたものだ。頭はよいが、家庭の経済の事情がよくなくて、国のお金で衣食住が解決できて、授業料もほとんど免除される国立商船大の航海科を志望し、合格した。そして卒業と同時に当時、船舶会社の士官学校といわれた大韓海運公社に堂々と3等航海士と発令を受けた。乗船する日、白い帽子にユニホォムも伊達に着飾ってトラップを踏んだものだ。
始めの日、航海当直をするためにブリッジに上がると相当年取った1舵手が立っていた。挨拶をして船舶の位置を海図上で確認した後、見視のためにヴュウスクリンで前方を眺めていた。1舵手はもう乗船経歴20年の古参船員として年から見て新参3等航海士のお父さんくらいの年代だ。しかし、命令に生き、命令に死ぬきびしい階級社会の商船の世界では年齢なんかかまうものか。
1等舵手は前日飲んだお酒からまだ醒めていないらしく、まどろみはじめた。学校から原則少尉として教育を受けた3等航海士がそれをただでおくはずがない。“1等舵手、居眠りしないで前を見て進行しましょう”、でも1等舵手は自分の息子くらいの年齢の当直士官に叱られていい気持ちいるはずがない。“見ていますよ”と答えてすぐまた今回は前向きに凭れてまどろみ始めたものだ。“気をつけて、真っ直ぐに立ってください”怒りはじめた3等航海士の催促もただことじゃなかった。
初めの当直4時間を神経戦で過ごした1等舵手が愚痴をこぼしながら次の当直舵手の2等舵手に仕事を引き渡して下に降りては船員用の食堂にどっかと身を投げって座って3等航海士の悪口をいいはじめる。W息子くらいおさないやつがくそ、口だけ多い。畜生“
近くで食事中の若い3舵手に”おい、これからは君が3等当直にあがれ、わしと当直を変えよう“といいながら当直をかえることを要求する。
元々、商船の当直の体系は経験のない3等航海士が経験の豊富な1等舵手と共に当直をして、2等航海士は2等舵手、1等航海士は3等舵手と一緒にすることになっていた。航海士と舵手が経歴の相互補完体系で当直をするが、新参の3等航海士が乗るといつもトラブルが起きて相当年取った1等舵手としてもなかなかうまくやっていきそうもなかった。それで3等航海士が2、3ヶ月船の生活になれてきてある程度融通がきくようになるとその時を待って自分の元々の当直の時間に戻っていくパタンーをとった。それからお酒を一緒に飲むチャンスも作ったりして私的にも親しくなると当直がずっとしやすくなったりもある。
後で個人的なことを話し合ったりして分かったことだが二人は同郷の人で1等舵手は3等航海士の家柄を知っていると言うから3等航海士はいぶかしく思い、休暇をとって下船した時お父さんに聞いてみると、1等舵手の名前を聞いて、‘昔隣の町に住んでいた下人の部落の人のようだ’との答えをきいたそうだ。1等舵手は海運公社の初創期から対米航路を走るKタイプの船舶に乗船したことにはなはだ自負心をもっていたそうだ。
当時海運公社が政府所有の船舶会社として発足した時、米国の‘余剰農産物援助計画’によって米国から夥しい量の米を長期間に渡って運んだ時期があった。韓国戦争が終わって何もなくて飢え死にするところに援助米が大切な庶民の糧として配給された時があった。それが米運搬を受け持った海運公社が国内ではほとんど唯一の船舶会社として急成長できた背景である。後で作曲家で元私立H大学長であるK氏が引き受けて民間企業として運営するようになった。K氏も海運事業でお金をたくさん設けて蓄積した財力で荘厳な家屋を建てたりして人目をひいたこともあった。
話がそれるが、そのK氏の財産を目当てにしたいか妖婦みたいな女がK氏の自宅に家政婦を志願、接近して誘惑したので普段、女が好きでスキャンダルを起こしていたK氏が嫌うわけがなかった。結局、女のシナリオどおり彼はあの女に手を出してしまって、噂を出すと脅迫されて、相当なお金をとられてその事件は終わった。あの女はおそらく近代韓国のそのすじの女の始祖だったのか。
当時、対米航路がめずらしかった時期だったから韓国で知られていた俳優など有名人たちはK氏に頼んで、海運公社の船で渡米することもまれなことではなかった。この頃になっては半日でソウルからAに行けるけどその当時は船舶を利用して2~3週かけていくことも平気に思う程外国に出かけること自体がものすごくむずかしかった。
(続き)
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