
投稿者: ilkuji_99 パリー離陸後10何時間を飛行してアラスカのアンカリジについた。いったん着陸し、みんなで降りた。空港ロビーで2時間の休憩時間が与えられた。その間航空機は機内掃除および燃料供給をうけ再び離陸するようになる。空港ロビーの中でもかなり寒く感じた。こんな寒い国に住んでいる人口も少なくないとわかったとき人間の環境適用力の限界はどこまでかと思わせた。他ならないここでその3年後、さすがの航空機が離陸し世界の言論を集中させた事件が発生するようになる。
1983年5月ニューヨークの空港を離陸した大韓航空機1台がこのアンカリジに寄港、ソウルを向って再離陸したあと永遠に帰って来ない旅に立ったのだ。当時乗客リストには296名が搭乗したことになっているのに実際はもっと6名が乗ったという。その6名は誰だろうか。一説によるとアメリカのCIAというけど勿論、米国側は極口否認している。当時アメリカ人乗客の中には共和党の強硬派上院議員が乗っていたが執権党の共和党の大統領のレイガンはソ連空軍による民間航空機撃墜事件を「悪の帝国による蛮行」と規定し糾弾することで凄い政治的利得を取ったしソ連など共産国家に対する圧力カードで使うことで彼の軍備増強路線に力を載せてやる契機となった。
事件の経緯については、アンカリジ離陸後、飛行中コンピューター故障でソ連領空を侵犯したとのことが大韓航空の主張だが信じにくい。当時新聞にはカムチャカ半島とサハリンを混同して機長が領空を侵犯したことに気づかずに運行中というけどカムチャカ半島とサハリンは遠いので信憑性のない主張である。そしたら真実は何だろう。大韓航空機がソ連領空に入る3時間前、すでに同じ領空を侵犯した航空機があった。米空軍戦略爆撃機が同じ領空にはいって大きく8字を描きながら飛行した。カムチャカにあったソ連空軍基地では超非常がかかり、戦闘機が発進待機中だった。そうするとあの米空軍機は公海上へ逃げたのだ。
そういう超非常状態で今度は大韓航空機が同じ領空に入ったのだ。例のソ連空軍機が出動し民間航空機であるのを探知し、左右でエスコートしながら問題の航空機に無線、発光信号などを送り着陸するように指示したそうだ。しかし大韓航空機はこれを無視、最後に空軍機が動体信号さえ送ったそうだ。これは他の手段が通じないとき最後の手段として翼を振って着陸を指示することだ。そかし民間航空機は着陸する意図をみせずに飛び続けたそうだ。そこで空軍機は地上の本部に下命を要請、本部は撃墜しろとの命令を下達したのだ。こういうことで北海道にあった日本航空自衛隊の基地レーダーのスクリン上であの航空機は永遠に消えてしまったのだ。
アンカリジの空港ロビーで問題の航空機に搭乗しようと待機していたある韓国人家族と偶然に同じソファに座っていたあるアメリカ人中年男子がその家族の中、8才ぐらいの女の子を見て「お前、可愛いね。お名前は?」と聞いたことがある。その男は目的地の違う他の飛行機に乗ったので別れたが後でその事件が起きたのを新聞で読んで「あの可愛い子供がそんな惨事に会ったとは」と哀痛していたそうだ。運命の擦れ違った悲運の遭遇というべきか。
アメリカ側は事故後、飛行機の black
box を太平洋上で回収したが大韓航空側に渡さなかったし、記録を公開していない。そもそも乗客リストに無い6名は何故搭乗したし
black boxの返還を拒否している態度に対し多くの人たちが疑問を提起しているのも事実である。米国がソ連の防空網をテストするためCIA要員を載せて機長にわざとソ連領空へ入るように要求したとの説が有力だが、これに対してアメリカ側は「そしたら何故民間航空機を入れたろうか」と反問する。しかし疑問を提起した側は「むしろ民間航空機なのでまさか撃墜はしないだろうと計算したんじゃないか」との反論も手強い。
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