シドニーブルース―13―カウラ脱走―I
 2003/12/ 6 19:10
メッセージ: 1629 / 1630   投稿者:  ilkuji_99
第2次大戦当時、パプア・ニューギニーは豪州の領土の一部だった。そのニューギニーを日本軍が侵攻して豪州軍との一代激戦が開かれた。同時に日本の神風特攻隊は豪州の北部、ダーウィンを空襲、数十名の人名を殺傷し多くの財産被害を与えた。ニューギニーで捕虜になった日本軍とダーウィン空襲時、撃墜され落下傘で脱出した日本海軍操縦士たちが、シドニーから西方へ150マイル離れたカウラという所にある日本軍捕虜収容所に収容された。1千名以上の捕虜が収容されたそこは周りに何もない陸地の孤島みたいな小さな村だった。その捕虜の中には日本の強制徴兵により参戦した朝鮮出身捕虜が5分の1ほどいた。   豪州軍警備隊の捕虜たちへの給食や待遇は連合軍の中でも最上だった。捕虜たちは皆静かに収容所生活を過ごしながら戦争が終ったら帰ろうと帰国する日を待っていた。野球競技をしたり、日本の祝日には祭り飾りをして遊びながらそれなりの収容所生活を楽しんでいた。ある日、東京の日本軍大本営に電報が飛んできた。カウラに収容された日本軍捕虜の中に天皇の親族がいるとの消息だった。日本政府は天皇の親族が敵国の捕虜になったのは恥辱なので早速救出するように決めて秘密裏にその親族を脱走させ、日本へ連れて来るように計画を立てた。   その任務を遂行するため特命を受けた日本軍大尉一名がわざと捕虜となり収容所に受監された。彼は静かに過ごそうとしている他の捕虜たちを侮辱しながら戦意を煽った。「お前らは軍隊で何を学んだのか?敵軍に捕虜になるより玉砕するように学んだじゃないか?この卑怯な奴等よ!こんな捕虜として恥辱を受けるより皆で闘って死のう」と。   この男は捕虜代表の小座と事毎に衝突を起こしながら捕虜たちに脱走のメッセジを伝えた。大尉がスパイだというのを知らない小座は自分が維持していた和平主義を主張しながら「闘っても得ることはない。あとで静かに帰ろう」とたしなめたが主戦派の大尉には牛耳読経だった。捕虜たちの動きに異常を探知した収容所の豪州軍幹部たちは捕虜の中でたまたま偶然に朝鮮人を発見し、彼を利用して内部の動きを把握しようとした。朝鮮人捕虜は密かに収容所警備幹部に会って毎日の動態を報告した。   大尉の衝動に同調し、一人、二人捕虜たちは戦意を育てはじめだし遂に捕虜たちは和平派、主戦派で分けて毎日激論を開いた。結局投票で決めるようにして脱走に同意したら死、残りたいなら生と書いて投票函に入れることにした。不思議にも和平派の巨頭、小座が案外に死の票を投げたと伝えられた。投票はしたものの開票過程は一切公開されなかった。投票の結果だけ発表したが「死が生より何十票多かった」といわれただけだった。そういうわけで過半数が脱走に同意したことで脱走を決行することになった。D―ディを月のない夜に決めた捕虜たちは中に動きが不自由な患者たちを「先に行かせる」ことにした。即ち不具者や走れない捕虜たちは両側に堵列した同僚たちの敬礼を受けながら松葉杖の足で歩いていって捕虜幕舎中の大梁に首を吊って死んだ。   D−ディを探知した朝鮮人捕虜は豪州軍にその事実を伝達するため皆寝ている間に幕舎を抜け出て走っていたとき、他の捕虜一名に発覚された。「スパイだ!」と叫んだら一部捕虜が外に出て追いかけてきた。あわてた朝鮮人捕虜は全力を出して警備兵のいる望楼へ走りまくったし、豪州軍に発覚されたと想った捕虜たちは夜中に全部起きて、その夜脱走することにした。野球バットや洋食道具のポークとナイフ、それに毛布だけを持ってみんな「ワアー」と喚声を出しながら幕舎から飛び出て鉄条網の壁へ飛び掛かった。望楼で警備をしていた豪州軍人たちは犬群れみたいに飛び掛かる捕虜の先頭に走っている朝鮮人捕虜を認知できなく彼を機関銃で射殺し後ろを付いてくる捕虜たちが鉄条網を越えようとしたので機関銃を乱射した。一部捕虜は毛布を鉄条網にかけて上がっていって望楼の警備兵一名を捕虜3―4名が一機に肉迫戦で攻撃、刺殺した。ほとんどは鉄条網を越えようとする過程で射殺され、わずか一部だけが越えて収容所の外へ逃げ出した。  続き    

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