ASWAN
アスワン

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ヌビア地方第一の都市
もともとエジプトとヌビア地方はナイル川のカタラクト(急流)で
隔てられた別の国であり、お互いに勢力の駆け引きが絶えなかった。
1902年にアスワンダム、1960年にアスワンハイダムが完成し、
ヌビアの多くの村は水没したが、彼ら独自の言語と文化は受け継がれている。
エジプトの中でも、最もアフリカ的な地域である。


【アスワン・ハイダム】
エジプトのダム建設の歴史は古く、紀元前2900年頃、には、カイロの近くに
15m程のダムが造られていたという。
1898〜1902にかけて、ナイル川氾濫の制圧と、水力発電の為、アスワンダムが
建設されたが、1960年にはソ連の協力により、新たにアスワン・ハイダムの
建設がはじまった。完成は1971年。
ダムは、軍事的にも重要な地点で、レーダーやミサイル等が配備され、
厳重な警備で守られている。
だが、ダム建設による気候の変化、又、洪水が起こらない為に、地中に
塩分がたまってしまう事による塩害など、良い事ばかりではない。
ハイダム記念塔
堤防の上よりナイルを望む


【切りかけのオベリスク】Unfinished Obelisk
オベリスクとは、ギリシャ語で、「焼き串」の意。
つまり、これは「未完の焼き串」??
そう、ここは、人間が焼き鳥になる位の暑さ!
アスワンは花崗岩の産地で、この地で
切り出された石は、ナイル川を船で下り、
エジプト各地に運ばれた。
石切り場にある未完のオベリスクは、
長さ42mもあり、完成していれば最も高い
オベリスクになっていた筈だった。しかし
途中で石に亀裂が入り、そのまま放置された。

オベリスクは太陽神ラーの力を表現した物で、 ファラオだけが立てる事を
許された。 盛んに作られたのは、新王朝時代で、神殿の入口の前には、
一対のオベリスクが立てられる事が多かった。 
オベリスクには、勝利や祝祭等の重要な出来事が刻まれている。


【フィラエ神殿】
フィラエは、プトレマイオス王朝時代からイシス女神信仰の中心地であり、
「ナイルの真珠」とも呼ばれた、美しい島だった。
1960年代、アスワン・ハイダムの完成によって、島の神殿は完全に水没する事に
なったが、ユネスコにより、近くのアギルキア島に、分解されて運ばれ、
再び組み立てられた。現在では、アギルキア島をフィラエ島と呼んでいる。
この島へは、アスワンダムの南にあるシェラルの船着場からボートに乗って渡る。

小さな島全体が神殿域となっていて、船着場から前庭を通り、イシス神殿の第一ピュロンを
抜けると円柱が並ぶ中庭がある。
第一ピュロンは、プトレマイオス12世(在位、紀元前80年〜前51・クレオパトラの父)が
建造したものだ。
その奥、第二ピュロンの先は至聖所に至る神殿。
ピュロンにも、神殿の壁にも、とても美しいレリーフがほどこされている。

トラヤヌス帝のキオスク
イシス神殿の東側にある美しい建物。
ローマのトラヤヌス帝((紀元100年頃)が
建てたもので、皇帝の一族が参拝する時の
船着場として使われた。

ナイロメーター
イシス神殿の西側に、ナイル川に向かって下りて行く階段がある。
その石壁には、目盛りが刻みつけられており、ナイルの水位を測る為の
「ナイロメーター」と呼ばれている。
ナイロメーターは、ナイル川沿いの都市の様々な所にあり、ナイルの水位を
観測し、洪水や、作物の出来などを予想する、大事な観測ポイントだった。


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