直前まで
当時、会社では大規模な被災を想定し、災害対策システムの再構築に取り組んだ。
東京のシステムセンターが被災した場合に、神戸で災害対策システムを稼動させる仕組み。
システム開発担当者の一人として参加した。
そしてシステムも出来上がり、1995年1月に稼動訓練を行うことになった。
今回は大規模な訓練ということで、専務や各部長クラスも参加した。
失敗は許されない!という緊張のなか、訓練は16日に無事終了。
本当は16日にそのまま帰る予定だったけど、「せっかく神戸まで行くんだからもう一泊!」と一日延期。
同僚達と三宮へ戻って居酒屋で(^_^)/□☆□\(^_^ )カンパーイ!
そして午前3時頃までスナックで飲んでた。
「今度、ディズニーランドへ遊びにおいでよ! 案内してあげるからさ〜 ここに電話してね」
なんて言いながら同僚はお店の女の子に名刺渡してたっけ。
「ボトル取っといてよ! また来るからね!」なんていい加減なこと言って店をあとにしたっけ。
ホテルに帰ってそのままバッタリ。
その日
5時半頃に(・・?)ナゼ?か目がさめて「風呂でも入るかな〜」ってベッドのうえで('';)φ ボーッ_
いきなしドーン!と縦揺れ! そのあと激しい横揺れ!
「何だ〜!? この揺れは?」 部屋に備え付けのテレビと冷蔵庫が宙を舞ってる!
「これは、ポルターガイストだ!」.....正直、本当にそう思ったのです。``r(^^;)ポリポリ
どれくらいの時間揺れてたんだろう? 一応揺れがおさまって廊下に出てみると同僚達も出てきてた。
口々に「すごかったな〜 今の地震は!」.....(地震だったんだ...)
パンツ一枚で部屋を飛び出してきてる人もいたな。
お風呂に入ってたらしくバスタオル一枚の女性が「私、どうしたらいいんでしょうか?」って同僚に聞いてた。
「とりあえずは服を着たら」って答えてた。
ホテルの誘導もないんで、「まずは荷物をまとめて急いで一階に避難しよう!」って皆んなで非難することにした。
この時、どさくさの中、バッグにしまいこんだ部屋「410号室の鍵」は今も持っている。
部屋は4階、でもエレベーターは動かない。 「非常階段から降りよう!」
ところが非常階段に出るドアのノブにはプラスチックのカバーが付いてて開けれない!
同僚の一人が、いきなし空手チョップ! 見事にプラスチックは割れて4階の客は無事に1階へ避難成功。
あとから気づいたんだけど、空手チョップした同僚の手からは血が...ゲゲ(゜_゜;)
1階のロビーには既に何人かは集まっていたけど、ホテルの従業員は見当たらない。
「そうだ!こんなすごい地震だったんだから、東京では皆んな心配してるだろうな」
ここでクエスチョンです。「あなたは会社と家庭のどっちを選びますか?」
当然、家庭です! まずは家に電話。
ピュアパパ:「あっ俺。 今、神戸で凄い地震があったんだけど、大丈夫だから心配しないでいいよ。(^O^)」
ピュアママ:「あっそう。 たいへんだね。 じゃ〜ね。 ガチャ! ツーツーツー...」
ピュアパパ:「・・・ (゚O゚;)」
出張の前の日の夫婦の会話。
ピュアパパ:「長崎(出身地)は地震て殆んど無いんだよね〜」
ピュアママ:「関東は地震が多いよね。地震は縦揺れからきたら要注意なんだって。」
ピュアパパ:「うんうん(^-^)」
朝6時頃の電話で、ピュアママは熟睡をたたき起こされて('';)φ ボーッ_
「地震があったよ」って電話で、てっきり「うれしくって電話してきたんだ(^O^)」って思ったらしい。
この夫婦は今回の地震を予知してたかのような会話をしていたのです。
ピュアパパは電話の(*T_T*)ショック!にもめげず、会社へ無事の報告をして、しばらくはホテルで待機。
そのころにはホテルも誘導をはじめていて、泊まり客にパンを支給してくれた。
「ちょっと外の被害を見てくるか」外へ出てホテルを見上げてみると、泊まってた4階の壁には亀裂が...
今回の地震で3〜4階が潰れてるビルをたくさん目にしたけど、危ね〜!
数時間前まで飲んでた東門街はメチャクチャ。「せっかくキープしたボトルが...(-.-)」
大通りは中央が「へ」の字に隆起してるし、近くにあった生田神社はペチャンコ。
会社の指示で、とりあえず神戸本部へ集合!
ホテルの荷物を持って瓦礫の間をぬいながら、徒歩で向かった。
それにしても、すごかった! 神戸が全滅したって感じ。
ここで協力会社の2名が自力で東京へ帰ると言い出した。
「なんとかなるだろう。」と思い、止めはしなかった。
神戸本部ビルは無事に立ってた。ホッ(-。-;)...なんてったってあちこちビルが倒れてたんだ〜
フロアは10階だけど、エレベーターが動くわけなくって階段で上がった。
水が洩れてるらしく、水が流れおちてくる中を黙々と上がった。
やっと着くと、倒れてるキャビネを専務自ら起こしてたな〜。
フロアは東京から出張してきたメンバーが殆んどだった。
出張メンバーはとりあえず全員無事を確認。 ホッ(-。-;)
その後、地元の社員も数人が出勤してきたけど、途中で瓦礫から人を助け出したりしながらの出勤だったらしい。
東京が被災した場合の災害対策システムの稼動訓練に神戸に来たら、神戸が被災したんだよね。
皮肉なもんだな〜。
「腹が減ってはいくさは出来ぬ。」って食べるものが無い。
「そうだビルに売店があった!」でも販売員はいない。
「仕方が無い。 ただでいただきましょう。」って盗んだわけじゃない。
腹のたしになりそうなものを選んで、全部φ(..)メモメモして所属と名前を書いて売店に置いといた。
でも翌日にはシャッターを下ろされてたな。...後日、お金はちゃんと払いました。
夕方、自力で帰ると言って別行動をとった2名が現れた。
交通機関は完全にマヒ状態。あきらめて戻ってきたらしい。
そして夜。近くにある宿泊施設へ移動してみたけど、ここも危ない!という判断で、毛布だけ持って撤収。
また神戸本部ビルへ戻って10階のフロアーで会議室に椅子を並べて簡易ベッドの出来上がり。
10階の窓から見える夜の神戸の市街地ではあちこちにまだ火の手があがってた。
そして時々くる震度4レベルの余震。 もんもんとしながらもその長い一日は終わった。
次の日
朝から地元の社員がたくさんのおにぎりを持ってきてくれた!w(゜o゜)wワオ!!
きのうはホテルでもらったパンと売店から手に入れたお菓子しか口にしてなかった。
この時のおにぎりは本当においしかった!
水も止まっていて顔も洗えず歯も磨けず、「いつまで続くんだろう」って思いながら時間だけ過ぎていた。
そのうち役員車が数台確保できた。まずは専務や部長達が優先して神戸脱出。
その車に一緒に乗ることになっていた先輩社員が、たまたま手が離せず、そのうち車の発車時間がきてしまった。
「代わりに乗りなよ」って言われ、申し訳ないけどお言葉に甘えて「それではお先に!」
駅名は忘れたけど、ある駅まで何時間かかけて車で向かった。
途中、崩壊してる町、道路の真中に落ちてる大岩を目にしながら目的の駅に到着。
その駅から京都へ出て、そこから新幹線で一路、東京へ。
車中で缶ビール飲みながら、「ホッ(-。-;)」
やっと東京到着。 会社に一応電話して「今日はこのまま失礼します」
そして暖かい我が家が待ってました。
神戸に残ったメンバーもその後、神戸を脱出。
このたった2日間が、自分にとってはとても長く感じられた。
| エピローグ 1999年8月、あれから4年が過ぎた夏。 泊まってたホテルを見てみたくて、家族で神戸の街を訪れた。 でもそのホテルは亀裂が入ったまま、まだ営業してはいなかった。 ひょっとして持ち帰った鍵のせい?ってなわけないか。 神戸の街はまだあちこち工事してたけど、確実に少しずつ復興してた。 |