邂逅 町はずれの集落に、賊が現れることは珍しいことではない。しかし、それも4,5人の夜盗である。しかし、この夜は違った。 「賊だ!」 外で叫ぶ村人の声で、趙雲は目を覚ました。手元にはいつも短槍がある。趙雲は短槍を手に取ると、外へ出た。 趙雲が今いる集落は僅か5戸ほどで形成されていた。皆この辺りで猟や農業をして日々の生計を立てていた。このようなときに…、と趙雲は呟いた。趙雲がこの真定郊外の実家に帰ってきたのは前々日のこと。そして、前日には死んだ兄の葬儀を執り行ったばかりであった。兄には趙雲以外に身寄りがない。よって、主君の公孫サンに無理を言って、数日間、兄の供養の為に休暇をもらったのである。そして、葬儀は、趙雲とこの僅かな集落の住人によってひっそりと行われた。 「趙雲殿!」 戸外に出た趙雲に声をかけたのは、集落のうちの一軒の主、趙銅であった。主人といっても、彼もすでに両親に死に別れており、一人暮らしであった。昔は官軍に入っていたらしいが、上司に要求された賄賂を断ったため、軍を追放されたと言っていた。会って2日だったが、趙雲は趙銅の軍人然とした態度を好ましく思った。 「趙銅殿。賊の数は」 趙銅は冷静に答えた。 「この声、50は下りますまい」 そんなことがあるはずがない、趙雲は思った。50もの賊が、僅か5戸ほどの集落を掠奪に襲うはずがない。趙銅は続けた。 「それが…、賊の本当の狙いは樊蘭殿にあるようなのです」 「樊蘭に…?」 樊蘭は趙雲のすぐ隣の家の娘だった。彼女もまた父母に死に別れ、老いた祖母を一人で養っているという。昨日の葬儀も、彼女の手伝いがなければ挙げられなかっただろう。その点では趙雲も感謝していたが、それよりも趙雲を驚かせたのが、その容貌だった。病弱な兄以外に妹や弟のいなかった趙雲は、ここを旅立つまで、彼女を妹のように可愛がっていた。しかし、前々日彼女を見た趙雲は、彼女のあまりにも美しく変貌した姿を見て息をのんだ。葬儀の準備をしながらも、趙雲はなにかと集中できないでいた。その原因は勿論樊蘭だった。ここ数年を各地の戦場で暮らしてきた趙雲にとって、女性をこんなに間近で見るのは久しぶりのことであった。しかも、美人である。 これだけの美人であれば、そのことは賊の間でも知られているだろう。そのことを知って賊が樊蘭を奪いに来たか、売り渡すために拘束に来たか。この賊の襲来はそのうちのどちらかであることは、趙雲にも容易に想像がついた。 「樊蘭!」 樊蘭の家の近くには、既に数人の賊がいた。趙雲と趙銅は賊兵を払いのけると、樊蘭の家へと入った。 家の中には3人の人間がいた。一人は樊蘭、もう一人は樊蘭の祖母。そしてもう一人は、屈強そうな男。恐らく賊であろう。 「ほら、お前のばあさんが殺されたくなかったら、俺についてくることだな…」 賊が樊蘭の祖母に刀を突きつけて、樊蘭を脅している。 「趙雲様!趙銅様!」 2人に気がついた樊蘭が叫んだ。賊は2人の方を向いた。 「おっと、そこまでだな。これ以上近づくとこのばあさんの命はないぜ」 趙雲は立ち止まった。ここで樊蘭の愛する老婆を殺されてはいけない、趙雲の心の奥の理性がそう語りかけた。しかし、趙銅は止まらなかった。2人が当然立ち止まると思っていた賊は狼狽した。 「ふんっ!」 賊は老婆に向かって刀を振り上げ、そして振り下ろした。老母の体は賊のもとから離れた。飛び散る鮮血。樊蘭の悲鳴。床に倒れる音。それらが全て一瞬の間に起こった。そして趙雲が次の瞬間に見たのは、真っ赤に染まった趙銅の体であった。趙銅は老婆を押しのけて、老婆と賊との間に自らの体を割り込ませたのだった。 樊蘭は何が起こったのか、咄嗟には分からなかったようだが、趙銅の真っ赤な体を見て再び悲鳴を上げた。しかし、その時には賊も我を取り戻していた。趙銅の体を押しのけると、叫んでいる樊蘭の手を取って逃げ出そうとした。 「させるかっ!」 趙雲は叫びながら、短槍で賊を突いた。賊は一言うめき声を残しただけでその場に倒れた。 外では、人の悲鳴が聞こえる。賊による虐殺が始まったのだろう。それに比べて中は静寂そのものだった。趙銅のうめき声が、その静寂を破った。 「お婆様!」 我に返った樊蘭は、老婆のもとへ駆け寄り、その無事を確認すると今度は趙銅のもとへ歩み寄った。 「趙銅様!趙銅様っ!」 趙雲は外に駆けだした。まだ40以上の賊が外にいる。
数日が経った。 何事もなかったかのように太陽が昇り、沈んでいった。しかし、現実は悲惨なものだった。趙雲たちが樊蘭たちを救っている間に、4人を除く集落の全員が、賊の刃にかかって殺された。趙雲が20人ほどの賊を倒すと、残りの賊は遠くへ逃げ去った。 趙雲は村人を簡単な埋葬が一通り終わると、趙銅の家へ向かった。 幸運なことに、趙銅の傷は浅く、命に別状はなかった。 「趙銅殿、私は主君との約束もあるので、明日には発たねばなりません。趙銅殿はこれからどうなされます」 「そうですか。私はこの傷が治ったら、荊州にいる弟の所へ行ってみようと思います」 「ほう、弟ですか。それは知りませんでしたね」 「私が軍から戻ってくるまで、弟はここで父母の世話をしていました。そのあと、仕官のつてがあるといって、荊州に向かいました。昔から狡賢い弟でしたが、そのお陰でそれなりに出世もしているようですから」 そこに、樊蘭が入ってきた。水桶を持っているところを見ると、趙銅のために水をくみに行っていたのであろう。樊蘭は趙銅が傷を負ったあの夜から、祖母の世話の間をぬっては趙銅の看護をしていた。 「樊蘭。私は明日ここを発つ。樊蘭はこれからどうするつもりだ」 趙雲は、こんなまどろっこしいことを言っているのが口惜しかった。趙雲は樊蘭についてきて欲しかった。既に趙雲にとって樊蘭は、妹のような存在ではなく一人の女性になっていた。しかし、傷を負った趙銅の手前、そんなことは口には出せなかった。 「私は…」 樊蘭は口ごもった。 「私は…、趙銅様の看護をせねばなりません。私の祖母を、命をかけて救って下さった恩返しをせねばなりません。私は今まで祖母の世話をすることだけの為に生きてきました。祖母の笑顔が大好きなのです。その笑顔を守って下さった趙銅様に恩返しをせねばなりません」 樊蘭の意外な申し出に、趙銅は戸惑ったようだったが、ただ「かたじけない」とだけ言った。 「樊蘭がそれを望むなら、それがいいだろう」 趙雲は鼻の奥が熱くなるのを感じながら、趙銅の家を出た。
趙雲の前に桂陽の太守だった趙範という男は、いけ好かない男だった。 勝手に趙雲のことを兄と呼び、何かにつけては、新太守の趙雲に贈り物をし、機嫌を取ろうとしていた。 この日も、趙範が趙雲の私邸に訪ねてきていた。 「今日は、兄上にあるご婦人を紹介にあがりました」 金や財宝の次は女か、趙雲は鼻で笑ったが、無下に断るわけにもいかない。しかし、あの日樊蘭と分かれてから、趙雲は色彩を喪った。目に見えるものが全て白と黒に見えた。 趙雲の気持ちをよそに、趙範は既にその女性を呼び寄せていた。 「それでは、私は席を外しましょう」 趙範と入れ替わりに入ってきた女性を見た瞬間。趙雲の目に色彩が戻った。 「…樊蘭…、だな」 それだけを言うのが精一杯だった。暫くの沈黙のあと、女性は頷いた。 「これは…、お前の意志なのか?」 再び沈黙が訪れた。 「なぜ…?」 「趙範殿は、趙銅様の弟なのです」 「なに…、それでは、荊州に仕官した弟というのは、趙範だったのか」 「はい。趙銅様の傷が治ったあと、私と祖母と趙銅様は、ここ荊州に来て趙範殿のもとに身を寄せました。しかし、趙銅殿は一昨年、ふとしたことであの時の傷口が裂け、なくなられました。それからも趙範殿は私と祖母によくして下さいました」 「…それで、恩返しのために趙範の“貢ぎ物”として…」 「いいえ。私が望んだことなのです」 一目で樊蘭が嘘をついていることが、趙雲には分かった。おおかた趙範に、断ると祖母の面倒は見ないとでも脅されたのだろう。趙雲は趙範のこの“貢ぎ物”を受け取りたかった。しかし、それは樊蘭に対して、趙銅に対して、そして、樊蘭の祖母を命懸けで救った趙銅の心に対しての侮辱だと思った。 「私は趙範の“貢ぎ物”は受け取らない。しかし、亡き趙銅のためにも、お前とお婆様は私が面倒を見る。案じることはない」 樊蘭は驚いた顔をしたが、一礼をして部屋を出た。
入れ替わりに、趙範が戻ってきた。 「お気に召しましたかな?兄上」 「貴様は、私に同族の娘を娶らせるのか?」 自信に満ちた趙範の顔を、趙雲は思いっきり殴りつけた。 「聞けば、あの娘は貴様の兄嫁であった人というではないか。貴様が私のことを兄と呼ぶのであれば、貴様の兄も私にとって兄に当たる。私に兄嫁を娶らせようというのか!」 樊蘭を拒んだ理由はそんなことではなかったが、趙雲は趙範を殴り続けた。趙範は泣き叫んでいた。趙雲も泣いていた。 2人の涙が違うのは、趙雲の涙が心から流された涙だからだろうか。
…疲れた〜。 また勢いで一日で書いてますよ〜。 以前から気になっていた、三国志の謎に、“なんで趙雲は樊氏を拒んだのに、2人も子供がいるんだろう?”ってことがあるんです。子供がいるってことは、趙雲も女性に興味がなかったって訳ではないんでしょう。では何故拒んだか。そこにはきっと理由があったと思います。その理由を妄想をふくらまして書いてみました。 趙雲ファンの人が見たら怒るかも知れませんね〜。 前作から1年以上経ってしまいましたが、能力は衰えるばかり?(笑) 最後の方もうちょっと煮詰めて書きたかったのですが…、ちょっと無理でした(汗) |