今、都会の生活からのがれて田舎暮しを始めるのが流行の様です。私の知り合いにもその人Kさん夫妻がいます。
知り合ったきっかけは「あなたの手で炭を焼いてみませんか」という町の新聞の小さな記事でした。
そのやさしい呼びかけに興味半分で参加したのが最初でした。十年前のことです。「やさしい呼びかけ」とは似ても
似つかぬ大きなお腹をした油ぎったおじいさんが、そのさそい主です。十数枚の手書きの説明書を渡され、それには、
山の木や窯の種類、炭焼きの仕方など最後には、焼きあがった炭の分配の方法まで書いてあるのです。説明は延々と続く。
最後に彼が学校の先生であったことを知り納得。たっぷりと二時間の講義でした。老夫婦でひと山を買い求め、少しずつ
開墾を楽しんでいるとのことです。
まず桜の木を切り倒し、それをまた小さくノコギリで切っていく。それも足場の悪い山の急斜面なのです。勿論、
炭焼きが目的なのですから、焼くための窯造りから始めなくてはなりません。また、炭を焼くには三日三晩かかると知った時、
安易に入り込んでしまった自分にうんざりしてしまいました。「やるしかない」自分にゲキをとばし作業をしていくうち、
その人は「とてもいい人なんだ」と思いはじめていました。みかけによらずささいな事にも、やさしい心がいき届き、
七十才をとうに過ぎているはずなのに、まるで少年の様な遊び心を持っている人だと感じたのです。おかげで私は、その三日間
の炭焼き体験を思う存分楽しむことができました。
その後、そこで知り合った五人の初老の男達で、遊びの会を作り始めたのです。山の木を切り倒し、丸太で橋を造ったり、
湧き水を利用して池をつくりヤマメをはなし、ワサビを育て始めました。またターザン小屋と称して木の上に家まで作ってしまったのです。
その小屋は重さは何キロまでは大丈夫だからと、俺は何キロ、私は何キロなどと騒いでいるのです。まったく子供のようでした。
今では、私の夫もその仲間のとりこになっています。私は時々、お茶の仲間として割り込んでいますが、いつも少年たちが話しているの
ではないかと錯覚してしまうくらい遊びの話をしています。たとえば、山の上から谷に降りるにはどうするか、長い滑り台にするか、
箱をつるして上下できないかなどなど、めいめいに思いつく事を言い合っています。最近、なんとイノシシをつかまえてしまったのです。
私は話を聞いて飛んで行ってみました。自作の檻の中に、まつ毛の長いかわいい目をした小さなウリ坊が、ちょこんと座っていました。
周りには、Kさんとその仲間がワイワイガヤガヤやっているのです。「いっぱい食べて、大きくなれよ」と言いながらさつま芋やリンゴを食べさせています。
「かわいいわね。でも大きくなったらどうするの?」と私がたずねると「大きくして勿論、シシ鍋だよ」とニヤニヤしながら言っているのです。
決してそんなことはできないと言うことを私は知っています。とても優しい人達の集団だからです。後のことを考えないのは、Kさんに感化されその山では、
みんな子供の心に戻ってしまっているのでしょうか。
田舎暮らしにあこがれる人達というのは、きっとこういう暮らしを夢みているのだろうと思う。「大きくなってはダメよ」とウリ坊に言い聞かせている私です。