「人間界へ・・・ですか?」 重厚な造りのデスクに、厚くてしっかりとしたカーテン。 黒い皮張りの椅子に腰掛ける男に、 デスクの前に立った青年が聞き返す。 「最近はうちの国への入国者が激減している。その分向こうへの入国者が後を絶たない」 「それは知っています」 「このままではヘルの勢力が拡大し、こちらが制圧されてしまうのも時間の問題だ」 「ですが、そのことと人間界とどういう関係が?」 「あぁ、実はな、人間界に光る魂を見つけたんだ」 「光る魂ですか?」 初めて聞いたその言葉に、光一はその言葉の意味を求めて聞き返す。 「その魂をヘル側に渡せば、一気にうちの会社は落ちる。その魂を手に入れるために、向こうが動き出しているんだ」 「それで俺の仕事は?」 天使の仕事はヘブンまで来る人間が、決まった死の期日までに予期せぬ出来事に 遭わないように、さり気なく見守るだけだ。 「その光る魂を守れ・・・そういうことですか?」 「そうだ、それを妨げる為にヘル側もやり手の悪魔を送り込んでくる。今回の仕事を頼めるのはお前しかいないんだ」 「・・・分かりました」 「ヘブンの全てが掛かっている。頼んだぞ」 「はい、天界の全ての神に誓って必ずやこの国を守りきってみせましょう」 そんな心強い言葉を残して、光一はその部屋を後にした。 ◆ ◆ ◆ ビルを出ると、携帯にメールが着ていることに気付いた。 「長瀬か・・・いつもんとこね」 ヘブン・・・天国と行っても、実際は人間界とほとんど変らない。 会社があり、そこでそれぞれの仕事をし、家に帰る。 ただ会社や仕事と言っても特殊な仕事ばかりなのだが、 ここへ来ればそれが当たり前になるのだから、 さほど気にならない。 もちろん働きが良ければ昇進だってする。 街に出ればカフェだってあるし、優雅なもんだ。 馴染みのカフェに足を運ぶと、そこには親友の姿がもう既にあった。 「お疲れ〜」 「・・・別に疲れてないし」 いつもの憎まれ口を叩く光一に、長瀬は笑いながら言った。 「挨拶なんだからさ〜、流してよね」 頼んだコーヒーを飲みながら、冗談を交えて会話を楽しむ。 そんな気楽な関係が、光一を楽にしてくれる。 「お前この後なんかあんの?」 「うん、これからバイト」 「警備?」 「そうそう、それが一番いいのよ、やりたがる奴少ないから就職率ばっちり!」 人の少なくなっているヘブンでは、人口も減っているが、その分会社の数も減ってしまっているため、 中々就職が決まらないことが最近では多い。 光一の言う警備のバイトと言うのは、ヘルとの境に当たる場所の警備のバイトのことだった。 ヘブンの中では一番治安が悪い為、皆その仕事はやりたがらない。 「みんな嫌がるけどさ、結構ヘルの奴等もいい奴多いんだよ?」 「友達作ってどないすんねん」 光一が苦笑していると、長瀬が話を続ける。 「ヘルにも境を警備してる奴がいるんだけどさ、暇なんだよ意外と」 だからたまに話をしているんだと、言っていた。 「俺は明日から出張やねん」 「また人間界?」 「そう」 「あら〜、大変だね〜、本社の人達は」 「ホンマやで、しかも今回はヘブンの全てが掛かっている仕事だ!とか言われてさ〜、やったらお前が行けっつうの」 ブツブツと愚痴を言っている光一の話を受け流しながら聞いていた長瀬だったが、 意味をよく考えてみてから、大きな目を更に大きくして叫んだ 「ちょっ!何それ?!ヘブンの全てが掛かってるって・・・?!」 「うっせえな〜、でけえ声出すなよ」 文句を言う光一の言葉を遮り、どういう事かと追及してきた。 「最近魂がほとんどヘルに流れてるやろ?うちの会社も表面上はなんとか取り繕ってるけど、 そろそろ本気でやばいらしいで。 今回の仕事を俺が失敗すれば、ヘルに吸収されしまうってこともありえる」 「それって・・・本気でまずいんじゃないの?」 「うん」 「いや、うんじゃなくてさ・・・」 うろたえる長瀬に、光一は不敵な笑みを浮かべながら言った。 「俺が仕事に関して失敗したことあるか?安心しろって、絶対やり遂げてみせるから」 その自信に、なんとなくホッとしつつも、長瀬は祈るしかなかった。 この世界が、悪魔の世界に飲み込まれないことを・・・。 ◆ ◆ ◆ 「僕が・・・ですか?」 「そうだ、お前ならやってくれることを期待している」 ところ換わってヘルの本社内では、こちらでもヘブンの本社と同じようなやりとりがされていた。 「街にも人が溢れかえっている。 ヘルの中は満員状態だ」 「はい、これ以上の入国者を受け入れるには、このままでは狭すぎます」 「ヘブンの土地も会社も全てを手に入れ、国土を広げるしかない」 「はい」 「我々が光る魂を手に入れれば、ヘブンの本社も必ず落とすことが出来る。 そうすれば、ヘブン全てが手に入ったも同然。 その為の大事な仕事をお前に任せることにした」 「お任せください、必ずや光る魂はヘルの許に・・・・ヘルに住む、全てのものに誓って・・・」 エレベータを降り、そのまま会社を後にする。 剛は、会社でもやり手として一目置かれている存在で、 自分以外には興味が無いといった雰囲気が、余計に近づき辛さを醸し出していた。 ただ、仕事が出来るということは正しいが、 別に他のことに興味が無い訳ではなく、単に人見知りが激しいだけで、 親しい仲間うちではよく笑顔も見せていた。 「今回に掛かってる・・・か・・・」 そういうプレッシャーの圧し掛かってくるような言い方は止めて欲しい。 仕事は出来る方だが、あまり好きではない。 人の心を迷わすサタンの仕事は、自分には向いていないような気がする。 しかし、サタンやエンジェルといった本社に勤めている者達は、 ヘルとヘブンの住人達・・・つまり下界から昇ってきた者達とは違い その仕事をするために誕生した者たちだった。 だから、住人達と違い職業を選ぶ事が出来ない。 それでも、自分はずいぶんと恵まれた環境に居ると思う。 ヘルの中にも、荒れている場所と治安の良い場所に分かれているのだ。 人口が増えれば食料だって不足する。 人手はどこもいっぱいで、失業者の増加。 それに伴って、どんどん治安は悪くなる一方だった。 ヘルは、罪人ばかりがいる場所だと勘違いしているヘブンの奴等もいるが、 ヘルの中にも罪人が犯罪を起こさないようにする為の様々な法律や、 規制が行われているのだ。 独房以外にいるヘルの住人達は、皆彷徨える魂たちだった。 「会社の吸収・・・合併・・・それしか考えつかないんかな・・・」 そんな考え方が剛は一番嫌いだった。 何よりも自分達のことしか考えていない。 自分は一生この場所で、この仕事をしていくのか・・・。 そう考えると、無償に虚しくなった。 ヘルは嫌いじゃない。 生まれ育った場所だ。 でもどうして自分がサタンなのかと、時々理不尽に思うことがある。 ただの住人になりたかった。 なんの責任もない、この街の住人に憧れた。 例え彷徨える心に、一生苛まれ、苦しめられる運命の者達だとしても・・・。 ◆ ◆ ◆ 「久しぶりやな〜、人間界も」 白く大きな翼をはためかせながら、光一は下界の上空にいた。 通常、一般のエンジェル達は皆黒い羽根を持っていた。 昇給するにあったって白く大きな翼を持つことが出来るのだ。 したがって、白い羽根を持つものは限られている。 普段から出すことはなく、必要なときに出すだけだ。 「あんたヘブンやろ?」 下界を見下ろしていた光一の背後から、 聞きなれない声がした。 そちらの方を振り返ると、案の定サタンが黒く大きな翼をはためかせていた。 「そうやけど?もしかしてあんたが今回のサタン?」 「そう」 「今回俺はあんたの邪魔すればいいわけね。 ま、頑張りや」 そう言って笑いながら手を差し出してくる光一を、 剛はその鋭い眼差しで睨みつけた。 「ずいぶんと余裕やな、ヘブンはみんなそうなん?」 「さっきからヘブンヘブンて言うけどさ、俺にも一応光一って名前あるんやけど?サタンさん」 「・・・俺は剛や。言っとくけど絶対に光る魂はヘルに連れて行く。邪魔なんてさせへんわ」 「まぁ、まぁ、そんなに殺気立つことないやん?期限まであと一週間ある。それまでぜいぜい仲良くやろうや」 いつまでも余裕ぶっている光一に、ヘブンよりもヘルの方が優勢の筈なのに、 なんだか侮られているように感じる。 そのことが剛のプライドを煽っていた・・・。  ◆ ◆ ◆ 「もう!なんでやねん!」 既に6日が過ぎていた。 いつもなら2日もあれば完全に惑わすことが出来た。 それなのに何故、今回はこうもうまくいかないのか・・・。 あと一日しかない・・・。 あと一日の間に光る魂を持つあの人間のこころを惑わさなければ・・・。 焦れば焦るほどに、剛の力は空回りしていった。 「そろそろ諦めれば?」 「うっさいな!」 同じ人間に対する仕事をしている為、おのずと2人で過ごす時間が増えていた。 死んでも諦めるか!と口では言っているものの、 剛はほとんど諦めていた。 全ての手は尽くしたのだ。 もう、なんだか全てが嫌になってきた。 力を出し切れていない理由は分かっていた。 自分の心の揺れや仕事に対する戸惑いが、力にも現れていたのだ。 期限まであと数時間と迫った日の夜、 住宅街の一角の家の屋根の上に座りながら、 少し離れた場所に座っていた光一に何故か自分から話掛けていた。 「なぁ、お前はさ、この仕事してて楽しい?お前もエンジェルってことは生まれつきやろ?」 光一は剛が急に発した言葉に、何が言いたいのか、その真意がつかめずにいた 「楽しいかって・・・仕事やからな、しゃあないやん」 光一の方を振り向いて、剛がふっと笑顔を零した。 「・・・・しゃあない・・・か・・・。確かにそやな〜・・・」 「どした?急に」 「なんかさ、一体何のためにこんなことしてんだろう・・・って思ったりしてな」 こんなことを人に話すのは初めてだ。 しかもエンジェルにだなんて、おかしいことは分かっていたけど、 誰かに聞いて欲しかった。 「自分はヘルの為に生まれてきて、ヘルの繁栄の為に働きつづける・・・ただの駒なんやなって・・・」 「・・・駒・・・か・・・」 「そう、光一はそう思わへんか・・・?」 「そやな〜・・・、そう思わないことも無かったけど・・・でも俺は考え方を変えたかな」 「考え方を・・・?」 「そう、ヘブンの為に自分があるんじゃない。ヘブンがどうなろうが、知ったこっちゃねえって。 俺は俺の精一杯の仕事をするだけ。 それが・・・なんていうか、自分の仕事に対しての プライドみたいなもんじゃねえかって思ったりすんねん」 「プライド・・・」 「そう、自分の仕事に誇り持ってさ、その世界の為に動かされてるんじゃない。 自分は自分のやるべき事をやってるだけだ!って、そういう風に思うだけで、だいぶ違うんじゃねえの?」 俯いて話を聞いていた剛が、顔を上げた。 「・・・そっか・・・そうやな、考え方ひとつでも全然違うよな」 「そうそう」 笑顔の戻った剛に、光一も笑顔を返した。 「今回はこっちの負け。それは認める・・・けどな、ヘルも切羽つまっとんねん」 「それはこっちの台詞やで、うちの本社相当やばいらしいからな〜・・・」 「そっか・・・俺は俺なりに自分の出来ることを会社に提案してみるわ」 「おう、お互い頑張ったらええよな」 「なんやねん、この変な間柄は」 そう言って剛が笑った。 「なんなんやろな〜、職業的に同じような位置みたいやし・・・共感出来たんちゃうか?」 「そやな、じゃあ〜・・・俺そろそろ行くわ」 「あぁ、そっちも何とかなるといいな」 「お互い様な」 そう言って、剛は黒く大きな翼をはためかせ、夜空の中へと消えていった。 「ヘルの奴も・・・結構良い奴おんねんな」 その姿を見上げながら、前にもどこかで聞いたような台詞を、光一は呟いていた・・・。 ◆ ◆ ◆ その後の話を少ししようと思う。 ヘブンとヘルは、それぞれ2人の若い幹部の説得によって、 お互い色々な条件付きではあるものの、 和平が決まりそうになっている状況だ。 手と手を取り合う・・・とまでは行かないものの、お互いに前ほどは切迫した雰囲気もなく、 だいぶ住み心地がよくなったと言えるだろう。 長瀬のバイト先の境では、今日も光一と剛は会っていた。 この2人の不思議な友情が愛情に変わるまでには、 そう時間は掛からないだろう・・・・ 荒んだこの世界の果てに、 世界の平和と共に、恋人達の幸せがあったことに、 一体どれだけのものが気付いたのだろうか・・・・・・ ◆ ◆ ◆