2001年2月2日・・・じっさまが亡くなった。
転院してわずか半月のことであった。
余談ではあるが、療養型の施設は多少の医療行為はあるが・・医療施設と違い延命治療等はしない。
その為入院の際「何かあった場合、救急として医療機関に搬送するか、出来る範囲の介護をして自然に任せるか」と聞かれる。
じっさまの時も、本人が横たわるベッドを挟んで、院長に問われた。
ばっさまは、少し考えて・・・「もう、体中に管を入れられて生きているだけの父さんは見たくないから・・・自然でいいです。」と答えた。
院長は「そうですね。そのほうが・・・」そう言ったとき、寝たきりで意識が無いに等しいと思われていたじっさまが「ウオ〜」と言葉にならない声をあげた。
それは、「死にたくない」と叫んでいるようで、しかも悲しそうに聞こえた。
院長はじっさまの肩に手を置いて「大丈夫だからね、ゆっくり療養しましょう」と言ってきかせた。
長い間寝たきりだったじっさまは、言葉にさえ出来なかっただけで全てを理解していたのだろうとその時確信した。
おそらく、優しく声をかけながら下の世話をする看護士の方に励まされ、物のようにゴロゴロと転がして身体を拭く介護士に腹を立てていたに違いない。
そう思うと、自宅で介護した日々の自分の、じっさまに対する態度が気になった。
感謝されるにはほど遠いかもしれない・・・
そんなわけで、それからわずか半月でじっさまは静かに息を引き取った。
多分、転院されずに医療機関に入院していたのなら、人工呼吸器やらなんやら身体にあらゆる管でつながれながらじっさまはまだ暫く生きていたのだろう。
どちらが本人の希望だったのか・・・それでも、生きていたかったのだろうか。
とにかく、我が家の生活が一つの山を越えた時であった。

じっさまの葬儀も済んで2月末。
ホッと一息ついたところで、モカっ子達を思い出した。
生まれて一月・・・そろそろ行き先も決まった子がいるだろうか。
逢いに行って見る気になった。父を誘って・・・
「見に行くだけだぞ!」と念を押す父に、
「解っているよ。ウチにはまだまだ年寄りイッパイで、余裕は無いもん」と母も答えた
思い立った時にと思い、即電話。「今ならイイです」と言う返事で直ぐに出かけた。





とにかく子犬はみんな可愛い!どの子でも一度抱いてしまったらそのまま連れて帰りたくなる。
♂が4頭、♀が3頭・・・我が家は、次に飼う時も♀を希望していた。
もちろん名前も決まっている・・・・ローラの妹は「メアリー」なのだ。
父が一頭の♀を抱き上げた。
手の中で少し震えていた。
ママに毛色がよく似た女の子・・・
「今ならどの子でも、選び放題ですよ」とトレーナーが笑顔で言った。
「お前も抱いてみる?」父が言ったが、首を横に振る母・・・
抱いたら、一巻の終わりである。
すると父は「この子に決めるか?」と言い出す。エ・・・?
あんたもタダの犬好きかい!あれほどダメだと言っていたのに!!
母の方が焦ってしまった。
「未だ無理でしょう。四十九日も済んでなくて・・・」
その時トレーナーの息子さんが「ね〜〜震えているから、可愛そう・・・みんなのところに戻してやってよ」と言ったのをきっかけに、父も我に帰ったらしい。
「そうだった・・・」と、子犬をそっとケージに返した。
「未だ、どうなるか解らないので」とお断りして・・・後ろ髪引かれる思いでお宅を出る
「近いうちに電話します。飼うときは女の子を・・・」とだけ話した。

2〜3日して私の留守中にトレーナーから電話を頂く。
応対した父に「○○さんのお宅でも、♀を希望していますがどうされますか?」との事
父は、母が居ないので返事を保留にした。
しかし、母が夜勤を終えて帰宅した時既に、父はトレーナーにメールをしていた。
‘今回は、残念ながらお断りしたい’と1〜2行の理由を書いたメールだった。
母は、自分に相談も無く断った父に抗議をしたが・・・話し合っても結果は同じはずであった。あきらめるしかなかった。
子犬を譲り受けても、満足できる飼い方ができるのか不安でもあったのだ。
ここで、話しは終わるはずであった。