出会い
1996年6月のある日。
母は仕事の書類のコピーを採りに、今は居酒屋となっている場所にあった「街のホッ
とステーション」なるコンビニに出掛けた。
そこには、もの静かな長身のオーナーといつも明るく元気な奥さんが畜大生をアルバ
イトに使いながら交替で店を切り盛りしていた。

コピーを採り終えレジでいつものように領収書を貰っていたとき、オーナーの奥さん
が言った。
「猫は好き?」
唐突な質問に何も答えられずにいた母に、奥さんは続けて言った。
「確か・・・ワンちゃんを飼っていたんだっけ?猫はダメ?」
「いいえ・・・猫も好きですけど」
ようやく答えた。
「じゃ、ちょっとこっちに来てよ」
と、奥さんは私をレジの奥にある事務所に手招きした。
罠に填められるとも知らず、招かれるまま事務所に入った母は見てはいけないモノを
見てしまった!
それはもう・・・この世のモノとは思えないほど、今までに出会ったどのモノよりも
可愛い子猫が二匹、事務椅子の座布団の上で横になっていた。
どちらも薄いベージュ色の身体で鼻・耳・両手足・そして身体の長さと同じほどの細
くて長いしっぽが濃い茶色であった。
「うちの猫が生んだの・・・母親は白黒なんだけど5匹生まれた内のメスの2匹なんだ
けど。オスはみんな白黒なのよ。きっと父親がシャム猫なんだと思うわ!」
と奥さんが言った。
「貰ってくれない?」
奥さんはそう言いながら、一匹を母の胸に押しつけた。
「えっ??」
やられた〜〜〜!!いきなり持ち上げられて、人の腕に抱かれた子猫は目を開けて母
を見上げていた。美しいブルーの目・・・参った!!
「可愛いけれど・・・家には大きな犬もいるし。連れて帰ったら家族に怒られちゃう」
母はこのまま連れて帰りたい衝動を抑えて、子猫を座布団の上に戻した。
「そうか〜〜〜やっぱり無理かね〜〜」
と、奥さんはため息をついたが
「まぁ、この子達なら器量も良いからすぐに貰い手が決まると思うけど」
そう言って、店に出て行った。
奥さんに続いて事務所を出ながら、なぜか落ち着かない母であった。

一時間後。母は娘とばあちゃんを連れて子猫の前にいた。
共犯者を作るのには、時間はかからなかった。
娘もばあちゃんもたちまち子猫の虜になった。
いくら何でも2匹は無理と判断して、見かけは全く同じ2匹のうち比較的人なつこそう
な方の子猫を貰うことにした。
たしか・・・父はもともと犬より猫派だったはずである。
家に連れて行ってしまえば、返してこいとは言わないだろう。

「華」 誕生!
「ただいま・・」
父が仕事から帰宅した。
「お帰りなさ〜〜い」
母も娘も父に背中を向けたまま、答える。
不審そうに父は、二人の手元を覗き込んで叫んだ。
「何だ!これは・・・」
「猫」
「そんなの見りゃ解る!どうしたんだ」
「うちに嫁に来た。」
「どこから?!」
「ロー○ソンから・・・」
「ロー○ソンにそんなもの売ってるわけないだろ!!」
父はずっと大声で叫び続けていた。
母と娘は、
「だって、ホントだもんね〜〜〜」
と、子猫をかまいながら言った。
父は、子猫が本物のシャム猫で母がペットショップから買って来たと思ったらしい。
父の興奮を「まぁまぁ」と押さえ、母は順を追って話した。
「どうすんのよ!犬だっているのに・・・」
そう言いながら父は、子猫を持ち上げてその顔を覗き込んだ。
「お〜〜い。めんこい顔してんな〜〜〜おまえ」
この瞬間、子猫は家族全員に魔法をかけてその一員となった。
父は床に仰向けに寝て、子猫を自分の胸の上に置いて呼んだ。
「はなこ」
どう見ても「はなこ」は無いだろう・・・母と娘は思ったが、ここは父の気分を変え
ないように言った。
「はなこっていうより、はなの方が合っているんじゃない?」
少し不満そうな父ではあったが、かくして多数決で子猫の名は「はな」となった。
字もすこ〜〜し洒落て?「華」である。

現在
2003年。7歳となった華は、その頃を思い起こさせるほどの可愛さは無い。
母親譲りの黒が成長と共に毛に現れ、いつの間にか日焼け猫と言われる様になった。
体重は7kgを超え、ワンコのトレーナーに見せたら「これは虐待です」と叱られてし
まうに違いない体型となった。
はっきり言って、デカイ猫である。
ただ、その青い目と美しい顔立ちは今も変わらない。・・・と思っている。

華はどうも、自分を「わんこ」だと思っている節がある。
家の中では、今いるどの子よりも先に来たこともあり、一番威張っている。
自分より大きな身体のローラやアルバートを思いどおりにあやっつっている。
気に入らなければ、すぐに猫パンチを繰り出す。
しかし、他の猫にはからきし弱い。
子猫すら恐ろしいらしく、シャーシャー言って逃げ隠れる。
なのに、どんな大きな犬も平気なのである。
そして、一般的な猫のイメージにあるような人に対する素っ気無さがあまりない。
初めて家に来る人には、まず鼻をヒクヒクさせて近寄り匂いを嗅ぎまくる。
決して、隠れて何処かで見ているなんて事は無い。
母の友人は「何だか犬みたい」と言う。
おそらく・・・華自身もそう思っているに違いない。

華は、人の言葉を二つだけ話すことができる。
「ごはん」と「おはよう」である。
父は7年経った今でも「気のせいだ」と言うが、娘の友達も何人かがそれを聞いてい
る。
「ごはん」に至っては、華が家に来て間もなく母が教えた。
夕方、猫缶をスプーンでカチャカチャしながら「ごはん、ごはん」と言って聞かせ、
なおんと鳴くたび何度も声を掛けた。
母は、思っていた。
ペットは人気商売だから、猫だってなにか芸があった方がいいに違いない。
犬ならお座りやらちんちんやら出来るけど・・・猫のそれは、あまり聞いた事がない。
しかし、母が仕事で訪ねたお宅で飼っていた猫が「ごはん」と言いながら、飼い主の
足下にスリスリしているのを、目の当たりにした時には感動し空耳では無いことも確
信した。
華だってきっとできる!はずである・・・

かくして特訓の甲斐あり、華は「ごはん」と言えるようになった。
それは、訓練をはじめて2週間ほど経ったころである。
その時も、缶詰欲しさに華は「にゃおん、なおん、おわん・・・」と努力を重ねてい
た。大抵は、話そうと努力している事を認めて猫缶をあげていたのだが、その日は少
し違っていた。
何となく母には、華のいつに無い一生懸命さを感じていた。
何度も「ごはん」と言おうとしている声が華から発せられていたのだ。
何度目かの挑戦の中、ついに華の口から「ごはん」の言葉が飛び出した。
それはもう華自身も相当嬉しい事だったらしく、その瞬間華は飛び上がりリビングを
走り回っていた。
大好きなチーズ入りまぐろ・ささみ缶を、貰う事も忘れてその喜びは10分近く続いて
いたように思う。
母は、それはそれは驚いた!
華が「ごはん」と言えたことも去ることながら、猫にもこれほどの感情があることを・