新聞社の人と、これから新聞がどうなりそうか、話すことがあったが、ディスプレイタイプの読み物は近未来にかなり普及するだろうという予測していた。最近よく使っているこのバイザー(Visor)は、気楽さと、縦書きの案外の読みやすさなど、コストパフォーマンスを考えると今現在の最良のもののような気がする。
 最もこの清水市に暮らしていると、Visor関係の機器は手に入りにくい物ばかりだ。VisorはDeluxeは清水・静岡・掛川の7軒のコンピュータショップの中の1軒だけにあり、USB用のプラットフォームもその一軒だけにしかなかった。本当に欲しかったVisorのPlatinumは自分が回った7軒のどこにも在庫がなかった。コンパクトフラッシュ用のアダプターは別の一軒、辞スパ(結果からいけばCD版を買うよりもダウンロードした方が安上がりだったが)もそれとは別な一軒という感じでしか手に入らない。折りたたみ用のキーボードはポイントカードがたまった店で取り寄せてもらった。
 県全体にかかわる情報研修のセクションも職場にあるのだが、持ち運び用のWindows CE用のハンドヘルドコンピュータも、PDAを使っている人も職場にはいない。JRや新幹線での通勤途上でも、ハンドヘルドタイプのコンピュータを使っている人に会った事がない。これだけ、まれにしか手にはいらないと使う人はほとんど出ないのだろう。便利な物で手頃なのに、ほとんど売っていないのではどうしようもない。
 ここの所、しばらくVisor(PDA)での読書に時間をかけてしまい、HP(ホームページ)つくりは完全におろそかになっていた。好きな時に著作権切れではあるが、かなりの量の小説から好きなものを選んで読めるのは便利なものだし、読むのに全くと言っていいほどお金がかからないのも魅力だ。
 著作権が切れるには50年以上の時間がたたなければならない。インターネットからフリーでダウンロードできる青空文庫からの、50年以上たった文章を読んでいると、日常のありきたりの現実の出来事より、50年以上生き残ったフィクション(非現実)の方がよほど重く思えてしまう。例えば、夏目漱石・芥川龍之介・太宰治の残した文章は、今となっては、普通の人々の現実よりも残り続けている。一方で、ただで簡単に名作が読めるのだから、自分にとってはますます時間不足な感じが増す。興味があったり、やりたい事はあっても、時間が割り振れなく、寝不足気味になっていくのもまずい。やはり、一番大切なのは、授けられた時間だということになる。自分の時間をお金に換えることはできても、自分の時間はお金で買えない。
 中年になった自分に関係するもので、これから50年以上の時間が流れれば、多くが風化し、残されるものはわずかなものだ。時間が現実とフィクションの重さの比を変えてしまうのか?
 Palm用ゲームもいくつか入れてみたが、結局一番おもしろかったのが一番単純なSFCaveというものだった。空中浮遊感のような味があり、面白い。Vectorからフリーでダウンロードしたものだ。