かつて、O県で観光の目玉になっていた「ハブとマングースの決闘ショー」は、その残酷さが多くの人の批判を呼び、動物愛護の観点から問題があるとして、1999年以降、廃止になりました。
同じ闘いでも闘牛は、今でもO県を始め日本のあちらこちらで伝統行事として行われています。日本の闘牛は、スペインのような人と牛との闘いではなく、牛同士が角を突き合わせて闘うというものです。どちらか一方が逃げるか倒れるかすれば、そこで勝敗が決まる、ということになるようですが、場合によっては相当深い傷を負ってしまいます。
誰もがその存在を知っているスペインの闘牛では、牛の背中に剣を突き刺して、必ず最後には殺します。殺された牛は食肉になりますが、その数は、闘牛に使われた子牛も含めて年間3万頭くらいだそうです。
目を転じて闘犬はというと、こちらもやはり日本では今も行われています。時間制限なしでどちらかが死ぬまで闘わせる、というやり方ではなく、獣医師待機の元、30分を限度として闘わせるようです。
闘鶏は、現在日本では行われていませんが、フィリピンなどで今も行われている闘鶏では、鶏の足に鋭利な刃物を付けて殺傷力を高めた上で闘わせ、一方は確実に死に至るということです。
何故人は、動物を使った闘いを好むのでしょうか。強さへの憧れなのか、闘わなければ生きてゆけなかった太古の人間の遺伝子が、現代人の中にも息づいているのでしょうか。
ハンティングを好む男性が、獲物を倒した日は興奮して性欲が亢進する、と言っていたのを思い出します。私はその言葉を耳にしたとき、ちょっと気分が悪くなりました。
また、人と動物、動物と動物が闘うのを見て人々が熱狂する場面を想像すると、私はいつも、遥か昔にローマのコロセウムで人と人、人と動物を闘わせ、殺し合いさせて観衆が楽しんだ様子が目の前に浮かぶ気がします。
人が持つ感性をとやかく言う気は毛頭ないのですが、人間の楽しみのために、わざわざ動物(かつての奴隷も)を苦しめたり、傷つけたり、死なせてしまったりする必要などないのではないか、と私自身は常々考えています。
ちなみに、東京都では、闘犬、闘鶏、闘牛取締り条例を設けて、動物同士を闘わせることを禁止しています。
命ある動物を闘いの道具に使うのは、みだりに動物を苦しめ殺傷してはならないとする、動物愛護法第2条に違反しないのだろうか、と疑問に思います。
![]()