埼玉県さいたま市浦和区
2003年より埼玉県浦和市より大宮市.与野市.浦和市合併でさいたま市になる

私の住む街・浦和 私は子供時代からここに住んでいる。
街はどんどん変っていく。
古い商店街はなくなり、コンビニやスーパー、駅付近は高層ビルになった。ビル通りは風が強く、異様な空間になった。
小学生時代、昭和30年代、まだマイカーrなんていうのは夢のまた夢、小3の頃ようやテレビが我が家にやってきた。だから、日曜日にドライブでちょっとランチ、なんて時代ではない。休みの日は友達とハイキングだ。その距離もたかが知れているが浦和市の周りは田んぼや雑木林がいっぱいだった。その頃はまだ舗装されてない道路が一般的で、凸凹道だ。浦和競馬場もあり、道路に馬糞はあった記憶もある。
 
見沼田んぼ散策
我が家は北浦和駅から北東の方角だ、皆で見沼の田んぼ方面にハイキングだ。小学4,5年頃の流行、春は一面のれんげそうだった。今は宅地になってしまった所もあるし、見沼用水も整備され、遊歩道もでき、土手には桜が満開になり、桜の季節は多くの人だ。子供の頃は「となりのととろ」に出てくる様な風景が広がっていた。いつのまにか雑木林が切り拓かれ道路はどんどん開通していった。戦後から高度成長期を駆け抜けたこの50年間はあっという間のような気がする。
桜草・田島が原
最近は桜草の季節になると、田島が原(荒川の河川敷)に降りる道路は渋滞する。降りてからも数珠繋ぎでにっちもさっちもいかない。昔は浦和駅からバスで30分位だったと思う。
当時は田島が原までしか行ったことがなくその向こうは荒川を渡る長い橋があり未知の世界だった。自分で車を運転するようになってから橋を渡るようになった。だが、私はこの橋が苦手だ。どうしても下の川に吸い込まれるようにハンドルが取られてしまう。必死でハンドルを握ってしまう。もう、くたくたになる。
駒場サッカー場
今、駒場のサッカー場になっている所も、子供の頃は、駒場遊園地で大型の滑り台や、ジャングルジム、名前がわからないが手動の乗り物が沢山あった。遊園地は高台にあり、旧な石段を下りると小川と田んぼだった。近くに焼き場があり、今で言うと心霊スポットの感じがあった。わが子も3歳ぐらいの時「こまいば、こまいば」と言って、お気に入りであった。その子が中2の時、駒場サッカー場が完成し柿(こけら)落としの試合に選手として出場した。
調つきのみや神社
調神社は年末の12月12日、「12日まち」と言う酉の市がたった。中山道沿道に露天が立ち、子供の頃は兄弟3人と母とで毎年行った。神社近くには白装束の傷痍軍人がアコーディオンを弾きながら何人も立っていた。アコーディオンの音色が聞こえてくるとちょっと怖くて、あえて音の方から目をそらした。これには慣れないまま12日まちに行かなくなってしまった。そして、急ぎ足で境内入り熊手を買った。私が中学頃になると、家族で行くことはなくなってしまった。10年位前に行った時は、中山道は人、人、あふれかえり、人並みに押されながら境内まで進んだ。子供の頃はいろんな店が出ていたが最近ははほとんど縁日にでる定番のやきそば、たこ焼き、などの食べ物屋の露天のようだ。
*調神社:古代伊勢神宮への調の品々をここに集荷した所から成立したとも、また、槻(ケヤキ)の木の繁茂するところから、月神宮に住む月の王子、月読命(つきよみのみこと)っをまつるようになった。江戸時代にははっきりと月神社というふうに理解され、狛犬の変わりに石の兎が置かた。不思議なのは、鳥居がどこにも見当たらない事。(埼玉の歴史散歩より)