犬はどこに行けば見られるのか。探した末にようやく見つけたのは、街はずれのごみだめの中。汚れたスラム街に犬たちはいた。このように人がそばに近づくと成犬はそそくさと逃げ出す。
歯をむき出すことも無く、ほえることも無く、尻尾をまるめて自分が場違いにいたことをわびるかのように逃げ出すのだ。人間の存在をとても恐れている。

このスラムの子供は、犬の写真を撮影している私がとても珍しいらしく一緒になって犬を探してくれたこの犬は、この子供に仰向けになり服従の姿勢をとった。

しかし、私が近寄るとやはり警戒して逃げ出してしまった。この子供は犬の腹や頭を、写真のように足の裏で撫ぜていた。犬を手では撫ぜたりしないとのこと。日本では足で犬の頭を撫ぜる人は動物虐待ととられるがここでは、これでも犬に対する親しみのうちに入るのだ。

私は日本に残してきた愛犬たちのことを、イラクに来て何度も思い出していた。その心境は再開を約束しない別れのようであった。

イスラム諸国はその教えにより、愛玩動物の中で”犬”だけを不浄な物として忌み嫌っている。実際、イラクでは街中で犬をほとんど見ることは無い。散歩している姿を見ないのではなく、犬そのものがいない。イラク人に聞くと、盲導犬を含めペットの犬は厳禁だそうだ。わずかに許されるのは、牧羊犬と狩猟犬、そして警察犬だそう。


この犬は私を見ても逃げ出さなかった。大人を見ると逃げ出す犬、そして無抵抗に完全屈服する犬この町には二通りの犬がいることがわかる。吠えもせず、歯もむき出さず、何かをねだりもしない。ここの犬たちには臆病という言葉だけでは済ませられない人との歴史がある。スラムの大量のごみには辟易される。しかし、ここは犬たちにとって大切な餌場なのだ。人が捨てたいろいろなごみをあさる。スラムの悲惨さと、野良犬の宿命がここにある逃げる犬を追って、狭いスラム街の中に入っていくと何度も止まりながら足を引いた犬は奥に消えていった何故ビッコを引いているのか?車にはねられたのか?人のいたずらか?片足が無いくらいでここでは死ねない。スラムの端まで来た。道路の向こうに見える普通の家々。
この犬は何かえさを見つけたのか?この犬は道路わきで死んでいたほかの犬の死体を食べていた。
おなかが大きく、妊娠している母犬であろう。何故イスラムでは犬は不浄なのか。ここまで嫌われるのか?

そのひとつに私は気づいた。

人も猫も肉食もするが、同胞の肉は食べない。犬は食い物が無ければ仲間の死体さえも食い尽くす。
人の心の中にある、戒めや命に対する畏怖がこの犬の行為に嫌悪感を抱かせるのではないだろうか?
同じスラムの中で、日が沈むころ道にしゃがんでひたすら祈るモスリム。彼にとって私の存在は無であった。その足元に伏していた犬は近寄るこどもに媚を売る。このモスリムの祈りはいつまで続くのだろうか?祈りの邪魔にならないようにそっと私はここを離れた