「知床世界自然遺産登録へ向けて」

世界遺産条約は1972年、第17回ユネスコ会議上、世界の文化遺産及び自然遺産を保護するためと題して採択された国際条約であり、現在約180の国々が条約を締約している。世界遺産条約機構は二十一カ国の代表からなる世界遺産委員会により決議される機関で、委員会はパリのユネスコ本部に置かれている。世界遺産には文化・自然・複合の各分野がありそれぞれの分野で普遍的な価値を持つ物件を評価し、世界遺産リストに登録された遺産はそれぞれが人類全体のための世界遺産として認められたことになり、それらの遺産を人々が共同で保護していかなければならないとされている。国際自然保護連合(IUCN)はユネスコの自然保護委員会に対して公式な諮問機関であり、このメンバーが自然遺産に関し技術的な評価や調査を行い、『優れて普遍的な価値』を持っていることを説明し、自然遺産の自然度やその国内の自然保護体制を調査した上で登録の運びとされる。世界文化遺産の約570に比較し自然遺産は約150と少なく、世界遺産委員会は世界遺産リストに記載された自然の質だけではなく、真に効果的に保護されているかという主張を持つ厳しい立場を持っている。世界自然遺産は人間社会に取り巻くほかの必要性事象との調和の中で、大きな価値を持ち壊れやすい生態系をもつ保護地域の管理モデルであるといえる。現在日本国内には東北地方の「白神山地」及び鹿児島県の「屋久島」の二ヶ所だけが世界遺産リストに登録されている。この二ヶ所が登録を受けてから約十年の年月を経たが経済発展のためだけの開発は差し止められ、かつ地元に経済的効果をもたらす観光との共存があり、自然を憩いの場とする人々と普遍的な価値のある自然遺産の保護の双方の調整が成り立っている。

知床財団主催で「厳冬期知床野生動物調査」が先月2月24日から、エゾシカの行動調査やオオワシの個体調査が専門家によって実施された。調査とは無関係だがその前に私は現地入りし、地元漁協関係者や観光業者らと世界遺産登録の是非に耳を傾ける機会があった。訪れた知床半島付け根のウトロでは、その道中で数多くのエゾシカが雪の下を掘り、餌を探している光景に出会った。また、海岸方向を見ると大海原を流氷が埋めつくし、この地が冬季間雪と凍りに閉ざされた静寂と純白の異空間であることをあらためて感じた。現地の研究者との懇談で道東一帯の野生生物に関しての情報を聞いた。エゾシカはかなり頭数が増えており、地元農家の被害は見過ごしにできないところまで達している。また酪農業者はシカの牧草地への侵入を防ぐ防護柵などは高額な設備費を必要とし、経済対価的に厳しいと指摘する。エゾシカによる農作物の食害や、山林の樹皮食いなど、生活基盤が自然の中にある人々との共生を、自然保護と経済社会どちらか一方的な見地だけではなく耳を傾けた。

また、冬場氷に閉ざされ漁に出られないため、旅館などの観光業を兼業している漁業関係者からは、世界遺産に登録されどんどん観光客が増えることを歓迎するという声を多数聞いた。その一方で二月、IUCNから環境省に対し海洋生態系の保護の強化と自然遺産指定の対象海域の拡大が提起された。海洋を含んだ自然遺産の場合、通常では、対象海域すべての海洋生物を保護する必要がある。その場合にサケ・マス漁で日本一の漁獲高をあげている羅臼町などから反発があるのは当然であろう。海洋を含む自然遺産に登録されているほかの国では、オーストラリアの有名なグレートバリアリーフの場合を例に取ると、5年前、オーストラリア政府はグレートバリアリーフに禁漁区を設置するため、漁業海運業者から操業許可証を買い取りの形を取り、漁獲制限で職を失う人へ一定の保証をした。ところが残って漁業を続けた漁師たちは禁漁区の拡大のためにダメージを受け、現在関係者の廃業・倒産が大きな社会問題となっている。政府の高官はこれに対し『われわれはあくまでもグレートバリアリーフの保護を優先します。人類すべての利益のために、漁業規制は必要なんです』と言っている。政府は自然遺産の対象となる沿岸地域に対し、産業構造を変えてまで海を守ろうとし、おそらく多くの自然調査を行った結論だったのであろうが、もしやるのであれば社会的・経済的な影響についてはもっと多くの情報や次のカードを用意しておくべきだったと思う。果たして知床では観光と漁業と自然保護の両立は、自然遺産の意図するところと合致するのだろうか。

現在北海道には釧路湿原や霧多布湿原など「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地関する条約」(通称名ラムサール条約)に指定されている場所は六ヶ所存在する。湿地はプランクトンの産生場所で小魚や貝が育ち、それを餌にする鳥の繁殖地となり、またより強い捕食者であるワシやタカ、フクロウが住処とし、渡り鳥にとっては羽根を休め餌場となる重要な意味を持っている。世界には1366箇所がこの条約に登録されているが、この条約の真の意味というのは「Wise use」と言う基本原則に基づいている。日本語に訳すと「賢い利用」と言う意味になろうか。人類は原始の時代から湿地や湿地の生物から多くの恩恵を受けてきた。これからも現代人は湿地を守り、後世に伝えていかなくてはならない。これらの湿地では伝統的な狩猟や漁業、また熱帯地方では特有の生活スタイルがあり、これまでその地で代々受け継がれてこられたこれらの手段は先人の「賢い利用」である。それを踏まえて適正に管理された観光利用を「賢い利用」と言うことは可能だ。その見地からいえば知床が自然遺産に登録されたとしても、資源の管理された漁業は妥当であろうし、自然を残したままの観光であればむやみに締め出す必要はないであろう。もう一つ道東地方の自然に重要な条約がある。「移動性の野生動物種の保護に関する条約」(通称名ボン条約)ではすべての移動する動物に関して、国家と国家を結んだ生息地や個体の保護を厳しく規制する法的枠組みが記されている。これらの中で移動性の哺乳類、鳥類、爬虫類、魚類や昆虫類はパスポートを持たない旅人に例えられている。元来、国家の領土と言うのは移動性の動物の行動範囲となんら関係のない、人類が引いた線引きの中に存在するわけで、当然ながら移動する動物にとって通過するそれぞれの国によっては、保護の対象になっていたり、逆に狩猟などで危険に身をさらす地域もでてくる。移動しない動物のほうが安全を確保しやすいのである。絶滅の危機にある保護の対象となる種を守るためには、国境を超えた協力が不可欠なのである。オオワシやオジロワシなどの移動に関しては、斉藤慶輔氏がサハリンや北方領土で調査を行い、ロシアと北海道を行き来していることを突き止めた。この条約ではロシア政府と日本政府が共同で生息地の保護に努めなくてはならないわけである。平成十七年三月、日本の国際協力銀行による、サハリン油田の開発に関する環境フィーラムが札幌の水産ビルで行われ出席してきたが、石油輸送タンカーの事故に対する措置や、事前の予防策また、流氷下での油汚染事故への対処など、それらに対する返答は大変お粗末なものであった。万一、北海道近海で平均的な10万トンクラスのタンカーが座礁事故を起こした場合、北海道民が受ける被害は想像ができない、とりわけ漁業生産物従事者は死活問題だろう。また、貴重な自然や野生動物への影響も想像できない。目を覆う惨劇だけが思い浮かぶ。オホーツク沿岸に汚染が広がれば知床自然遺産などは登録を抹消され、日本は世界に恥をさらすことになるのである。ユネスコの世界遺産委員会の正式な発表は、今年7月に南アフリカのダーバンで開かれる委員会で決定される。果たして結果はいかがか?いずれにせよ自然遺産登録がただの名称にこだわったもので終わらないことを望む。

オジロワシ
オジロワシ2
クリネオ
クリネオ2
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