第十二章 

 憧憬、鮎

七月1日の鮎釣り解禁日がやって来ると、僕は非常に悲しい。
あと2ヶ月で、鮎とお別れと思うと寂しくなってしまうからです。



[今年の鮎釣りも終わりだよ]と、八幡さんの祭りばやしが
聞こえてくる9月になると僕は非常に嬉しい。
後十ヶ月で鮎釣りが解禁と思うと、ワクワクしてしまうからです。

構想3年、ついに完成。オラの心に広がる鮎釣りの大パノラマ。

岩洞,早池峰,早春

岩洞湖といえば、誰がなんと言おうとワカサギ釣りとサクラマス釣りであります。
30年前くらいになるのかな〜、オラにルアーなるものを教えてくれた
ルアー釣りの師匠、熊さんに連れられて初めて行ったフィールドが岩洞湖。
そこでのスプーンによるトローリングが、オラの岩洞湖通いの始まりであった。
穏やかな水面に船なんかを浮かべたりして、ルアーを流しながら漁をするんですな
じゃなかった遊ぶんです、トローリング。


マッチ棒丸進水式

コレガ又あくびの出る釣りでありまして
この時の船のエンジン回転数はアイドリング
状態です。
トントンと単調な音を湖面に刻みながらノタリノタリと進むのであります。

その時のオラは船の揺れも手伝って、ほとんど揺りかご状態なワケで
釣りをしているというよりもシェスタって感じかな、このトローリング。


シェスタモード

もうひとつ、岩洞湖といえば「ワカサギ」である。
それも極寒のという冠詞がつく。
1月の15日ころ
盛岡の町の中でさえ
夜ともなれば冷え込みもググッと厳しくなり

歩く靴の底からギュッギュッという雪を踏みしめる音が
足の裏から全身に
響く丑三つ時じゃなく大寒のころ
近頃の岩洞湖ではワカサギ釣りのカラフルなテントで
氷上は賑わうのである。

オラがワカサギ釣りをはじめた頃は
そんなテントなんぞは張らずにみ〜んな
カチカチに
凍りながら素で頑張っていたものだ。

どのくらいカチカチになっていたかと凍り自慢すると
本州一気温が下がることで有名な藪川村の
すぐ手前にあるダム湖であるからにして

昼間の時間帯でも平気でマイナス10度は軽くいく。
そして思いっきり空気を吸い込むと
鼻毛がカチンと言って凍ってしまうほどだ。

ちなみに家庭の冷蔵庫の冷凍室は
どう頑張ってみてもマイナス8度が限度である。


まずワカサギを釣ろうと思ったら、ガッチリと張っている氷に
穴をあけなくちゃ、釣りは始まらない。
その氷の厚さはゆうに20センチは超える。
その分厚い氷にドリルの親分みたいなもので穴をあけて
「やった」と、ここで喜んではイケナイ。

さらに、その氷の下の空間じゃなく水間を越えたところに
二つ目の氷の層が待っているのである。
それを突破してからが、ようやく釣り本番に入るのだ。
その苦労してあけた穴だが、ものの30分もしないうちに
氷の穴が薄く凍り始めるのだ。

だから穴に張り始めた氷を頻繁に取るために
お玉が必携となる岩洞湖。

それからまた1時間も過ぎた頃
今度は自分が凍り始めてくるのである。


そんな過酷な試練を乗り越えたオラの
極寒克服服装完全装備はといえば

足下からソレルのアラスカンに電池式温熱ソックスを
プラスした重装備靴仕様。

人によっては、ホッカイロを中敷代わりに入れるが
これの効果のほどはあまり期待できない。

何故かって言うと、酸素を送らなければ暖かくならないホッカイロは
靴底の下では酸欠状態となり
ただの中敷に成り下がってしまうからである。
そして脚にはダウンのプルオーバータイプのズボン
(ただのズボンタイプはだめだナ
なんたってしゃがみ込んでの釣りなので
腰が出てはまずいのである)の下は

今で言うところのフリース素材のズボンを履く。
そのズボンの膝頭にはニーパッドを装着する
コレが極寒地帯での肝である。

しゃがんだ姿勢で釣りをすると
膝小僧のところの生地がツッパッテ薄くなり

空気の貯めておく層が無くなるわけで
保温効果が期待できなくなるからである。

それをカバーするために断熱空気層効果期待ニーパッドを付ける。
さらにその下にパンストを履けば下半身は完璧だ。

上は、セーターにセーターの2段重ねにダウンのパーカー。
毛糸のマフラーをきっちりと首に巻き風をシャットアウト。
頭には銀行強盗ご用達の目出し帽があれば完璧。
無ければイヤーパッドは必ず付けるように。

肝心の手は、軍手の指部分を切ったものを履き
その上にはネオプレーンの
ドラエモン手袋。
これは指きりタイプの手袋の上に取り外し可能なミトンが
被さったもので
2重手袋タイプのすぐれものだ。
この究極の装備にたどり着くまでは、極寒との戦いで
身も心も凍ってしまっていたものだ。


これが激うまの岩洞ワカサギ

それまでの軽装備のオラは1時間半過ぎた頃になると
体がどうしようもなく冷え切ってしまい

体を動かしたい衝動に駆られ、足踏みをしながら必要の無い
氷の穴を無数に開けまくり、
体を温めようとする本能が働いたものだ。

これでワカサギの入れ掛かりが始まろうものなら
そんなことは出来るはずも無く

じっと体の芯から冷えていく自分に耐えなくちゃなんない。
あらかた150匹も釣った頃には、指先の感覚はすっかり無くなり。
顔は凍りつき、笑うことすら出来ないIceMan状態になるのだ。
そして体の小刻みな震えは、体を温めようとする人間の筋肉生理現象だ。
脳の思考回路も、霜が付いたままのアホ状態だ。

ギリギリ極限まで我慢するが、それも限界となり
いよいよ退散となるのだが、ここで困った事が起こる

それは凍りついた指先の感覚がゼンゼン無くなり
今まで使った釣り道具を仕舞う事が出来なくなるのだ。

きちんと仕舞おうとすると、感覚の無くなった指をどうにか動かし
気の遠くなるほどの時間を掛けて
もどかしく仕舞うしかないのだ。
そこでオラは椅子兼用のアイスボックスクラ―に
グチャグチャに釣り道具を放り込むことを考えた。


そして来た道を引き返すのだが、自分の車を置いてある所に
たどり着いた時に
最後の試練が待っているのだ。
それはポケットから車の鍵を出す事さえ出来なくなっている
ボンボ手を使い車のドアを開けなければならないことだ。

片手では絶対無理な話で、両手で鍵を挟むように持ち
時間を掛けて、どうにかという状態だ。


ようやく車のドアを開けて帰る車の中は
ヒーター全開なのはいうまでも無い事だが
肝心の体はゼンゼン温まってはくれない。

1時間くらい経って、ようやく体の表面から
徐々に解けていく感じが伝わって来る。

そして髄まで凍りついた骨と、その周りに付いた筋肉の緊張が
ゆるゆると解けていくのがわかる。

と同時にどっと疲れが出て、あくびの連発である。
これは釣りをしている間中
体を温めようとする筋肉の微妙な収縮運動が

解きほぐれた脱力感なのである。
感じとしてはハーフマラソンを完走した後くらいの
疲れはあると思うけどオラは走った事が無いから、多分と言う事。


氷上でウイスキーなんぞ飲んで、寒さを紛らわそうとしていたら
ここでえらい目にあう。

いくら飲んでも寒さのせいで酔いが回らなかった分、ここで一気に爆発する。
そして一気にアルコールが体中を駆け巡り、酔い潰れてしまうのである。

そんな事までして行くワカサギ釣りってか、バ〜カ。

おっと、ワカサギ釣りの話じゃなかったな、鮎。



早池峰と言えば早池峰山。
そういえば、この山のふもとを流れている岳川での事。
フライを始めたばかりの仙台の友人が遊びに来たので、ヤマメより釣り易く
「山ドジョウ」と岩手の釣り人にはバカにされているくらい
釣り上げるのに簡単な
イワナ釣りに岳川に出掛ける事にした。
その車中で、イワナが自分の倍もある蛇を飲み込んだ話や
トカゲとカエルが一緒に胃袋から出てきた話などで
盛り上がり
大イワナの期待で心膨らむ二人であった。

早池峰山のふもとの岳部落を過ぎたあたりから川に入ることにした。
いつもなら14番のブラウンパラシュートから始めるのだが
車中の話の勢いもあり、ここは8番のフックに巻いた
ホッパーから入ることにした。

このホッパーはかなり以前に作るには作ったのだが、いまだかつてティペットに
結んだことは無い
という巨大な毛ばりだ。
もちろんイワナをヒットさせる自信はこれっぽっちも無い。
ティペットにホッパーを結び「ヨッシャ!」と掛け声を出して自分に気合を
入れたかいないかは忘れたが
いよいよ釣り開始です。



遠方からわざわざ来た友人を先にやり
オラは彼が釣り残したポイントを叩いていく事にした。

とある淵の流れ込みにさしかかった時である、対岸の岩盤の辺地で
イワナがポチョッとライズしたのを
オラは見逃しはしなかった。
そっとアニマルストーキングで、そのポイントに近づきフライをキャスト。
8番フックに巻いたホッパーは、その自重によってポッチャンと
さもバッタが
岩からずり落ちた様を演出した、といえばカッコは良いのだが
実のところは
勝手にそのようになったという、おまかせの釣り方だ。

ホッパーが先ほどのイワナがライズしたポイントにせまった刹那
先走りのイワナがもんどりうってくわえてきた。
もちろんオラは電光石火の合わせをくれる。
というよりも、派手に出てきたイワナに
おもわず右手が勝手に反応したのだが。

そしてググググゥッという手ごたえが返って来た。
友人に聞こえるような大声で「ヒット!」と叫び
慎重にかつ大胆にやり取りをして

フライフィッシャーマンかくあるべきを演出した。
われながら、ちょっと嫌味たっらしいフィシャーマン。

で、友人の目の前でカッコ付けてランディングしようとしたのだが
そのホッパーがスポッっと
イワナの口から抜けてしまい
一転、カッコワリィ〜フィシャーマンになっちまったオラ。

その後なんとか2匹ほど掛けたが、後の掛け損なった岩魚はみんな
スッポ抜けという結果に終わった。

何故かと言うとホッパーのボディーが
フックのゲイプを邪魔する格好になって

うまくフッキングしなかったのだな。
ヤッパ釣りは実践を煮詰めていかなくちゃなんないということを
この釣行で痛切に学んだ。


さて友人はといえば、尺イワナをまじえ11匹釣ってニコニコと
満面の笑みを浮かべて
仙台に帰っていった。
良かった良かった。
アッ、ガイド料請求するんだったってのはウソ。
な〜んて、おちゃらけているんじゃなかった
鮎あゆアユ香魚の話だったな。


で、なんで岩洞湖と早池峰かといえば
話は20年前にさかのぼる。
(もう,さかのぼってるって)
その頃のオラはフライフィシングにはまりにはまり
日夜そのことだけ考えて暮らしていた。

その当時こんな田舎町ではフライフィッシングなんていう釣りは
ほとんど知られておらず
,川で出会う釣り人からは
「あんちゃん、糸が太すぎやしないか。」と言われたり

「毛ばりが一本じゃ少ない」とかよく言われたもんだた。
そして、そんな田舎町でフライフィシングの
プロショップを開いた無謀な人がいた。

それはS君である。
そんな彼は、この町にある大きな釣具屋さんでしばらく働いていたので
あらゆる釣りに精通していた。

その中でも得意な釣りが、フライフィッシングとアユ釣りであった。
そして何故か秋田の川にこだわる人であった。
(後々に10年も経ってからオラも分かってくるのだが
その釣り場を見据える先見の目は

今もって、さすがと言わざるおえない)
当然の成り行きとして、オラは鮎釣りに誘われるワケではある。
フライフィッシングしか頭にないオラはいつも生返事。
でも頭の隅には、「いつかは鮎釣りをやんなきゃなんない日が
来るんだろうな」という
漠然とした思いはあった。

S君が以前勤めていた釣具屋にフライのマテリアルを
調達しに行ったついでに
アユ釣りの仕掛けを
確か鬼印のやつだと思ったんだが
それを手にして、おもわず買っていたオラではあった。


梅雨も開け8月の初めのクソ暑い日
家の近くの近くの簗川にフライロッドを片手に
ヤマメいじめのドライフィッシングに行った帰り道

サクラマスでも上って来てはいないかなと、立ち寄った川目橋。

その上から何気なく川底を覗き込んだオラ。
その時である、鮎の縄張り争いの光景を初めて目にしたのだった。
それは岩盤に3匹ほどが、おのおのの面にテリトリーを持ち
時おり来る遊び鮎に
体当たりを仕掛けているのであった。
それを眺めていたオラは、縄張り鮎を釣ってみたくなったのは
当然といや〜
当然の成り行きだ。

そうと思ったら吉日?家に急行したしたオラは
ズックびくと川虫取り網と
ダイワ
PS早春42というグラスの竿と鬼印の仕掛け
そして鬼印のオトリアユを持って
川目橋へと取って返したのだった。

そして川端に立ったオラは、頼りないグニャグニャの鬼印の
鮎ルアーをこれまたグニャグニャ竿にセットし

橋の上から見定めた岩盤にそれを誘導した。
だが岩盤の周りでグルグル泳いでいる野鮎は
なかなか簡単には掛かってはくれなかったのだ。


ようやく1時間ぐらいして、鮎ルアーに野鮎が
まとわり付くように泳いでいたかと思った瞬間

ギラギラとの鮎の暴れる様子が見え、竿を持つ手にガガガーンという
今まで体験したことのないような衝撃が来た。
そして満月のように曲がるPS早春。
やっとの思いで取り込んだ生鮎を見て
鬼印の鮎ルアーがアホみたいなオモチャに見えた。

釣り上げた生鮎をズックびくに入れ川の流れに浸した。
そして今度は生鮎を糸にセットする番だ。
鬼印の仕掛け袋を取り出し、その裏に書いてある仕掛けセット図を
みながら生鮎に仕掛けを
装着するのであった。
もともと手先が器用なオラは
生鮎にいとも簡単に仕掛けをセットすることが出来た。
(チョト自慢)

その鮎をさっき釣った岩盤へと導き入れたか入れないうちに
またしてもさっきと同じ衝撃が
竿を持つ手に強烈に来た。
今度は生鮎が2匹なので、なかなか手元に寄ってこない。
やっと取り込んだ2匹の生鮎、それに見とれて興奮してるオラ。
「確か一匹ごとに鮎を代える」とか言っていたなと思い出し
生鮎をセットし直して
岩盤脇に入れるとまたすぐガガガーンの衝撃。
これですっかりと調子に乗ったオラは
またしても同じ所に生鮎を入れた。

しかし待てど暮らせど次が来ない。
(当たり前だが、3匹しか野鮎が縄ばっていなかったもんな)

ここで考えたオラは、「岩盤で釣れたなら石でもつれるに違いない」とふんだ。
岩盤に置いておいた生鮎を近くの白波が立っている大石の裏に導いたのである。
その瞬間またしても先ほどと同じ衝撃いや、それ以上の衝撃が走った。
そんなことを繰り返して釣り上げた生鮎が8匹。
もちろん有頂天なオラ、釣り天狗になってしまったのであった。

その帰り道、仕掛けを買った釣具屋によって
釣り自慢をしたのは言うまでも無いこと。

そして商売上手の店長におだてられ買う羽目になった鮎竿が
「岩洞」というその店オリジナルグラスロッド

もう一本見せられた竿は「早池峰」というロッド
このロッドは
5.4mの長さしかなく6mの長さがある
「岩洞湖」にしたのであったという話。

後々この竿はガラ掛け竿として使ったが
いまだにガラ掛けは下手くそなオラらである。

そして明くる年、釣友の花さんがS君から譲られて
持ってきたダイワの
7.2mのカーボン竿。
それを見せられたオラは、無性にカーボンロッドが
欲しくなったのは言うまでもない事。


その年に出たアユ釣りの本「新鮎釣り入門」は
大西満さんが書いた画期的な鮎釣り指南書。

それには泳がせ釣りと、誘いの釣りを誰にでも分かるように解説した本だ。
それをすっかりと頭に入れておいたオラは、迷うことなく
「がまかつ」のマークU9m硬中硬
を買いに走った。
その当時で12万8千円の大金だ。
大学出のアンちゃんの給料1ヶ月分以上はあるしろモノで
今までにもカーボンロッドが欲しいには欲しかったのだが
なかなか買う勇気が出なかったが
花さんの持ってきた竿がオラに購買意欲をかき立てる起爆剤となり
臨界爆発したオラは釣具屋に突走ったのだ。

電車バッグが泣かせるね

さっそく、その竿を持って釣りに出かけた所が
阿仁川の木戸石橋の下手の瀬。

もちろん連れて行ってくれたのはS君だ。
「新しい竿を買ったお祝いで、10匹釣れるまで
俺が手取り足取り教えてやる」
とかなんとか
お調子いい事言いながら
車の中で講釈まで垂れやがっていたくせに
川に着いた途端彼は手のひらを返すように

「ここでやってろ」とか言いながら
種鮎を2匹置いてさっさといなくなっちまいやがんの。

川原に残されたオラは仕方なく
簗川の延長の釣りを始めることにした。


ここ木戸石地区の川相はこぶし大の石と砂利がほとんどで 
簗川の川相とはまるっきり違うので

どこを狙っていいのやら、戸惑うオラ。

仕方なく波立ちのある所を攻めてみたのだ。
するとイージーに釣れるでやんす、生鮎が。

そろそろ暗くなってきた頃S君が戻ってきて
「釣れたべ」の一言で終わり。

以前にも、兄川にフライフィッシングの
手ほどきをして貰いに行った時もこのような事があり

彼の性格わかっちゃいるけど、あきれてしまったのは言うまでもないこと。

この時のマークUを使ってみた感想は、軽い
長いから楽に釣れたって感じかな。


で、このとき彼も「おニューの竿」を出したわけだが
彼のはマークUの中調
9m
そろそろ納竿する夕まずめ時、S君はオラの竿に持ち誓え
竿比べをしてみてポツリと独り言の
ようにつぶやいた。
「思っていたより使える竿だな」と
オラはひそかに思った、勝ったと。

あくる日彼の店「フリークランド」に行き鮎話。
そんな彼はもう朝一にアユ釣りに出掛け
15匹鮎を掛けてきた話を聞かされた。

その川は彼の家の前に流れている、東部雫石川であった。
それを聞いたオラは無性にその川に行き鮎釣りをしたくなった。
あくる日その川を目指して車を走らせていたのである。
で、フリークランドで聞いたアユ釣りポイントは滝田橋の上流の瀬である。
オラはその瀬の肩に入った。

そして大西満さん解説する事の、鮎の鼻を気持上に持ち上げ
そして軽く緩めるという
泳がせの誘いを、その本のとおりにやってみた。
なんとその時オラに頭の中に、上に鮎の頭が引っ張られ、糸を緩めたとき
鮎が頭から底へと
突っ込んで行くる映像が浮かび上がったのである。
ここで何をいいたいかと言うと、それほど感度のいい竿だと言いたかったわけだ。
それからのオラは「新鮎の友釣り」の本を片手に
もう片手にはマークUを持ち東部雫石川に通った。
そして下流に向いて
立ちこんでいる釣り人に対面するように
上流に向かって、得意満面
バカの一つ覚えのように鮎を
上流へと泳がせ続るのであった。(猿マスのように)


次の年の解禁早々、竿を仕舞うとき乱暴に扱ってしまい
竿の先っぽを折ってしまい、明日の釣りが
出来なくなってしまったオラは
その場の勢いだけで日新の鮎竿「精魂」を買ったのであったが
それから3日でマークUの先っぽが来たので
この竿は三日使っただけで知人に売ってしまった。

やはり日新の竿もカーボンロッドではあるが、マークUのそれと比べると
どうも感覚が悪く、
ここで改めてマークUの良さに惚れこんだのである。

引き抜かなければ、大西満

次の年、がまかつから「クラシック」シリーズが発売になった。
と同時に、村田満さんが満を持して「イナズマ釣法の極意」
という難解な本を出した。

それには、とにかく人より長い竿が人より釣れると書いてあった。
「なぬ!!人よりイッパイ釣れる」って。
その一行に魅せられたオラは、11mのクラシック中調硬の竿を
注文していたのであった。

この竿は生産数がほとんど無い竿で、釣具店に無理を言って
全国のショップから探してもらった竿である。

その竿の重量は455gで、いまのオラなら絶対に買わない竿だ。

この竿を初めて伸ばし釣りをしたときの感動は今もって忘れらない。
閉伊川の小国川の合流点下流にある岩盤のトロ場に入ったときの事である。
足元から放った鮎が、どこまでも沖に泳いで行った。
どのくらい鮎が行ったかというと、水中糸に付けている目印が
はるか遠くへと行き
その目印が、かすんでしまったというくらいである。
しかし重くて、竿先がグニャグニャのこの竿は
誘いなどの細かい操作は出来ない。

あくまでも「おまかせの釣り専用」の竿ではあった。
かえってそれが良かったのか、釣果は確かに倍近くになった。

さて今度は閉伊川の腹帯の短い瀬に入った時の事である。
その日は、ちょうど雨が前前日まで降って
いつもの水量が倍以上に増水した日であった。

こういう日は、ヤマメを始めいろんな魚にいえることだが
活性が上がり大物が出やすいものだ。


瀬肩の上、鏡のトロを「おまかせの泳がせ」で
友鮎さんに頑張ってもらっていたところ

目にも鮮やかな、残照アタリ(この現象を解説すると
今まで水面上にあった目印が

音速の速さで一気に水中に引き込まれるので結果
水面上にあった目印が残照として目というか
脳に残る現象)
そして対岸上流に向かって引き込まれる11メーターの竿。
で、掛かり鮎は突如反転し、今度は一気に瀬に突っ込む、その速さは電撃
いやタキオンの一矢である。

あまりの速さについていけないオラ。
ここで11メーター竿の威力発揮である。
11メーターの竿に12メター80センチの水中糸。
その直線距離は23メーター80センチ、おたおたとしているオラは
ただ竿を下流に寝かせるだけだ。

そしてその短い瀬を落ちるようにして下って行った鮎を見送りながら
オラはこの瀬の始まり部分に、
ただ突っ立っているだけで良かった。
そして、ドン深の淵に吸い込まれるように2匹の鮎は潜っていった。
それを見届けてから、オラは23メーター20センチを
たぐり寄せるように下って行った。

そして取り込んだ鮎は、鯖のような27Cmのでぶっちょ鮎であった。

1m80cmの手尻での引き抜き

親友の弟がアユ釣り自慢をしに、オラの店のカウンターに座った。
近くの梁川に行き半日で鮎を20匹あまり釣ったのだと言った。
でも、その会話の端はしに現れる幼稚なアユ釣り解説にオラは思った。
「初心モノめと」
あまり自慢話をするものだから、オラはちょっとからかうつもりで米代川に誘った。
先にも書いたが、梁川と米代川では天と地くらい、いや月と太陽くらいの
川相の違いはあるので
ギャフンと言わせるにはもって来いと思ったのだ。

めざすは米代川二ツ井地区、ちょうど銀杏橋を
新しく架けている工事の最中だった。

オラはその下のカルーク馬の背になっているトロバに入る事に決めた。
その馬の背になっている場所から15メーターくらい下から
友鮎を上らせて
野鮎を掛ける魂胆である。
してやったり、一発目から26センチの大型が掛かるのはいいのだが
その当時の
米代川の鮎の大きさとパワーはとんでもないもので
散々オラの周りを泳ぎ暴れまくって
極端な話3回くらい左回りにぐるぐると回られた。
ナンタッテ、中調硬のへなへな竿と手尻が一ヒロだかんね。

で、昼過ぎ頃になると、能代方面から吹いて来る日本海からの海風で
オラは「花の応援団」
赤道先輩にどやされながら必死こいている
応援団旗を持つ手下の団員てな感じで、
竿尻を当てる下腹部に
痛みを感じながらも頑張る
11メーター。
日も傾き始めた午後4時、23センチから27センチの鮎がギチギチの30数匹
活かしカンの中。
腹いっぱいとはこの事じゃ。


お連れさんの所に行って「帰るべか」と促す。
すると彼は、「一匹も鮎を掛けてない」と泣きそうに言った。
まさか一匹も掛けてないとは思ってもいなかったオラは
急に彼がかわいそうになり
彼の竿をひったくるように取って
鮎を掛けてやろうと思った。

オラの予想に反して、こんなに長時間引っ張られていた友鮎にしては
元気良かったので
そのまま上に飛ばした。
すると間もなくガツーンのビューンで25センチ。
その掛かり鮎に付け替えて、彼に竿を渡しオラはこう言った
「絶対鮎を引っ張らないで
常に糸をたるませるようにしておくのだよ
それでもグングン泳いでいくようなら
自分が付いてまわれ」と
レクチャーした。
糸ふけ操作の出来ない彼は、友鮎に引きずられるようにあっちこっちと
川の中を這いずり回り
口から泡を噴きながらも
夕暮れまでに
8匹の鮎を手にした。

ちょうどその当時、東レのよく結び目から切れるルアーライン
「ソラローム」という
デュポンの「ストレーン」もどきのルアーラインが
あまりにも結節強度が弱く不評のため「ソラロームU」という
ルアーラインを
開発することになり、その試作ラインが3本に絞られた。

それを決める為、その当時秋田のスズキ釣りでブイブイ言わしていたオラに
テスターとして
声が掛かったわけで
その成り行きの延長線で「将鱗鮎」の
試作ラインのテストにも加わったりもした。

その勢いのまま「マルト」の早掛かりタイプの
試作テストにも参加したが
オラ的には
マスタッドのフックみたいで
「ポイントが甘すぎて使い物にならんから
素材から見直せ」などと
レポートを出して
メーカーのご機嫌が悪くなりテスターから外されてしまったりなどなど。

釣り名人気取りの勘違いがはなはだしいオラは
その当時はイッチョ前にプロテスター気取りになったりもした。

そんな、今じゃ絶対に使おうとも思わない11メーター
体力・筋力とも充実していた頃の竿である。




がまかつの九頭竜川大会そして天竜川大会で
一躍時の人となった高塚名人その人に感化
されて
次に手に入れたのが、がまかつクラシックプロミネント9
m硬中硬である。
この竿では3号から5号の角付きおもりを天竜川の現地釣具店から取り寄せ
高塚式の瀬の釣りを徹底的にやる事にした。

ちょうどその頃、松尾鉱山排毒水の死の川から蘇った大河
北上川に地元ライオンズクラブの方々が中心となって

鮎の放流が始まった頃で、荒瀬の釣りを勉強するには
もってこいのフィールドになっていた。

でも、毒水は無くなったかも知れんが、生活廃水はものすごく
手にアユ賭け針が少しでも刺さってしまおうものなら、その日の夜には
膿んでしまうくらいの汚さの川ではあった。
その頃、オモリ釣りと平行しながら、背針による釣りも研究し始めた。

最初に手をつけたのは、がまかつの三原さんというテスターが
喧伝していた
遊動式鼻環背針である。
オラは生来の凝り性、凝りに凝ってステン鼻環を
自分で
5.5mmに作り遊動部分は
フライフックのアイ部分をカットしたものを
ハンダ付けで仕上げたモノを使って悦にいっていた。

それをたまたま見たダイワのテスターが目を丸くしていたのは愉快だった。

巨匠

この竿を手にしたあたりから、金属ラインいう代物が
そろそろ出回り始めるのである。

これにはだいぶ泣かされたな。
おろしたてのラインがちょっとでもキンクしていると惨めな結果になるのだ。
それはオトリ鮎をそっと足元から泳がせていくと
どこまでも泳いで行ってそれっきりという悲しさ。

その日の釣りが終わって、そのまま仕掛け巻きにまくと
次回の釣りの時糸を伸ばした時はキンクのしまくりで

オトリ鮎をセットする前にまたもや糸切れで戦意喪失。
それじゃと言う事で、キンクしないように仕掛け巻きににていねいに並行まきするも
次回使うときには錆びが浮いていてブツブツと訳も無く切れてしまう。
そんな頭に来るラインではあった。
しかし脳天に響くような感度は感動モンで中毒になった。
それと糸に遊びがない分、引き抜きがとても簡単になる。
瀬で引き釣りをしても友鮎が竿先に嫌々をせずに簡単について来るし。
オラはメタルラインにハマリにハマルのであった。

そのなかで、北海道の尻別川でのダイワマスターズ全国大会の
決勝を見に行った時のこと

後藤さんと尾崎さんの決勝戦で、尾崎さんが玉付けのメタルラインの
引き釣り、そして玉付けのまま
のカニ横釣法を目のあたりにして
ますますこの金属ラインに傾倒していった

マスターズ決勝

89年には、瀬のおもり釣りもマスターした事だし
一丁で腕だめしでもするべかと
ダイワマスターズ北関東鬼怒川大会へと
出てみる事にした。

結果は散々で語るのも嫌になるくらいのボロ負け。
しかし、この大会の決勝戦で見た光景はいまだに目に焼きついている。
それはシード選手が荒瀬をものともせずに
頭だけを水面から出し対岸へと泳ぎきっていく姿と

13メートルの竿を使った瀬の玉引き釣りをする人
そして伊藤稔さんがラストスパートで見せた

トロバの泳がせ釣り、この三つの出来事は
これからのアユ釣り大会人生で、かなり影響された

事実であることは間違いの無い事だ。

この時、宿で一緒になった親子の釣り人に初めて見せられた仕掛け
それがワンタッチ鼻環。

まだ当時のものは線径も太いもので重量もあったし径も大きかった。
しかし、その使い易さは特筆モノで自動車でたとえるなら
オートマチックミションだと思った。

「コリャいける」と思ったオラは行きつけの釣具店に発注したが
「ケース単位なら取ってあげる」と
ムゲ無く言われたので
しかたなく1ケース12袋入れ計60個をしかたなく頼んだ。


次の年、東北大会が雫石川で開かれるわけだが
この時までまともに雫石川で釣りをしたことが無かった。

が、なぜか予選トップ通過。
この戦いで言える事は日ごろの勢いだけで決勝に進んだような気がした。
その決勝では、最後の最後で根掛かり放流してしまい
東日本ブロック大会には進めなかった。

この大会の雰囲気に推された様な格好で
次の年からダイワの竿へと傾倒していくオラだった。

そう、メーカーの思う壺に、まんまとはまってしまったのである。
そして手にしたのが、銀影トーナメントスペシャル10m中硬硬である。
この竿では、高塚名人の引き釣りの対局にある、尾崎名人の金属糸プラスおもりの  
カニ横釣法を徹底的に勉強した。
で次に買ったのがもうちょっと柔らかい竿で軽いものということで
銀影トーナメント競技スペシャルF中硬10m
って、いうよりも押し掛け釣り友が村田満の信望者で、10メーター中硬をすでに持っており
この時少しばかり借りてみたのであったが、その操作性に中硬硬には無い素晴らしさが
有ったのが頭から離れられずに買ってしまったという経緯もある。



なぜ、ダイワに竿にはまったかという鮎竿のうんちく話。
竿の先端は穂先といいます、それを支えているのが穂持ちです。
つぎが元穂持ちと言われております。
この三番目の元穂持ちが、しっかりとした腰の強いものが鮎竿一番のキモだと考える。
穂先はしんなりとし、シャンとした本調子のものがいる、ぺなぺなではないぞ。
その中間の元穂持ちは、パラボリックな穂先と、スティッフな元穂持ちとの
異なるアクションどうしを、無理なく繋ぐレギュラーテーパーなものがいるのだ。
と言っても「なんのこっちゃ」ですな。
早い話が、ダイワの白い競技F1スペシャル中硬10Mのことです。
この竿の持つアクションは誠に絶妙で、この竿の穂先だけを曲げるように
ゼロオバセより、ちょいきつめのテンションを掛けると、あ〜ら不思議。
頑固な友鮎も泳ぎ出してしまいます。
しかしこれだけじゃございません、もっともっと不思議な事が起こるのです。
それは先ほどのテンションの2倍くらいの力を穂先に加えますと
8の字を描いて泳ぎ出すのです。
そうです、感覚としては友鮎を吊り下げるような感じにするとです。

そんなオラもビクックリこいたアクションを釣友の高尾君に
さっそく見してあげました。

そしたら彼もビックリこいて、屁をこいてしまいました。
それは8の字に友鮎が泳いでいると、どこからとも無く飛んできたのか
野鮎が突然登場したからです。
そればかりか、その8の字鮎に突っかかってきて、針がかりしてしまったのです。
ソリャ〜オラもビックリしちまいました。
彼の前では平静をば、装ってましたけどね。
更にまだあるんですな、オマケが。
この吊り下げ釣りで、8の字を描いている友鮎に、ほんのチョット糸の張りを
緩めてあげると、なんと上流へとジグザグに泳ぎ始めるのですよ。
村田の満さんが提唱する
「稲妻引き」ってのが有りますけど、その表現をパックって言うと
「稲妻泳がせ」とオラは言っちゃいます。
なんとすごいテクニックを使うとオラは自画自賛と言いたいところだが
そんな驚異の技が、いとも簡単にできちゃう竿ダイワ競技、昔のF10m中硬です。
買ってから相当年月が経っておりますけど、これに見合う竿が未だに有りません。
鮎の活性が落ちた時など、今だにバリバリの現役で活躍してくれる竿で
満さん的に言うと 泳がせ竿の「青い鳥」です。



そしてこの竿を買って間もなく、村田満の「満友記 那珂川編」で見た
須合正一さんの天秤持ち、ツバメ返しに度胆を抜かれた。
そして憧れた。
翌年オラもめざせ「ドン」とばかりに竿探しの旅、ダイワのテスターにも憧れていたので
「ダイワ那珂川振り子抜き
9.5」を買った。
しかしこの竿では振り子抜きができなかった。
決してオラの腕が悪い訳ではない。
なんて言うかな〜、一本筋が抜けているようで腰が無いというか
へなへなヨワ腰竿なのである。
カタログのスペック上は、穂先が2.2mmとあるのでそれなりの
硬さを期待して買ったのではあるが、、、、、、、、。

そして翌年の春
行きつけの釣具店からの紹介で釣具メーカー、オリンピックの鮎釣具テスト集団
「イエローガイズ」に参加してくれないかと打診があった。
あまりにもすごい事なので、オラは即答できなかった、というより答えに詰まった。
2日間考えて、こんな話これから先絶対に事だと思い二つ返事で受けることにした。
その発足会が宇都宮で行なわれた訳だが、会が始まるまでロビーで待っている時
子分を3名引き連れ、紫のスーツに龍の刺繍がチラッとのぞくシルクのシャツ
手にはかまぼこの金の指輪、ロレックスの金無垢の時計に数珠のブレスレット
どう見ても ヤ ク ザ。
見ない様にしながらも、ちらっとのぞく様に見たその顔は諏合さんであった。
オラの後ろに座った諏合さんは、でかい声を出し携帯で馬券の買い指示を出していた。

呼び出しがあり会場へと向かった訳だが、諏合さんも子分をロビーに置いて
その会場へと向かったのである。
指定されたテーブルに着くと隣に諏合さんが座るのではありませんか。
ちょっとビビッたオラではあった。

その発足会のメンバーはメジャーな名人の方々と、そのほとんどが
ジャパンプロの方々でオラは気後れしたのであるが
そこはそれスーダララッタなオラ。

その会をうまく泳ぎきった。
そして、その外見とは裏腹のきさくな諏合さんともお知り合いにしてもらった。

2次会は室田名人の席の隣となり
今年開発した室田バージョンの微に入り
細に入りの解説を受けた。
そして、その年は室田バージョン9.5mである。
でも、この竿はオラには扱いにくく、ただただ重いということしか印象に無い。
しまいには右手が腱鞘炎になった。
もちろん、そんな竿では満足な競技ができるはずも無く
大会は散々な結果に終わった。


次の年送られてきた競技スペシャルアラミカU9mは、室田バージョンに比べ
軽く感じられた分
幾分マシではあったが
オラ好みの穂先と穂持ちを硬いバージョンにすると

アラミカUは表示より30センチメートルほど短くなり8.7mの短竿になりさがります。
それが原因で友鮎が詰まるような泳ぎとなって表れ、イマイチ満足できなかった。

そんなオラに合わない竿に悪戦苦闘している一方で背針の研究だけは進んでいた。
もちろんオラの基本の背針は遊動鼻環式背針であるが
もっと良いのが有るんじゃないかと

雑誌に紹介された背針はほとんど手を付けた。
益田川式二こぶ背針、これでは急瀬での引き落とし泳がせを学んだ
というより引き上げる事が出来ないから仕方なく引き下げ泳がせの背針。

萩野式一点背針では何のメリットもなく
これなら背環の方がまだマシと結論が出て
すぐにボツ。

この時点でルアー釣りにPEラインを使っていた関係で、鮎釣りにも利くなと
直感したしだいで、ダイワのPEラインを買いさっそくテスト開始。
0,1号表示のラインを買ったが、どう見ても0.2号の太さはある。
もちろんそのくらいの太さがある訳だから
強いのなんの強度の点では文句なしと結論付けたが

毎日同じライン使っていくと1ヶ月で劣化してプツンと切れないで
ボソボソと段ボール箱から
ガムテープを剥がすような感覚で切れた。
同じPEラインでもルアーに使う1号でも同じような感覚で切れるが
こちらの方は
太い分、5年は持つ。
それと結節には、メタルラインと同じく編みこみが必要で
同じ化学繊維同士のためか
編み込みは、メタルラインの二倍半はいる。
それと目印の移動の点で大きな欠点があった。
それは、PEラインは極細のラインを束ねているだけなので目印を移動させると
必ず、束ねているラインがほつれてしまい
数本の糸がラインからはみ出てしまう事だ。

強度的にはあまり問題では無いが、気分的には不安が残る。
ましてや大会など、一匹に勝ち負けが懸かる場面で
モチベーションを維持する上でも使えない。

ゴーセンのテクミーも使ってみたがこれも似たり寄ったりだ。
0.04号は一本だけの単線なのでそんな必要は無いが
あまりにも細すぎるのか目印が止まらない。

唯一使えるPEラインはフジノのターボラインとよつあみのあゆラインだけだ。



さて、背針に話を戻そう。
ここで背針の一大改革の波が押し寄せてきた。
それはウエポン背針である。
これをいち早く取り入れた者だけが、大会を席巻していった。
その泳ぎ出しの速さは天下一品である。
いままで苦労していた、泳ぎだしが鈍い鮎でもこれを装着すれば
あ〜ら不思議ススイのスイである。

これにはぶったまげた。
この背針があれば、競技のFの中硬はいらない。
ぶっちゃけた話、がまの超硬スペシャルでも、泳がせが楽にできる。
やっぱりというか当然というか、このスーパーウエポン手土産に発案者の方は
ダイワのトップテスターに抜擢された。

だーれだ

それにちょっと遅れて我らが郷土の名人伊藤さん発案の
「ごくらく背針」が登場する。

胴締め仕掛けに抵抗のあったオラとしては、この背針には感心した。
一番のウリは瀬でも引ける背針である。
しかし活性の高い鮎には効くが、活性が落ちたときの鮎には歯が立たなくなる。
その時はあまり友鮎を引かないようにして
ノーマル仕掛けを扱っているかのように

扱わなければ野鮎は掛からない。

それじゃ背針を打っている意味は無くなる。
やはりここでも遊動鼻環仕掛けの方が優位にたつ。



話はまたまた戻るが、どうしても那珂川ツバメ返しをやりたいオラは
また竿を探し始めた。

その頃、同じ那珂川から、オラにとって新たなヒーローが生まれた。
G杯全国大会を制した石井選手である。
ただのG杯優勝者ならオラは見向きもしないのですが
その使っている鼻環周りの仕掛けが
オラと同じ
「遊動鼻環式背針仕掛け」だからである。

微細に見ていくと相違点はあるが
基本的には三原名人が提唱した遊動鼻環式背針である。

そればかりか、どうして諏合名人が0.4号の糸で
荒瀬や急瀬をひきこなせるのか

また平瀬でどうやって友鮎を「よこっぱしり」させられるのか
という点を紐解いてくれた。

須合名人に密着してその釣技を解析した
その洞察眼に本当にオラは脱帽した。

そして一般の鮎釣り人に公表した、度量の大きさにも感心した。
そんなオラはオリンピックの看板を背負った身なれど迷わずに
石井名人推奨の「がまかつ競技スペシャル急瀬」を買うことにした。
この竿は感度の点と、竿の弾力復元スピードで
オリンピックの竿と比べものできないほど

とても素晴らしくオラはとても気に入るのでした。

玉川の松倉堰堤下の瀬に入ったときのこと
まあまあの鮎サイズでテッサンには
ちょうど良い型の22cmであった。
あらまし20匹も釣った頃、川原に見慣れたシマシマの
ポロシャツ軍団がやって来た。

それはJPAの幹部連を連れた山形のアシスタントプロ達でした。
ここでオラは困った事になりました。
それは、オリンピックに籍を置くものが
他社の竿を使っている事がばれるからです。

東北で少ないテスター枠の中で
JPAに加入していないでイエローガイズの
メンバーになっているのは
オラだけですから,なおさらです。
JPAの反感を買います。
オラは対岸に渡り石になりました。
そんな、ばつの悪い思いでもある竿です。

玉川の鮎じっちゃま

この竿での「那珂川ツバメ返し」はちょっと無利がありました。
それでも強引にツバメ返しをしましたが
その軌跡は低いものでイマイチ満足いきませんでした。

玉川の下流ごみ焼き場の荒瀬に仲間たちと入ったときの事。
流芯のど真ん中で掛かる鮎は、片手サイズ
ツバメ返しやテッサンが、たやすい小鮎です。

そこでオラは流芯に立ち込み対岸のボサの
際ぎりぎりに友鮎を引きました。

やっぱりこういう所は、竿抜けです。
23〜25cmの良型が掛かります。
これを4,5回抜きをくり返したときです。
「バーン!」という破裂音とともに
竿の一番下の元竿が綺麗にカッターで切ったように折れました。

そして元上から上の竿部分が流されていきました。
追えれば追えそうなのですが、なんせ立ち込んでいる瀬の下は
流れがまくれ込んでいる
バスクリン色をした深淵です。
命との引き換えは嫌です。
きっぱりとあきらめました。
そこでオラは思いました。
やっぱり那珂川ツバメ返しには、「ドンスペシャルしかないでしょっ」と。

さっそく次の日に釣具屋さんに注文です。
しかし「ドンスペ」は一年前に生産中止との事。
でも「ドンスペ」名前は付かないけど、スペックは同じ竿があると言うので
その竿「アストリア ハードプラス」を買う事にしました。
さっそく手に入れましたが、この事がイエローガイズとJPAの陰のドン
大橋英之氏に見つかり
お小言をたっぷりと頂戴したのは言うまでもありません。
そんなこともある竿は、さすが本家本元が開発しただけって
友鮎の引き具合とブレの無さは荒い瀬の中でも

オモリ無しに鼻環一つで引けます。

もちろん、ツバメ返しもばっちりと決まり
高い軌道を伴ってぶっ飛んでいきます。

はじめっから、これを買っときゃ良かった
だいぶ回り道をして買った竿であります。

しかしオラ的にはこの竿で大会に出ようとはこれっぽっちも思いません。
あくまでも遊びの竿です。
で、大会にはもっぱらオリンピックの競技アラミカUを使いますが
今ひとつ結果がでません。

そんなドンゾコの時代が続きます。
でもこのドンゾコの時代があったからこそ色んな事が見えてくるのでした。

 それではイッチョ始めるか、鮎釣奥義




1、  トロ鮎.

まず、トロ流れとはどんな流れなのか、ここではっきりと定義しておかなければ
これからのうんちく話が見えなくなってしまうので
ここでオラが独断と偏見で定義してしちまう。

それではまず6月の日曜日の午前11時というところから始まります、なんでだ?
マアマアそう言わずに付き合っておくれよ。
先は長いぜよ。
そうだな季節は五月の始め、桜鱒つりの頃とデモしておこうか。
昨夜の酒も抜け、ちょいとばかし小腹が空いて目が覚めたってところですか。
そんなに若くも無いけど。
朝の煎茶でも飲みながら、スパゲティーでも茹でますかいナと思い立つ、とする。
季節がら旬の野菜は菜の花。
桜鱒釣りのついでに、ちょいとばかし摘んできたヤツです。
これを主役に、ピリッと辛いスパゲティーをば作りますか、てか。

そんじゃ、大きめの鍋に水を張り、ガスの栓をひねってお湯を沸かす。
それと同時にフライパンを用意し、オリーブオイルをたっぷりと注ぎ入れ
にんにくを厚めにスライスし低温で炒めておく、こうする事によって
にんにくのホックリ感を出すんだな。
モチロン鷹のつめも忘れずパラリとにいれておく。
そう、食いしん坊な貴方はもう分かったよね、スパゲティーの定番
アリオリオペペロンチーノ、これのスプリングバージョンです。
もう一つフライパンを用意し、バターを入れる。
溶けてきたらここに3cm角に切ったベーコンを50gくらい入れ
弱火で火を通し、カリカリベーコンになるまでやっつけます。
おっと、先ほどの鍋の水はどないなもんかナと覗くと、鍋の縁のところに
チリチリと細かい泡が立ちのぼってきました。
そしてまもなく鍋の中央部分、表面がナニやらモヤモヤとして来ました。

モヤモヤ親分

感のいい貴方はここで気づきましたね、その通り沸騰寸前のこのモクモク加減が
オラの定義する所のトロ流れでございます。
このモクモク加減の流れという定義は、川のエリアに限った事では
ございません。のです。
マクロ的にみた場合、たとえば激流の中の石裏(頭を水面に出してない底石なども
含めて)の巻き込みから続く緩流帯や、護岸されたヘチ際など、ありとあらゆる所に
トロと思われるポイントは無数にあるんだな。

そういうポイントで糸を張らず緩め加減にして、友にした鮎さんが泳ぎ出すのを
ジイーと辛抱強く待つのじゃな。
言っときますが、元気いっぱいの野鮎さんが手に入った場合はこの例にあらず。
ガンガン引きまわして数を稼いでください。
(そんな絶好な時はあまり有りませんけどね)
しかしながら、ド渇水の活性の低いときや、人的プレッシャーが高いとき
シーズン後期の鮎さんなどには、やっぱり辛抱の釣りに徹してください。
これで友鮎の循環はバッチリと決まり、入れ掛かり間違いなし。カナ?

ソウソウ菜の花のパスタの話、尻切れトンボのままでしたね。
どこまで話をしたっけ。
う〜んとモクモクとお湯が沸き始めた所だったな。
ここで塩を入れますが、塩加減はというとショッパめであります。
なぜなら、このスパゲティーの茹で汁がソースの役割をするからです。
料理におけるアマチュアとプロの決定的違いは、この塩を使う時
ショッパクなるちょい手前、ギリギリ極限までの持って行き方にあります。
それは、その人のセンス問題でありますから「なんだこりゃ」というプロもいますし
「これは、ただ者ではない」というアマチュアの方も沢山いる。
それともう一つは、火の使い方に決定的違いがありますが、使っている器具
その物が違いすぎるので、ただ単純には比較できませんが、火と仲良しになる
という点には変わりありません。
あとはスパイスをいかに自由自在に使いこなせるかという点かな。

ということで、ちゃんと沸騰してからスパゲティーを120g程度、鍋に放り込んで下さい。
スパゲティーの銘柄は、バリラ以上のものをチョイスしてください。
スパゲティー自体、そんなに値がはるもんじゃないからね。
安いのはだめよ。
このスパゲティーが茹であがるのに合わせて、先ほどのベーコンを炒めた
フライパンに菜の花を入れるわけですが、その前にスパゲティーを
茹でている鍋の中に、この菜の花を入れ、鮮やかな緑の色を出すのと同時に
軽く塩味もつけておきます。
その刹那、フライパンに菜の花を入れ、続けざまにスパゲティーを入れます。
そしてガスの火を最大にし、先ほどの茹で汁を軽く入れてスパゲティーに活を入れます。
仕上げに黒胡椒をカリカリと挽いて出来上がりってとこです。
マ、こんな食い物の事はどうでも良い事なんですけど。

ここでオラは鮎釣りから学びました。
美味しいものには時間を掛けろ。(辛抱が大事)ト。




2、  止まった鮎.

トロッパの鮎さんについての話です。
まあ話としては第1章の「トロ流れのポケットは友鮎の慣らし運転の場」の
続きになるのですが。
そのポイントですっかりと準備の終えた友鮎は、泳ぐ気力が満々であります。
というより、この災難から早く逃れようと必死です。
その泳ぐ気力をそがないように、仕掛け糸全体を使うようにして
たるませたり逆に張ったり、微妙にに調節しながら友鮎を泳がせ
シマを張っている野鮎さんを探っていくのであります。

水中糸に付けた糸目印が、水面上15cmの空間をスゥーと滑らかに
移動していきます。
するとその流れるように移動していた目印が急に止まるとします。
それはシマをはっている野鮎さんが、友鮎に寄って来て「これ以上俺のシマに
近寄ったらただじゃおかんぞ」とか、「ウォリャー!」とか言いながら脅しに
来ているんだな。

体にいろんな仕掛け(鼻カンやら、逆針はまだ良い方で、人によっては
背針なんかもブスリと刺されています。)をしょっている鮎さんの身にしてみれば
舟の錨のような掛け針と、鼻カンから伸びたナイロンロープを引きずっていて
素の鮎に比べたら大きなハンデを背負ってる事になります。
ましてや先ほどのケンカの生傷を負っていて、気弱にもなっている友鮎さんは
自分より小さな野鮎にでさえビビッテしまい、思わずすくんでしまいます。
そのことが、今まで軽快に動いていた目印にストップという形で表れるのだ。
そうなると糸を張ろうが、糸ふけを出してテンションを掛けても、友鮎さんは体を
硬直させたまま、泳ぎ出そうとはしません。

オラが友釣りビギナーの頃、この事を勘違いしていたのだった。
それは、いろんな仕掛けを背負って、流れを逆らいながらも懸命に泳ぐ友鮎さんが
流れの弱い石裏の緩流帯に入った時、これ幸いとばかりに一息ついて
サボっているのだとばかり思っていた。
しかし、事の真相はそういう事ではなかったのです。
それは野鮎に睨まれてすくんでいるのでありました。

中津川の泳がせ名人

何でそんな水の中を覗いてみたような事を、言い切れるのかといえば
それは動きの止まった友アユさんを
どうにかして動かそうとしてイライラってるオラです。
当時の友釣りの定説として、友鮎の鼻先を持ち上げるくらいの力で糸を張って
アユ竿の穂先を、曲げてはいけないといわれていた。
水中糸の糸ふけである、オバセの出し加減だけで、友鮎の鼻先に 
刺激抵抗を与えて、泳がせて行くのが正道といわれていたのです。
しかしそうは言われていても、どうにも動き出さない友鮎に、いらだち始めたオラは
真夏のジリジリと照りつける太陽の日を脳天に直撃も受け
とうとう「ブチッ」っと切れてしまったのです。
そこでオラは乱暴にも、友鮎の鼻先を20cmくらい持ち上げました。
しかし動き出さない友鮎のクソ野郎です。
これを続けざまに2、3回乱暴に持ち上げたたその刹那、オラの手に「ガガーン」という
強烈なアタリが伝わってきたのです。
そういう体験を何度かしていくうちにオラは「ナ〜ンだそう言う事だったのかと」と
思い始め、そして確信したのです。
それを昇華して「スパイラル釣法」として具現化したのが
オラの好きな京都の名人室田正さんその人であったのです。
      
あれは1997のダイワマスターズ東北大会の事です。
予選からスタートのオラ、それを高みの見物とばかりに決め込んでいるシード選手。
その中にいた、関東からのシード選手にしっかりとこの操作を見られていました。
「あんなに穂先を曲げまくって、良く鮎が釣れるもんだな」と、決勝戦で
一緒になった時に、尊敬と威厳の目で言われましたって事はないが
一応そんなような事を言われました。
      
先に説明しオバセの加減で、誘いをかけるのがハワセと表現するのであれば
この穂先グンニャリ釣法はモミ言っていいだろうと、オラ的に解釈しておる第であります。
ただしピンシャンの野鮎を釣ってからの話ではあるがね。

ここでオラは鮎さんから学びました。
「女と鮎は自由にさせない」と、デカ鮎サトシさんも言っていた。
けだし名言。




3、  底がかり.

それはどんな所でしょうか。
真っ先に思い浮かぶのが、田んぼの中を流れているそんな川だ。
お百姓さんが、あぜ道に生えている雑草を、刈り払う梅雨時以降の事です。
雑草を刈り払うまでは良いんですが、その刈り払った草を無神経に
その脇を流れている用水路に投げ込むものだから、その用水路を伝わって
刈り払った草が川に流れ込むんだ。
それが川底の石に引っ掛かり、キムタクの頭みたいになっちまった川の石。

朝こっぱやくから一級国道の橋下のチャラ瀬を、気持ち良く友鮎を泳がせ
順調にシマ鮎を御用、良い気分で釣りまくっていたオラでした。
その橋に差し掛かろうかという時でした。
突然バスケットボールのような白い物体が、チャラの瀬肩の鏡に
「ボチャ―ン」と派手な水飛沫とともに落ちてまいりました。
これから攻めようとしていた美味しい所なのに!
「なんだこりゃ」と思わず上を見上げたオラでした。
すると、橋の上をママチャリに乗った小太りのオバはんが、何食わぬ顔で
通りすぎて行くのが見えました。
その白い物体は、スーパーのポリ袋にゴミがパンパンに詰まった物です。
そうです、そのオバハンは川に生ごみを捨てに来たのです。


      ヨッ、鮎つりバーカァ

その昔、秋田県の阿仁川水系の打当川に
やまめ狙いでフライロッドを担いで出かけた時です。
この日は調子が良く、25、6cmのヤマメが10数匹と
尺イワナを三本釣り上げオラはニコニコです。

さてと腹も空いてきたんで、昼飯にはチョっとばかし早い時間だが
食べる準備でもすっかと。
土地柄も有るからにして秋田名物「稲庭うどん」でも作ろうかと思い
「マルちゃんの赤いキツネ」を用意してきたのじゃ。
ほんじゃ、お湯を沸かそうと周りを見れば
そっちこっちにきれいなミニミニ沢が川に流れ込んでいます。
手っ取り早く足元のキレイな沢から、水を汲みガスストーブで沸かす。
待つ事三分で稲庭うどんのできあがりっと、おにぎり片手に空は青く
白い雲、木々は新緑むせかえるような勢い、向こうの淵にはマガモの親子。
「いいね〜田舎は」マア大漁だからこういう気分になれるってモンだがね。

そんで昼食を終えマタマタ釣り上ることにしました。
しか〜し満腹でハングリーな心が失せてしまったか、あまりお魚が釣れません。
ソッ、集中力が切れたのだ。
「あくびも出てきたことだし帰るとするか」と川から上がり農道を
テクテクと歩いて帰ることにしました。
その途中小さな橋が掛かっており、何気なくその小さな流れを覗き込んだところ
これぞ田舎的風景を見掛けました。
赤ちゃんをおぶった農家のおかみさんが、鮮やかな黄土色をした
オシメをその流れで濯ごうとしているところで
その下では三歳くらいの男の子が立ちションベン。 
「ウッ、チョット待てよ。この流れの向こうに見えるのは、先ほど昼飯を
食った所じゃね〜のか」ってことは、この沢水でお湯を沸かして
「稲庭うどん」を作って食ったってことだな。ガビョーン!
さらに、この俺の立っている橋の上流では
田んぼの泥水まで流れ込んできている。
ど〜りで、ダシが効いててウマイなと思ったわけだ。

      田舎での川という認識はどうやら、ごみやウンコの捨て場でしかないようで
「嫌ななことは水に流す」とは、よく言ったものです。
つまり、この二つの事からも分かるように田舎での川という存在は
オラ達が思っているような楽しい遊び場とは考えていないようだ。
そんなモンよ、田舎の川は。


ソウソウここでもう一つ、田舎の川話を思い出した。
田舎の送り盆、供養物を川に流すのも止めてもらいたいものだ。

その昔、石川啄木で有名な渋民の村を流れる北上川でのこと
殺生してはいけないと言われているお盆の終わり(オラは神教だから
関係ないも〜ん。)に、のこのこと鮎釣りに出かけていきました。 
川をのぞくと鮎がキランキランしています。
お盆で川に入る人がいません、鮎は温存されているようです。
さっそく身支度を済ませ鮎釣り開始です。
それからまもなく、お盆の供養物が流れてきます。
この供養物を、糸に引っ掛けたもんだら大変な事になるので
それを避けながら、糸をあっちこっちと動かしておりました。
その時です、野鮎が掛かるのです。
そのメカニズムはこうです。
その供養物が流れてきます。
それを避けようと、友鮎に強い刺激を与えないように、糸の角度を変えたり
時にはソーッと友鮎を移動させたりします。
それがいい感じで友鮎に伝わり、それが誘いとなって野鮎が仕掛けてくるのです。
そんなごみを避けるたびに、鮎が釣れ釣れ大漁した思い出があります。
これはプラスだったこともある、田舎の川のほんの一例。
オット、話がだいぶそれちまったな。

ゴロタ石の急瀬でオラは、効率良くそしてテンポ良く探る為
引き落とし泳がせを展開していくのが好きだ。
その引き落とした友鮎を、石裏で泳がせようと糸を無神経に緩めると
底石と川底が相互におりなす吸い込みの波に、友鮎引き込まれてしまいます。
すると先ほどのお百姓さんが無造作に捨てた草が、川底の石に絡まっており
その草に友鮎の掛け針が引っ掛かって、鮎さんマイナス1になっちまうのだ。
それを回避する為に、流れの中層あたりから、友鮎を吊り下げるような
感じで底へとそうだな、ちょうど飛行機が滑走路に着陸する時のような
感じで友鮎さんを泳がせ操作し、吸い込み口を回避するわけです。

ナヌ!これは誰でもやっている事だって、そんじゃこれはどうだ。
さっきは急瀬の底掛かりが激しい所の友鮎操作のお話だったが
今度は自分の足のくるぶしくらいしかない水深の所。
これまた根掛かりの激しい所で、底掛りしたら最後、そのポイントはオジャンに
なってしまう、そんな底石状態の通称「ドチャラの泳がせ」はどうだ〜。

友鮎を綺麗に泳がせて探って行くためには、先ほどからオバセ、オバセと
念仏のように唱えていましたが、こんな浅い所を、糸ふけだけの泳がせ操作を
したらどうなる事でしょう。
水深が無いもんだからオバせる糸に水圧のテンションが掛かりません。
しょうがないからオバセをいっぱいくれてやるとします。
すると、「そ〜ら見た事か」のオバセた水中糸が
カケバりに絡み付きこんがかり状態、通称「エビ」。

そんでもって、この状態での鮎が掛かったもんだら
もう大変のダンゴ状態で友鮎と野鮎の、べんじゃもん。
こうなったら最後、このダンゴ状態の物にテンションを掛けないよう
自分の足をフルに使っての取り込みをしなくちゃいけません。
間違っても引き抜こうとしてはいけないのだが、真夏の太陽に頭を半分やられて
しまったオラは、時たまこれをやらかいていてしまい「ブッツン」してしまうのだ。
本当はプラス1=2となるところマイナス1になってしまい
「振り出しに戻る」になっちまいます。
こういうドチャラは、伊藤稔さんが提唱した
張らず緩めずの0オバセを展開していくわけですな。

「それでも泳ぎ出さない!」って、そりゃ「友鮎が弱っているんじゃないカイ」と
オラは一言でかたずけてしまいます。
ナンテネ、身も蓋も無い話だ。
そんなときオラは友鮎をそこに置いたまま、下流へと下がって行くのだ。
すると糸の角度がドンドン広がっていきますよね。
するとあ〜ら不思議、スススーッと友鮎が泳ぎ出します。
「なんで泳ぎ出すの」ってか、つまりなんだな、その〜糸の重さというテンションが
水中のオバセのテンションの役割を果たすからだ。
それと友鮎の鼻先にかかる糸の角度的な事情で、真後ろに引かれる抵抗が生まれ
泳ぎ出すと、オラは考えているのじゃ。

それでも泳ぎ出さない、へっぽこ鮎ってか。
そんじゃ取って置きの奥義をば伝授いたそう。
と思ったけど、ダイワの競技Fの中硬10mの話を前にも書いたので省略。








4、  壷の粘釣

いたい壷とは何ぞや。
一言でいえばマンピーのGスポットであります。
ますますもってワッカンネ〜てか。

岩手県の鮎は、ほとんどが放流鮎であります。
この事を前提とした、お話が始まりますです。
各河川の漁協の組合人の方々は口を揃えて言います
「琵琶湖産、琵琶湖産」と。
しか〜し、しょせんの所、琵琶湖産の鮎と言われていても
本当の意味での琵琶湖産じゃ無いね。
中間育成された、ホンのチョット手の良い養殖魚です。
海産の鮎にしても、ふ化場から仕入れ
コレマタ養殖場で飼われ配合飼料で育った魚です。
しまいには本当にこれって鮎?ってのがいます。
こいつは何世代にも渡り人工交配されてきた
鮎の形をしたブロイラー的なモノです。
さてこれら養殖場で飼われてきた環境を、チョイトばかし考えてみましょう。
彼等は閉鎖的なコンクリートで、できたプールで飼われております。
そのプールの中の流れ具合はどんなモンでしょう。
もちろん白波なんぞ立ってはおりませんな。
その流れは人間が走るスピードより、もちろん遅いに決まっています。
そんな所で育った鮎を川に放流しても、流れのキツイ瀬なんぞには居付けません。
それに見合う筋肉がないからね、トロやチャラに群れる事になります。

午前中、秋田県の雄物川水系の玉川にての事。
海から遡上して来た鮎を狙って釣りに行きました。
がしかし、釣り開始そうそうカミナリとそれに伴う激しい雨で
ホウホウの体で退散することになっちまいました。



この玉川の支流、桧内川での出来事。
生暖かい風がどんよりとしているが
ときおりバヤバヤと風が吹く朝一番の曇りの日。
トントンとの釣れ具合で、絞り込みの瀬を釣り下りました。
その瀬を半分くらい下った所で
川面をスーッと走るヒンヤリとした風が吹いてきました。
これは何かというと寒冷前線の通過を意味しております。
すると、遠くの方で雷がなり始めたかと思ったら、いきなり強い雨が降ってきました。
しかし増水するまでには、まだまだと思い釣りを続けました。
しかし雷の音だけはだんだんと大きくなってきます。
回りを見わたしてみても
他の釣り人達は竿をしまう気配は全然みえません。
釣りを続行中です。
どうしようかなとオラは迷いましたが、この良く釣れている場所を
他の人達に渡すのもしゃくなので、オラも釣りを続けることにしました。
順調に野鮎が掛かり友鮎2匹を空中輸送
しっかりとタモの中に納まりました。
そして竿を肩にかついた時です。
肩にチリチリという皮膚を刺激するようなそうだな
イガラ虫に刺されたような感覚が走りました。
川の中では体験のした事無い感覚だが、あまり気にもとめずにいました。
すると肩に、お相撲さんの張り手を食らったような
「バシーン」という衝撃が走りました。
一瞬竿でも折れた衝撃かと思ったオラ。
またその衝撃が肩に来た時、とっさに思いました。
「落雷だ!」このままじゃ焼け焦げになってしまうと感じたオラは鮎竿を投げ捨てました。
「これで助かったかな」と思い、ほっとするも今度はドンブラコ、ドンブラコト流れていく
20まんえんの竿を追いかける羽目になってしまいました。
慌てて前につんのめりそうになりながらも、全力で竿を追いかけるのでした。
で、なんとか捕獲しました。
「こりゃ焼け死ぬ前に帰ったほうが良い」と思い、竿をたたみ川から上がる時です
「ドッカーン」という大きな落雷の音、ホント命拾いしたと思いました。
車を置いてる所まで歩いていると、運悪くこの川の監視員につかまってしまい
「落ちたろ。」って、からかわれてしまいました。
家に帰ってからも、懇意にしていた別の監視員のムラさんからも、お見舞いの
電話を戴いてしまい、この川で有名人になってしまったという話もあったので
こんな時は即竿を、たたみ帰ることにしているオラです。

秋田と岩手の県境に有る奥山脈を貫く、長いトンネルを潜り抜けたところ
岩手県側は思いっきりハレです。
こうも違う天気状況は、秋田に毎日のように鮎釣りに通って知りました。
裏日本と表日本とは良く言ったモンです。
この事は7月1日の解禁日には、いっそう違いが現れます。
この時期の岩手県はヤマセの影響もあって、肌寒い梅雨時真っ最中です。
とても真夏の鮎釣りなんて連想できません。
しかし秋田県に鮎釣りに行くと、一転して蒸し暑い梅雨が待っています。
これが8月にもなると秋田県は、重い湿気をともなった強烈な熱さで
おもわず、バテバテなってしまうのだ。
だから裏日本の米は美味いんだなと実感、「秋田小町」。



時間はまだたっぷりと残っている事だし
帰り道途中の葛根田川で竿を出すことにしました。
まあまあの釣果に恵まれました。
さてと明日使う友鮎さんの選別です。
玉川で釣ってきた鮎は16cmです。
ここ葛根田鮎は21cmです。
当然21cmの方をキープするのが常道です。
しかしこの体格の差はなんなんでしょう。
川に入っている鮎の絶対量の差です。
そんな事はどうでも良い事なんですが、ここからオラは「ヨシツ」と思いつきました。
天然のそれも海からハルバル上って来た鮎と、自家採卵を繰り返してきた
養殖鮎とのパワーの差を確認しようと思いついたのです。
(もちろん分かり切った事ではありますが)それぞれ2匹づつキープしました。

翌日の朝、いつもより早く起きてしまいました。
その実証の場として最適な、雫石川支流の葛根田川にある瀬が落ち込み
広いトロ場となるバイパス下のポイントに入ることにしました。
その瀬が落ち込む50m下から泳がせ始めます。
まず最初は、ここ雫石川の養殖鮎からです。
仕掛けをセットし手練の空中輸送。(ぶん投げじゃないよ)
これを見た知り合いあいから良くい言われます。
「そんなことしてダイジョウブ」と。
これがまただいじょうぶなんだな、鮎って思っている以上にタフな奴なんです。
それとオラの弟子には、タモの中でモタモタしながら仕掛けをつけるよりも
手早く友鮎交換ができよう、鮎を水につけないで
タモの外で仕掛けをつける練習をさせます。
邪魔な物が無いもんだから、案外簡単に覚えられるようです。
あの那珂川のツバメ返しを、今は無き須合正一を気取って決めるのであれば
タモなんぞ使うのは、はたから見ててもカッコわりぃのであるからにして
絶対に習得しなければならないことではある。
と弟子に言い聞かせております。

ところで先ほど投げ入れたとも鮎はどうなっているんでしょう。
目印を追って行くと、ゆっくりと対岸に泳いでいます。
そして流芯に入るところで竿を起し、軽くオバセをくれて上流に上らせました。
しばらくそうやって待つも、なかなか野鮎は掛かってくれません。
なんせ入れ替わり立ち代りの、人気な場所なのでウブな鮎はいません。
誘いを混ぜながら泳がせているうちに
目印の動きがだんだんと鈍くなってきました。
こりゃだめだ、お役目ごめんという事でお次は玉川の鮎の出番です。
マタ、先ほどと同じく友鮎を空中輸送。
目印の動きは先ほどとは打って変わってイイ感じです。
斜め上流へと、ぐんぐん泳いでいきます。
竿から伝わるとも鮎の感じは、雫石川の鮎とは違い躍動感溢れるもので
かえって泳ぎ過ぎるくらいで、セーブ気味に泳がせます。
オラは期待感が膨らみます。
その目印が「ぴたっ」と止まりました。
そうですシマ鮎さんの登場です。
しばらく待ってみるものの、目印に変化は現れません。
それではとシャクリをくれたその瞬間、目印はぶっ飛びました。
引き寄せようとしたら、なんも重量感は有りません。
そうです、バラシです。
しかたありませんな。
こんな事は一日の鮎釣りの中では、1回や2回はあるものです。
逆針をセットし直し、気を取り直して再度放り込みです。
ここでも玉川の鮎のパワーを見せつけられました。
なんも、へたること無い、その泳ぎにはビックリです。
しかし今度は、シマ鮎さんとの遭遇がなかなか有りません。
20mほど泳がせ上るも無反応です。
こうなりゃチョット乱暴に、「引き落としおよがせ」しかないな〜と思い
逆スパイラルの猛攻撃開始です。
それでようやく目印が引き込まれ、野鮎さんをゲットです。
ここまでの経過を見ても、玉川の鮎の持久力というものを大いに実感したのだ。



それじゃ本題〔壷とはなんぞや〕に入ります。
チョット長かったかな。
壷とはどういう所を指すのでしょう。
それは大岩の裏、もしくは大石の裏の巻き返しのたるみ
岩盤の溝となった暖流となった所です。
そんな障害物が創り出す暖流帯は、ちょうど養殖場の池の流れと
同じ水速となるようで養殖鮎が溜まりやすいのだ。
そんじゃ、そんな流れの所は、どこかと考えててみると、瀬落ちから続く
第1章で解説したトロ流れ、人によっては「ワライ」とも言います。
(こっちの方が適切な表現かも知らんな〜)
ウン、そうだこれからオラもこれで表現する事にする。
というわけでトロ流れ「ワライ」です。
こういう場所はいくら釣っても、釣り切られる事は無いと
断言しちゃうくらいシーズンをとうして釣れます。
さてこの壷のワライの釣り方でありますが
やっぱり自然体で泳がせるのが一番です。
それで、ひととうり釣りまくったら
次は第2章で解説した縦と横の誘いをかけまくるのであります。
最初は縦の誘いを駆使した、逆立ちおよがせです。
お次は友鮎の鼻先を180度半回転させる引き落とし泳がせ
そうですスパイラル釣法です。
これでだいたい今日釣れる鮎はいなくなりました。
それじゃ明日釣れる分の鮎も釣ってしまえという事です。
それはどんなにすりゃよかんべか。
ここでオラの奥義の出番です。
泳がせている友鮎の鼻先を、さっきは上に引っ張りましたよね
それを今度は真横に引っ張るんだな。
当然鮎竿は、ベタになります。
友鮎の体が流れに対して、100度位になるまで強引に引っ張ります。
そして次の瞬間、引っ張っていた糸を緩め
流れに対して平行のオバセを作ってあげます。
すると友鮎は竹とんぼのように横に回り込みます、これが非日常的な動きとなり
今まで反応しなかった、明日釣れるはずの野鮎さんが反応してくるのです。
じゃあ、「あさっての鮎を釣るには」って?それはあんたが考えなさい。
オラはここまでしか分からん。
分かった人は、こっそりオラのメールに入れといてください。
これをする事によりこれ以降三日間は
自分の釣れるはずの鮎はいなくなります。
他の人はどうかは知りませんけどね。
少なくても自分に釣れる鮎はいないはずです。
後は三日以上この場所を休ましてあげましょう。
この壷の鮎からオラは学びました。
そんなに簡単にあきらめちゃイカン、いる所にはいる。
押して押しておしまくれ!さすれば落ちない鮎も女も落ちるのだと。





5、  住吉釣法.

住吉といえば盛岡の住吉さん、神社庁のご指導できれいになったな〜。
八幡さんもきれいに立派になったし、み〜んな大会の神頼みしてんだろうな。
そんなこた〜どうでもイイか、本題にはいろ本題に。 

朝1発目の野鮎捕獲場は、第1章のトロのワライは友鮎の
慣らし運転もかねて、こういう所が良いゾと、オラ的に解説しました。
そして第四章では、壷になっている所を狙えと書きました。
これらは有る程度、元気さを保っている友鮎での話です。
友鮎の交換ができずに時間だけが経ってしまい、友鮎さんが弱って来て
にっちもさっちも行かなくなったら、どうするかが問題です。
そこでお勧めなのがこの住吉釣法です。
ファイナルウエポンです。
それは瀬にある一番最初の大きな三角波が立っている所を狙え です。
なんで又、弱った友鮎をそんな所へ持って行くのかと思われるでしょう。
マア急がないでじっくりと進んでくださいな。
そしてここは、このエリアで一番大きな鮎がついている可能性が
一番高い所であります。
さてこの美味しいポイントの釣り方は、どんな方法でしょうか。
それには何故こんなに水圧がモロにかかる所に、三角波が立つのでしょうか。
それは踏ん張っている、しっかりとした障害物が入っているからにほかなりません。
たいていの場合は、不動の大きな石もしくは岩があるからです。
という事はだ、その後ろには当然巻き込みができております。
たいていの人は白波立つ表面の流れだけを見て
恐れをなして攻めてはいないはずです。
そしてそれに続く暖流帯は必ずあるはずです。
その暖流帯を利用して、石裏に導き入れるのです。
オラ的にはブン投げの術ではないけど、吊り下げ投げのような感じでモロ石裏の
巻き込みに落とし入れます。(第三章の吊りオヨガセを駆使しつつ、、、、)
これが一番楽に又、鮎を弱らせないで入れる方法だと思っています。
で、たいていの人は、ここまではヤルとは思いますが、これでは野鮎が掛かりません。
そこから更に友鮎を引っ張っていき、三角波のどてっぱらに突き刺すようにぶち込みます。
そしてそのままの態勢でこらえるのです。
友鮎をパーにするか、野鮎が掛かるかは時の運です。
今までの経験から言ったら9割がたガガガ〜ンです。



村田満さんが1988年に、「稲妻釣りのすべて」という本を書きました。
その頃は今みたいに、手と取り足取りの懇切丁寧なマニュアルビデなるものは
無く、オラにとってこの本は、とても有り難い本では有りましたが、この本は村田流の
言い回しとその表現で、オラは解読するのに大変苦労した事をおぼえています。
この本の中で満さんは語っております。
瀬では穂先を極端に曲げないよう 「し」 の字くらいで保ち、瀬尻から瀬頭まで
引き倒せ、というような事を書いておりました。
これを解読したオラは、家の近くを流れているな中津川に飛んで行き
さっそく試すことにしました。
川留稲荷さんの一本瀬は格好のポイントであります。
早速、水門前より友鮎を引き始めます。
どうしても穂先を曲げずに引く事はできません。
そして頭に来たオラは、穂先をグングン曲げながらとも鮎を引きました。
そうすると、瞬く間に友鮎さんはダウンです。
対岸にいたジッチャマがべた竿、の置き竿で鮎を掛けているのじゃございませんか。
それを見たオラは思いました。
「ソッカ、べた竿だ」と閃いたオラは、竿をべた竿にして友鮎を引くことにしました。
すると友鮎さんは、穂先に良い具合に乗って付いて来るのでは有りませんか。
そしてガガーンのギュギュギューンです。
結局この瀬だけで11匹釣れました。
天然遡上無しで、全放流数が300kgしかない中津川にしては上出来です。
入れ掛かりを堪能です。
トロ場大好きのオラはその時から瀬釣り専門に狙うようになったとさ。
そういう場所ばかり狙って釣っていると、なんとなくおぼろげながらも
同じ瀬でも、釣れる所と釣れない所とが分かって来るようになります。
それは大小の差はあれど、三角波の立っているポイントに
血の気の多い鮎がいることが分かって来ました。
それは結局のところチャラ瀬だろうが、トロ瀬だろうが同じコトだったのです。

竜泉洞があることで有名な岩泉の小本川でのことです。
ここの鮎は、引きの強い鮎が釣れる事で密かに知られております。
ここのホロノ地区の堰堤がある赤鹿でのことです。
いつもの事ですが鮎釣りの遠征に出かける時には
かならず前の日に友鮎を4匹確保しときます。
ちょっと多めですが、せっかくガソリンをたいて遠くまで来たのに
掛かり鮎の回転が悪くて、つまんない一日を過ごしたくないし又
辺ぴな所にある河川の場合友鮎を売っている所が無い場合が多いのです。
特に岩手県には、そういう川が多いのです。
ただ単に友鮎屋さんをオラが見つけれないだけかもしれんが。
で、この日もチャ〜ンとお約束どうり、友鮎4匹を前日に揃えておいての遠征です。
今日の攻める川のエリアを絞ったらイの一番に持って来た鮎をその川の水に
慣れさせる為に、川に活けておくのです。
さっそく遠路ハルバル持って来た友鮎を
川に漬けておこうかと友カンを
開けてビックリ玉手箱、オラの髪の毛が一瞬にして白くはなりませんでしたけども
中にいた鮎4匹とも白くなって浮かんでいるのではありませんか。
ウキウキ気分が一転奈落の底に落ちるとはこの事です。
さあ大変と大きな不安と便意がオラを襲いました。
思わずウンコがコンニチワしそうになり
藪に掛け込みキジ打ちとなったオラでした。
とぐろを巻いてすっきりとした気分になった所で
地元のジッチャマ風の人が竿を
かついでオラの方へとやって来ました。
これ幸いとばかりにオラはそのジッチャマに
鮎をわけてちょうだいと頼み込みました。
するとそのジッチャマは、元気良く大きな声で言いました。
「ン、オラが釣ったらワゲデヤッカラ」と
つまりそのジッチャマの手持ちの鮎は一匹だけという事ですな。
なんか不安になるも、これしか望みの無いオラにっとっては
この言葉にすがるほかありません。
そして待つ事20分でジッチャマに鮎が掛かりました。
「バラすなよバラすなよ」と念じつつ、ジッチャマの取り込みを見守りました。
長いなが〜い取り込みを無事に終えたジッチャマが
タモを差し出しながら言いました。
「ホレ、持ってけ」と。
お礼も草々タモから取り出した鮎は
尻ビレがずたずたのホッチャレた鮎です。
んな鮎を友にして、これから野鮎を釣ろうなんて
考えただけでも戦意喪失です。
しかしコレしかないのだから、友鮎が無いよりはまだましと
自分に言い聞かせるようにいざ出陣。
やっぱりとも鮎はピクッとも動きません。
泳がせ釣りには使えません。
しかたなく瀬で勝負です。
2号の玉をつけて、慎重に瀬を引きます。
しかしの鮎の掛かる気配はまったくありません。
こうなると最後の手段、瀬頭の三角波勝負しかありません。
その三角波のどてっぱらにジッチャマ鮎をぶち込みます。
しかしこの鮎には泳ぐ気力さえないので
フラフラして三角波の中で落ちつきません。
そこでオラは考えました。
オモリと弱った鮎との間隔があり過ぎて
フラフラする振幅の幅が大きいのではないかと。
さすればコレに対処するには、この振幅を消せば良い事になる。
消せないまでも最小限に、とどめれば良いのだ。
そこで拙者は考えに考えて閃きました。
オモリを支点として友鮎が振れるのであれば
この振れる支点を鮎に近づければいのだと
オモリを友鮎の鼻先まで寄せるのです。
今でいうところの鼻オモリです。
オモリを調節して再度瀬頭の三角波にぶち込みます。
今度は友鮎の振れが、まったくといって良いほど感じられません。
大成功でございます。
カウントアップです。
1、2、3、4、5、6、7で、ガガがーンです。
やりました。
大成功です。
鮎釣りはコレだから止められません。
有頂天の天国かと思えば、脂汗がタラ〜りの沈黙の暗い世界。
しかし1匹でも背がかりの野鮎が手に入った日にゃマタマタ鮎釣り天国。
コレの繰り返しだから鮎釣りというんだよと。

こいう場合に大変有効な背肩の三角波釣り。



オラの大好きな川の一つに
後志利別川(しりべし、としべつがわ)があります。
ここでの三角波釣りの話。
'93に初めてこの川に行った時
誰も川で釣りをしている人はいなくてオラ一人っきりという状態。
最初に入ったところは稲穂のザラ瀬。
ここで待った無しの入れ掛かり状態。
次に行ったのが種川の合流点。
ここでは大鮎の強烈な当りと、猛ダッシュする大鮎の引きを堪能。
次は住吉の堰堤下のつるべ掛かりと、楽しい思いでばかりが残る川。
しかし、ここにも暗い影が忍び寄ってきました。
岩手県の河川を襲った鮎の冷水病。
くしくも北海道の河川でも発生。
たった100kgの養殖鮎が持ってきた病気で
北限の貴重な天然鮎にも飛び火してしまい
'96以降あんなに楽しませてくれた天然鮎の姿が見えなくなりました。

ダイワマスターズ東北大会で顔見知りとなり、釣友となった函館の恒さんと
この川の住吉の橋で待ち合わせをし、一緒に鮎釣りを楽しむ事になりました。
が、しかしここ数年良い鮎釣が出来ないでいるので
まったく釣果の程は期待しないことにしました。
恒さんと再開を喜ぶ間もなく、さっそく鮎釣開始です。
釣バカであります。
オラは住吉橋下の岩盤のしぼりに入ります。
ここは、いつもの事ながら岩盤に付いている鮎が
キラキラと身を翻しているのが見える所であります。
今日も10匹は軽く越すだろうと、捕らぬ狸の皮算用です。
しかし実際に竿を出してみると、頑張ってみても6匹しか釣れません。
期待はづれです。
こりゃやっぱり今年もダメだな〜と落胆し
釣りの意欲が消えちまいました。
俺が一等地に入ってこんなモンだから、どうせ恒さんも
5、6匹の世界だろううなと考えているうちに
彼が戻ってきました。
「いくら釣ってきた?」と聞いてみると、なんと18匹との事。
トリプルスコアーです。
恐るべし村田軍団。

鬼将と

彼はホームグランドにしているから、こんなにオラと大差をつけて
釣ったんだと悔しがるも事実は事実。
目をそむけるわけには行きません。
こういう完敗した時は、絶対に自分と違う釣りをしているからなのです。
この事を素直に受け止め、教えを乞うことにします。
「どんな釣りしたの教えて」と。
恒さん曰く、どんなに遡上の悪い年でも
ここ住吉の堰堤直下の瀬は魚止めにあたるので
堰堤下の瀬はいつ何時でも鮎は濃いとの事。
そして、よほどの大水が遡上期に当らない限り、ここで遡上が終わりとの事。
しかし遡上期に大水が出れば、ピリカダム下まで上り、デカ鮎に成長し
頭に血が上る釣りが出来るとも言ってました。
もう一つの要因は、ここ堰堤下の岩盤の瀬は、ちょっと変わっていて
上流向かって岩盤が重なっていく変わった川底で、その岩盤の重ねシロが
一段と盛り上がる部分に野鮎がつくんだそうです。

住吉の岩盤瀬

その盛り上がり部分に友鮎を止めなくちゃならない
という高度な技がいるって事も付け加えました。
オラもさっそく試してみることにしました。
恒さんと言うとうりに岩盤の盛り上がりに友鮎を止めておきました。
するとガッツーンです。
なんの事はない、岩盤の重ね代が三角波を形成していたのです。
オラはギャフンと言いました。
あんなに得意としていた釣り方で、恒さんに釣り負けたのです。
という訳で、丸い石や岩だけが三角波を作るわけではないのです。
川底に関係なくヤル気のある、野鮎さんは三角波がどうやら好きなようです。
その柔軟な考え方と発想で、釣りまくった恒さんに敬意を表しオラは
この三角波釣法を、彼のフェイバリットエリアの名前をとって
「住吉釣法」と改名したのである。

ここでオラは学びました。「足元をすくうのは
なにも底流れの強い川の砂利石だけじゃないな」と。


7、  命のコントラスト.

これは何をいっているのかと言えば
鮎の付いている石読みについて語っているのだ。
で、鮎のいる所を探すには「石の色をよくみろ」と言われますが
そうは簡単に見分けられません。
「どんな石を見て探せばいいのか」と問えばベテラン曰く
「綺麗に磨かれた石を見ろ」と言います。
しかしオラは、今の今までそんなに簡単に上手く行った試しはございません。
6,7年前になりますが、秋田県の米代川の支流大湯川に行ったときです。
友人と「ほんとにこの川で良いのかな〜」と迷いながら探し当て田、この川
一応ザーッと下見をしてみた時の事です。
途中の橋、なんと言う橋だったかは忘れてしまいましたけど
その橋の上から川底をのぞいて見た時です。
その川底は鮎に食まれてピカピカの黒色に輝いていました。
こんなに簡単に川底の石の色で、鮎の付き場が分かるのは
海から遡上してきた天然の鮎だからこそです。
これが養殖鮎だと、こうは簡単に石の色だけで判別できません。
それを見た瞬間オラは、一気に舞い上がってしまいました。
ここなら絶対に釣れると確信しました。
こうなるとチンタラ川底を眺めている場合じゃないのです。
すると友人も同じ気持ちだったらしく、顔を見合わせるなりそそくさと
川原に駆け下りて行ったのは言うまでもありません。
ハヤル心を押さえながら、鮎釣りの準備完了です。
さっそく家から運んで来た友鮎に鼻カンをセットし、橋のピーヤの根元にある
黒い岩盤の脇へと得意の鮎の放り込みです。
テンションを掛けながら、その岩盤の際へ泳がせながらなぞっていきます。
しかし反応はありません。
又友鮎を水面まで引き上げ、先ほどと同じように岩盤の壁をなぞります。
これを何回か繰り返してみるものの、まったく反応はありません。
その内に、友鮎が弱ってきて痛恨の根がかりです。
しょうがありません、川を渡り友鮎回収です。
場を荒らしてしまったので、この場所を休めるために他へと移動です。
石が綺麗に磨かれている所を見つけては、友鮎を泳がせるのではありますが
どこもかしこもまったく反応なしで、いい加減釣りが嫌になってきました。
そうこうしている内に一緒に来た友達もノー当たりノーヒットで
だらけた雰囲気でオラの所へとヤッッテ来ました。
休憩と昼飯を兼ねた昼飯を間に挟み又
釣りを再開するも何の反応もありません。
結局この川はあきらめる事にしました。
そして本流へと移り釣りを再開するも、ここでも釣れずに
結局この日はボーズで帰ることとなりました。
つまり何をいいたいかと言えば、いくら石が磨かれていて鮎がいる事を
確認しても、時期的に早ければ釣れないと言う事です。
この傾向が強いのは、秋田県の日本海に注ぐ河川の特徴のひとつで
7月の初旬ころ綺麗に鮎に磨かれている所でも
なんも釣れない事がままにあるということ。
そういう場所でも7月の20日も過ぎ鮎が熟成されれば
ガンガン釣れ鮎の爆釣が始まるという事です。

これと反対に養殖鮎しか居ない川では、天然鮎がいる川のように石が
磨かれているという事はあまり無く
石を見て鮎を探すと言う芸当はチョイト難しいのです。
一番良い方法は、「養殖鮎の放流地点をダイレクトに攻める」という事が
養殖鮎の川で良い釣りが出来るかというキーワードとなりますです。
シカ〜シそういう所では、石の一つ一つを見るのではなく、そのポイントの
全体(エリア)を見渡し、川底全体のコントラストを見れば大体の予想がつくものです。
養殖鮎の石のコケを食むパーワーは弱いと言うことですかな。
つまり「木を見て森を見ないの反対で、木を見ないで森をミロ」って事ですかね。
以上コントラストでした。
という事で鮎さまは、ところ変われば品かわるてのがよ〜くわかりましたかね。



8、増、引、平.

増水はどこを狙えば良いのだろう。
そんな解決方法を知らないまま臨んだ、1984年のダイワマスターズ東北大会
前日まで降っていた雨で大会本部前の土手まで水が上がり
平水時から比べれば20倍も増えた事になります。
つまり増水じゃなく竜川氾濫です。
前日の昼前には、この雨も上がりました。
こうなると竜川は水が引けるのが異常に早いのです。
つまり度重なる森林伐採により、雨が降れば降っただけ川に流れ込み
その雨が止めば、急激に水嵩が減っていくという
今の日本の川の事情を代弁してくれているような川です。
しかし、この異常なくらい増えた川は果たして明日には引けるのでしょうか。
ちょうどその場に来ていたメーカーの大会責任者に聞いても唸るばかりでした。
オラ的には中止です。
当ったり前です。
こんなになったら鮎が釣れるまでは相当時間がかかるだろうし
果たして鮎そのものが川に残っているんでしょうか。
そんな気持を抱きながら、あくる朝大会会場へと向かったわけです。
大会本部会場に行く前に、果たして大会は出来るのかと思い
雫石川本流を偵察してみました。
昨日から比べると少しはマシなようですが
本流筋は立ち込める所がありません。
しかも濁りがきついとも思いました。
こうなると作戦を立て直さなくてはいけません。
そのとき閃くものがありました。
それは大会会場下流にある用水路の流れ込みです。
ここに流されまいとする子鮎たちが終結するのではないか、という考えです。
さっそくこの場所の下見です。
やっぱりこの用水路の流れ込み部分は水も綺麗で、本流の水の勢いに
推されるようにして用水路口の水が淀んで、うまい具合に淵を形成しております。
という事はこの場所には本流の子鮎たちが集まっているのは間違い無しです。
後は、この場所にうまい具合に、このポイントにはいれるかです。
大会本部に行くとあわただしく準備をしております。
「今日は大会開くのですか」と近くにいた役員の方に尋ねると
「昨日から比べると川の状態も良くなったので、スケジュールとうりやります。」と
きっぱりとした返事。
「どこが川の状態が良くなったのじゃ」とオラは思いました。
水位的には、昨日から比べると半分近くまで下がっているのですが
普段のこの川を見なれているオラからすると
10倍位以上もの増水には変わりません。
ということで、先ほどの所に決定です。
スタートのホイッスルと共に、この場所へ弟子を連れて急ぎました。
やはり皆さんも考える事は同じで、この場所を目指しているようでした。
シカ〜シ私のここだと思っていいた場所はポッカリと空いていました。
じゃあ他の方はどこにはいったんでしょうか。
それは本流筋の流れ込み部分です。
オラはほくそえみましたが、果たして鮎ちゃんはここにいるのでしょうか。
みんな本流筋にいると、なぜか不安になるものです。
シカ〜シそんな心配はいりませんでした。
ポツリポツリながらも鮎はかかります。
13匹掛けたところで終了のホイッスルです。
まわりの皆さんに聞くと一匹も掛けていないという方がほとんどです。
「こりゃオラが予選トップで通過だな」と思い検量の場へとルンルンで戻りました。
結果は8位です。
えっッ!こんな状況下で、オラよりも釣った人がいるのとわが目を疑いました。
そんな方たちの釣り所をリサーチしてみるとこうです。
それは護岸帯のしっかりとした岸際に、友鮎をこすりつけるようにして掛けたとのこと。
もう一つはガンガン流れているというよりも、バワンバワンと山のように
盛り上がって、とてもじゃないが友鮎さえも底に潜らせることが出来ないと
思い込むような、100人いれば99人はパスするような流れを
デカオモリを付けて攻略したとのこと。
ここでオラは学びました。
両者の釣れたポイントの共通点を探って見ると、どちらもどんなに水が出ようと
微動だにしないコチンカチンの川底を形成しているところです。
オラが狙ったところは、このセオリーから外れた人の裏を書いたポイントです。
あまり自慢できるところでは有りません。
川が激増雨水した時は、固いジゾコ狙いがキモダと始めて分かったオラでした。
じゃあ増水の引け際は、どこかと言えば背肩です。
この大会が終わってからあの、村田満さんが
おもむろに竿を取り出して釣り始めた場所が背肩だったのです。
その脇で見ていた伊藤稔さんがボソリと語りました。
増水位の引け際は背肩しかないと。
そこでもオラは又学びました。
増水の引け際こういう事かと。



じゃあ平水はと言えば、皆さんが良い思いをしたような場所で
どちらかと言えば瀬よりもトロ瀬チャラ瀬のほうが、良いという気がします。
渇水はどうなるのと言えば、アユが濃いところです。
そんなのアタリマエジャと言えばそうなんですけど、特に渇水になると
この事が一番大事なような気がしてなりません。
この時が石を見る事の重要性をとても感じます。
じゃあアユの少ない所は釣れないかと言えば
そうでもない時も有ると感じる事があります。
それは水温との関係です。
日中30度近くも水温が上がると、アユさんはやる気が起きないのか
見えるんだけども、釣れないという事がが起きてきます。
そんな時は日が陰り始めた、夕まずめの水温が下がり始めたときに
いきなり活性が上がり、釣れ始めることがあります。
つまりは時合い待ちという事になりますかね。
「そんなんじゃ答えになってない」って、そりゃそ〜だ。
オラ的にはガンガンの瀬のドッシ〜ンを狙います。
そんなポイントを狙える時と言ったら、こんな渇水状態しかないからね。
平水時の川では狙えないようなところです。
そんな所ばかり狙って釣り歩いていると、とんでもない肩の盛り上がった
野武士のようなのアユが釣れます。
オラはこのスンバらしい形をしたアユがとっても、だ〜いすきです。
数釣りでは味わえないような体当たりの強さと、引きの強さと
たもに納まった時の野アユのとってもかっこいい姿といい惚れ惚れしてしまいます。
そして何よりも美味しいんです。
だからオラ的には、渇水時は大きいい河川の本流筋に的を絞り釣り歩きます。
この釣り歩くという言葉が大事ですぞ。
一ヶ所に固執していないでどんどん歩きましょう。
ヤマメ釣りのようにですよ。
体的にも精神的にもこういう時の釣りが、一番時充実しているような気がしてならないのはどうしてでしょうね。
という訳で渇水時は大アユの聖域に近づけるビッグチャンスと皆さんも心得てください。  シビレルド〜


9、  宝の山は..........


でそろそろ結論と行きますか、つまりその日その日の良い釣りを出来るかは
朝一発目のオトリ付けに掛かってきます。
それは大会になると、とても重要な事となってきます。
つまり一発目に友アユを川に解き放って、すぐにアユさんが掛かる所は
ほとんどの場合、数が期待出来るという事です。
そーでない時も、たま〜には有りますが、確率的にはそういう事は低いですからね。
だから一匹でも簡単に釣れたところは、そう簡単に諦めるなって事です。
何でかと言うと、そういう所は地合いが出来あがりつつあるとも言えるし又
そういう所は地合いが完全に出来あがっているとも言えるからです。
過去に大釣りできた日の傾向を見ても、それは言える事です。
そんな日には、この場所を動かないってのが鉄則ですな。
色気を出して歩き回るとろくな事になりません。    






10、  どうかに.
川が新しくなった時には、何も考えることなく、ただただ引っ張り回せば
よろしいのですけど、そんな都合の良い日和はそうは長く続きません。
そうなった時には泳がせのテクニックがものをいいます。
そんなコタ〜誰でも分かっている事だよね。
じゃあその泳がせも効かなくなったらどうするかが問題となってきます。
たいていの人は、もうここにはアユがいなくなったと判断すると思いますが
それならなぜ川が増水して振り出しに戻ったときに、なぜ又釣れるのかって事です。
一説にはこういう話があります。
放流されるアユの75%は、釣られずに川の中にいるって事です。
そこでこのやる気のないっていうか
喧嘩早くないアユを、どうけし掛けて針掛りさせるかって事です。
ここで考えられる事は、非日常的な行動反射で掛けてしまおうと言う事。
バス釣りのプロやプロモドキがよく言う言葉に「リアクションバイト」ってのがありますが
アユ釣にも言える事じゃないのかなって思います。

それはどうゆう風にするかと言えば、川下から川上へと一本調子で引いてとか
もしくは泳がせてはだめだと言う事。
それは当たり前の行動であるからです。
だから瀬を斜めに引けばいいのであります。
もしくは斜めに泳がせればいいジャンとなる。
どうやって斜めに泳がせるかここでは解説しない。
あっ!そこの君君ぃ「ケチ!」と言ったな。
オラは けち じゃない。
まえにもう懇切丁寧に教えているので探してみてねということ。
じゃあ瀬はどういう風にするかって。
それはズバリ「須合正一引き」をすれば誰にでも簡単にできない。
何でかって言ったらタックルからして別もんを使わなきゃなんないからです。
これは竿がものをいうので、そこから話を進めなければならないのだからね。
つまりこのやり方は特殊すぎるので詳しくは説明しない。
もっと簡単に誰にでもできる方法をこれから書くからね。
まず鼻環をセットした友鮎を自分の立っている岸ぎりぎりに
下流へと送り込む。
中途半端な送り方じゃあきまヘンで。
竿が伸び切るまで送り込むのじゃ。
それからゆっくりと友鮎が嫌々しない程度に
竿を突き出すような感じにする、沖へ竿先を付くようにネ。
まあ普通はこの過程でガッツーんだわな。
それでもだめなら徐々に上竿にして行って野鮎を探っていくんいですな。
つまり、カニ横と言われているに釣法に近いが
それより京都の周山流の掃き方に近いと言って良いだろうと勝手に思っている。

というわけで、オラにとっても馴染まない竿を嫌々5年も持ったおかげで
なぜ釣れないんだろうと深く考える事が出来た。
だから、ここまでツラツラと書いた私的鮎釣り理論をまとめる事ができた。
2001年、マミヤOPが釣具部門撤退となり、晴れてフリーの身となったオラは
その理論を確かなものとするために
オラにピッタリと来る理想の青い鳥の竿探しの旅に出ることにした。

で、鮎友だちの千葉ちゃんが
釣り博覧会の帰りシマノのあゆカタログを持って来てくれた。
それを隅から隅へと隈なくあさっていたら
穂先径が2.2ミリの「早瀬抜き」なる竿に目が止まった。
普通に考えるとこの太さの穂先なら確実に320グラム以上はある
超硬の竿と相場は決まっている(キッパリ)。
シカーシこの竿の硬さ設定は中硬抜きのパワー表示となっていた。
もちろんズーム付きで重量は270gしかない。
驚きの反面これはオラの為にだけ有る竿と直感した訳で
2月に注文を出した。
ちょっとした訳ありで、なかなかオラの元に来なくてハラハラしたが
解禁1週間前にようやく手にした

 

鮎解禁日から3日たった小本川に友だちと向かった。
この日がオラにとって鮎解禁の日である。
竿を伸ばして友鮎をセットし川底に沈めてゆっくりと鮎を引く。
この瞬間で一気にこの竿の良さがオラの手に伝わってきた。
初めて鮎のカーボンロッド「がまかつマークU」を持った時と同じ感動を覚えた。
それと同時に友鮎の放り込みを多用するオラとしては50cmズームは大変重宝した。
その結果、この年の鮎競技大会は、出る大会はみんなシングル入賞という快挙。
これでオラの鮎釣り理論は実践でも確かなものと実証されたのであった。

がははV V V V!!




 メデタシめでたし