戦艦 大和 BATTLESHIP YAMATO

大和は太平洋戦争勃発後の昭和16年12月16日に竣工し、翌年2月12日に連合艦隊旗艦となりました。
昭和17年5月のミッドウェー作戦で初めて姿を見せましたが、その後出撃の機会はほとんどなく、
南太平洋の前線基地トラック諸島や瀬戸内海での待機がつづき、激戦に明け暮れていた将兵からは「大和ホテル」と揶揄されたりもしました。
昭和19年10月のレイテ沖海戦では初めて敵護衛空母部隊に砲撃を加えて駆逐艦ホールを撃沈、
そして昭和20年4月6日、沖縄に上陸したアメリカ軍を迎え撃つ天一号作戦(菊水作戦)に基づき、
軽巡洋艦矢矧とわずかな駆逐艦を従え山口県徳山沖から出撃しました。
大和の出撃は早くも豊後水道付近で敵潜水艦に察知され、7日総長から敵機が接触をはじめ、
正午過ぎには12隻の空母を発進した敵艦載機約300機による激しい波状攻撃が開始され、
その後2時間あまり続いた戦闘で大和は多数の爆弾と12発の魚雷を左舷に集中的に受け、九州坊の岬沖の東シナ海に大爆発と共に沈んでいきました。

戦艦 大和
全長263m、最大幅38.9m、喫水10.4m、基準排水量63980トン、公試排水量68010トン、最高出力152000馬力、最高速度27ノット


タミヤ1/700 インジェクションプラスチックキット
使用エッチングパーツ GOLD MEDAL MODELS/TOM'S MODELWORKS/ハセガワ 

艦首、艦尾、その他6箇所のフェアリーダーを自作しました。
ムアリングパイプを強調し錨は、ピットロード製に交換しました。
艦首と艦尾の旗竿は、真ちゅう線にて自作しました。
菊花紋章は、そのままだと少し分厚いので、薄くして取り付けています。
艦首から見た艦橋。
このアングルからだと、大和の巨大な艦橋が、
よくわかります。
錨鎖は、モールドを削りとりフラグシップ製の極小チェーンに交換しました。
号令台は手摺とラッタルを取り付けて精密化。
各部ホースリールは、ピットロード製に交換しています。。
主砲の砲身は、真ちゅう製に交換。
2番、3番砲塔上の機銃座は変形6角形
(レジンキャストパーツ)に交換。
最前列の機銃座を土嚢
(レジンキャストパーツ)に交換。
(以上ピットロード製)
ボートダビットはモールドを削り取り、リニューアルパーツを改造して取り付けました。
2番砲塔のバーベット側面補強板をプラ板で自作しました。。
窓は全てピンバイスでさらいなおしています。。
煙突上部は、穴あけ加工済です。
天幕支柱を真ちゅう線にて自作しました。
甲板は、エアブラシで塗装後、数種類の塗料を筆塗りして、木の感じを出しています。
25mm3連装機銃は全てピットロード製の2ピース構造のものに交換しています。
艦橋窓枠はくりぬき後、エッチングパーツにて再現しました。
150cm探照灯は、クリアパーツを使用しガラスの透明感を
再現しました。(ファインモールド製)
艦橋下側の探照灯にもクリアパーツを使用しています。
高角砲周りの射界制限枠フレームは真ちゅう線にて自作しました。
写真ではわかりにくいのですが、シールド付25mm3連装機銃の内、
舷側の中3箇所、艦橋下の外側1箇所については、縁に丸みのついた
通常型ではなく、丸みの無い角張った戦時急造型に交換しています。
(ピットロード・レジンキャスト製)
飛行甲板下の支柱を真ちゅう線で自作しています。
艦尾に応急舵を追加し艦尾機銃座を、多角形のものに交換。
(ピットロード・レジンキャスト製)
各部に水密扉を追加しています。
格納庫扉をプラ板にて自作しました。
空中線は0.3号(0.09mm)のテグスを使用し、各部に碍子部分を再現しました。
航空機は、カタパルト上に零式水偵を固定しています。
零式水観は運搬台車・滑走車を取り付けた状態で、甲板には固定していません。
両舷に格納されている内火艇も固定していません。
ディスプレイは、ウエーブ製のTケースを使用し、海面は情景モデル用の波形シート、波は、エポキシパテとポリエステルわたを使用して再現しています。
透明カバー付です。
その他主なエッチングパーツ使用箇所・・・各部手摺・梯子・水密扉、
カタパルト、ジブクレーン、21号電探、13号電探、マスト前面の梯子、
副砲上部の空中線支柱、
航空機のプロペラ・滑走車・運搬台車(零式水観のみ)