奈良三彩の骨蔵器出土地
昭和38年10月1日大和街道に沿った一里山南斜面の柿畑で農作業中に発見された。
出土を祝福し、当時教育委員会教育長であった小林義純氏は次の様に歌を詠んでいる。
「我が町の古き文化をけふここに 古都のかほりを放つ三彩」と
そして、王城の地伊都郡に奈良の文化が如何に盛んに伝播されていたかを実証するものである。
神野々廃寺・名古曽廃寺・条里制の遺構と関連して文化史研究に一大光明を与えるものである。
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