大手門 控え柱の柱継ぎ:撮影 本人
まず上の柱の写真を見てください 継ぎ方が ふつうでは考えられないと
思いませんか?
この柱ひとつとっても 大坂城には今だ沢山の謎や伝説が伝えられています
そのひとつ 天守正面の前庭に古井戸があり この井戸を金明水(秀吉時代は
黄金水)と呼び秀吉が井戸の毒気をぬくため 大量な金を沈めたとされていましたが
昭和34年の調査で 徳川幕府の大阪城再建築のときの井戸と判明しました
江戸時代には 天守東に同じ金明水と名の井戸があり 徳川、豊臣ともに
風水で言う龍脈を表していると言われ 南の景門(土の門)にあたる方位を
空堀(土)にした 豊臣の大坂城のときも南は空堀 その豊臣時代の
石垣まですべて埋め尽くしその上に石垣をさらに組み天守を築いた
徳川の大坂城も南の堀を空堀にしてあります
あと北東の鬼門の方位 人の顔をかたどった人面石と呼ばれる
石垣を魔よけとして組み込まれ
桜門の両側の石を 龍虎石と言い まさに四神を表していると言えるでしょう
龍は金を取り込み 虎がそれを守る(沖縄の雄と雌の
シーサの役割によく似ている)と言う説もある
桜門、両側の石垣が龍虎石で雨が降ると龍と虎が
現れると言い伝えがあります:撮影 本人
あと大坂城の抜け穴として 南の外堀の石垣中腹に石垣ひとつ分の穴が
空いており これが内堀(空堀)への抜穴と言われています
(現在2mぐらい奥で崩壊しています)その空堀の東西 水堀との境界に
謎の石垣があり 中が空洞になっており
本丸から二の丸に通じる抜け穴 もしくは 石垣の中に染み込んだ水を抜く施設
あるいは空堀底の土砂が水堀に流出するのを防ぐ装置と言う説がある
あと抜け穴で注目されるのは 真田幸村の抜け穴でしょう いくつかの抜け穴が
あったと言われていましたが 今は三光寺(天王寺区玉造)に残っているだけで
距離を考えると かなり長かったと思われます また徳川が外部からもぐりこむ穴
と言う説もあります
三光寺の真田幸村像と抜け穴(右横)
:撮影 本人
その他の幸村の伝説では 大坂の陣に際して 陣所近くの 神のやどる
榎の霊木があると聞きつけ その榎の木に鎌を打ち込み日夜戦勝祈願
したところ 大いに戦功を挙げることができ 今でも
鎌八幡また円珠庵(天王寺区真田山)では 勝負事、厄除けの神として
信仰を集めている 縁切り神社としても有名です
実際 榎の木に数えきれないほどの鎌が打ち込まれており 背筋が冷たくなる
くらいの印象を受けます 写真撮影禁止のため 画像は控えます
その他にも 京橋口定番が狐にとりつかれ 在任中に亡くなったり
半狂乱に陥ることがあり そのため屋敷内に稲荷社をまつっていたが
戸田大隅守が全ての社を玉造稲荷にうつし 狐の妖怪が
現れたところを退治したと言う伝説や
高さ3m横18mほどの松の木があり 秀頼の胎盤が埋めたとされており
ある時主人が藩士に枝を切らしたところ 夢枕に秀頼が現れ
枝を切ることを許さんと告げたとされ
それからは毎月1日15日28日は神酒を供えた言い伝えや
本願寺八世 蓮如上人が袈裟をかけたと言う松(現在は巨木の根
だけが残る)が石山本願寺の発祥の地と言う説
あと大手門を守る千貫櫓の名称は 石山本願寺時代から同じ場所に
隅櫓が建ち 石山合戦のとき そこから放たれる横矢のため 織田勢が
攻め込めず その櫓を落とした者に 千貫文の銭を与えると
語り継がれ その名の由来となった説
千貫櫓内の石落とし穴:撮影 本人
この様な さまざまな謎や伝説というものは その時代の人物の権威が
大きければ大きいほど また建造物や地域に歴史があればあるほど
話しが美化されふくらみ 人の脳裏にやきつくとすれば
石山本願寺から 豊臣の大坂城 徳川の大坂城となれば おのずと
謎や伝説が生まれ その当時の人にとっては脅威であったと思われます
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