【ドタバタファミリー】


サキのお話

この子は2000年8月に、4頭の子供達を産み落としたあと亡くなってしまった子なのですが、私たちにとっては忘れられない子なので、ここでご紹介します。

(リンタロウ&サキ)

サキは1995年の夏、リンタロウの遊び相手+お嫁さんとして、40日で我が家に来た女の子でした。
ペットショップにいた女の子3頭の中で、サキだけが真っ黒い体の中で後足の1箇所だけ白い足袋があり、それが決め手となって我が家に来ることになったのです。
初めからこの子は怖がりさんで、なかなか籠からも出てこず、でも1人じゃ寂しいらしく、すでに家にいた先輩のリンタロウを籠まで呼んでピタッとくっついていました。
(来た途端、あごで使われてしまう、リンもリンだけど…)
リンタロウには来てすぐになじみました。リンも後から来た子に、少しヤキモチを焼きはしたけど、いつも目にかけて面倒を見ていました。どちらも幼くて夫婦というには程遠い関係でしたけど、いい遊び仲間でした。
リンタロウが散歩に行くのが好きな子だったせいか、サキの1日に2回散歩に出る習慣でした。
この子はリンと違い、大小かまわずワンちゃんが大好きで、散歩中に会うワンちゃんを見ると、挨拶をせずにはいられませんでした。
その挨拶も、鼻を付け合わすとか相手のお尻のにおいをかぐ…、とか言うものではなく、挨拶をするワンちゃんの前で自分のお腹を見せて(まるで負け犬のように)、お腹をなめてもらう…という独特のものでした。
でも、誰からも(特に男のワンちゃん)からは好かれる挨拶だったようです。

(子育てパート1)

リンタロウの体が小さかったせいもあって、なかなか子供は出来なかったのですが、4年目にして(人工授精で)5匹の子供たちを授かることになりました。(1999年4月10日)
それまで怖がりの甘えん坊でいた彼女に、5匹の子を育てられるかどうか心配でしたが、実際にその状況になってなると、サキはすばらしいお母さん犬でした。
誰に教わるでもなく、子供たちにミルクを与え、お尻を舐め、動いている子たちをいつも目で追い…、そのまめまめしい動作に側にいる私たちの方が感心して見ていました。
特にメルが未熟児で生まれ、育つかどうか判らないと言われていただけに、初めて母となるサキがすべての子を育て上げるのは無理ではないかとさえ、最初の頃は思っていました。
なかでも驚いたのが、彼らが生まれて暫くした後、「そろそろ離乳食だなぁぁ…」なんてこちらが思っていたら、その頃からサキが自分のドックフードを大量に食べだし、そのすぐ後にそのドックフードを吐き出したのです。それも必ず子供たちの前で。
それを何度も繰り返すものだったから、こちらは体調が悪いのかと思いきや…。
実はそれは単なるサキの(というより犬社会での)離乳食だったのです。
そんなやり方、誰も教えてはいないし、ペット関係の本にも載っていなかった黷翌{能で行なっていたのです。
確かに、こちらがドックフードをミルクでふやかして作った離乳食よりも、サキの離乳食の方を子供たちは好んで食べていました。
その後、子供たちは順調育ち、メル以外の子供たちは我が家から巣立って行きました。

(サキ&メル)

未熟児で生まれたメルは、元気ではあったけれど極端に小さく体力もなかったので、母親から放さない方がいいだろう…ということになり、もともと1頭は自宅に残すつもりでもいたので、彼女は我が家で生活することとなりました。
45日で丹精込めて育てた子達がいなくなり、寂しかったサキは彼女の持つ母性本能をすべてメルに注ぎ込んでいました。
メルが寝ているサキの上に乗っかろうが、顔を舐めようが全くお構いなし。
自分のごはんを横取りしても怒らないし、すでに大人用のドックフードを食べだしているにもかかわらず、まだ自家製離乳食を与えようとしたりしていました。
メルが怪我(軽い擦り傷程度)をすれば、そこばかりをひたすら舐め続け、却って怪我をしたところを悪化させてしまったり、悪さををしたメルをこちらが叱れば、自分がメルを庇って代わりに怒られたりしていました。
「甘やかし放題」というのはこういうことを言うんだ、と私たちはひたすら実感させられました。
その甲斐があってか、初め80グラムで生まれ、骨と皮ばかりだったメルは1年で1.2キロまで大きくなり(現在は1.8キロ)、大きな病気もせず、すくすく育っていきました。
自分中心の超わがままというおまけつきではありましたが……。

(2度目の出産、そして……)

本当はこれっきりの出産で、その後避妊手術をするつもりでした。
最初の出産も、「1度お産した方が、ガンになりづらく長生きする」という巷に流れていた話のせいでした(1度は子供をとってみたいという思いもありましたが)。
それが翌年もう一度お産をさせてみようという事になったのは、サキの母性のすばらしさ&子育てというものがサキにとても似合っていたためでした。
リンタロウも子供に優しい父親でもあったし…。
春の終わりに再びリンとサキを掛け合わせ、2000年7月26日4頭の子供たちが生まれてきました。
この夏はとても暑い夏で、出産までの運動を兼ねた散歩はサキにとってはつらいものだったと思います。
それでも彼女はやり遂げ、4頭の子はYで生まれてきました。
どの子も初乳はしっかり飲み、その後はサキの側で寝ていました。
しかしその夜、1頭が急にミルクを飲まなくなり、病院に連れて行くまもなく、そのまま亡くなってしまいました。
私たちは生きている他の子達からの冷たくなったその子を放し、別の静かな部屋で眠らせました。
その頃のサキは1頭抜けてもあまり気にせず、他の子達の面倒を一生懸命見ていました。
でも、サキは気が付かなかったわけではなかったのです…。
彼女はいつまでたっても自分の元に戻ってこない子供に痺れを切らしたのか、真夜中だというのに部屋中を探し始めました。
そして、全く別の部屋にいるその子を見つけ出し、咥えて自分の産室へ連れて行ったのでした。
しかしすでに冷たくなっている子を、いつまでも一緒にはして置けません。生きている他の子供たちの体温まで奪ってしまうかもしれないし、夏なので病気が発生する場合もあります。
私たちは再びサキからその子を取り上げ、庭に埋めてあげました。
その晩からサキの彷徨が始まりました。
夜になると必ず死んだ子を探して、部屋中を探し回るのです。隅から隅まで、何度も…。
私たちに「どこに行ったの??」と目や鳴き声で訴えもします。
サキには子供が死んでしまったというのが理解できなかったのでしょう。いなくなった子をひたすら探していました。
母性が強かったのが、ここで裏目に出てしまったのです。
お産後の血もなかなか止まらず、食欲も食べてはいましたが、前のようにはありませんでした。
そんなことが1週間も続いたでしょうか……。
今度はサキが食べたものを吐き出すようになったのです。
離乳の時とは違い、風邪を引いたときのような吐き方でした。
状況が状況なだけに、私たちはすぐにかかりつけの医者へ連れて行きました。
医者の方でも、サキが出産後ということで、すぐにレントゲンをかけて見てはくれたのですが、そのときには特におかしな所が見つからず、「精神的疲れからきているのではないか?」ということで点滴と栄養剤のようなものを貰って帰ってきました。
私たちもサキは昔からよく吐く子ではあったので、そのときには深く考えず、点滴をしたこともあって安心していました。
しかし、状況はそんなに甘いものでなかったのでした。
サキはその晩再び吐き出しました。
今度は食べ物ではなく、水を飲むだけでも吐き出したのです。それも膨大な量を…。
もらった薬を与えても、それすらすぐに吐き出しました。
それでいて水は欲しいらしく、一度に大量の水を口にします。それでいてその水を5分としないうちに吐き出すのです。
これまでのサキの吐瀉物というのは黄色い胃液のようなものが混じっていましたが、今回に限っては無色透明、飲んだ水そのものが出てきていました。
真夜中だったので病院にも連絡が付かず、朝になるまでサキは水を飲んでは吐き続けました。
私たちはサキを撫でてあげる事しか出来ませんでした。
翌日、早急に病院へ連れて行きました。
病院の方で今度はエコーをかけてみたのですが、その診断は「すぐ開腹手術をしてみないと…。しかし必ず治るかどうか今の段階ではいえません」というものでした。
それを聞いた途端、こちらとしては目の前が真っ暗になりました。
確かにいつもとは違うと感じてはいましたけど、その結果がこんなものだとは昨日までは思っていなかったのですから…。
お昼過ぎからサキの手術は始まり、お腹を開けてみた結果……。
それは医者の手の施せるものではありませんでした。
胃から腸にかけてセメントのような白いものが覆い、すでに機能していなかったのです。
だからあの時飲んでた水もすぐに吐き出していたのでしょう。
そしてそのセメントのようなものはレントゲンには写っていませんでした。
それが出来た理由も判明できません。ただ、サキの場合は小さいときから何でも食べる子だったせいか、コレストロールが溜まりやすい体質でした。
健康診断の時に、食べ物に気をつけた方がいいとも何度か言われました。
その弱いところが、今回の精神的打撃で急激に悪くなったのかも……と、後から思いました。
医者には「もう助からない」と最終宣告をされ、それでも私たちはあきらめられず、わずかな望みでもあるなら…とサキを入院させて、残った3頭の子供たちに泣きながらミルクを与えていました。
「もしかしたらもう一度お産させなけば、サキはもっと長生きしたかも……」
それはその時から頭をかすめた思いでした。…もしもあの子が急死しなければ、こんな急激な病気はしなかったかも…。
しかしそれは今更考えても仕方のないことでもありました。
サキの容態を1時間ごとにビクビクしながら待ち、夕方には病院に面会に行きました。
点滴につながれていたサキは私たちの顔を見ると、「帰る」とばかりにもう動けない体を這ってやってきました。
ゆっくり、ゆっくりと…。もう,吼えることさえ出来ない体で。
私たちは彼女の体を撫でただけでした。それしか出来なかったのです。
後は自宅で子供の面倒を見ながら泣いているだけでした。
でもその時間も長いものではありませんでした。
2000年8月9日。医者からの最終通告を受けたのです。
烽A何も出来ることはない」…と……。
私たちはサキを自宅に連れ帰りました。
彼女が最後に過ごすのに、出来るだけ心地よいものを…、と思っていたのですが、帰ってきた彼女は薬の為、幻覚を見ていたらしく犬の声らしくない「キィーッ!!」って声を張り上げていました。
痙攣に近い体の震えを起こしながら…。
それでいて意識のあるときは、動けない体を引きずって水を飲みに行くのです。
もちろん医者には水を与えるのは禁止されていました。
私たちはサキに水を与えることは出来なかったのですが、少しでも…と思い水を含ませた脱脂綿を彼女の口に何度も与えました。
ほんの何10分かはそれでサキの気も休まるのですが、やはり彼女の飢えはそれでは解消されず、それまで一切口にしたことのなかったリンタロウ専用の水にまで口を出してきたのです。
結果、体が受け付けないサキは、大量の水を吐き出したのでした。
そんな状態が1晩続きました。時間を追うごとにサキは衰弱していきました…。そして翌日、8月10日お昼過ぎ……………。
サキは永遠の眠りに付いたのでした。
たった5年の歳月でした。

(ペットロス)


サキが亡くなった後、私たちは悲しみに沈んでいられる状況ではありませんでした。
なんてったって、まだ目さえ開いていない子が3頭もいたのです。
彼らをサキの代わりに無事に育てないといけませんでした。
特に母乳から粉ミルクに代えた途端、彼らが食欲を一切なくしてしまったのはつらかったです。
いくら栄養価が高いとはいえ、やはり母乳とミルクでは味も彼らの安心感も違うのでしょう。毎日でも増えていかないといけないはずの体重が、最初のうちは停滞もしくは減ったりしていました。
こちらも無理にでも飲ませるために、哺乳瓶ではなく注射器(飲みぐすりを飲ませるもの)使ったり、何度も何度も温め直しながら与えてみたり…、飲ませるときは湯たんぽを置いてあげてみたり(おっぱいを与える時、母犬の体温が上っているため)…、と手を変え品を変えやっているうちに再びミルクを飲むようになりました。
彼らはその後、なんとか無事に育ち、リュウ以外はそれぞれ新しい家庭で幸せに育っています。
彼らの世話をしている間はあわただしくて神経を使うことも多く、気はまぎれているのですが、それでもサキがいなくなった喪失感はなくなりはしませんでした。
特に私の場合は、あの子が我が家に来てからずっと一緒に寝ていたこともあって、一人で部屋にいるのが寂しくて仕方がありませんでした。
またサキにあんな苦しい思いをさせてしまったことが、つらくて不憫でなりませんでした。
その思いは今もまだ残っているし、これからもずっと抱き続けていかなければいけないものなのでしょう。
サキをあんなに苦しめてしまって代償として……。
サキが亡くなって、いくつかの私の精神状態(?)が変わってしまったものが出てきました。
涙もろくなってしまったのです。それも犬に関して…。
まずは、本・漫画・雑誌…。犬が亡くなる場面、子犬が母犬と別れる場面…、こういったものを見ると涙が止まらなくなってしまったのです。それもところかまわず…
私はよく立ち読みをする人間なのですが、こういった場面になると押さえようとしても涙が止まらなくなってしまい、その場を離れなければならなくなってしまった事、10数回…。
特に「盲導犬もの」「捨て犬もの」「ハッピー」…。これらを立ち読みすることが出来なくなってしまいました。
これはそれまでありえなかったことでした。
また、サキが写っているビデオも、いまだ見ることが出来ません。
写真は見ることが出来るのですが、動いているあの子を見るのは…、まだ出来ませんA見たいとすら思えないのです。
見るのが怖いとすら思えてしまうのです。
これらはたぶん、私の中で彼女の死というものの清算が付いていないからなのでしょう。
この状況に変化が訪れるには、まだまだ時間がかかるに違いありません。もしかしたら何年も何年もかかるかもしれません。
でも、それでもいいと思っています。私のサキへの思いにはそれだけのものがあるのだし、あのときの痛みを忘れないことが償いでもあるのだと思うからです。
我が家にはサキの家族が3頭残っています。
彼らのいつかは私たちの元からいなくなってしまうことでしょう。
それでも彼らの最後の時はサキとは違い、「ごめんね。」ではなく、「ありがとう、楽しかったね」と言って別れてあげたいものだと思っています。



表紙に戻る