
18世紀半ば、ルイ15世(King Louis XV)の時代のフランス南部・ジェヴォーダン(the former province of Gevaudan)地方(現在のロゼール県<modern day départment of Lozère<Département de la Lozêre>)で、3年間で100人以上の女子供が殺される凄惨な事件が起こった。最初の事件は1764年7月、ランゴーニュ(Langogne)に住む女が、牛の番をしている時に起こった。一頭のオオカミのような野獣が女に襲い掛かり、傷を負わせた。女は連れていた牛が獣を威嚇した為、一命を取り止めた。女が襲われたとき、飼い犬はその獣に攻撃をしなかった。その獣はオオカミよりも顔が長く、大きな口を持ち、尾は毛がふさふさしていた。そして背中には一本の長い縞模様があった。これがその後、3年間に渡ってフランス中を震撼させた謎の野獣「ベート」が起こした最初の事件だった。



「ベート(bête)」とはフランス語で「動物(animal)」や「野獣(beast)」を意味する。「オオカミ(loup)」を表している訳ではない。つまりベートの被害者や目撃者達はその獣をオオカミだとは考えていなかった事を意味している。その“オオカミのような”獣は、次々と女と子供ばかりを狙い、社会的不安が高まりつつあったフランスに更に暗い影を落とした。当時は1789年に勃発したフランス革命まであと25年という時代で、ルイ王朝も傾き始めていた時だ。特権階級への不満、新教徒への宗教的弾圧など、国民の怒りも少しずつ蓄積されていた。国民の信頼回復の狙いもあって、国王はベートに対して3度に渡り討伐隊を派遣した。1764年11月、最初に派遣されたのはデュアメル(Duhamel)大尉だった。デュアメルは55人のドラゴン(竜騎兵)を引き連れて現地にやって来た。しかしこの地方の農民にとってドラゴン(Dragoon)は自分たち新教徒(ユグノー(Huguenot))に対して改宗を迫った憎むべき相手であり、彼らの為に宿泊の便宜を図らなければいけないのも貧しい農民の生活を圧迫した。カトリック教徒はこのプロテスタントを軽蔑してユグノーと呼んでいた。また、デュアメルの指揮するベートの狩り出しには農民も強制的に参加させられ、その間農作業はストップしなければならず、日に日に不満が募っていった。結局デュアメルは何の成果も得られないまま、お役御免となった。またベートを目撃したデュアメルは、ベートについて「1歳の牡牛くらいの大きさで、胸は豹のようであり、熊のような足に鉤爪があった。体は赤茶色で腹部は白。耳はオオカミのようで、背中に一本の黒い縞があった」と述べた。



一方、農民が活躍したエピソードも二つある。一つは1765年1月12日、12歳のポルト=フェ(Portefaix)少年が仲間の子供たちを助けるために勇敢にベートに立ち向かった話。彼はバイヨネット(bayonet)と呼ばれる農民の護身用武器(先端に短剣を付けた長い棒)でベートを追い払った。また同年3月14日には自分の子供をベートにさらわれそうになった母親がベートに組み付き、子供を取り戻した。母親は病弱だったが、死に物狂いで我が子を守った。さて、デュアメル大尉の後任としてやって来たのは貴族であり、ハンターであるデンヌヴァル(d’Enneval)大尉だった。彼は40年の間に1200頭のオオカミを殺した狩のスペシャリストだった。農民たちの期待は高まり、デンヌヴァルはこのジェヴォーダンで多くのオオカミを捕らえたが、結局ベートを退治する事はできなかった。この間も人間たちをあざ笑うかのようにベートの凶行は続いた。死体の多くは内臓を食い千切られ、首を切断されているものもあった。オオカミは通常人間は襲わない。ただし、戦場の死体を喰らうのは事実で、大きな戦争が起きるとオオカミが増えると考えられた。また、日本でもオオカミが墓を荒らして新しい死体を食ったという話が残っている。家畜の番を日常的に行い、オオカミとも頻繁に接触している農民たちが「ベートはオオカミではない」と口を揃えて言った。ではベートとは一体何だったのか?マスチフ犬説、ハイエナ説から虎と猿の混血説、熊説までみな推測の域を出ない。ベートを追い続けたオオカミハンターのデンヌヴァルは「オオカミではなく、他の何者かである」言い残した。そして、死体の上に衣服が被せてあったとか、農家の戸口に立っていたと言う証言から人間が犯人なのではないか?とする説も有力視された。


王が3番目に遣わしたのは王の鉄砲持ち、アントワーヌ・ドゥ・ボーテルヌ(Antoine de Beauterne)だった。ボーテルヌも前任の貴族と同じように射手を連れ、農民と共に山や森に潜むベートを追った。しかし、王様の狩のお供のように着飾った服で悠々と馬で森に分け入るこの貴族に対し、農民の期待は次第に薄れていった。この間もベートは殺戮を繰り返し、犠牲者の数は増えるばかりだった。着任から3ヶ月の間に何の成果も挙げられないボーテルヌは遂に一計を案じる。1765年9月21日、彼は遂にベートを仕留めたと宣言する。それはサント=マリ=デ=シャッズの王立女子修道院(Saint Marie des Shazes Convent)付属の森で、ベートを射殺したと言うものだった。森で射殺されたのは、体重約65キロ、体高約86センチ、体長約1.7メートルのオオカミで、これこそベートに間違いないと断定された。ちなみに平均的なシンリンオオカミの大きさは体重が20〜80キロ、体高68〜97センチ、体長1.6メートルである。射殺されたオオカミはベルサイユ(Versailles)の王の下に送られ、ボーテルヌは賞金を手にした。確かにこの事件から数ヶ月はベートの凶行は止んだ。しかし、多くの人間がこの偽りの勝利に疑問を抱いていた事もまた事実だった。


ボーテルヌが去ってから後の12月、少年がベートに襲われた。少年はベートについて「背中に一本の縞があり、脇腹には黒とこげ茶色の斑点。尾は太くて長く、頭は平べったく、首が太かった」と証言した。ベートの凶行がこの後再開されるのだが、1767年6月19日、事件は突然終わりを告げる。居酒屋の主人であり、猟師でもあるジャン・シャステル(Jean Chastel)がベートを仕留めた。シャステルは謎の多い人物とされてきたが、少女マリ・ダンティの惨殺事件をきっかけに、農民と共にベート退治に乗り出していた。そして彼がヴレー地方での狩の時、聖母マリアの連禱(れんとう)を呼んでいると目の前にベートが突然現われた。そこで聖別した弾丸でベートを仕留めた。それは体重54,5キロの茶褐色のオスのオオカミだった。このオオカミもまた、パリに送られたと言う。今回のシャステルの話も前任のボーテルヌが仕立てた偽のオオカミの話とそっくりだ。しかし、これ以降、ベートが姿を現すことはなかった。


ベートとは一体何だったのか?オオカミ?他の野獣?人間?神が遣わした超自然的なもの?全ては憶測の域を出ない。以前NHKで放送された『ジェヴォーダンのミステリー』という番組では当時の資料(ベートの頭骨のスケッチ)から、マスチフ犬とオオカミの混血という一つの結論を出していた。ハリウッド映画『ジェヴォーダンの獣』で描かれたベートはライオンのような獣だった。ベートが恐慌をもたらした現在のジェヴォーダン地方にはオオカミを飼育する動物園がある。フランスでは野生のオオカミは駆逐されたと言われていたが数年前、フランスにオオカミが現われて話題となった。近隣の国から来たらしいが、何者かによって射殺された。日本と違い、牧畜が盛んだった中世ヨーロッパにとってオオカミは家畜を襲う害獣であった。しかしこの人間を次々に襲ったベートは歴史の中でも特異な分野に属する。これから新しい資料や証言が出てきて謎が解明される時は来るのだろうか?興味は尽きない。

♦参考資料
『ジェヴォーダンの人食い狼の謎』 (東宣出版) トップページへ→
『オオカミ―神話から現実へ』 (東宣出版)
『狼と西洋文明』 (八坂書房)