ウチのおやぢのお年玉史
黒澤五郎中國 編
兼尾家お年玉調査会 監修
西暦
1964 おやぢ誕生
1965 7カ月のとき、おやぢのおやぢが心中をはかり、養父母にもらわれる。
1967 おやぢ、お年玉を認識する。
年始に訪れた養父の会社の従業員が、「坊ちゃん、お年玉を」と言いながら、おやぢに五百円札入りのお年玉袋を手渡す。
その後、訪問客全員がお年玉を手渡してくれ、おやぢ驚喜。
生後初の「五百円、千円札祭り」を行う。
その後、おやぢは養母に対し、お年玉の交付を要求。
養母の答弁趣旨。「お年玉は郵便局の定額貯金にします」。
養父、そのやりとりを知らず、おやぢに五千円札入りのお年玉袋を交付。
直後、養父母間でテポドン、スカッドが飛び交う1967年初の紛争が発生する。
1967年初の郵便局営業日、おやぢのお年玉はすべて定額貯金に預入される。
爾後、おやぢのお年玉は定額貯金に全額預入が原則となる。
1978年末 養母 お年玉制度廃止を宣言。
宣言趣旨。「14歳なれば元服の年齢。お年玉など不要、自分で稼げ」
おやぢ、即時抗告をするものの、却下される。
1979年 1月1日〜3日
キレたおやぢ、親族巡りを敢行、お年玉を取得。
しかしながら、お年玉の運用方法を思いつかず、全額を郵便局の定額貯金に預入してしまう。
1980年
おやぢ、1月1日〜3日に親戚回りを敢行。その際お年玉を辞退し、「志望校に合格すれば3月に祝い金を.....」という内容の契約を全親族と締結。3月に数十万円を取得。その金員を用い、上京。松田聖子と握手。その後、YMOツアーに行く。このような調子で春休みを遊び倒し、高校入学後の最初の平常考査で0点を取る。
1980年末 おやぢ、新聞配達などバイトを開始。
お年玉などという不労所得は悪なり.....と、自分に言い聞かせる。
以後、お年玉に関する行事は行われず。
1986 おやぢ結婚
1987 夫婦で新春結婚祝金回収ツアーを敢行。
おやぢ、その資金を生活費とし会社を辞める。
1989 長男豚太郎誕生
おやぢ、1月中旬生まれについて、「どうして年末に生まれなかった、お年玉がもらえたのに.....」とコメント。親族一同、まばらに出産祝い金をおやぢに交付。おやぢ、健康保険の出産祝い金をおかんに隠匿し、釣り竿を購入。(数年後発覚。紛争が発生し、おやぢ無条件降伏)
1990〜92 長男、お年玉を認識せず
1993 長男、お年玉を認識
おやぢ、長男に対しコピー用紙に500円と書き込んだ紙を交付。
その後、長男がその500円紙を近所の駄菓子店で行使しようとして、おやぢとおかんが店主に陳謝。
1994〜1999 おやぢ 長男にお年玉を現金にて交付
子供のいない親族をねらい、おやぢとおかんがお年玉回収ツアーを敢行。お年玉はおやぢが回収し、これを原資に長男に現金交付というのが真相。
長男、お年玉を現金で貯金箱に保管。毎年末には、貯金箱の中がおやぢの借用証で一杯になっているのが恒例だった。おやぢの債務不履行分は養母が代位弁済。
2000 おやぢ 長男のお年玉から金1万円を手形で借り入れ
おやぢ、長男に手形制度を説明し、私製手形で金1万円を長男から借り入れる。
しかし、2月末日の交換期日におやぢ、不渡りを出す。交換場所は養母の財布。
長男、養母に代位弁済を請求するが、却下。長男、養母から手形債権の時効は3年と教えられる。
その後、養母の斡旋により、おやぢ・長男間で和解契約成立。おやぢ、一時金7000円を長男に支払い、1日10円ずつ返済することを約束。
しかしながら、おやぢは再度債務不履行。おやぢ、ミレニアムモラトリアム宣言を行うも長男拒絶。
12月24日、長男、貸付金請求を実施。 翌朝、おやぢ、長男に対し金3000円を弁済するも、損害金を踏み倒す。
2001夏 次男誕生
おやぢ、「またお年玉回収ツアーだな」と、コメント。
2002 おやぢ 次男をネタにお年玉回収ツアーを敢行。
「ボクは同じようなパターンでおやぢの小遣い銭稼ぎのダシにされたのではないか?」との疑念を長男が表明。おやぢ、次男に交付されたお年玉の中から金1万円を長男に交付。疑念を打ち払う。
2003正月
おやぢ、次男をネタにお年玉回収ツアーを実行予定。長男、企画に参画。養母、おかん、長男の行動を黙認。次男、2002年12月以降、お年玉回収予定者向けの芸を猛練習中。
長男のコメント。「お年寄りは赤ちゃんの笑顔に弱いからねえ」。おやぢ、不気味な笑い。
兼尾家お年玉史 完
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