2 あしかとお薬




これはアシカが1才になるかならないかぐらいの話である。

生後、2ヶ月半で我が家へやってきたアシカは体重が1.07sしかなく、
その存在のか弱さに不安を覚えたものだった。が、周囲の心配をよそ
にアシカはちゃんと生き続け、毎日ご飯を食べウンチをしを繰り返し、
たっぷりの愛情の中でスクスクスクスク大きくなって、か弱さが懐か
しくなるぐらいにまでたいした病気もせずに元気に育った。

ここでのポイントは健康体であるということ。
たいした病気をしないということは犬にも飼い主にもそれはとても幸
せなことだ。なんせ獣医に行く回数が極端に少なくて済む。なにもさ
れなければ犬も病院を怖がることもない。お金もかからなければ、連
れてくも全然楽ってもんだ。もっともアシカはとりあえず小型犬なの
で、ひょいと抱き上げてしまえばそれまでなのだが。

そんなお気楽な飼い主とアシカにとんでもないことが起こったのは、夏の
フィラリアのクスリを貰いに病院に検診に行ったときだったと思う。

アシカは常にめん玉が濡れている。子犬ときからずうっとそうだったので、
あまり気にせずにいたら、それは涙腺の異常によるものだということが判
明した。鼻面がちまっと詰まっていて、顔が急カーブの犬にはよくあるこ
とらしい。つまりしゃくれ顔系な犬。パグやマルチーズ、シーズーのよう
な系統の小型犬の目玉が濡れているのはそのせい。なんでも涙腺がきれいに
鼻と繋がってないらしいのだ。だからたまった涙が溢れ出てしまう。らし
いのであるが、詳しいことは忘れてしまった。

まあ、たいした病気ではないのだが、常に目の周りが濡れていると、皮膚
も炎症が起きるし、目にもよくない(らしい)のでこの際手術しましょうと
言われ、アシカはご宿泊付きの手術を受けることになった。

術後、しばらくお散歩禁止令などを交付され、アシカは数日分のクスリと
共に多少麻酔のせいで不明瞭な意識で退院してきた。喜んだのもつかの間。
それは、ほどなくして起こるアシカにとってもA子にとっても、トホホな
状態に陥る幕開けでもあったのだった。

アシカはワンパクでもやんちゃでもパワフルでもとりあえずは家族の言う
ことをそれなりに聞く素直でいい子だ。否定する者も多いが、家族はそう
思っている。これまでそんなに反抗的な態度をとられたことはない。

そのアシカが病院で貰ったクスリを飲まないという。小指の爪ほどの小さ
な錠剤なのだがこれをガンとして飲まないのだ。フィラリアの薬は全然
嫌がらずに飲むくせに、この薬だけはどうしても受け付けない。

困った私達は最初餌に混ぜで飲ませてみた。案の定ぺろりと食べた。さす
がは犬。騙されてやんの。楽勝だと思った私達をよそに、次の食事時、ア
シカは薬だけをコロンと皿の中に残し、満足そうに勝ち誇ったようにフフ
フンと笑った(ような気がした)
そこで今度は彼女の大好きなチーズに埋め込んで与えてみた。やはりそれ
も最初だけで、あとは見向きもしなくなった。このチーズによるアシカの
不信感はかなりのもので、しばらくはチーズを見せるとかなり疑わしい目
つきで匂をかいでいたのを覚えている。

食べ物に混入させるのは無理だと感じた私達は、多少時間がかかるが口を
こじ開け直接飲ませることに決めた。人間も犬も戦いながらの投薬である。
しかし、本当にクスリを飲むのが嫌だったアシカは、クスリを持つ人間を
見ると、すかさず自主的帰宅をし、呼んでもそこから出て来ない状態になっ
てしまった。普段ならハウスと言われない限り、元気な状態では滅多に入り
込まないケージに閉じこもってしまったのである。相当な反抗である。私達
は無言のストライキを起こされてしまったのだ。

はっきり言ってこれにはかなりショックを受けた。たかだかちっこいクスリ
の為に、今まで培ってきたアシカとの信頼関係がいともあっさり崩壊させら
れるのは凄く悔しいことである。既に術後数日は経過していて、アシカは狭
い家の中でも走り回って逃げるほど元気だ。

私達は彼女の様子を見て、クスリの服薬をやめた。

その後、なんとか不信感を捨て去ったアシカはようやくケージから出て、普通
の生活に戻っていくのだが、そんなアシカを見てふといたずら心を持ってしまっ
た悪魔のような私が、とんでもないことをしてしまうのである。

クスリの傷もそろそろ癒え始めた夕食後、私は彼女をおもむろに膝に抱えながら
優しく撫でてその手を口に入れる振りをしたのだった。勿論、手には何も持って
いない。ちょっと、ほんのちょっと、魔が差したのである。クスリを入れる振り
をしてしまったのだ。

彼女は突然の行為に驚き、そのまま無言で膝から降りて、再び自主的帰宅。ケー
ジのすっみっこにちょこんと座り、恨みがましい目でいつまでもいつまでも私を
じっと見上げていたのが忘れられない。

「アシカちゃん。ごめんねえ」

などと言ってもう遅い。ジャーキーを差し出そうが、肉を見せようが、所詮は後
の祭り。それからアシカは私がどんなにご機嫌を取ろうとも一言も口を利くこと
はなかった。私の姿を見るたびにケージに消えていく後姿を見て、かつてない程
の後悔が胸を占めた。

勿論アシカとの信頼関係(仕従関係?)は程なくして復活するのだが、それはか
なりあとになってのことである。

私が胸に抱いたアシカを感じながら、二度とアシカを騙したりはしないと心に硬く
誓ったのは言うまでもない。

が、なぜかまた、ケージに閉じこもるアシカに向かって媚びるように謝る私の
声が聞こえるのである。

「ごめんよぉ、あしかちゃぁん。もうしないからさあ、出ておいでよぉ。お願い、
いい子だから。ね、あしかちゃ〜ん。愛しているんだよぉおお」



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