ニャーピーのこと

(2001年12月11日午前12時28分〜1時頃記述)
 今から約2日前2001年12月9日午前1時頃にニャガ子は死んだ。あまり悲しいので早く昔の記憶にしたいのだが、記憶に変ってしまうことさえ、悲しみの気持ちが消えてしまうこと自体が悲しいので、今のうちに感触として残っていることをメモしようと思う。
 いま午前12時33分、丁度2日前の今ごろは僕が睡眠から一時さめて布団から出た頃だと思う。風呂に入ろうとする僕に、ニャーピーはいつもそうするように風呂の入り口までついてきた。脱衣場の中でひっくり返って爪でちょっかいを出してくるので困るのだが、そのときは圭子が一緒に来てニャーピーの気をそらしてくれている間に風呂場に滑り込んだ。いつものニャーピーとの暮らし。あんなことになるとは全然思いもしない特別幸せを意識するでもない普通の暮らしの延長だった。
 約15分程度だと思う。風呂からさっさと上がり頭を拭いている時に圭子が呼ぶ声が聞こえた。「てーにゃが、てーにゃが、ニャーピーが、ニャーピーが」そんなような言葉だったと思う。ニャーピーに何かあったと悟り、コタツをずらしている圭子のところへ行くと、こちらへ頭を向けて目をむいて右肩を下に倒れているニャーピーの姿が見えた。見えた瞬間口が裂けて怖い顔になり「シャー!」っとうめいたように思う。今思うとそれが死んだ瞬間だったのだと推測される。正確な時間はわからない。

 すぐに僕はニャーピーに死が訪れたんだと思った。目をむき、舌がだらんと出ていて全く動かなかったから。でももしかすると何とかなるかも、というよりも何にもしないと後で後悔すると思い、圭子には「ニャーピーのそばにいて!」と言っておき、電話帳をひっくり返し獣医に3件ほど電話をした。圭子がこのときどうしていたか分からない。この時点ですでに泣いていたような気もする。僕はこの時点ではニャーピーは死んだと思ってはいたが悲しみの感情が沸いてこないことに不思議だなと思っていた。電話にはどこの獣医も出ない。
 もう死んでいると心の中では思ったがニャーピーの所へ行きコタツのうえに持ち上げて心臓マッサージの真似事もしてみた。人間の蘇生の講習では数分間は大丈夫と聞いた記憶があるので、気を取り直してやってみたが心臓がどこにあるのかも自信はなかった。のどに何か詰まっているのかもと思い胸を持って口を下にブランブランと激しくゆすってみたりもした。だめだった。かわいそうなのでそっとしてやりたかったが諦めたくもないので(A)


(2001.12.12.0130AM)
コタツの中に足を入れる時に、食いつかれてしまわないようにそ〜っと足を入れる。コタツの中で座布団やコタツ布団が足に触れると、食いつかれないかと思いほんのすこし緊張がある。戸を全部は締め切らず10センチくらいあけてしまう。でもニャーピーはいなくなってしまい、それが全くの杞憂だという事にすぐさま気づく。今はそう言う瞬間が多い。
今現在骨になったニャーピーはとなりの寝室で寝ている圭子の枕もとにいる。「ニャーピーは火葬で変身して家に帰ってきた」と言うのが今の2人の基本的な認識で、そう考えると悲しみが半減するのではないかと思って僕が考え、火葬前に圭子に繰り返し伝えた。
いつしか自分自身の気持ちの中でもなんとなく本当にそのような気分になった。ニャーピーはここにいる、でも姿は見えないし触ることもできない。もしかするとニャーピーの心は宗教が言うようにどこか異次元(あの世)に遊んでるかもしれないし、完全に消滅してしまったのかもしれない。あの世とか霊とか全く信じない僕に似会わないが、そんなことを本当に考えながら「ここにいる説」以外の可能性をあまり考えないようにしながら過ごしている。「ここにいる説」以外の可能性を考えた時に涙が出そうになるのが今の状況だ。

 いま、コタツ布団に接している足にピクピクするのを感じた。次の瞬間、それはコタツの中のニャーピーが中からちょっかいを出しているのではなく、単に自分の足が脈打ったことに気付き悲しい気分に少し襲われた。そんなことの繰り返し。
 明日は職員研修に1日立ち会わなければいけない。いまもう2時30分、寝なきゃいけないが寝つかれない気がする。昨夜は布団に入ったあとしばらくの間、自分で描く想像と夢の中間のような映像を見ていた。狭い路地の上、地上1メートルを飛んでいる僕に電信柱や塀の上にいるたくさんのニャーピが鳴きかけてくる。青く光るシャープできれいな目がこちらを見上げ、抱いて欲しい、なぜて欲しい、と声を発したり、口だけ鳴く形にしたりして訴えてくる。リアルなニャーピーの姿を忘れたくない僕はその風景をもっと見ていたい気がしたが、胸がどうにも重くなって、目を覚ますことにした。目を覚ましてしばらく胸の重さが軽くなるまでしばらく起きていることにし、となりの圭子の寝息を聞こうと努めたり、枕もとにいるニャーピーの骨袋をなぜたりして、現実感を取り戻し再びあの映像にさいなまれないようにしてから目を閉じた。わりとすぐに寝付いたようだ。

(A)からのつづき・・・・
服を着て2人で近くの岩滝動物病院へ連れて行くことにした。僕が腕に抱き、圭子は財布を入れた手提げ袋を持って。出かけるときに「(猫が)寒くないかな」と僕が言うと圭子が猫用のタオルでくるんでやった。そのときには全く力の入っていないクッタリした身体で目はすでに閉じてやっていたと思う。エレベーターで1階に降り、ずいぶん寒くなったぺディストリアンデッキを渡って産文センター横の岩滝動物病院へ行った。途中4キログラムほどの猫が重く感じたが家に帰るまで我慢しようと思った。
 居宅と思われる病院の2階には明かりがついていた。多分1時30分頃だと思ったが圭子が3回呼び鈴を押し、3回目にだれかがインターホンに出た。「夜分恐れ入ります。うちの猫が急にぐったりして動かなくなってしまったんです。見てもらえませんか?」そんな風に圭子は言っていた気がする。相手の返答は、獣医師が留守で対応できないとのこと。断る言い訳に過ぎないとも思ったが怒りはなかった。獣医師一家の家庭防衛策として当然かもしれないと思った。
 圭子が気が済むならタクシーでもう一軒行こうかとも思ったが僕は「帰ってあったかいところに置いてあげよう」と提案した。すぐさま圭子も同意した。僕はニャーピーが復活しないと思っていたし多分圭子もそう考えていたように思う。家に帰ってからしばらくのことはよく覚えがない。そのあたりから急激に悲しみが襲ってきたのかもしれないが、実の所悲しい気持ちがいつから発生したのかは今わからない。覚えているのは獣医から帰宅したあとはニャーピーの死が2人の共通認識となり、どのような経緯をたどったのか判らないが、ニャーピーが好きだったようにコタツに入れた膝の上に寝かせ、2人で代わる代わるなぜていたことだ。多分この状態を夜中の2時から4時くらいまで続けていたと思う。
 途中2時半くらいに僕が「死んだのは1時くらいかな〜」と言った。「圭子は12時くらいじゃない?」といったと思うが、医者へ行ったことやコタツでなぜていた時間等が1時間半くらいだったよね、ということで1時くらいに死んだことに結論づけた。僕のもう少し厳密な感覚では医者から帰って来たまでの時刻はこれまで書いてきたのより15分くらい遅かったんじゃないかと言う気がする。とすればニャーピーが死んだのは1時15分くらいだったのではないかと思うのだ。でもそんなことはそのときはどうでも良かったし、いまでもどうでもいい。

(2001.12.16.02:37)
ニャーピーはよく布団の上に乗ってきた。秋から春にかけては圭子の布団の中で、春から秋にかけては圭子の布団の上で寝ているのだが、僕が布団に入るとすぐに、圭子の布団から起き上がってきて、布団を踏む音がざ、ざ、ざと数歩聞こえたあと、僕の胸に細い足が置かれるのがわかる。最近はよく鳴くようになって、僕の頭の近くまで布団を踏んで歩いてきた後、ニャニャっと鳴いた。ニャーピーが僕の布団に入るのは仰向けになった僕の左脇の下と決まっているので、左側の布団をめくって入れてやる。圭子の布団では入り込んでから大抵ザリザリと身体を舐めて、すぐに寝入るのだが、僕の布団では滅多に寝入ることはなかった。僕のわきの下に位置すると同時に、グルグル、グルグルといわゆる「のどを鳴らす音」が聞こえる。10分くらいそうしていて、グルグル音がとまったと思うと、いきなりザザッと音を立てて布団から飛び出す。そのまま圭子の布団へ言って朝まで寝ることもあったし、台所へ行ってガリッガリッとカリカリ(ドライフード)を食べていることもあった。イキナリ布団から飛び出さないときには僕の左側の枕に両手を置いて、前方を何となく見ていることも多かった。そのときには僕も左向きに横寝姿勢となりニャーピーの柔らかい腹に顔を埋めて毛ざわりを味わった。ニャーピーが気にしてこちらを向くと、ひげが顔をくすぐり寝れない。しばらくそうしてから、ニャーピーが去ってから、姿勢を仰向けに戻して僕は眠りについていた。
たまには僕の布団の中で眠る時もあった。居心地を正すようにもぞもぞと動いて、特に寒い季節には僕のわき腹に鼻をくっつけていた。そういうときはグルグル音も止まっていたように思う。とにかく僕に鼻をくっつけるのが好きで、ひんやりした鼻面が手や足にじかに触れるとこちらは眠れない。それを僕らは「冷たい鼻攻撃」と呼んでいた。また枕に限らず、高さ数センチのものに両手を置く姿勢が好きだったのでニャーピーのことを「段差マニア」とも呼んでいた。

2001.12.24.0242
ニャーピーが死んでから15日が経つ。あれからニャーピーのデジタル写真をヤフーのフォトアルバムに全部アップした。最後に撮った写真は、圭子の背負ったリュックサックにニャーピーが入っている写真で、そのシリーズの最後の写真、リュックサックから飛び出るシーンには1:06の表記がある。カメラの内蔵タイマーが正しければ、僕が風呂に入ったのが1:06以降で、従ってニャーピーが死んだのは1:30か、もしかすると2時近くかもしれない。

ニャーピーはたくさんのあだ名を持っていた。前述の「段差マニア」は段差が好きだから。その他に「ウケケ星人」というのもあった。ニャーピーは猫らしいニャオーという鳴き方はあまりしなかった。僕が何か話し掛けると、「ミッ、ミッ」という形に口を開くだけで声を発しない場合もあったし、僕らの耳にウケケケ〜、と聞こえる鳴き方をする時もあった。圭子が東京の実家に行ってる時などは、何かを探すように家の中をあっちこっち小走りに走りながら、比較的太い声でにゃう〜にゃう〜と引っ張るような泣き方をすることもあった。だんだん鳴き声の記憶が薄れているような気がする。そのうちにあの猫がどんな声だったのか、自信がなくなってしまうだろう。