愛猫記 マロとパイ 土屋北彦




愛猫記 マロとパイ 土屋北彦

 一九九六年七月二十六日、我が家に猫が来た。生後一カ月のアメリカン・ショートヘヤーの牡猫で、名前は「マロ(麿)」と言う。この名前は大学一年生の孫実香穂が命名した。牡四匹、雌一匹が同腹から産まれ、牡一匹は友人の家に、二匹は業者に引き取られ、雌は娘の家に飼われている。
 マロは家に来た当座は落ち着きが無く、片時も動きやめないで、私や家内の手や足に噛みついた。人が来るとすぐ何処からともなく飛び出して来て、その人に噛みつく。俳人の松井舟月女史は「この猫はマロはマロでもガサマロだ」と決めつけた。舟月女史の家にも灰色の大きな牡猫が居る。体重は八キロもあると言う。名前は「ヒースクリフ」と付けている。娘さんの命名だそうな。「嵐が丘」主人公の名前から取ったのだろう。長すぎるので「ヒース」と呼んでいる。舟月女史はヒースに綱を付けて散歩に連れていく。大きなヒースから引っ張られて、逆に散歩させられているようだと、家内が陰口を言っている。時々私の家にヒースを連れてくると、マロは成猫並に背を丸めて威嚇する。
 三カ月ぐらい経つと、マロは家に馴れたのか、余り噛みつかなくなった。ガラス戸の前にじっとかがみ込んで、外を見ている。ある日の新聞に(「アメシヨー」は外が好き、時々は外の景色の中に入れてやりましょう) と書いてあった。猫も家の中ばかりに閉じこめられてはストレスが溜まるのだそうだ。
 早速裏庭にマロを連れていって、柿の木に登らせてみると、細い枝にまで掛け登って小鳥の姿に注目している。木からは降りようともしない、ある時足を滑らせて、木から落下した。猫は落ちるとき空中で回転して、うまく足で着地する。ところがそれ以後、木に登らせてもすぐ土の上に降りて、庭を走り回るようになった。それも日一日と範囲が拡大して、隣の畑に入り込むようになった。猫は足が速くてなかなか捕まらない。その上すぐ狭い場所や土管の中に隠れるので探すのが一苦労である。
 最初は「マロ、マロ」と呼ぶと顔を出していたが、次第に私の声には見向きもしなくなって、遠方を走り回っている。道に走り出て交通事故にでも遭ったら大変だと、家内と相談して、可哀想だがもう外には出さないことにした。
 私は夜寝付きが悪く、その上熟睡できないので、家内とは別の部屋に寝ている。家内も眠れないと言って、夜十一時過ぎまでテレビを見ている。マロはその側で寝そべっている。眠っていることもある。家内が床に就くとその布団の上で寝ているが、夜中にいつの間にか私の布団の上に来て寝ている。気が付いて「マロ、おいで」と声を掛けると、眠そうな目をしながら私の襟元に忍び込んでくる。グルグルと喉を鳴らしながら私の身体にすり寄って、身体を回転させながら居心地のいい状態になると、静かになる。だがいつの間にか抜け出して布団の上に行く。
 我が家では四十年程前にも猫を飼っていた。「チコ」と言う雌猫と、それが死んでからは「プー」と言う牡猫だった。どちらも日本猫で、放し飼いだったから、今度のマロのような交流はなかった。外から泥の付いた足で畳に上がってくるので、猫は可愛いと言うよりも汚い臭いと言うのが実感だった。チコは雌猫で、家に飼っている十年くらいの間、年に二回ずつ数匹の子を産んだ。子猫が産まれると、目の開かないうちに処分した。紙袋に入れて前の川に流すのである。その役はいつも私だった。チコに対する愛情は格別になかったから、大して罪悪感はなかった。それでも子猫が袋の中でゴゾゴゾ動く時は、多少のとまどいもあった。
 プーは牡猫のくせに気が弱く、いつも喧嘩に負けて身体から血を流して帰って来た。家内はそのたびごとに棒で近所の猫を叩いた。その猫がプーを痛めつけた相手とは限らないのに、そうでもしなければ家内は気が収まらないようだった。十年位してプーが死んだとき、家内は数日間泣き続けた。私にはそうした家内の気持ちが理解出来ず、たかが猫の死に対して大げさなことだと思って冷笑した。「そんなに悲しむのなら、今後は一切猫を飼わないようにしよう」と私は提言した。
 だから今度のマロを飼う事についても私は反対だった。しかし、この半年マロを飼ってみて、今では私はマロにメロメロである。子よりも孫よりも可愛い気がする。夜布団の中にすり寄ってくるときは、抱きしめてやる。暖かいマロの体温が私の身体に直に伝わってくるとき、私は言い様のない幸福感を覚える。
 友人の川村氏が遊びに来て、「今は猫の発情期らしい。家の裏に毎晩数匹の猫が集まって大声で唸るので、うるさくて眠られない」と言う。近所には猫を可愛がっている家が多く、隣の中村の家には四匹も飼い猫が居ると言う。出来た子猫を捨てきれずに、みんな飼っているのだそうだ。前の中野の家にも三匹の猫が居る。一匹の猫は盲目で、子のない中野夫婦は、特別に愛情を注いでいて、毎日猫を肩に乗せて堤防の上を散歩している。これらの飼い猫のほかに数匹の野良猫が居て、共有地帯を持っていて、川村家の裏がテリトリーの中心らしい。「家の裏ならまだしも、時々は家の中に入ってきて、部屋を荒らすし、台所の物をくわえていく、叩いてやろうと思っても敏捷で側に寄れない、困ったものだ。可愛がっている飼い主に苦情を言うわけにも行かないし」とこぼす。
 マロと一緒に産まれた牡猫で、一番毛並みがいい猫が神崎敬都美と言う日本舞踊の師匠の家に飼われている。名前は「ミユ(美雄)」という。本人は出稽古に行くし、旦那と女・男の子はそれぞれ勤めに出るので、昼間ミユは玄関の部屋で檻に閉じこめられて暮らしている。檻の中には餌と水と猫の砂が一緒に入れてある。「まるで独房のようだ」と家内は言う。
 ミユはマロと比べると、顔も可愛いし、白黒の模様もはっきりしていて、いかにも純粋種のアメショーと言った感じである。しかし、常に閉じこめられているためか、檻から出すと一時も動きやめない。高いところに走り上がったり、誰彼無く噛みつく。マロと同じ腹から出ても、環境が変わればまるで性質も変わってしまう。体重も三キロくらいしかない。「ミユは貝殻のような綺麗な模様のキンキンが着いているのよ、これを取ってしまうと格好が悪いわ、でも、このごろさかりが着いたのか、変な声で啼くのよ」と師匠が言う。
「そう言えば、うちのマロも時々変な声を出すことがある」と家内が言う。私も気になって『かわいい猫の育て方』と言う本を買ってきた。「猫の幸せを考えて、不妊手術のすすめ」の項目を呼んでみると、「外出の許されない飼い猫を部屋に閉じこめて、性衝動を我慢させることは残酷と言えないであろうか」と書いて、牡猫の去勢を奨めている。
 かかりつけの阿部犬猫病院に電話してみると、半年以上に成長すれば去勢は可能だと言うことである。マロの体重は三.八キロ、発育はよい方である。去勢したものかどうか、私は思い悩んだ。人間と動物とは勿論違うであろうが、男にとって性を失うと言うことには忸怩たるものがある。
 先年トルコのイスタンブールに旅行したとき、トプカプ宮殿を訪れた。ハレムの宦官の宿舎で去勢された人間の歴史の跡をまざまざと見せられて、私は深い感慨にとらわれた。現地案内人の説明によると、「当初、宦官はコーカサスから連れてこられた白人ばかりだったが、後に黒人宦官が登場し、ハレム内に於いて二つのグループが鎬を削るようになった。そして黒人グループが優位に立つようになり、アフリカで去勢された黒人宦官がイスタンブールへ連れてこられた。ある者はペニスと睾丸を、ある者は睾丸だけ、ある者はペニスだけ去勢された」と言う。
 昨年の十二月、北京の紫禁城を訪れた。その時城内で購入した冊子に「太監(宦官)」の項目があった。「太監とは、去勢によって 性的能力を喪失した人を指し、中国の皇帝専制と古代宮刑の産物である。去勢手術に用いられる刀は、火であぶって消毒する。手術は非常な苦痛を伴い、手術後は尿道に管を通す。そうしないと尿道が完全にふさがって、尿が排泄できなくなり、もう一度手術が必要となる。したがって性殖器を切り取った後、すぐには傷口を結合せず、百日かけて膿を出させて肉芽を伸ばし、始終薬を付け替える。。手術を受けた者はオンドルで仰向けに横たわっているしかなく、四カ月後に宮廷に送られる」との生々しい記事が目に入った。
 そうした先入観があったからであろうか、マロを去勢することには強い抵抗感があった。家内と論争の挙げ句、結局マロの将来のために成るとの結論になって、去勢することに踏み切った。二月十二日のことであった。
 病院までの約三十キロ、車の中でマロはいつになくおとなしかった。家内の膝の上や、私の胸の前で静かに車外の風景を見ていた。以前予防注射に連れていったときは、車の中をあちこち動き回っていた。それに比べると、雲泥の差だった。「何か感じるのか知らん」と、家内は気味悪がった。
 人の話では、猫の手術には飼い主が立ち会って、手足を押さえるのだそうだ。だが実際には立ち会いは無用だった。マロは麻酔を打たれてすぐに檻に入れられた。「五時間ほどしたら来て下さい」医師は簡単に言った。
 時間待ちの間、娘の家に行った。マロと同時に産まれた「アイ」という雌猫が居る。大きさはマロの半分くらいしかない。産まれたとき未熟児で、その後もそれが糸を引いているのか、発育が悪い。「アイは雌で去勢がいらないでいいな」と私が言うと、「雌は不妊手術をしなければならないから、マロよりも金がかかる」とのこと。
 娘北実の家には、アイのほかに飼うて数年になるチンチラの「レオ」がいる。去勢を済ませた牡猫で、体重は六キロくらいある。一日中部屋の隅で寝ていて、アイがじゃれかかっても無視している。余りうるさいと、「ガオ」と吠えて威嚇する。ドアのハンドルに飛びついて戸を開けて出てくる。昨年暮れ、私たち夫婦が中国に行くとき、娘の家にマロを預けた。旅のホテルで、「マロはどうしているだろうか」家内がうるさく言うので、毎晩娘に国際電話を掛けた。「大丈夫、元気に走り回っている」返事を聞いて、私たちは安心して就寝するのだった。マロの夢をたびたび見た。夜中に目が覚めて、側にマロのいない寂寞感を覚えた。帰りの飛行機の中では、マロに会いたくて走り出したいような切迫感におそわれた。「もう夫婦で旅行には行かれないな」家内も頷いていた。
 一週間後、マロを迎えに行った。心なしか痩せたように見えた。髭が二・三本折れていた。おそらくレオからやられたのだろう。娘には黙っていた。家に連れて帰ると、よほど緊張が続いたらしくグッタリして、以後丸二日間眠り続けた。そんなことがあったので、娘の家の二匹の猫には、余りいい印象がない。レオの金色の目は嫌らしく見えるし、アイのこましゃくれた顔はずるそうに見える。
 そんなことを考えながら、夕方家内と二人でマロを迎えに行った。マロは「ニャン」と小さく啼いて檻から出て来た。「猫の手術は傷口を縫い合わせず、開いたままにしておく」と医者が言う。太監の記事を想い出して「治るには時間がかかるのか」と尋ねてみると、「次の日には傷口はふさがる」とのこと。昔の時代と違って現代では麻酔も発達し、化膿しない薬もあるから、その点では安心だが、去勢されたマロは心なしか恨んでいるような目をして私を見た。
 帰りの車の中では、マロは身じろぎもせず家内に抱かれていた。「死ぬのではないだろうか」「馬鹿な、去勢ぐらいで死ぬもんか」そう言いながらも私も不安だった。家に帰り着くと、マロはすぐいつものように電気ごたつの中へ潜り込んで、昏々と眠り続けた。
 夜十一時過ぎ、家内が私の部屋にマロを連れてきた。マロは何事もなかったかのように私の布団に潜り込んできた。私は思わず涙が出そうになった。可哀想なマロ、男性を失ったマロ、私は自分の性の喪失を思った。
 去勢されてからのマロは、急におとなしくなった。餌を食べる量も少なくなったような気がする。それに寝ている時間が前よりも多くなった。「手術しなければ良かった、マロ御免ね」家内はマロに謝っている。「今更どうなるもんか、元々猫は『寝子』で、一日に十四時間くらいは寝るのが普通だと本に書いて有るよ」私も今になって後悔している。家内と話し合ったとき、何故もっと強く反対しなかったと悔やんでいる。
 猫と人間との関わりは、二千年を越えているらしい。リビア山猫と言う原種の野生の猫が飼育されて次第に変化し、現在では五十種近い種類の猫が世界各地に住んでいるという。中世ヨーロッパでは、一時期猫は悪魔の使いとして嫌われ、抹殺された。その結果ペストなどの伝染病が鼠によって蔓延し、六世紀頃にはローマ帝国の住民の半分が死亡したと言われる。十四世紀半ばにはその害が全ヨーロッパに及び、「デカメロン」や「ハーメルンの笛ふき」に見られるように全人口の四分の一が死滅する大災害になったそうだ。その後も災禍は続き、十七世紀にもロンドンの人口の六分の一が死亡したとされる。
 このように猫は鼠を捕ることで、大いに人類に貢献した歴史を持っているのだが、我が家のマロは全く鼠に関心を示さない。私は書斎にベッドを置いてやすんでいるが、真夜中になると、決まって天井や壁の辺りで物音がして、「チューチュー」と不快な鳴き声がする。マロは私の布団の上に寝ているが、それを聞いても動こうとはしない。「マロ、行け」と足で蹴って見ても、床におり立ってキョトンとしている。猫は生まれながらにして狩猟本能を持っていると言うのだが、鼠を捕まえるには本能以外に母猫から伝授のテクニックが必要になるらしい。マロは生後二週間ほどで母猫から引き離されたために、母猫からねずみ取りの奥義を教え込まれることがなかった。
 チコやプーの時代は、猫の食べ物はもっぱら人間の食べ残しの残飯だった。冷や飯に味噌汁をかけて与えた。煮出しの炒り子でも加われば御の字だった。それに比べると現代の猫の食事は贅沢な物である。スーパーやキャットフードの店には、肉や魚を中心とするグルメ・タイプの缶詰や高濃度の栄養分を集約したドライフードが所狭しと並んでいる。選択に迷うほど種類が多い。一週間に一遍は店に猫の餌を買いに行く。マグロ・カツオ・タイ・トリ・カニとメニユーは多彩である。いろいろと買って帰ってはマロに食べさせてみた。
 最初はタイなどの白身の魚を喜んだが、次第に飽きたらしい。マグロ・カツオなどの赤身の魚は始めから好まなかった。今では野菜いりをよく食べる。別に猫の草というセットがあって、土と草の種が用意されている。箱で育てると、数日で青い芽が出た。猫はつねに自分の毛を嘗めるグルーミングをしている。そのため胃に溜まったヘヤーポールを吐き出すのに、先のとがった草を食べて、食堂や胃壁を刺激して吐き気を催させるのだそうだ。ところが、マロはその草を食べようとしない。仕方がないから草を小さく切って餌に混ぜて与えている。
 猫に必要な栄養素は、水・炭水化物・脂肪・蛋白質・ミネラル・ビタミン等で、特に必須アミノ酸のタウリンが大切になると、缶詰の説明に書いてある。いろんな食品を幅広く食べさせることが猫の飼育には必要だというのだ。だったら昔の猫は長生きできなかったはずだが、実際はそうでもない。プーは味噌汁だけで十年生きた。近頃は人間を含めて、食べ物のことで業者に踊らされている。
 それを承知の上で、やっぱりマロには好きな物を食べさせたいと思う。先日小鯛を買ってきて、レンジで焼いてマロに食べさせた。喜んで頭から尻尾まで全部食べたのは良かったが、暫くして「ガン、ガン」と変な声がするのでマロを見ると、食べた物を吐き出していた。私はマロの背中をさすってやりながら、思慮の足りなかったことを後悔した。マロは苦しそうだったが、吐いた後はケロリとしていた。
 マロはこのところ、食が進まない。餌の側に行っても一寸嗅いだだけでそっぽを向いてしまう。ところが家内が掌に餌を乗せて「マロちゃん、食べてちょうだい」というと、しぶしぶながらも口を付ける。「マロは義理堅いな」と私は苦笑いしながらも、少し心配である。食が進まぬ事が去勢と関係がなければよいが。
 マロは必ず私か家内か、人間の側に来ている。私がワープロを打っていると、ディスプレイの上に上がったり、椅子を占領したりする。気持ち良く目をつむっているマロを見ると、つい仕事を遠慮したい気になってしまう。夫婦で外出するとき、マロを部屋に閉じこめると、すぐにガラス戸の所に来て恨めしそうに私たちを見ている。その姿が目に焼き付いて、私も家内もこのところ外出が嫌になっている。
 マロの好きな物は、通称猫じゃらしという、先端にブラシ状の固まりの着いたビニール製の棒である。二十センチほどの棒は、いつもマロがくわえて廻るために、半分の長さに切れ、先端の部分はくびれて黄色が変色して黒くなっている代物である。無くなったかなと思っていると、何処からかくわえ出してくる。マロはそれを両手で抱えたり噛みついたりして、長い時間遊んでいる。
 先日、マロが居なくなった。二人で家の中をあちこち探したが見あたらない。外に出たかも知れないと、手分けして近所を探し回ったけれども、何処にもいない。居なくなってみるとマロの可愛さがいっそう募ってくる。マロの姿態や表情が目に浮かんでやりきれない。夜、着ていた服を脱いでハンガーに掛けようと、押入を開けたとたん、真っ黒い固まりが飛び出てきた。マロであった。昼間押入を開けたとき、いつの間にか侵入していたのだった。マロは少しも啼かないからこんな時には発見できない。悪くすると、押入の中で飢え死にしたかも知れない。
 猫は狭いところに潜り込むのが好きである。本箱の本の隙間、テレビ台のビデオデッキの隙間、台所の食器の後ろ、思いがけぬ所に潜り込んでいる。買い物を入れて帰ったビニール袋にもすぐに入り込む。「山寺の和尚さんが、鞠はつきたし鞠は無し、猫を紙袋にぼしこんで、ポンと蹴りゃニャンと啼く、ニャンと啼きゃポンと蹴る」と言う童謡があるが、最近読んだ河野千利氏の本に「この童謡は劉章将軍が蘇州の寒山寺まで孝恵帝を追いかけ、そこで帝を捉えたと言う中国の故事を暗喩したもの」との穿った説を紹介している。猫は虎と同族で虎は呂氏、したがって紙袋に入れられた猫は孝恵帝のことだとしている。
 それはともかく、マロも前身は虎ではなかったかと思える節がある。じゃれていても時には真剣に噛みついて放さないことがある。外の様子をうかがっているとき、目が爛々と輝いて獲物を狙う風情を示す。そう言えばマロの胴体の縞模様は虎そっくりである。左右に日の丸を抱いている。  
「猫は魔物だ」と言われる。確かに音もなく現れると、びっくりすることがあるが、それをもって魔性の者という事にはなるまい。猫化け騒動や猫の復讐の話だって、それだけ人間との交流が深いことを示している証でも有ろう。私は四十五年来民話を集めているが、その中から猫に関するものを二つばかり紹介しよう。
 「婆さんに化けた猫」
 むかし、あるところに、爺さんと婆さんがあったち。
 子どもがねえから、一匹ん猫を可愛がっち育てよった。
 ある時、爺さんが仕事に行った留守に、猫が婆さんを殺しちしもうち、猫が婆さんに化けちょったち。
 爺さんが、
「婆さんよ、今帰ったぞな」
 ち言うち、家いへえったところが、婆さんが向こう向きに坐っちょる。手拭いを被っちょるんが、どうもいつもの婆さんと違うちょったち。
 爺さんな、猫ん化けた婆さんを、裏ん畑い連れち行っち、そん猫を叩き殺えち、畑ん中い埋けたち。そしち、そん上い目印ん木を植えたち。
 そしたら、そん木がすぐ枯れちしもうた。
 すこすこ、米ん団子。
 この話では、猫が飼い主の婆さんを殺したとされる。爺さんは猫に復讐するが、猫は裏の畑に埋けられる。これは人間の立場から構成された話だが、これを猫の立場から見ると、人間の可愛がり方は、自分本位でご都合主義に過ぎず、本当に猫の気持ちを考えて行動してくれてはいない。自由を拘束されたくないのに抱き上げられたり、食べたくないのに無理矢理餌を口に押し込んだりする。外に出ようとすると引き留められ、柱によじ登ると叩かれる。これでは全く猫の自由は守られない。婆さんを殺す猫の気持ちも判ると言うものだ。
 それでも猫は本当に可愛がってくれる爺さんの為に、手拭いを被って婆さんの扮装までして努力している。爺さんは興奮のあまり猫を殺すが、すぐに後悔して、猫のために墓を作ってやる。猫は其の目印の木を枯らすことで、爺さんの自戒を促すのである。
「猫の芝居」
 むかし、豊後高田市草地の古城と言う山の中の集落に、小さいお寺がありました。
 そこの和尚さんが、法要に行って夜遅く山道を歩いて帰っていますと、お稲荷さんの小さい祠の中で、何やら騒がしい声がするのです。
 和尚さんがそっと覗いてみますと、大勢の猫が集まって芝居見物をしていました。舞台では、判官に扮した猫が刀を抜いて切腹しようとしていました。ところが、この場に駆けつける筈の由良之助がなかなか出てきません。
「力弥、由良之助は?」
「未だ参上仕りませぬ」
 判官と力弥が何度も問答を繰り返して時間を潰していますと、やがて花道から飛んで出てきた白い猫が、
「由良之助、ただ今参上」
 と、仕草よろしく判官の猫の側に駆け寄りました。和尚さんはびっくりしました。何とその猫は寺で飼っているタマと言う牡猫ではありませんか。
「おそかりし由良之助、それに衣装も着けず不届き千万」
 と、判官に叱られると、 「心は矢竹にはやれども、今宵は婆の奴、熱い雑炊を食わせやがって、腹が空いては芝居も出来ぬと思うて、フウフウ吹きながら今やっと食うて参ったところ」
 とのタマの名調子に、見物猫たちは大喜びで拍手しました。
 和尚さんは、夢中で寺に飛んで帰り、婆さんに
「タマは何処に居るか?」
 と聞きますと、婆さんは、
「今、熱い雑炊を食べていたが………」
 との返事です。
 次の日の朝、タマが戻って来ましたので、和尚さんがタマの頭を撫でてやりながら、
「よんべの由良之助は見事な出来映えじゃったのう」
 と、誉めると、タマは恥ずかしそうに首を垂れていましたが、そのまま姿を消してしまい、それっきり寺へは戻って来ませんでした。
 ここでは魔性の猫が語られている。マロのような家猫ではこんなロマンも生まれる余地がない。マロが衣装を着て頭に鉢巻きでもして、「由良之助、ただ今参上」と大見得を切ったらさぞ似合うだろうと思う。
 猫のテリトリーの半径は、百から五百メートルだそうな。ハンティングエリヤは近所の猫と共有だから、仲良しの猫や嫌いなよそ者の侵入もあるだろう。よそ者が侵入すれば争いを起こすが、仲良し猫同士は常に集会を持って友情を確かめているらしい。だとすると、人間顔負けの忠臣蔵の芝居を催しても不思議ではない。人間は所詮猫の領域には侵入できないのだから、猫が忠臣蔵をやるわけがないと、断定してはなるまい。十七世紀フランスの詩人ペローがヨーロッパに古くから伝わる民話をもとに「長靴を履いた猫」を書き、その中で猫が人間の言葉を理解し、うまく立ち回って次第に出世して行く課程を描いているが、日本の猫だって西洋の猫に劣らず、歌舞伎十八番を見事にこなしてしまうと言う昔話は、実に痛快である。願わくばマロが長生きして、人間の言葉をしゃべる猫になってくれたらどんなにか楽しいことであろうか。
 私は現在六十九歳、男の平均寿命だと、後十年も生きられまい。マロは後十数年は生きるに違いない。そうすると、民話の爺さんのように裏庭にマロを葬ってやることなど出来ないだろう。「猫可愛がり」という言葉があるが、マロを見ていると、猫可愛がりに可愛がらずには居られない気がする。今マロは私の机の側に来て、しきりにグルーミングをしている。自立することの出来ないマロにとっては、人間に寄りかかって暮らすよりほかに生きる道がない。その寄りかかる人間の私が先に死んだら、マロはどうなることだろう。家内は平均寿命まで生きれば、マロの寿命と並ぶことも可能かも知れないが、私とマロの関係にとってはそれは別の問題でしかない。マロの死を看取るまで生きていたいものだ。
 猫がこんなにも私の生活の中に入り込むことなど、想像だにしなかった。それが今の私と来たら、自分でもおかしいくらい、マロに夢中である。目をつむるとマロの姿を脳中に描くことが出来る。額のMの模様、手足の横縞、胴体の日の丸模様、長い縞縞の尻尾、それに何よりも可愛い黒い瞳‥‥‥。画家がキャンパスに絵を描くように、マロの姿を作り上げることで、私はマロとの愛情を確かめる。そのマロが今も私の側にいる。
 マロの去勢後の傷は、小さな茶色の痕跡を残すだけになった。中性になった今でも、以前同様に噛みついたりひっかいたりする。「牡猫の去勢手術によるメリットは、スプレーの激減、外へ飛び出すこともなくなるので、交通事故やライバルとの喧嘩に巻き込まれる心配がなく、長寿を全う出来る場合が多い」と猫の本に書いてある。マロは外に出ないことになれば、同類の猫に逢うことなしに一生を送ることになろう。身辺にいるのは人間だけ、いや、私と家内の二人だけと言うことになる。本に書いてあるのは人間の側の勝手な解釈で、猫が性を失った悲しみに少しも容啄していない。未だに私は宦官にされた若者の心情にこだわっている。マロがもし人間の心情を解する猫に成長したならば、宦官にされた自分の過去を如何に恨むことであろうか。「マロ、ごめんね」私は何度もマロに謝り、自分自身後悔している。
 1998年11月11日のことであった。家の玄関の前に、体長20センチほどの小さな白い猫が来ていた。
 家内が目を合わすと、仔猫はニャンニャンと大声で啼いて寄ってきた。腹が減っているらしい。
 猫の餌を皿に入れて、三和土に置くと、猫はガツガツと、夢中で食べ始めた。上げた尻尾がブルブルと震えている。よほど空腹だったのだろう。
 夕方、再び、仔猫が姿を現した。家内は前の小川さんに遠慮して、餌の皿を家の裏手に持っていって、仔猫に与えた。
 それからは、仔猫は家に居着いて離れなくなった。よく見ると、猫の目は左目がブルーで、右目がブラウンである。身体全体が真っ白で、尻尾の先端が180度内側に曲がっている。
 猫の図鑑を調べてみると、同じようなモデルが掲載されていて、「オリエンタルショートヘヤー」という種類らしい。「シャムの血を受け継いでいる種で、ちょっぴり気むずかしいお転婆娘、でもそのスリムで優雅な容姿には、そんな我が儘な態度が似合ってしまう。なまめかしい身のこなしに目は釘付けになってしまう。大変な甘えん坊で、飼い主の関心が自分に向いていないと、時にひがんだりいたずらしたりして、飼い主を困らせる」と解説されていた。
 家にはすでに2年半になるマロが居るので、飼うわけには行かないと、次の晩十分に餌を与えた後、紙袋に入れて外が見えないようにして、200メートルほど離れた小学校の教室の床下に置いて帰った。
 ところが、次の朝にはちゃんと玄関前に坐っていた。もっと遠い所に捨てなくては駄目だと、相談の末、車で美野崎の浜に運んで捨てることにした。3キロほどの距離である。漁村で魚の残りなどあるだろうから、飢えることだけはあるまいとはいりょしたのであった。ちょうどその時、衣料品店の安藤さんがやってきた。「美野崎に捨てたら、おそらく帰ることはあるまい」と言うと、安藤さんも同意した。
 見ると、房代は、仔猫を抱いてポロポロ涙を流している。「そんなに泣くようにあるのなら、捨てないで飼えばいい」私は思わずそう呟いた。
 こうして仔猫は我が家の一員になった。名前は「パイ」にきめた。私は中国語を習い始めて半年になっていた。中国語では「白」をbayと4声で発音する。日本語に直せば、無気音の「パイ」である。パイは捨てるにも通ずる。捨て猫を拾った所以でもある。ところが後になって判ったのだが、パイは捨て猫でははなかった。熊丸の宮原さんの家で生まれ、前の神田さんが飼っていたのだが、神田さんは寡婦で、良く家を空けるので(民生委員)留守中パイが家出をしたのだった。
「この猫はものすごく甘えん坊よ、お宅が拾ってくれて、猫も幸福でしょう」と、たまたま訪れた神田さんがそういうので、それならと家で飼うことに決めた。
 パイは雌猫だから、大きくなって仔猫が生まれては困るので、まだ一年にも満たないようだが、早めに不妊手術をすることにした。
 かかりつけの、別府阿部動物病院に連れていった。先生が「雌猫は雄猫より時間も金もかかります」という。飼うことに決めた以上、仕方ないので、手術をして貰うことにした。
 夕方パイを迎えに行った。ぐったりして動かないパイを、房代が抱いて、助手席に坐った。家に帰っても、やはり動かない。下腹には生々しい手術の後が痛々しい。毛を剃られてピンク色になった皮膚に五針縫っていた。
 それから丸三日、パイは応接椅子の上に屈み込んだまま、身動きひとつせずにいた。「死ぬのでは無かろうか?」私たちは心配だった。近くに食べ物と排泄の砂を置いて、度々観察した。
四日が過ぎて、パイはやっと恢復した。パイは大変な甘えん坊で、特に家内にはべったりである。拾われた事の恩義を感じているわけでもあるまいが、昼は勿論、夜にも家内のベッドに行って一緒に朝まで寝ている。夏の間は、布団の上、冬には布団の中に入ってくるそうだ。それは私とマロの場合も同様である。
 それから既に三年の月日が流れた。今ではパイは拾われ猫ではなく、マロ同様一丁前の顔をして我が家に君臨している。
 二匹とも家猫だから、なるべく外に出さないようにしているが、マロは家のどんな戸でも巧みに開けてしまうので、何時も内鍵か、外鍵をして、出ないようにしている。それでもうっかり鍵をかけ忘れる事もあり、マロはすばしっこく飛び出してしまう。そんなときパイが必ずマロの後ろに控えていて、一緒に飛び出す。
  この前、パイは何処かの野良猫と喧嘩して、右目の上端を切られた。幸い眼球に及ばなかったので、安倍動物病院から飲み薬と付け薬を貰って、十日ばかりで恢復した。ところがそれに続いて、今度はマロが右のほっぺたの辺りを噛まれて、数ミリ丸く毛が毟られていた。この方は薬も付けずにいつの間にか元どおりになったが、とにかく外へ出すとこんな災難が襲ってくる。
 16年の春になって、パイの背中の右の部分に痼りが出来ている事に気づいた。もともと拾った野良猫だから、放っておこうかとも想ったが、もし悪性の物であると、命に関わるかも知れないと、別府の阿部病院に電話してみると、「悪性でも良性でも、とにかく手術して取ってしまうのが安心だ」と言うので、連れて行く事にした。
 行く途中車のなかで、パイは鳴きとおし、手術代は3万円、2万8千円に負けて貰って、手当を終えた。夕方迎えに行くと、パイはぐったりしていて、帰りの車のなかでは一口も声を挙げなかった。
 パイの背中は一〇センチ以上も毛を剃られて、ピンクの皮膚が露出していた。一〇針くらい縫ってある。「糸は自然に取れますよ」とのこと。
 一月ぐらい経った現在では、毛が元どおり生えそろって、以前のパイに戻っている。それでも数日前、外に出ていて野良猫のボスに背中を噛まれて、縫い目の一センチ程左に傷を負った。人間用の傷薬を付けて収まっている。



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Icon 氏名/ニックネーム
土屋北彦 
Icon 職業/会社名/学校名
無 
Icon 役職/学年
無 
Icon 誕生日
1927.10.20 
Icon 性別
男性 
Icon 出身地/出身校
大分県 
Icon 住まい
杵築市 
Icon 趣味
小説・俳句・俚謡 
Icon 特技
無 
Icon 好きなもの、嫌いなもの
猫 
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2001年03月15日 13時52分40秒

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