キーパー・ロス2
ピンシャーの場合、排尿・排便で、そしていじけることで自分を見てもらおうと訴えていたような気がします。レイの場合も、表現こそ違いはありますが、精神的ダメージを受けました。
当時、レイの通常の散歩コースは、自宅から東に向かって西春駅周辺を回って自宅に戻るコースと、自宅から西に向かって歩き、歩道橋を渡り、福祉センター、役場、神社を散策し自宅に戻るコースがあります。その時の気分でコースを要求します。
1996年12月初旬。私が散歩に連れて出かけました。すると、自宅から北の方向に行こうとします。「こっち」と引っ張っても強く抵抗しました。「まぁ、いいや。何処へ行きたいか見てやろう」こんな軽い気持ちで行く方向についていきました。一度も来たことのないコースをたどって行きました。
足を止めて何度も吠えました。そこは、何と病院です。しかも南館入り口です。当時、母が入院していた病棟です。この病院には外来入り口、北館入り口と南館入り口の3つがあります。
夜、病院から戻ったパートナーにこの話をしました。、レイの歩いたコースは、パートナーが病院へ行くときに通るコースでした。母は病院内の散歩は許されていましたので、南館入り口までレイを連れて行き対面させることにしました。
2日後午前中に、パートナーと私がレイの後をついて行くことになりました。レイは前前日と全く同じコースを歩き、正確に南館入り口に着きました。パートナーが早速病室へ母を呼びに行きました。私がリードを持ってレイを待たせました。でも、吠え声に看護婦さんが玄関に。幸い知ってる看護婦さんに「散歩中ごめんね」と。数分して母が出てきました。レイは母に早速抱っこのおねだり。抱き上げられたレイは手、顔を舐めまわし、その感触を楽しんでいるようでした。別れるときは大変でした。この後、レイとこっそり対面できる時間を作りました。
退院し一時は元気であった母が再入院。結局帰らぬ人になりました。通夜・葬儀で、2日間ピンシャーとレイを獣医さん宅に預けました。獣医さん宅帰ると、幸いピンシャーは私が中心になって面倒を見ていましたので問題がありませんでした。レイがいきなり台所で脱糞。この後3ヶ月ほど寂しくなると脱糞をしました。結局レイの面倒は娘が中心となって見ることになりました。
当時は病院まで散歩をねだりました。南館の前で吠えるから大変です。でも、時間の経過とともに病棟入り口で泣くこともしだいになくなってきました。しかし、今でも2ヶ月に1度は必ずこのコースの散歩をせがみます。
母の身の回りのものを整理している間に、レイは知らぬ間にこっそりと母の靴下をおもちゃ箱に隠していました。朝起きると、布団の間に母の履いていた靴下があるのです。最初はびっくりしました。夜中に布団かな抜け出し、下に降りて行きます。レイのおもちゃ箱の下の方から靴下を取り出し、くわえて布団の中まで持ってきているのです。そして安心して眠るのです。取り上げようとすると物凄く怒ります。レイにとって、母と遊んだ思い出の品なのです。
片方はぼろぼろになって廃棄しました。でも、おもちゃ箱にそれがないと「クゥーン、クゥーン」と夜中に寂しげになきます。一方の靴下も今ではもうぼろぼろになっています。でも、可哀想で棄てられません。今日でも、夜中にくわえて寝ていますので・・・。
レイは2歳近くまで母との生活がありました。それだけにピンシャー以上に大変です。この様子を、私は通常の犬の行動様式では説明できないのです。それ故に、「Keeper
Loss」と呼ぶことにしています。
尚、レイは母の死後、娘が面倒を見ていました。数年前に嫁ぎましたが、階段の下で「クゥーン、クゥーン」と、なきます。盆、暮れにはダーリンと一緒に戻ってきます。そんな時、必ずレイはダーリンと娘の間に入って寝ています。飼い主の記憶は随分長く続いているような気がします。それゆえ、何百キロという距離を、元の飼い主を探して戻ることも可能であると推測できます。
このことから、一旦飼い主になったら、絶対に手放すべきではない。最後まで面倒を見るべきだと考えています。
写真上段:ハムスターのムーに関心を寄せるレイ
写真左:レイのおもちゃ箱。中央ねずみ色が問題の靴下。今 は隠さずに入れている。