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暮らしとアジサイ2:化石・語源・花言葉


園芸アジサイ「プレジオサ」、自宅、2013.6.6.

●このページの目次 
 ・アジサイの化石 ・アジサイの語源 ・アジサイの花言葉 ・アジサイで火をおこす

 ・室町以下の歴史は未完

●アジサイの化石

日本および北アメリカ大陸でアジサイ属( Genas Hydrangea )の化石が発見されています。中国およびその他の地域については資料の持ち合わせが無く不明です。

化石は断片的で1枚の葉や1個の装飾花といったものです。北アメリカ大陸からは種子の化石も発見されているようです。花つきの枝や1個の花房(花序)といったまとまりのある化石は発見されていません。

化石が発見されるのは沼や湖の底に堆積した細かな粒子の泥岩などの中からです。化石の年代は新生代新第三紀中新世以降、約2300万年以降です。恐竜の絶滅が約6500万年前ですからそれに比べると新しいものです。

さて、「どんなアジサイだったか」と言う最も興味がある質問の答。

最も新しい化石・数10万年前ものの中には「ノリウツギ」「ツルアジサイ」であるとされたものがあります。それ以上古い化石では現生種と同じであるとされたものは無いようです。花の色は白か青か、花形は額縁咲か穂状咲(ピラミッド咲)かの答えもありません。

「ノリウツギ」は白で穂状咲(ピラミッド咲)、「ツルアジサイ」は白で額縁咲です。

「青い花のアジサイ」、私たちが鑑賞の中心にすえている「ガクアジサイ」「ヤマアジサイ」「エゾアジサイ」だといえる化石はまだ発見されていません。残念です。

アジサイ属の花の化石の最初の発見は1925年に発表された北米アラスカ産のものではないかと思われます。

資料:ネット上に化石の写真があります。順不同

1. 地質調査所月報Vol.50 No.7 (1999)
表紙に花の化石(
栃木県塩原町産)がある。ネットで閲覧可能。

2. 山形県立博物館ニュ−ス第85号・1985年、記事「アジサイ属のガク片化石」
最上町赤倉温泉地
域で発見された花の化石が掲載され、詳しい説明がある。図はないが新潟県佐渡部相川町関産のHydrangea sadoensis および 宮城県名取郡秋保町西沢産のHydrangea sendaiensis センダイアジサイにふれている。ネットで閲覧可能。

3. 北アメリカ産の花の化石、ネットで閲覧可能なもの

a,『 The Fossil Forum 』の記事「 Rare Hydrangea Fossil Flower 」がネット上で閲覧できる。花の化石が3点掲載されている。

b,『Hydrangea Fossils from the Early Tertiary Chuckanut Formation

花の化石が4点と葉の化石が1点、掲載されている。

4. 古生物標本・日本横断データベース

Hydrangeaで検索するとHydrangea 属の19件がヒットした・20140705。画像が見られたものは葉のみ。国立科学博物館、産業技術総合研究所地質標本館、東北大学総合学術博物館、の標本が登録されていた。

5. 『あじさいアルバム200』荒井俊雄著、2012年に以下2例の花の化石画像が掲載されている。

a,センダイアジサイ Hydrangea sendaiensisi , 産地は宮城県秋保他の白沢層、5600万年前の地層。仙台市科学館および東北大学理学部自然史標本館等が所蔵

b,栃木県塩原産のHydrangea sp. 産地は塩原湖成層、30万年前の地層。産業技術総合研究所地質標本館所蔵


●アジサイの語源

「あじさい」という名前はどのようにして生まれ、どんな意味があるのでしょうか。

多くの人が知りたいことだと思います。しかし語源はよほど幸運な例外を除き、ほとんどの場合はただ想像を巡らす事になるようです。いつから使われていたか、当時の正確な発音はなにかと言った基本的なことも突き止めるのは困難なようです。どんな説か唱えられても完全に否定したり、完全に肯定したりすることは無理なようです。「あじさい」もこの点では同列です。

「あじさい」の最も古い記録は万葉集です。2つの和歌に「あじさい」と考えられるものが詠み込まれています。その表記は「安知佐為」と「味狭藍」です。万葉集は仮名文字が出来る前のものなのでこのように書かれています。これを見ると「あぢさゐ」「あづさい」など現在の名に近い音で呼ばれていたことがわかります。この歌が作られたのは奈良時代中期の都です。都に住んでいた貴族の人々にも知られた花だったようです。

あぢさゐ」「あづさい」など花の名前の意味・語源は何だったのでしょう。

2つの資料

1.『 牧野日本植物図鑑 』牧野富太郎、北驫ル、1955版、初版は1940

あぢさゐの説明の最後に次の記述があります。「 前略・和名あぢさゐノあづハ集ル意、さゐハ眞(さ)藍ノ約セラレタル者ニテ舉意其團集セル藍色花ニ基ヅキシ稱呼ナリ。」…「 集真藍 」の意味だと言いきっているように見えますが出典には触れていません。牧野富太郎の考えだったのでしょうか。

2.『 アジサイ 』山本武臣、ニューサイエンス社、1979

語 源について『 前略。万葉集で、味狭藍、安治佐為、の二通りに書かれた。昔の人がアジサイ、またはアヅサイといっていたことがこれでわかるが、これから推 定して、集真藍(あづさあい)、すなわち、あづは集まるの約、さは意味のない接頭語で、さ青がさおとなったように、さ藍がさいとなったというのが一般的に有力な説となっている。後略 』と記す。…「推定して、集真藍(あづさあい)」が有力な説とするが出典は示されていない。


「あぢさゐ」「あづさい」は「
あづさあい」であり、「青い花・藍色の花が群れ咲く」の意味であり、これが語源だろうと推測される。

漢字で書いてみれば・表現してみれば「 集真藍 」になる。

要するに「そう思う」というだけ。今回はこれを結論にしておきます。

○寄り道:本当だろうか!

『奈良・平安の頃の庭に植えられていたアジサイは「額縁咲のアジサイ」だったという。「テマリ咲」の発見は早くて室町時代であり、広く栽培されるのは江戸時代になってからとされています。』 あなたはどう思いますか。

「私は古代からテマリ咲のアジサイが栽培されていたと思っています。証拠はありません。」

テマリ咲は今でも野生の集団で時々発見されています。縄文時代の終わりには稲の栽培が始まっていたといいます。また縄文時代に優良なクリ栗の木を集めた林が作られていたとする研究もあります。選別と栽培は古くから行われていたと考えられます。

額 縁咲の野生集団にテマリ咲の個体が出ればとても目立ちます。縄文・弥生の人が見逃すとは思えません。自宅へ持ち帰っても不思議はありません。そんなことが 何度も何度も行われたことでしょう。都が出来れば都へ持ち込む人がいても不思議はないと思います。富山県〜山形県地域で古くから栽培されていたヒメアジサ イ系のテマリ咲が奈良、京都に持ち込まれたことは充分想像できます。

古代人の自然に対する感覚や能力を見くびってはいけない。

いかがですか。


●アジサイの花言葉

= 花言葉も時代と共に変わる =

1.アジサイの人気が高まり花言葉も前向きなものなりました。

アジサイが母の日のプレゼント花の1位になっています。花屋さんで選ばれる花の色はピンク系が最も多く、グラデーションのかかった透明感のある色が日本では好まれそうです。欧米では輪郭のはっきりした濃い色が好まれると聞きます。

「母の日、花の色、小花が集まった花の形」からイメージされる花言葉として次のようなものが使われています。

「強い愛情」「元気な女性」「辛抱強い愛情」「家族の団欒」「家族」「和気あいあい」「団結」「仲良し」「友達」「友情」「平和」

2.花の色の変化を後ろ向きにとらえた花言葉が流行った時期がありました。

これは明治以降の事と思われます。武士とは全く関係がありません。無条件に忠誠を求められたり、社会の秩序が大きく変わり不安な暗い時代を映していたのかもしれません。

「移り気」「変節」「裏切り」「高慢」「あなたは美しいが冷淡だ」「無情」「浮気」「自慢家」「あなたは冷たい」

あなたはどちらの花言葉を使いたいですか? 

◎蛇足:アジサイの古い表記

1.奈良時代の表記

アジサイの最も古い記録は、万葉集に収録されている2首の和歌と言われています。万葉集の成立は、8世紀(759年頃)で 奈良時代後期に当たります。アジサイを歌った2首は、ともに万葉集の中では新しい部類に属し奈良時代中期の作です。まだ「ひらがな」や「かたかな」が出来る前のことです。

万葉集は、万葉仮名(漢字)で書かれてますが、その中にアジサイを意味すると思われる「安知佐為」、「味狭藍」と書かれている和歌が1首ずつあります。

・音を拾った表記のようです。「安知佐為」

・花の色(藍色)をとらえた表記のようです。「味狭藍」

発音は「アチサイ」または「アヂサアイ」でしょうか。

2.紫陽花と言う表記  

白居易(白楽天)の詩に出てくる花の名です。
紫陽花という花の名の元は
白居易(白楽天)という中国の詩人が作った詩の中にあります。「私(白居易)があるお寺を訪ねたとき、誰も名を知らない美しくかぐわしい香りのする花が咲いていた。私はその花に紫陽花という名を付けた」と言った意味の詩です。

白居易の見たこの花は何だったのか、未だにわからないそうです。一説にはライラック。中国で「紫陽花」と言う名は他で使われることがありませんでした。ではなぜ日本で「紫陽花」がアジサイの名になったのでしょう。

それは、平安時代の源 順(みなもと したごう)が「アジサイの漢名は紫陽花である」としたからです。この人は当時、自ら辞書を作るほどの教養人でした。しかし日本でもこの「紫陽花」と言う名はその後も長い間ほとんど使われませんでした。なぜかはわかりません。

ただ、平安時代の貴族にとって「白氏文集(白楽天の著作)は幼い頃からの教科書的な教養書でした。「紫陽花」がアジサイの漢名だというのは絵空事だと、みんな知っていたのでしょう。

こ の詩はわかりやすい詩です、源 順が間違ったとは思えません。私は源 順が「紫陽花」と言う名に魅せられて日本のアジサイの名に転用したのだと思っています。「誰も名を知らない花」「白楽天が誌の中で名付けた花の名」「もし かしたら白楽天の心に浮かんだ空想上の花」、この花の名ならアジサイの名に転用してもなにも問題はないと彼は思った。

どうでしょう。。づっと時代が下って白氏文集が人々の心から遠のいてから「紫陽花」がアジサイの名として使われるようになりました。長いお話はこれで終わりです。

. 古い名前の二三の例

a.「七変化」

江戸時代における、アジサイの名の1つです。アジサイの花の咲き始めから、今で言う秋色アジサイになるまでの色の変化に注目した名前です。薄緑、白、白と淡青色の混じり、淡青色がしだいに濃くなる、青の色があせて白っぽくなる、薄い緑色、淡い紫色、冬には枯れ葉色。

「七変化」 花の色が変わることから付けられた名前

b.「よひら」

平安時代の末から使われ出したアジサイの名の1つです。装飾花の4弁からなる様を捉えた名。さらに古い時代からの呼び名の1つ。…平安末期?

「よひら」 4弁の花の姿をあらわす名前

また「よ」は「夜」「宵」に通じるので、このアジサイの別名は和歌の中で夜や宵を引き出したりイメージしたりするのに便利に使われました。

「あかねさす昼はこちたしあじさゐの花のよひらに蓬ひ見てしがな」

「昼は人目が多いので人目の少ない宵に会いたいものです」、恋人こんな歌を贈られたらどうします。


●アジサイで火をおこす

古い時代の火おこしは,「きりもみ式発火法」です。棒状の「火きり杵()」と板状の「火きり臼()」が使われます。この「火きり杵()」にアジサイの茎も使われたといいます。

「火きり杵()」と「火きり臼()」がセットで出土することは希でが、室町時代まで火を起こす身近な道具だったようです。セットで出土した例は北海道根室・忍路土場遺跡(縄文時代後期)、富山県江上A遺跡(弥生時代後期)、大阪府利倉遺跡(古墳時代前期)、新潟県延命寺遺跡(飛鳥時代)などがあります。

実 験の結果はアジサイ、ウツギは特に火付きが良いそうです。太さは直径8mm 〜 1cm、長さは20 〜 30cmで真っ直ぐな茎をよく乾燥して使います。アジサイにはガクアジサイ、ヤマアジサイ、エゾアジサイ、タマアジサイなどがあり、どの種類の茎でもよけ ればほとんど全国で手に入ったでしょう。またウツギもアジサイ科の植物です。同じ性質なのかもしれません。

 *おことわり:私はまだ発掘された「火きり杵()」がアジサイの茎であったと言う資料を見ていません。

これで終わりです。長すぎましたか。