即席セイザー小説。かなり短い読みきり文書。 戻る

◎番外 京南大学病院 壊滅す


 宿直室にいつも聞き慣れた携帯に仕掛けた目覚まし音が響く。
 別にこんなものがなくても伝通院洸は起きられる、そういう体質の持ち主だった。今回は運のいいことに一度も急患で叩き起こされることもなく、ぐっすり寝られて洸は少しだけ嬉しかった。
 顔を洗って、着替えて、鞄から自前のドライヤーと整髪料を取り出した。
 何かがおかしいことに気がつき、伝通院洸は鏡に向かっていった。


「しまった……」

 

 外来ならず院内までもざわついている京南大学病院。おおっぴらに口を出せないぶん、ゴニョゴニョ、ひそひそ声はやたらと耳につき、彼が動くたびに、聞こえない心の絶叫テレパシーが外野に共鳴反応を起こしていた。
 あっちでバサっと書類が落ち、転がしていたカートが脱線し、こちらでは搬送用のエレベーターのボタンを押し間違え連打している看護士。朝食用のワゴンが壁に激突していた。
 なにも知らない魚住愛は、足音だけで伝通院が来たと知り、ぴょこんと自然に頭を下げた。
「おはようございます、伝通院せん……」
 固まった。心肺停止まで行きそうになった。絶対今の鼓動は不整脈。鼓膜に聞こえる脈がまるでロックとお経のコーラスに聞こえた。
「……お、はよう。うお住くん」
 あの髪型は天然ではないということを初めて知った、京南大学病院スタッフ。そんなことは、特別なおつきあいのグランセイザーだって知らない話だ。というか禁句だ。話題がそもそも禁止コードだ。
 ぺたんとした髪は柔らかくつむじで分けられ、あの圧迫感漂う気配の目元にやんわりとかかる。なんというか、頼りなさげで、人がよく、皆からざわざわ言われるのを気にしてか若干猫背気味に構える長身がいつもの彼とは全く別人に変身させていた。
 絶句で構える魚住愛に、
「……そんな顔をしないでくれ」
 とお願いする有様。毎度おなじみのプレッシャー漂う口調が完全に崩壊し、普通の人間がそこにいた。たぶん身分証と長身がなければ、誰も気がつかないだろう。というか身分証も疑わしく見える。
「……あの、その、えっと……」
 直視できない。どうしようとナースシューズのなかで足の指がもぞもぞしている愛。
「やっぱり……へん、かな」
 かな。かなときたっ。口調まで異変を来している。
 きっ、と顔を上げて切り出した。
「……あなたは……誰ですか。もしかして宇宙連合の関係者ですか」
「魚住君、わたしだ。伝通院です」
「ご家族ですか」
「本人です」
 独特のオーラは全く消え去り二十代前半で若干生活が苦しそうな兄ちゃんが必死加減に面接で自己PRして玉砕しているような光景にみえた。
「どうしよう、うお住くん。ドライヤーが壊れて、ついでに整髪料をきらせて……」
「はあ……」
「このままじゃ」
「このままだと……なんですか」
「いつもの調子が出ない」
「え」
「あの髪型でないと、わたしはわたしとして、やっていけない」
 ぺったんこの頭を抱えて廊下の端っこでしゃがみ込む。
「それって……どういうことですか」
「どういうこともなにも……」
 半泣きになりそうな目。目はみれてもその視線を上に傾けるとはどうしてもできない愛。
 院内放送で、伝通院の名前が呼ばれた。外来の時間だ。それを聞くやいなや伝通院は青ざめた。
「ああ。どうしよう。自信ない」
 とぼとぼとした歩調で歩き始めた。ふら〜っと波打ち際の海草のように漂う長身に向かって色々な言葉が浴びせられ、足下がだんだん怪しくなってきた。

 

 一方そのころ、秤谷仁の事務所。
 徹夜明けの仁の携帯に不思議な伝言とメールがあった。
 伝言の方には、
「たすけてくれ。天馬にはいうなよ」
と蚊の泣く声のような男の言葉。電話番号を二度確認してもウソだろうと、脳天から叫んでしまいそうな伝通院洸の弱々しい滑舌の悪い声。で、ドライヤーとちょっと見かけない整髪料の名前。
 なにが起きたのかは分からないが、あのおしゃべりな天馬を絡ませたくないにはなんかもの凄い事情があるのだろう。パシリの得意で文字通りジェット便なヤツにこーいうやんごとを持っていかないあたりが、気になる。時計を見た。近所のホームセンターの開店時間にはまだ間があった。
 店が開いたら買って持っていく。
そう、携帯メールに送った。

「先生、イメチェンですか」
 一ヶ月前から来ている女性患者がいきなり食いついてきた。
「ま、まあ」
 生笑い。
「かっこいいじゃないですか、さわやかですよ。先生」
 声にはならない小さな声で笑う伝通院。後ろの看護婦はざわついている。
 うつむいてカルテをみて、
「いつもの点滴……でしたね、身体の調子は……えっと……どっどうですか」
「私、なにかどこか悪いんですか、先生。なんか様子が変です」
「すっすみません。いま、準備しますから、そこのベッドに横になっててください」
 よろよろと動くのっぽの先生。あ、先生私たちの仕事ですと看護婦。ああ、そうだったねとふらふらと定位置の椅子に戻ろうとしたとき、ごつんと洸の足がなにかにけっ躓いた。音を立てて崩れ落ちる点滴器具。幸い液剤はビニールのパックで、患者にも当たらなかったし、まだ針も刺していなかったが被害音は抜群にでかかった。
 わたつく洸におびえる患者。
「わたし、やっぱり悪い病気なんだ」
「ちっ違いますよ」
「いつもの頼りがいのある先生じゃない」
 薬だけもらいますと言い残し、慌てて患者は出ていった。
 あわあわする外科医。腕時計をみた。このまま自分は外来がこなせるのか不安になってきた。
 転ぶこと数回。研修医が手元を間違えること四回。患者を間違えること二回。器具を落とすこと五回。カルテの書き損じはボールペンのインクが切れるぐらい、このときばかりは修正テープの有り難みに涙が出た。
 交代要員で魚住愛がやってきた。変な汗をかいている伝通院がそこにいた。
「うお住くん」
 外来の室内は野戦病院のごとくあれていた。クリアファイルごと落としたカルテが床を占領し、その上から机の上の筆記用具が覆う。白衣の端っこはたぶんコーヒーをこぼしたのだろう茶色いシミがあった。開始1時間目の研修医が紛れ込んだかのような慌てっぷりで頼りないオーラが充満していた。
「すまない」
 一緒になってカルテを拾ってくれている愛に声をかけた。
「いいんですよ。誰だって絶不調なときありますから」
「すまない」
 ゴンゴン。誰かがドアを叩いた。
「はーい、呼ばれてきちゃった、デザイナー登場だよっ……って誰、アンタ」
 仁はホームセンターのビニール袋を突き出した相手を間違えたのかと思い、慌てて廊下の名札を確認した。
「もしかして、洸……なのかなぁ」
「本人です」
「どしちゃったの、その……あたま」
「ドライヤーが壊れて、整髪料切れて……」
「な、なにもさぁ、あれだよ。あのだ。あの髪型にこだわるってことも、ないと思うんだけど」
 うんうんと、愛は頷いた。今のままでも十分かっこいいです、先生。
「だめ、なんだよ」
「なんでまた」
「あの髪型にしないと、調子がでないんだ、このままじゃ医療ミスは確実だよ、絶対今日中に人死にが出る、今日の夕方にはテレビカメラの前で土下座している」
 仁と愛は気がついた。あの髪型は『伝通院洸』という名前の着ぐるみだということを。あの頭にして初めて成立する性格なのではないかと。
「ままま。落ち付けって洸。ほらちゃんと言われたモノ買ってきたし。ったくマニアックな整髪料使ってんなよ。探すこっちは大変だったんだよ」
 ガシっと仁の手のひらを握り、
「ありがとう、仁」
と熱く握手されてしまった。いつもの仁なら『気色悪っ』とかいって速攻はらってしまうのだがあまりにも目の前にいる彼が気の毒に思えて複雑な笑顔をした。
「人間、間違えることはあるよ。大丈夫だって洸。元気出せ。はい、これ領収書」
 伝票をうけとる洸。
「このお礼は」
「うん、きっちりしっかり現金払いって……そんなにガツガツするオレ様じゃないから、ま洸のおごりでさ、なんか食べようよ。みんなで」
「それって十二人でですか仁さん」
「ったりまえじゃん。だってこの人天才外科医だよ、高給取りだよ、ブルジョアだよっ」
 愛はなに食べたいと聞く仁と考える愛を残してそそくさと、洸は席を立った。

 

 数分後。伝通院洸は伝通院洸として帰ってきた。
「変身完了じゃん洸」
「いうな」
 いつもの、への字口でいう。黙々とカルテを読んで『すまないが片づけたらすぐに患者を呼ぶように』と愛に伝えた。どうやら切り替えが完了したようだ。
「おーい洸。覚えてる??? 」
「わかっている」
 相変わらずというか、いつも通り辛気くさい洸がそこにいた。

 

「伝通院先生」
 主任が声をかけた振り向く洸。
「髪型、戻されたんですか」
「何の話だ」
 あっさりと斬られた。

 

 数日後。口封じのために行われた食事会が行われたのは言うまでもない。




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