ちょびと昭(あき)の部屋










ここのHPに来てくれたみなさんへ。

実はこのHPを閉鎖する事にしました。

本当の事をここでお話します。

いろんな事があり精神的・肉体的に限界なのです。
うつ病・人格障害・パニック障害等の精神疾患にかかり2年経ちます。
何回と自傷・自殺行為をしたかわかりません・・・。
平成15年の夏、大量の薬を飲んで自殺行為をしました。
3日間、危篤状態だったそうです。
信じてもらえませんが、三途の川らしきものを見ました。
先代犬チロに助けられました。
目が覚めた時は病院の集中治療室でした。
両手は点滴だらけ・心電図・尿管・・・とても驚きました。
なによりも言葉がうまく話せない・・・ロレツが回ってないのです。
会話が大変で、逐一母が何回も聞いて話してくれました。
とても驚いたのは毎日朝7時〜夜9時の家族面会時間ぎりぎりまで
父母が付いてていてくれたこと。
私が赤ちゃん還りもし、父母が帰る時、泣いたりもしました。
父はそんな私を見て影でそっと泣いていたそうです。
「もう少しお前をめんこがればよかったな・・・」
そう言ったのを覚えてます。
しかし、面会に来る父は日に日に弱っているのが目に見えました。
そして外泊した日、父の状態がよくなかったので
病院に戻った後、看護士に主治医と早く話したいとお願いし
主治医に即退院許可をお願いしました。
退院の2日後に父は亡くなりました。
でもその後もまた自傷・自殺行為を繰り返し
何回と入退院を繰り返したかわかりません。
原因は自分の過去にあります。
ある負い目に苦しんでいるのです。
それは家族皆、父の死後知りました。

父に打ち明けたとき父は受け入れて話を聞いてくれました。
「親不幸者だから。この家にいる資格ないから。」
と荷造りをし、家を出ようとする私に父は
「何があってもお前は俺の娘だ!お前の家はここだ!」
と引き止めてくれました。
とてもとっても偉大な父です。


H15.8.29 AM04:02に父が他界しました。

H14年4月に肺癌で左肺全摘手術したけども、
H15年春に入ってリンパ線転移が見つかり、
新薬投与治療を続けてましたが、
8月に入り呼吸・会話するのも困難な状態になりました。
私が入院してたせいで病院に行こうとせず、
私は主治医に頼み込んで退院させてもらい、
父を無理矢理に病院に連れて行きました。
即入院。
そして入院1日半で息を引き取りました。
受け答えに反応しない朦朧とした意識の中、
最後にはっきりと発した言葉は私の名前でした。
突然はっきりと私の名前を大きな声で呼んだのです。
私の名前を力強くはっきりと発しました・・・。
それが最後の父の言葉です。
父は地域の小学校の部活の監督をやっていて、
火葬の出棺の日、家の前にはたくさんの卒団生の子達がいました。
そして現監督さんから「小学校を回ってほしい」と言われ、
小学校へ行くと現団員の子達がユニフォームを着て整列していました。
「ありがとうございました!!」。
私も姉もその部の卒団生なので涙が止まりませんでした。
火葬も終わりその日の夜、他の卒団生の子達がたくさん、たくさん来てくれました。
驚いたのは、みんなが号泣していたこと。
よほど好かれてないと教え子が号泣なんてしてくれない。
父は団員一人一人と交換日記をつけ、イベント事には率先してました。
葬儀で父の高校時代からの父の友人の方が弔事をしてくれました。
その弔事は素晴らしいものでした。

「新聞部だった僕ら男4人、女4人は毎日
狭い部室で青臭い議論を交わしている中で、
君はいつも部室の隅で
黙って微笑んで僕たちを見ていました。
けれどもやるべきことはきちんと期日までやり、
誰一人の悪口も一切言わずにいました。
そして卒業しても僕ら8人は定期的に連絡を
取り合いながらも付き合いを続けていきました。
そんな中、君が10年来癌に侵されていることを知ったのは去年でした。
約10年前に直腸がんで人工肛門の生活となり、
去年4月には肺癌になり左肺をすべて摘出したこと。
”なぜ俺なんだ!俺が何かしたか!”
”あと、10年は生きたい”
君はそう言ってました。
そして今年8月に入り「身辺整理をする、腹をくくった。」
そう君が言った事を後から聞きました。
そして8月27日午後に入院し、29日明け方に他界。
なんて君らしいいさぎよい死に方なのだろうと思いました。」

もっと他にもたくさん言ってましたが、書ききれません。
ただ、私達の知らない父を知り、父の偉大さを実感しました。

私は幼いころから「親に愛されてない」そう思っていました。
でも実際は違いました。
今でもはっきりと覚えています。
去年、肺の手術をし看護師さんが
「○○さん(苗字)は毎日家族みんなが来てくれていいね(^^)」
と言ったら
「俺は家族を愛する気持ちは誰にも負けないさ(^^)」
と言っていました。
その頃、私は人には言えない大きな悩みを抱えて
父の入院前に父だけに打ち明けていました。
術後のまだ麻酔の切れてない状態の中で
父は私を見て「何考えてる?」と言いました。
父に心配かけてはいけないと思って
平静を装って笑顔で接していた中、
一瞬だけ私の顔色が変わったのを察したのだと思います。

ちょびを飼う時に「メスはだめだ!」と反対しながら一番かわいがって、
犬小屋を作り、離し飼いできるように庭に柵を作ったり・・・
最初の頃の反対が嘘のようにちょびをかわいがってくれてました。
いつだかテレビを見てた時、ふと「う〜ん・・・ちょびの子供見たかったなぁ。」
なんて不妊手術しろと言ったのは父なのに笑ってしまいました。
ちょびが他の人におなかを見せると悔しがったりして(^^;)
本当に犬が大好きな父でした。

父は見えないところで私をたくさん、
たーくさん私を愛してくれてました。
そして家族を誰よりも愛してくれてました。
それを知ったのは父の死亡後、
生命保険の手続きをしてて自分には小さな保険しかかけず、
母姉私にたくさんの保険をかけていてくれたこと。
いつも自分の事は後回し、
家族を最優先していたことを知った途端涙が止まりませんでした。

お父さん、ごめんね・・・。そしてありがとう。




プロバイダの名義が父であり、父は亡くなった為、解約をします。

そして来月から私の仕事の都合で県外に行く事になり
ちょびも連れて行きます。
県外に行くのは私から職場に移動願いを出しました。
申し訳ありませんがこの県、街にいるのは
本当に精神的・肉体的に限界なのです。
私がうまれ育った県、街ですが、
大好きな県、街ですが・・・
残念ながらこの県、街にいるのが
精神的にも肉体的にも限界なのです。
本当にごめんなさい・・・。
県外に行くのは主治医の勧めでもあります。
秋田に居ては悪循環だと言われました。

引越し先ではネットは引かない予定なので
このHPを閉鎖する事にしました。
3ヶ月経てば自動的に削除されると思います。
もし、インターネットカフェ等があったら覗いて見ます。
今まで「Chobi’s Diary」等に来てくれたみなさん。
そして何よりもネットでの出会いや交流は
とても楽しいものでした。
仲良くしてくれたみなさん本当にありがとうございました。



H16.03.12 PM09:30  ちょびママより






ちょび



昭(あき)