鋼鉄の抜殻

 

本日のモイモイ度:250モイ(単位)

 

 


みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

東京・後楽園の付近の
小石川公園は
植物と鯉と亀と
人生をそのまま背負っているサラリーマンと
初々しい中年カップルと
雰囲気のいいおばちゃんが
程よく ミックスされていた。

私も しっくり
そこに混ざって
池の巨大亀に
餌をやりつつ
「人生をやり直せるなら何をしたいか」という
友人に出された御題の
自己回答を模索。

昨日 電話越しに
半分自棄になりながら
「あの頃に戻りたい」
「人生をやり直せるなら」と
しきりにぼやく
その 友人の気持ちに
答えたかった。

私は今まで
人生をやり直すとか
戻れるのならあの頃に戻りたいと
考えた事が無かった。
それは、
『今だから忘れているけれど、
  その頃には、その頃なりに
 死ぬほど辛い事件やできごとが
 あったはずだ
 だからあえて戻りたくはない』
と思っていたからだ。
だから
『私たちは
 今までに幾度となく
 様々な困難や事件を
 乗り越えてきたはずだ。
 しっかりしろ、元気を出せ』
と、言っても
まんざら 嘘ではなかった。

しかし私は
その友人に その言葉を
ぶつけることが できなかった。
そのとき 友人が求めていたのは
「正論」ではなく
優秀な「聞き手」だった。

辛いときは
誰がなんと言おうと
辛い。

生きていく辛さは
色々な形で現れる。
他人をねたみ
過去の自分をうらやみ
現在の自分を卑下することは
悪い事だと思わない。

だけど
乗り越えなければならない。
そこには 留まれない。
子供が 徐々に大人になるように
大人になった 今でも
私たちは
脱皮を繰り返していかなければならない。
それが
血まみれになるほど
苦しくても。

閉園の時間になり
出口に向かい
たとえば
人生をやり直したとしても
やっぱり私は私で
悩み、戸惑い
阿呆を繰り返し
泣き、笑い、馬鹿をして
躓きながら
それでも
誰かを愛しながら
生きていくにちがいないと。

何も出来ない。
せめて
東京にいる
一人の人間が
大阪にいる
一人の人間のことを考えながら
亀に餌をやっていることに

気がついてくれますように。

 

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