| 名言シリーズ |
| 一部変更(過去の掲示板掲載)されているのもあります。 |
| * | いかなる罠も、成功するか否かはその基本的な簡潔さに因る。 従ってその罠を逆用するためには、さらに迅速で単純な方法を用いなければならない。 |
| 暗殺者 |
| * | もし何か他人に対して出来ることがあるとすれば、 シャンパンのようにキラキラと輝いてる自分をみせてやることだけだ。 |
| テニスボ−イの憂鬱 |
| * | 迷ったらスタート地点に戻りなさい。 |
| 恋愛時代 |
| * | 汝、消して後ろを振り向く事なかれ。 その引き裂かれし記憶は時間と共に憎悪化し幾たびも自己に語りかける。 愚かにも汝、過去に身を置き又帰る・・・時に亡国の王である。 汝、過去に何かを求めるべきではない。 |
| The_Hellfire_Club全典/F.S.Knavish | |
| シャーロック卿 |
| * | ゴルフでは初心者のうちはとにかく遠くへ飛ばすことしか頭にない、 ドライバーなんかまともに当たるわけがないので、 たまにシンをくったりするとその感動はその日の間ずっと続く、 やがて何とかティショットが少し安定してくると、第二打が問題となり、 シングルを狙おうかという人達はアプローチの達人となるべく第三打の練習に励む、 レベルが上がるほどディテールが重要になってくるというわけだ。 ミドルホールは典型なのである、起承転結というじゃないか、第二打は承なんだ、 第二打を、フェアウェイどまん中から打つ人もいれば、林の中から打つ人もいる、 バンカーから打つのも、チョロって20ヤード先から打つ人も、空振りでティグラウンドから打つ人もいる、 だが、大切なことは、まだやり直しがきくのだ、挽回することができるのである。 第一歩を踏み出すと、目の前にはトラブルしかない、頭の中で考えていたことと 目の前の状況のあまりの落差に唖然として腰を抜かしそうになる、当然ギブ・アップも考える、 そして起死回生の第二打の打ち方を何とかイメージするのだ。 |
| 368Y Par4 第二打 |
| * | よくいらっしゃいましたね 貴方の今背負っている袋の中身を全てこの場所へひろげなさい 貴方の袋には何が入ってますか? 辛い事ですか? 哀しい事ですか? いいのですよ 全て 全て ひろげなさい ここへ全ておいていってかまわないのですよ 袋の中へは貴方にとって幸せだけを詰め込んで おかえりなさい サンタクロースよ メリークリスマス |
| 教会にて |
| * | 善意で踏み固められた道も地獄へ通じていることがある。 悪意で作られた塀も防波堤となることがある。 |
| 黒い家 |
| * | 愛をこめてシドへ きっと誇りに思ってくれたことでしょう Avanti! 宝石の重さを測るには何百という測定ポイントがある。 精巧な技術でカットされた宝石の切り子面から放たれるまばゆい光は、 その宝石の中に炎のような輝きが封じ込められていることの証だ。 極上の宝石には命が宿っている。 そしてその命が宝石の形を装っているにすぎない。 |
| PULSE POINTS |
| * | あなたのためにできること きみのためならできること |
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| Kazuya | Matsumoto |
| * | 東のひとは花もて語る、花環に恋と憂いをよせて 園に咲く花ことごと宿す 奇しきことばをその花片に。 |
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| J.G. | Percival. |
| * | いっときの 激しい緑の動きは終わったかのように見える。 静かになった森は 秘やかに色を濃く染めているのだろうか。 |
| 茂庵 |
| * | 本当に幸福な人は 二つの主な理由で実際にはあまり幸福という言葉を口にしないということもわかってきた、 二つの理由というのは 一つは本当に幸福な状態にある人は幸福を口にする必要がないということ 二つめは本当に幸福な人は自分が幸福であることにうしろめたさを持つ客観的な判断力が あるので不幸な人のことを考えて自分の幸福の誇示を控えるというものだ。 |
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| 超電導 | ナイトクラブ |
| * | 自分の「好き」を形にする。 自分の「好き」をさがし求める。 自分の「好き」を語り合う。 自分の「好き」にこだわる。 自分の「好き」を見つめる。 自分の「好き」を感じる。 自分の「好き」にふれてみる。 自分の「好き」と向き合う。 自分の「好き」を問いただす。 自分の「好き」に身をまかす。 自分の「好き」を表現する。 |
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| Hiro Tategata.月 |
| * | ずぶ濡れになるには軽すぎる温かい雨だ。 スタイル、すなわち様式なしに、表現をコントロールすることはできない。 表現をコントロールすることなしには表現そのものが成りたたず、 無秩序な印象を与えるに留まる。すべての表現の基本はスタイルであり、 これは文学にも、芝居にも、映画にも、音楽にも、舞踊にも、絵画にも、 すべての芸術にあてはまる。 スタイルは表現をコントロールし、実現する。これがスタイルの機能だ。 スタイルすなわち様式が変化すれば、表現も変化する。 特定の様式なしに内容はコントロールできない。 どのように表現すべきかを知ることが大切だ。 なにを表現したいかは重要ではない。 コントロールだけの問題なら話は単純なのだ。だが、そう簡単にはいかない。 芸術家は前輪と後輪が別の方向へ進もうとする自動車のようなものだ。 ひと組の車輪はコントロールと呼ばれもうひと組はカオスと呼ばれる。 カオス、すなわち混沌からは自由な連想、 つまり夢、想像、発想、ひらめき、誤解、錯覚といった流れが生じる。 このような無限の流れから、少しづついろいろなものが選りぬかれ、 形作られ、統一性という名の暴君のもと、奴隷の仕事を強制される。 芸術家はコントロールの行使によりカオスから統一した形を作りあげる。 芸術家の仕事はそれゆえに、非常に痛みを伴うものである。 作品を生み出すにつれ、自分がすり減るのを感じる。前輪が彼をある方向に、 後輪が彼をまったく別の方向に引いているからだ。 これが芸術家の人生における痛みというものだ。画家であれ、音楽家であれ、 俳優であれ、映画監督であれ、舞踏家であれ、この事情は同じだ。 芸術家は統一性という概念のもとにある奴隷であり、 様々な発想をコントロールすることによって、統一性をかくとくするものなのだ。 芸術家は肯定と否定に支配される。 芸術家はイエスという。考えや連想や思想や記憶や経験、それにファンタジーと 呼ばれるものに対して。 芸術家はノーともいう。素材と向きあうとき、形を与えるとき、そして、 何度も何度も何度も手を入れなおす。芸術家は肯定と否定の間を行ったりきたりする 振り子のようなものだ。 海岸の石はきっと、ぼくの手よりも、もっと大きな手が置いたのだろう。 |
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| 冬の入江 | ||
| * | どちらがりっぱな生き方か、 このまま心のうちに暴虐な運命の矢弾をじっと耐え忍ぶことか、 それとも寄せくる怒涛の苦難に敢然と立ちむかい、 闘ってそれに終止符をうつことか。 |
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| ハムレット |
| * | 悲しみか無か、わたしなら悲しみを選ぶ。 | |
| 野性の棕櫚 |
| * | だれも外の世界を逃れたくてきたわけではないが、外の世界をもっとこなれた形で、 もっと明朗に、清潔に、もっと手軽に、簡潔に、投げ返されてみたいのだ。 夜明けの劇場のざわめきにあなたの鼻の詰まりがとれてきたら、 ぐずぐずしないことだ。飛び起きろ。声はいつ消えてしまうかしれない。 頭をはっきりさせようと、シャワーにとびこんでいては手遅れだ。 スピードが肝心。時速九十マイルでタイプライターに駆けつけること それが放埓な生と隠れもない死からのいちばん確かな治療法なのだ。 生きるなら走れ。そう、そのとうり。 生きろ。そして書け。全速力で。 |
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| 瞬きよりも速く |
| * | 人生なんてものは、そもそも退屈なもんだよ。恐ろしくな。 死ぬまで退屈でつまらないことを繰り返す。それが人生だ。 しかし、創造的な人間は体験そのものを創造する。 たいていの人間にはそういうことは本で読んで知ることしかできないがね。 理由のない うつ状態 それを長く体験するというのは、どこか臨死体験に似ている。 魂が抜け、自分が何かの殻になったような気分になり、 空しさと不確かさに包まれるのだ。そうなると、もう動くことさえできなくなる。 じっと動かず、涙のきわまでいって、辛い時間が過ぎるのをただひたすら待つのだ。 死なんてものはそこらじゅうにごろごろしてる。それを忘れちゃいけない。 社会が文明化すればするほど、死に神の姿は見つけにくくなるが、 それでもいつもそこにいるんだよ。 そんな死に神を相手にする方法はふたつしかない。 恐れるか、笑うかだ。でも、ほんとうのことを言えば、どういう対処をしようと、 実際にはあまりちがいはないんだ。死に神はおれたちをみな等しく扱うから。 だから、ジャングルの中で素っ裸にされたような気分になって、 毎日死に神を相手にしてるとだんだんわかってくる、死に神というのは 実にふざけた野郎で、真面目なところなんか薬にするほどもないことがね。 でもって、怯えて生きるより、笑って死ぬほうがずっといいことがわかるのさ。 |
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| PHILLIP | MARGOLIN |
| * | だけど、緑いっぱいの公園を歩いてごらんよ。 雨に息を吸い込まれたような、いきいきとした木々や草花たち。 まるで今描き上げた絵のように、くっきりと鮮明な色彩が瞳に飛び込んでくる。 ほら、ちょっと大きな水たまりを覗いてごらん。 さっきとは違うキラキラした顔が映ってるよ。 だけど、こんな日しか味わえない風景もあるんじゃない? 山や川は、天の恵みを喜んでいるように優しい表情をしている。 橋のちょうど真ん中に来た時、大きく深呼吸してみるの。 まるで遠い平安時代に舞い込んだような気分。 目まぐるしい日々の記憶も、この不思議な空間に吸い込まれて とてもとても新鮮な気持ちになれるから。 それなら、思いきってカフェに足を運んでみようよ。 アーティストたちの作品に囲まれて、 チョコレートケーキと紅茶をいただくの。 それは何気ないようで、とても贅沢で素敵な時間。 ほら、いつのまにか気持ちがすーっと落ちついて優しい気持ちに戻れたでしょ。 けれど、こんな日だから、あてのないドライブもいいもの。 ステレオから流れるフレンチポップスを口ずさみながら、 新緑で着飾った山の中をさっそうと走り抜ける。 なんて気ままで自由な時間。 長く続くこの道と、流れるようなこの景色、 今日は全部一人占めしちゃおう。 ううん、2人はどんな時でも会うことになってるから。 頬をなでる初夏の海風、ライトアップされた観覧車、 雨ににじんだ七色の光。 幻想的な空気に包まれて、いつもよりもロマンティックなデート。 きっと、ずっと忘れない とっておきのRainy Dayになるはずだから。 |
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| 素敵な | Rainy Day |
| * | どうもぴんとこないんだな。だってそうでしょう、何か見た、何か得た、だから帰らないと いうよりも、モラトリアムを伸ばしすぎて現実へ帰れないだけなんじゃないかな。 魅力的というのはつまりそういうことでしょう。どんなに長くいたって旅は旅だ、生活じゃない。 生活じゃない部分で生活の真似事ができるから魅力的なわけでしょう。それは若いからだって いうことになるのかもしれないけど。若いからこそ現実で勝負しなくちゃいけないと思うんだな。 人が何かを得たり、見たり、あるいはわかったりするのは、生活に密着した場所でしょう。 トイレにね、紙が置いてある国と水が置いてある国ではずいぶん変わるんだ。 水が置いてあればそれは珍しいわけだよね、不便だったり慣れなかったりするのが面白いわけ でしょう。ぜいたくって言われたって言ってたけどそれもわかるな、全部揃っているのに飽きて わざわざ不便なところへ来るんだもの。でもね、現実に下りてこなきゃだめだよ。 ここの人たちが貧しいから自分もその中に溶けこもうとしても、何もわからないんだよ。 楽して何かわかったり見たりした気になっちゃだめだよ。 楽して何かわかった人に会ったの?不精ヒゲはやした人が ここの暮らしに同化したいからそうしてるって言ったの? あなた車の窓を開けてそれを聞いたの? |
| 地上八階の海 |
| * | ある時は人が何と言おうとも自分の心の声を聞いて。 | |
| 遠い空の向こうに |
| * | いま、部屋にじっとしててどうにかなるってわけ? なーんにも思いつかないんだもの。でも、ポイントはわかってる。 結局、作文はアイデア勝負ってことさ。 明日になったらさっさと書くよ。 人はよく天才あらわる とかさわぎたてようとするが そんなレッテルなんて関係はないのだ。 要するには、それだけのことをなしとげたことを認めてあげるということだ。 走るのが苦手な子が、マラソンで完走したり、掃除がキライな子が自分の部屋を きちんとかたづけたりしたことだって立派な達成だ。 それらはかわりなく評価すべきだと思う。 |
| 緑の石食い虫 |
| * | というわけでまあいいや精神習得の恩恵を受けて最近暮らしている。 何かが心配でも準備を終えたなら今日はとりあえず今日としておく事。 で、事あれば頭の中の日本刀を振り回す事。基本的には執拗残忍冷酷非情でいて、 気分の刃物をいつも持っている事。それを普通と心得る。 どうせいつでも何か起こるのだ。欲を掻いて万全なんか期する奴からびゅっびゅっと、滑る。 大体こういうお話は活字の世界ですらろくな事はない。 引用で自分の作品がどういうふうに使われるか、まずいい方には向かない。 まっとうに引くのならそれは情報の利用だから。 だからと言ってそれは私ではない。映像に無理にしたら、嘘が出来るだけだ。 この不安定の上に居直っていれば、いつしかいい時が二時間だけやって来る。それまで私は書く。 私はピエロじゃない。私はドン・キホーテ。 |
| 笙野頼子 |
| * | よろこびなき心はあわれむべきかな。 | |
| Charles | Dickens |
| * | 動物の品種改良をする人は 自分が動物にしようとしていることをちゃんとわかってる。 しかしわたしたちは 人間になにをしようとしているのか はたしてわかっているのだろうか? |
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| ハンス | ・ヨーナス |
| * | 男は得だ。チュニジアの浜辺をトップレスで闊歩しても、石を投げつけられたりしない。 ものをどこに置いたか忘れてもいいし、大口開けてバナナを食べても変な誤解を招かない。 女は得だ。着たい服は自分で買えるし、脚を組むときにもぞもぞと「位置」を微調整しなくてもいい。 公衆の面前で男の横っ面をはたいても、悪いのは男だと思ってもらえる。 いくら平等を心がけても、やっぱり男の子は機械関係や空間能力をいかせる仕事を選ぶし、 女の子は人と接する職業に就きたがる。 男と女はこんなにかけ離れているにもかかわらず、その関係はうまくいっている。 それは人間関係を円滑にして、家族をまとめあげる能力を持つ女に負うところが大きい。 言葉やしぐさの陰にひそむ意味や動機を察して、いち早く結果を予測し、問題が表面化する前に 対策をとれるのは女である。 もし各国の指導者が女なら、それだけで世界は平和になるはずだ。 男と女はもともとの作りがちがっている。 この事実を認めようとせず、勝手な期待を相手に押しつけると、男女関係は暗礁にのりあげる。 人間関係で降りかかるストレスのほとんどは、男と女はまったく同じで、同じような欲望や衝動 を持ち、大事に思っていることも同じだというまちがった認識が原因になっている。 いまの社会では、こどもを性の区別なく育て、男女はまったく同じだと教えている。 こういう教育は、長い人類の歴史でも過去に例がない。 異性との違いに気づくのは、おとなになって結婚した翌朝である。 これでは、人間関係や結婚生活が破綻するのは当然だろう。 男女を同じものと見なす考えかたには、危険がいっぱいだ。 脳の配線が異なる男と女に、画一的な行動を押しつけているのだから。 同じ人間なのに、どうして男と女でこんなにちがってしまったのか、自然の采配を不思議に 思わないでもない。ただ私たち本来の生態が、いまの環境にそぐわなくなっているのは確かだ。 それでも悲観することはない。 なぜこうなったのかという理由さえわかっておけば、 自分とちがう相手とうまく共存し、価値を認め、むしろ大切に思えてくるはずだ。 世紀も新しくなろうとしているのに、いまだに学校では男女の付きあいかたを教えてくれない。 科学者にしても、迷路を走りまわるラットだとか、バナナをごほうびにしてサルに宙返りを 覚えさせる研究をやりたがる。科学の世界は複雑だし、いろいろな事情がからんでくると、 研究成果が社会に反映されるのに時間がかかる。 だからみなさんも、学校に頼らず自分で学んでいってほしい。 幸せで満ちたりた関係を築く権利、それだけは男も女も平等に持っているのだから。 |
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| Allan&Barbara | Pease |
| * | ひとつの音と、もうひとつの音、それがいかに近くてもふたつのあいだには 無限の距離があり、そこにブルースが生まれる。 人間の場合も、一人の人間ともう一人の人間について、同じことがいえた。 だから、ブルースが演奏されるのだ。 最終的に権力を握っているのは、それを行う人間なのだ。 文明の安逸を楽しむのはいい。 しかし、自分の内なる残虐性を切り捨ててはならない。 |
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| Andrew | Klavan |
| * | 若くして偏見にとらわれる者はいるにしても、偏見を心に抱いてこの世に 生まれてくる人間はいない。 それはいかなる偏見もまったく持ちあわせない才能である。なぜならその才能は 生まれ、育ち、または教育のいかんにかかわらず授かるものだからだ。 |
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| Jeffrey | Archer |
| * | 人生はときに残酷な仕打ちをすることがあるものだ。 しかしいつもそうなるわけではない ときには始末できることもある。 いつも問題になるわけじゃない ときには解答になることもある。 人間が沈みこむ奈落には底がないの それとも底はあるのかしら。 わたしはそこまで落ちこむつもりはないけど。 あるとしても、まだ見つけだされてはいないな 底を見つけだしたと思っても、残念ながらその底は誰かの天井だったことがわかるわけだ。 |
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| Jack |