[vestigeの形跡]

 

 

 

薄紫色の夜明けがブラインドの隙間から差し込んでくるけれど、

まだ夢から覚めたくなくて、もう一度だけ眼を閉じました。

 

 

 

 

十一月も終わろうとしていたその日。

朝起きてまず感じた肌を刺す寒気は、布団へ戻ろうかと甘い考えをアラシヤマに起こさせた。

しかし未だ朝飯の用意されていないテーブルを見たら

同居人である師が自分にどういう行動をとるかという事はこの何年間かで嫌というほど分かっていたので、

仕方無しにキッチンへと向かう。

部屋の中に居ても吐く息は白い。暖房のスイッチを入れながら換気用の窓を見て、どうりで寒いはずだと納得した。

「雪やわ・・」

ガンマ団に入団してからこれで何度目の雪だろう。

幼い頃は空から降る雪にはしゃいだものだが、

弟子入りしてからは毎日が修行の連続で雪遊びにはとんと縁が無くなって行った気がする。

美しい雪を愛でる心なんて生憎自分も師匠も持ち合わせていなかったから、

いつもただ冷たくて寒いものだとしか認識していなかったのだが。

「結構綺麗なもんなんやなぁ」

ぼんやりと一人呟いた言葉は、暗殺者の男が言うにはあまりにも不釣合いだなと思って苦い笑いを零した。

 

 

「今日、発つんどすか!?」

「ああ。」

黙々と用意した朝飯に箸を動かしながら向かいの師が言った。

あまりにも唐突な言葉に呆気に囚われ、思わず箸を空中で停止させていると

行儀が悪いと睨まれ(まさに蛇に睨まれた蛙だ)あわてて箸を下げた。

昨日の晩、ロッドはん曰く獅子舞隊長はんから呼び出しが掛かり師匠が出かけて行ったのは知っていたが、

「緊急任務やなんて聞いてまへんで・・」

「当たり前だ。今初めて言ったのだからな。

―――それとも、任務に行くのにお前の許可でも入るのか?」

「いりまへんけど・・」

途切れる会話。このお人のコミニュケーション能力の無さは毎度の事だから、こういう空気にももう慣れたけれど。

暫らく暖房器具の発する音と食事の音だけが室内に響く。

なるべく師の癇に障らないように、師匠が箸を置くと同時に控えめに聞く。

「帰還はいつ頃になるんでっか?」

師匠は何時もの様に無表情で、分からん、と一言返した後、珍しく僅かに考える素振りを見せ

「遠方へ出撃命令が出た。長期任務になるかも知れん」

そう付け加えると、仕度をするため自室へと戻っていった。

「そうどすか・・」

師匠が部屋のドアを閉めて暫くしてから、やっとその一言だけ返せた。

食器の掠れる音すら聞こえなくなったリビングは静かで、何と無くそれが怖く感じた。

だからわざと大きな音を立てて皿を運んだけれど、部屋中に響いた雑音は空しさを増幅させただけだった。

 

 

「行って来る」

「へぇ」

結局会話らしい会話も出来ないまま師を玄関まで見送る。

ブーツを履く背中を見ながらお気を付けてとぐらい言えば良かっただろうかと思ったが、

常日頃から負ける位なら死を選ぶと自分自身にも弟子にも言い聞かせてきた人だから、口に出すのは躊躇われた。

「あ・・、お師匠はんちょっと待っといておくれやす」

普段から私物の少ない師匠が小さなトランク一つでドアノブに手を掛けようとした時、

そういえばと朝見た事を思い出し、師を一旦引き止めて踵を返した。

早歩きで自分の部屋の向かいのドア、師匠の私室へと入る。

自分がまだガンマ団に来たばかりの頃、新たな生活に慣れず夜中に泣きながらドアをノックしたその部屋。

相変わらず閑散とした中は、家具の位置も一緒だった。一番奥のクローゼットから目的の物を取り出し、急いで玄関へと向かう。

「アラシヤマ!何をしている!」

苛々と貧乏揺すりをしている師匠が見え、慌てて小走りで手のものを渡した。

「・・コート?」

「今日はえろぉ冷えます思ぉて・・」

多分師匠自身買ったことを忘れそのままタンスの肥しとなっていたんだろうコートは、

薄紫色の生地にポイントとして所々白が入っているものだった。

コートを持ったまま停止している師に念を押すよう、その白い色を見て思い出した明朝の景色を伝える。

「そういえば、お師匠はん、やけに冷えると思ぉたら今日は初雪が降ったんでっせ。

 せやから、その、いくらお師匠はんでも風邪引かれたら任務できへんでっしゃろ?」

付け合せのような言葉になってしまい、差し出がましい真似だったかと不安を感じた。

師匠はただ黙りこくっていて、そういえば時間はいいのだろうかと後ろの掛け時計を見た。

 

「すぐ、戻ってくる」

 

「へ・・?」

 

ふわりと、頭に温もりを感じて振り返ると、師匠の手が自分の髪を撫でていた。

 

師の突飛な行動に思考が付いてゆけなくなる。

その掌も、顔も今迄で見た事の無い位優しくて、

こんな顔も出来たのかと驚き、

こんな顔を見せてくれた事に驚いた。

 

驚きのあまり顔を真っ赤にさせていたら無言でトランクを渡され、それを持つ。

空いた手で師が羽織ったコートは、良く似合っていた。コートの釦を留め終わるのを見計らってまたトランクを返す。

今度こそ本当にドアノブに手を掛けた師匠が不意に呟いた。

「――――又、雪が降る頃に戻ってくる。

 それと、口を開けたままにするな。馬鹿弟子が余計馬鹿に見えるぞ」

「・・・・へぇ。分かりました」

自分に背を向けていたお師匠はんの表情は読む事は出来なかったけれど、師匠なりの不器用な優しさが伝わってきて、

捻くれた自分の心も素直に言葉を受け留める事が出来た。多少の皮肉は、何時もの事だったし。だから、

 

「お師匠はん・・・、お気を付けて・・」

 

何時もは禁じていたこの言葉がするりと口から零れた。

 

師匠は何も言わずにドアを閉めて行ったけれど、たった一人になった家で、何故か淋しい気はしなかった。

淋しいという気持ちより、師の帰りを楽しみに待っていられる、そんな気持ちで一杯だった。

「雪が降る頃・・」

一人微笑み見上げた空は、未だふわりふわりと雪が舞っていて、冷たいそれが温かな心にやんわりと染み込んで来た。

 

幸せだった。

 

 

 

 

 

「アラシヤマー、任務だっちゃー!さっさと起きるっちゃー!」

ドンドンと無遠慮に扉を叩く音がする。

ブラインドの日差しも夜明けと呼ぶには余りにも明るすぎて、過ぎた時間が自分に覚醒を促していた。

布団から起きれば冷えた空気が足元から伝わって来て、些か乱暴にブラインドの隙間に指を突っ込む。

真っ白な、初雪が舞っていた。

うす曇の空は微かに夜明けの余韻を残していて、薄い紫がかった灰色の空を、純白の雪が彩っていた。

師匠のコートの様だという考えは、あの日の夢を見たからだろうか。これで、4度目の夢。

「アラシヤマー!僕もう行くっちゃよー!あ、ごめんだわいやミヤギくん、もうちぃっと待って欲しい・・・

 ぁ、ミヤギくぅんっ!!アラシヤマーーー!」

「うるさいどすなぁ・・。今行きます!」

このままでは公害に成り兼ねんと急ぎながら返事をする。

窓の方をちらりと振り返ると、変わることなく降り続ける雪。

ほんの少し涙が滲んだのを眩しい朝日の所為にして、あの日の師匠のように寝室のドアノブに手を掛けた。

 

 

師匠、あなたの背中を見送ってからこれで、4度目の雪の、季節です。

 

 

 

 

 

目を閉じて見えるのは、あなたの背中と暖かな手の感触だけで、

ただそれだけの夢だけれどあなたを感じていたいのです。