新世界 10




その日イルカ先生は、考え込むままにフラフラとアカデミーを後にしました。

頭の中でカカシ先生が笑います。
いつもの優しい笑顔で、嬉しそうに「イルカ先生」と呼んでくれるカカシ先生。
そんなカカシ先生の昔。過去。
たくさんの女性達といっぺんに付き合っていたような、過去。
嫌だな。イルカ先生は悲しく眉間を寄せました。

そうして思いました。
もしも、今でも、カカシ先生がそういうことをしていたら。
自分自身も「たくさん」の中の一人だったら。
そうだったら・・・・。



イルカ先生はどんどんと沈んでいく気分のまま、とぼとぼと家への道を辿ります。
結婚して、まだほんの数日。
一緒に暮らし始めて、まだ一日。
もうカカシ先生を信じられなくなっている。
そんな自分自身の気持ちもまた、イルカ先生にとっては耐えられないものでした。
自己嫌悪。
自分という人間が、人を信じられない嫌なものに感じます。



「はぁ〜」


イルカ先生は溜息をついて、もう随分と暗くなった足元へと視線をやりました。
藍色の夜の始まりに、爪先は随分と飲み込まれた後でした。
そのまま足先を進めていくと、ある一箇所で爪先が赤い光に照らされました。
ふぃっと頭ごと視線を上げてみると、目の前に赤い大きな提灯が灯っています。
中に灯された火に浮かんで、『一楽』という墨字が躍っています。

一楽は、イルカ先生の大好きなラーメン屋さんです。
屋台ならではの手軽さが、そして絶品とも言える麺とがお気に入りです。


ぐぅ。


ああ、一楽かぁ。

そう思ったイルカ先生のお腹が空っぽの音を響かせました。
家で、カカシ先生が待っているかしらと考えます。
そして、後ろで一日を沈み込めている最中の夕日を見つめます。

何だか悲しいのです。
お腹がいっぱいになれば、悲しさの詰まったお腹も満足するかも知れません。





「夕食、何を食べたいですか?」

朝、出かけるカカシ先生に、イルカ先生自身が言った言葉です。

「え?」

まるで甘い会話に、カカシ先生が疑問符を嬉しげに、理解している口ぶりで唱えます。


「・・・リクエストを聞いてもらえるのですか?」

「・・・・・はい。俺が作れるものでしたらっ」






あぁ。そうだった。
一楽の暖簾の端を摘み上げながら、イルカ先生は自分の言葉を思い出していました。
夕食を作ってあげようと思っていたのに。
カカシ先生の喜ぶ顔を見ていたかったのに。


体を滑り込ませるかどうか、イルカ先生は考えます。
夕食・・・作ってあげなくちゃ。
でも、何となく顔を会わせにくいよ。




イルカ先生が悶々と思いを交錯させている、その時。
急な様子で、イルカ先生の腕がグイッと取られました。

「え?!」

驚いたイルカ先生が、自分の知らない勢いのまま、クルリとその場で回ります。


「イルカ先生っ」



目の前に現れた人物を目にした途端、イルカ先生は無意識で目を一瞬だけ瞑りました。
本当に無意識で。
その態度が、自分の中で嫌な感じで。
イルカ先生はやっぱり自分が嫌に感じました。



「今日の夕食はラーメン?」

カカシ先生が、イルカ先生に会えたという嬉しさを隠すことなく笑ってそう言いました。

「作るの面倒だよね?一楽でお持ち帰りにする?」

あくまで、イルカ先生が自分の分の夕食も買って帰るのだという口ぶり。


「あ・・。カカシ先生。い、今お帰りですか?」

もう家へととっくに帰っていると思っていたのに。
イルカ先生はカカシ達の班の、任務終了時刻をぼんやりと思いました。

「いえ。もう一時間前には帰りつきました」

そういうと、少し照れた様子で頭をかきながら、カカシ先生が続けます。

「実は、イルカ先生を迎えに来たんです」

「え・・・。あ・・・。そ、そうなんですか」


何だかとても後ろめたい気分が、イルカ先生の胸に広がります。

「ご飯買って帰りましょうか」



イルカ先生の気持ちを知ってか、知らずか。
カカシ先生がテイクアウトできる一楽のメニューを注文していきます。
5分ほどで揃ったメニュー達からは、どれからもとてもおいしそうな匂いが漂ってきます。

「じゃ、家に帰って食べましょう」

カカシ先生がイルカ先生を促します。
イルカ先生は促されるままに、些か力の抜けた様子でカカシ先生の後に続きました。







***






カカシ先生は焼きソバを、イルカ先生はチャーハンを。
それぞれのメニューを、会話少なく黙々と咀嚼していきます。

もっとも、カカシ先生の差し出す会話の切り口に、イルカ先生があまり反応を返さないだけ。
それだけで、こんなにも寂しい。二人の食事。



どこか遠慮したように、カカシ先生が食べ終わった皿を台所に下げると、一言。

「風呂、沸かしてきますね」

イルカ先生は、風呂場へと消えていくカカシ先生の背中を、そぉっと見つめました。
何だかとても、切なくて、切なくて。
ほんの少し涙腺を突付かれました。




***




カカシ先生が沸かしてくれた風呂を、お互い、それぞれ済ませて、
同じベッドの端と端とに静かに横になりました。



イルカ先生は向けた背中で、カカシ先生の様子をそっと伺います。
何の感情も伺い知れないような静かな気配でした。
今夜は、もうこのまま、二人で距離を取って、眠るんだ。
イルカ先生は静かに理解して、ふぅっと目を閉じました。
きっと、二人が駄目になる時って、こんな感じなんだと思いました。
最初は小さなひび割れでも、それがやがて大きな亀裂に。
あっという間に谷底の深さ。







「イルカ先生」

横になった夜の底で、カカシ先生がゆらりと気配を動かして、
イルカ先生の名前を呼びました。
同時に、横になったイルカ先生の肩に、カカシ先生の手の平が被さります。

「何かあったんですか?」

どこか寂しそうに呟きながら、手がゆっくりとイルカ先生の腰を滑ります。


「・・・・・・・」

イルカ先生は、まだどこか意固地になった気分で、唇を噛み締めました。



「イルカ先生・・・・」

背中から抱きしめられて、カカシ先生の息が首筋を濡れさせます。
ちゅっと、カカシ先生の唇が耳朶を啄ばみます。
その仕草に、性的とも言えるカカシ先生自身の高ぶりを感じて、イルカ先生は胸を騒がせました。

イルカ先生に触れたことで、急に気分が高まったのか、
カカシ先生の手の動きが熱っぽいものに様変わりしてきました。
後ろから絡められた足が、イルカ先生の体を下敷きにしようと乗ってきました。
まだまだ遠慮がちにでしたが、熱くなったカカシ先生の腰が、
イルカ先生の尻の辺りに押し付けられます。

「はっ」


イルカ先生はこっそりと息を詰めました。


こんな気持ちのまま、カカシ先生に抱かれるんだ。
カカシ先生の切羽詰った性急さに、拒む言葉を口に出せず、
イルカ先生はゆっくりと体から力を抜いていきました。





カカシ先生の過去を思いながら。
今夜は長い夜になるかも知れない・・・。
イルカ先生はそう考えました。










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