もともとは曹操の国「魏」にいた。そして劉備のいる「蜀」の司令官諸葛亮の率いる軍を見事破ったのだ!諸葛亮といえば当事は戦負けなしの智略家でみんな恐れていた。若干20歳の若き姜維はそれを智略で返したのだ。諸葛亮の最初の敗北と言っていいだろう。その時、孔明(諸葛亮の名)は姜維をどおしても将来の蜀の為に欲しいを思い「離間の計」で姜維を孤立させ、見事に「蜀」に帰順させたのだ。やはり孔明もただものではなかった。それ以来、孔明は自分の後継者として1回りも若い姜維に自分の学んだ全ての兵法をつたえた。姜維もそれをよく理解し応えた。やがて孔明が五文原で臨終する間際の夜、姜維を呼び夜空に指をさした孔明は「あの星が我が将星である。死ぬ間際の最後の輝きだ」と言った。姜維は泣きながら「そんな話は聞きたくありません」と答え、その直後はっとして孔明に言った。「祓(はら)いがあるではありませんか」孔明も驚き「祓いの術は体得していたがまさか自分の為に使うとは思わなかった」と言った。祓いは7日間不眠不休で祭壇の前で祈りつづけるという過酷なものだが成功すると寿命が7年位延びるというものだ。早速、姜維は祓いの準備をさせ孔明は祓いに取り掛かる。しかし、「魏」の軍師司馬イが孔明の将星を見、死期が近いと悟り、結局祓いの最中に夜襲をかけ祓いは失敗に終わった。残念だ。しかし、孔明は冷静で「これも天命」と割切った。そして、その夜、孔明は再び姜維を呼び「あの将星を見よ、今に落ちる」と言い姜維が空を見上げた時、流れ星が流れた。姜維はふと隣りをみると孔明すでに臨終した後だった。それ以後、姜維は孔明の意志を継ぎ、「魏」に戦を仕掛け続けた。結局その連戦が「蜀」の国力を低下させ、「蜀」は滅んだ。それで終われば私がここまで姜維を好きにならなかっただろう。姜維は「蜀」が滅んでもまだ、「蜀」を思い、1人クーデターを実行しようとしていた。姜維最期の計略である。「蜀」を滅ぼした「魏」の鍾会と言う大将を必死にそそのかし「独立」しようと言ったのだ。もちろん姜維は独立したら鍾会を消しさり、「蜀」を復活させようとしていたのだ。ここまで「蜀」にこだわり孔明の意志を継ごうとした者はいない。クーデターを起こした鍾会と姜維は結局乱戦の中、戦死したが、敵の大将鍾会を道連れに散った姜維の生き様はかっこよかった。姜維の亡骸(なきがら)は皮を剥がされ、ハラワタをえぐりだされたそうだ。かわいそうだが、それだけ姜維は最期に大きい事をやったのだ。「蜀」の末期を人材が乏しくなったなかで姜維はよく戦いつづけたと思う。孔明の死後「蜀」が30年ももったのは姜維がいたからである!間違いない!!孔明と姜維の師弟関係は死んでも固く結ばれてるのだろう。「誰かの為に何かをする姜維の生き方」は涙もんだ。安らかに眠ってくれ。アーメン。
<胸にしみたセリフ>
蜀の首都「成都」が陥落した時、姜維は蜀の要所「剣閣(けんかく)」を守っていた。姜維の持ち場は最後まで陥落しなかったのだ。「不落剣閣」と後世の人々は姜維を称えた。しかし「成都」から皇帝「劉禅」が降伏したと知らせが入り姜維は降参した。その時、姜維は最後まで自分に従った部下達に言った言葉である。「おまえ達もお戦は終わった泣いていいんだぞ。」そお言うと近くあった大きな岩に自分の持っていた剣を叩きつけ剣を折った。部下達も泣きながら剣を折った。姜維もすごくくやしかっただろうが、自分に最後まで従ってくれた部下達に最初にねぎらいの言葉とやさしい気遣いをした姜維に感動した。う〜ん。三国志からいろいろな生き方をまなべる。おくが深い。
<おわり>
蔡ぼうの弟である。赤壁の合戦の直前に、曹操に降伏した。曹操に「呉に偽って降伏し、混乱させてこい!」と言われて行くが、呉の都督周ゆに偽りの降伏だと見破られてしまう。逆に周ゆに利用されて、曹操軍の食料基地に呉の名将、甘寧を案内してしまう。あやしいと気づかなかったのだろうか?蔡中は。食料基地は喉元みたいなところだ。そんな所に案内してしまうのだから、ゲームでも能力が低いんだぞ。案内した後、甘寧に斬り殺された・・・。アーメン。
<胸にしみたセリフ>
宛城で曹操が夜襲にあった。敵の武将の嫁さんに夜這いをかけた報復である。その時、死地にいた曹操を助けたのが、テンイと言うボディーガードである。全身に弓矢を浴びたテンイは立ったまま絶命したそうだ。なんとか逃げ延びた曹操が後日勢力を伸ばし再びその地に訪れた時に涙して言ったセリフである。
冷徹で野心家な曹操にしては意外にあついセリフで感動したのが本音である。