『だきまくら』
真夜中、不意に目が覚めてしまった。
最近すっかり暑くなってきたこともあって、夕食後にお茶を多く飲み過ぎたせいだ。
僕はすぐに自分の部屋を出てトイレへ用を足しに行った。
あくびをしながら洗面室を出ると、廊下の突き当たりにあるディアナ様の部屋から
薄灯りが漏れているのが見えた。
なんだか気になり部屋の前まで来てみた。するとドアが少し開いている。
真夜中だというのにまだ起きていらっしゃるのかな、と思って僕は
ドアの隙間からそっと部屋の中を覗いてみた。
目を凝らすと、その灯りはベッドライトからのようだ。
ディアナ様はベッドで寝ていらっしゃる。
きっと寝る前に本でも読んでいてそのまま眠ってしまわれたのだろう。
灯りがあのままついていれば夜中に目が覚めてしまうに違いない。
僕はベッドライトを消すため、失礼だとは思いながらもディアナ様の部屋に入ることにした。
普段はお茶を持ってくるときくらいしか立ち入らない場所なので緊張する。
それに眠っている女性の部屋にこっそり入っていくなんて、なんだか……
夜這いみたいだ。
───ディ、ディアナ様!これは決して夜這いなどではありませんよ!
ただベッドライトを消しに入らせていただくだけなんですからね!
と心の中で叫びながら、音を立てないように部屋のドアをゆっくりと開けた。
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ディアナ様が目を覚まさないよう足音を忍ばせながら、僕はディアナ様の眠るベッドの
すぐ側までやってきた。
いつ目を覚まさないかと心配なのと、無断で部屋に入っているという罪悪感もあって
もうすでに背中が汗でべっとりとしている。
ディアナ様は僕の存在に全く気付かない様子で、静かに寝息を立てていらっしゃる。
こちらから反対側にあるベッドライトのスイッチを消そうと、僕はディアナ様の上を
またぐようにして大きく手を伸ばした。
僕のすぐ目の前に、ディアナ様の顔が迫る。
艶やかに光る金色の髪。長いまつげ。白くてみずみずしい透き通るような肌。
思わず引き込まれそうになる紅く潤ったくちびる。
温かいランプの光に照らされたディアナ様の美しい寝顔は、たまらなくいとおしい。
そしてなんだか甘いような、とてもいい香りが寝息と共に漂ってくる。
それと同時に僕の心の奥底がひどく渇くような、締め付けられる感覚に囚われる。
その感覚はすぐに、どす黒い欲望へと変化していく。
───だめだ駄目だダメだ!僕はライトを消しに来ただけなんだ。落ちつけ、ロラン!
体中の血という血が激しく全身を駆けめぐる中、必死に自分の悪しき衝動を押さえつけ、
やっとの思いでライトのスイッチに手が触れた。その時だった。
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「……う、う〜〜ん……」
呻き声と共に、ディアナ様の両腕がすっと僕の体に巻き付いてきた。
しまった、と思ったときには遅かった。僕は体のバランスを崩し、ぼそっ、と
ベッド上のディアナ様のすぐ横に倒れ込んでしまった。
僕の体はすでに、ディアナ様の抱き枕となってしまっていた。
ディアナ様の柔らかい腕が僕の腰に密着している。体温が触れた所から伝わってくる。
その事実に意識が行くと膝が震え、脂汗が額から流れ落ちてくる。
股間の状態など、もはや言うまでもない……。
もうすでに頭の中は真っ白だ。真っ白だが、ここから脱出する方法を何か考えなくては。
気ばかり焦る。しかし動けない。動けばディアナ様が目を覚ましてしまう。
僕は体を(股間も)硬直させながらじっと息を殺していた。
相変わらずディアナ様は僕の体を抱き枕にしたあとも静かに寝息を立て続けている。
ディアナ様は気付かないのか? いや、今気付かれたらすべて終わりだ。
ようやく慣れてきた山小屋での二人きりの生活も今夜で最後になってしまう。
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最初は僕も半信半疑だった。
なぜ月の女王様ともあろうお方が、僕みたいな運河人出身の者と生活を共にしようと
言って下さったのか。しかも二人っきりで。
「あなたはわたくしと、地球と月の人々のために今まで本当に良くやってくれました。
そこであなたにお願いがあります。」
「はい、何なりとお申し付け下さい」
「あなたはとても信頼のおける方です。そこを見込んで、しばらくの間このわたくしの
山小屋での養生に一緒に付き合ってもらいたいのですが……」
僕はてっきり、他のお付きの方も何人か一緒にお世話をするのだとばかり思っていたので
「はい、喜んでお世話させていただきます」
と二つ返事で答えてしまったのだけど、あとでよく話を聞けばまたキエルお嬢様と
入れ替わりで、しかも今回はお忍びだから二人っきりでないと困ると言われてしまって。
その時、僕はおそるおそるディアナ様にこう尋ねた。
「……あの、僕も一応、その、男なんですけれど」
言った瞬間しまった、なんて失礼なことを聞いてしまったんだと激しく後悔したけれど
ディアナ様は何食わぬ顔で微笑みながら、こう答えられたのだった。
「あなたのことを信用しております。わたくしは何も心配などしておりませんよ」
あ、いや、それは光栄の極みですが、やはり僕は男性扱いされないローラなんですか?
───って、なにを回想モードに入っているんだ、僕は!
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僕がディアナ様の抱き枕と化してからすでに10分近く経過しただろうか。
当初の目的であるベッドライトの消灯は何とか果たせたものの、相変わらず僕は
ディアナ様のベッドから、いやディアナ様の腕の囲いから脱出できないでいる。
願わくはこの状態がディアナ様の合意のもとで、朝までこの体勢でOKというのなら
喜んで抱き枕になりましょうとも。でも今のままでは勝手に部屋に入ってきて勝手に
ベッドに入り込んでいるんだから誰がどう見ても、夜這いとしか言いようがない。
この状況でもし、ディアナ様が目を覚まされたら……。
「……ロ、ロラン!? なぜあなたがわたくしのベッドに潜りこんでいるのです!!」
「あ、いや、その、これには訳が!」
「言い訳など聞きたくありません! わたくしはあなたのことを信頼しておりました。
なのに、なのにあなたはわたくしにふしだらな事をっ……!(うるうる)」
「ち、違うんですよおぉぉぉぉぉぉ!!」
だめだ。やっぱりおしまいだ。世界の破滅だ。
この状態でお世話を続けてもじきにディアナ様はいたたまれなくなって月にお帰りに
なってしまう。そして二度とお会いすることはかなわないだろう。
最悪の場合、不敬罪でハリーさんから法の裁きが……。
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いつまでもこんな状態は続けられない。もう迷ってなんかいられない。
仕方がない、目を覚まされたなら、完全に覚める前に部屋を素早く出ればいい。
僕は決意を固め、僕の体に絡まっているディアナ様の腕をゆっくりと持ち上げ、
時間を掛けて徐々に自分の体をディアナ様の体から剥がすようにして離れていった。
───大丈夫、うまく行きそうだ!
一瞬気がゆるんだ。その瞬間だった。
急にディアナ様の腕に力が入り、離れかけていた僕の体をしっかりと抱きしめた。
僕は再び体勢を崩してしまい、今まで以上に体が正面から向き合う体勢になってしまった。
僕のすぐ眼の前に、ディアナ様の天使のような顔が大写しになった。
「ムニャムニャ ……ロラン……」
ディアナ様の口から寝言で僕の名が呼ばれた瞬間、全身の血が瞬時に凍った。
もうどうにでもなれ、と僕は覚悟を決めた。
「……ロラン、大好き……」
───え、えええっ!? あの、今、なんとおっしゃいました???
ディアナ様は安らかに眠り続けたまま、僕の胸元にぎゅっと顔をうずめてきた。
ディアナ様の足が、僕の足に絡むようにまとわりつく。
柔らかな金色の髪がふわっと僕の顔に触れ、甘い香りが僕の周りを包む。
そしてディアナ様のとても柔らかな胸の感触がネグリジェ越しに僕の胸に伝わってくる。
ディ、ディアナ様、もうだめです! 限界ですっ! 僕は、僕はぁぁぁぁ!!
うっ。
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意識が飛んだ。
その数秒後、意識が戻ってきた時には、すでに僕の心は恐怖という名の檻の中に
閉じこめられていた。
同時に僕の股間に生暖かい何かがじわじわと広がって来た。
─── な ん て こ と だ ! !
僕 は デ ィ ア ナ 様 を 汚 し て し ま っ た ! !
体が震える。心が締め付けられる。涙がこぼれそうになる。
一刻も早くここから抜け出したかった。いや、もう抜け出していた。
自分でもよくわからない。僕は器用に軟体動物のごとく体をくねらせて
ディアナ様の呪縛から脱出、なぜか匍匐前進で部屋をあとにした。
その後洗面室に向かい、半ベソかきながら自分で汚したパンツを洗った。
自分の部屋の窓の外にパンツを干し、そのままベッドに潜り込んだ。
まだ体の震えが取れない。
まさか、ディアナ様に抱きつかれただけであのようなことになるとは。
自分のしでかした行為に悔やみ、呆れ、恐れ、情けなくなる。
───もう、ディアナ様に顔向けできない。
そう思うと途端に涙があふれた。こらえようとしても止まらなかった。
ディアナ様申し訳ありませんディアナ様僕は悪い子ですディアナ様お赦しくださいディアナ様
僕は罪を犯しましたディアナ様何ともお詫びのしようがありませんディアナ様どうかお慈悲を
ディアナ様ディアナ様ディアナ様っ……!!
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「……ディアナ様ぁぁ、駄目なんです、勘弁してください、ディ……」
「ロラン、ロラン! 大丈夫ですか、何が駄目なんです、起きてください!」
目が覚めた。
昨晩泣きながら布団に潜り込んでいたら、いつの間にか寝てしまったのだろう。
すでに朝日が窓から大きく差し込んでおり、あたりはとても明るかった。
ベッドの傍らには、心配そうに僕の顔をのぞき込むディアナ様のお姿があった。
「……あ、あの、おはようござ……ええっ、もう9時!? すみませんディアナ様、
すぐに朝食のご用意を!」
僕がベッドから慌てて起き出そうとするのをディアナ様は止めた。
「いえ、適当に作って食べておきましたから。それよりあなたが寝坊するなんて
珍しいですね。それにわたくしの名を呼びながらうなされていたようですけど……。
何かあったのですか?」
「え、あ……。いえ、別に……」
僕が昨晩ディアナ様に抱きしめられながら果ててしまったなどと口が裂けても言えない。
ディアナ様からの視線が痛い。恥ずかしくて顔が赤くなるのが自分でも分かって思わず
視線を外してうつむいてしまう。
「……あら? ロラン、顔が赤いですよ。まさか熱でもあるんじゃ」
「えっ?」
ディアナ様の取った行動はとても意外だった。
不意にディアナ様の美しい顔が僕のすぐ目の前に現れたかと思うと、スッと近づいてきて
額がびたりと僕の額に張り付いた。瞬間、僕の心臓が痛いぐらいに激しく収縮した。
その次に僕が取った行動も、僕自身でも信じられないものだった。
「や、やめて下さい!」
昨夜の『失態』が頭をよぎった僕は、無意識の内にディアナ様を突き飛ばしていた。
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自分のした行為がどういう事か理解できたのは、ディアナ様の表情がマイナスの方向に
変化したことに気付いてからだった。
体をのけぞらせて驚いた表情を見せたディアナ様の顔が、みるみる悲しそうな顔に
変わっていく。
───ぼ、僕は一体、何をしているんだ!
「す、すみません、ディアナ様。ちょっとびっくりしたもので……」
僕の心臓はまだ激しく鼓動を続けていた。
ディアナ様の表情の曇りは取れなかった。ふと、小さく声が聞こえた。
「……ごめんなさい、ロラン。わたくしは今、あなたにとても失礼な事をしてしまったの
かもしれない」
「いえ、失礼だなんて、そんな」
「とにかく、その…… 熱はないようですけど、今日はこのままゆっくり体を休めて下さい。
わたくしは辺りを散歩して頭を冷やしてくることにします」
そう言い残してディアナ様は僕の部屋から出て行かれた。
その背中は、僕にはとても寂しそうに見えた。
僕はその姿にいたたまれなくなり、ベッドから飛びだしディアナ様を追いかけ……
たかったのだが、そうする事ができなかった。
昨夜のこともあったがそれよりも、現在僕のパンツは窓の外に干されている。
今着ているのは寝間着代わりのタンクトップ1枚だけだ。
さすがに下半身フルオープンでは追いかけることはできない。
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ディアナ様を追いかけるタイミングを逃した僕は、それからまたしばらくの間
自分のベッドで独り横になっていた。
毛布にくるまっている間、ずっとディアナ様の姿が頭の中をよぎっていた。
昨晩のディアナ様の寝顔や感触、今朝のディアナ様の心配そうな顔、悲しそうな表情、
そして寂しそうな背中。そして耳元でささやかれた寝言。
────ひょっとしてディアナ様は、僕のことが好きなのかな?
しかしそんな自分勝手な考えはすぐに自分自身の理性が潰しに掛かる。
仮にも月の女王陛下が、一介の運河人を好きになったりする訳ないじゃないか。
僕は単に使用人として雇われているのであって、僕に対して恋愛感情なんて。
第一、迷惑をかけているのは僕の方だ。昨日はあんな事をしてしまって。
ディアナ様はその事には気付いておられなかったようだけど……。
ふと使用人としての務めを思い出し、壁の時計に目をやった。
もう10時を過ぎていた。昼食の準備もしないといけないし、洗濯もまだだ。
病気でもない使用人が自分の部屋でぐずぐずしているわけにはいかない。
急いで僕は干してあったパンツを取りこみ、渇いているのを確認してからそれを履き
いつものシャツとズボンを着込んで部屋を出た。
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部屋を出て僕はすぐにキッチンに入った。
コンロの上には目玉焼きを焦がしたあとが残るフライパン。
流しの隅にはもったいない切り方をしたキャベツの芯と割れた小皿が申し訳なさそうに
置いてあった。
朝食を作れなかった僕自身も申し訳ない気持ちになりながら、それを無言で片づける。
それから手際よく昼食の下ごしらえをし、たまっている洗濯物を外に干した。
その間、僕とディアナ様の関係はこれからどうなるんだろうというようなことを考えていた。
朝ディアナ様に起こされた時はよく晴れていた空が、いつの間にか曇ってきていた。
昼食の準備がほぼ終わり、いつものように二人分の食器をテーブルに並べていたら
とうとう雨が降り出した。それもかなり強い雨だ。遠くでは雷も鳴っている。
まだディアナ様は帰ってこない。
玄関に行ってみると、ディアナ様の傘はそのまま置いてあった。
さすがに心配になってきた。この様子だとディアナ様はずぶ濡れになっているはずだ。
僕は台所の火の始末をしてすぐにレインコートをかぶり、ディアナ様の傘を持って
家を飛び出した。
出たのはいいものの、ディアナ様がどの辺りにいらっしゃるのか見当が付かない。
こちらに越してきてしばらくは散策も兼ねて二人で家の周辺の森を歩き回ったものだが、
最近はディアナ様一人で散歩されることが多かった。
おそらく二人で行った事のある場所におられると思うのだが……。
雨がますます激しさを増してきた。レインコート越しでもその雨の冷たさが伝わってくる。
この冷たさでは体を冷やしてしまう。ディアナ様の身体の事を考えると、胸が苦しくなった。
いつの間にか僕は走り出していた。雨でぬかるんだ土に足を取られそうになりながら
僕は主人の名を叫んでいた。
「ディアナ様ぁ──!どこにいらっしゃるんですかぁ──!ディアナ様ぁぁぁ────!!」
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もうどれくらいの時間が経ったのだろうか。
ディアナ様の名を叫びながら、深い森の中にかすかに続いている道をたどって
僕は走り続けた。
それでもディアナ様は見つからなかった。さすがに息が切れてくる。
───このままディアナ様が見つからなかったら、僕はどうすればいいんだ。
僕は自分自身を責めた。
ディアナ様に一緒に暮らすよう声をかけられた時、僕は決心したじゃないか。
僕の身に何があろうともディアナ様の事をお守りするんだ、と。
昨晩のことが頭をよぎった。確かに僕はディアナ様に申し訳ないことをしてしまったが、
それでもここでディアナ様をお守りするのは僕だ。僕しかいないんだ。
その僕がしっかりしないでどうするんだ!
新たに決意を固め直したとき、以前ディアナ様と二人で森を散策した時に雨に降られて
近くにあった大きな岩の陰でしばらく雨宿りしたことを思い出した。
そうだ、あそこならディアナ様も場所を憶えているだろうし、今回もそこで雨宿りして
おられるに違いない。
今いる場所からはそう遠くない。僕はその時の大きな岩のある場所へと急いだ。
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豪雨の中を走っていると近くで稲妻が走り、すぐに轟音が森の中を響き渡る。
その衝撃で足が止まってしまいそうになるのをこらえて、僕は走り続けた。
やがて、以前雨宿りした事のある大きな岩が見えてきた。そのふもとに目を凝らす。
────いた。いらっしゃった。
ディアナ様は岩の側で背中を丸め、じっとしゃがんでいた。
「ディアナ様ぁ────!」
僕の叫び声が聞こえたのか、ディアナ様は重たそうに頭をもたげた。気が付いたようだ。
すぐに僕は大きな岩のそばに駆け寄った。
案の定、ディアナ様は服も髪もすっかりびしょ濡れになっていた。
「大丈夫ですか、ディアナ様。さ、すぐに家に戻りましょう」
「……ロラン、ありがとう……」
僕は持っていた傘を広げ、ゆっくりと立ち上がったディアナ様に手渡した。
冷たくなっているディアナ様の手を取り、家に向かう道に一歩踏み出した時だった。
その僕の手が後ろで、ぐいと引っ張られた。
振り向くとディアナ様が地面に膝を落としていた。傘も手から離れひっくり返っている。
「ディアナ様、しっかりしてください!!」
返事がない。ぐったりしているディアナ様の様子を見て、ようやく異変に気が付いた。
顔がすっかり青ざめ、息が荒くなっている。とても苦しそうだ。
慌てて額に手を当てた。……すごい熱だ!
僕の来たのが遅すぎた。ここで雨宿りしている間にディアナ様はすっかり体を冷やして
しまわれたのだ。
早く家に戻って体を温めなければディアナ様の命が危ない。
僕はすぐに着ていたレインコートをディアナ様に着せ、両腕で抱きかかえた。
雨を吸った服と髪のせいでずっしりと重い。しかしもはや一刻の猶予もない。
自分の体のつらさも忘れ、無我夢中で僕は家路を急いだ。
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なんとか僕は、ディアナ様を抱きかかえたまま無事に家に到着した。
自分の体を拭くより先に、ディアナ様の体と髪を持ってきたバスタオルで拭く。
ディアナ様の部屋にある暖炉に冬の終わり以来久々に火を入れ、部屋を暖める。
しばらくすると部屋は汗ばむほどの温度になったが、ベッドに寝かせたディアナ様は
依然寒そうに体を細かく震わせている。まだ意識は戻っていないようだ。
────だめだ、これじゃ体が温まらない。なんとかしなくては……!
僕は決心した。
これはディアナ様の命に関わる問題だ。恥ずかしいなどと言っていられない。
僕がまだ小さい頃に運河で溺れ体を冷やしてしまった時、ドナ姉さんが僕の体を
温めてくれた事があった。僕はそれと同じ方法を取る事にした。
一度大きく深呼吸して、覚悟を決めた。
「ディアナ様、失礼致しますっ!!」
僕は深々と頭を下げた。そして、寝ているディアナ様から着ている服を全て脱がせた。
ベッドの上でディアナ様の美しい身体が僕の目の前であらわになる。
乾いた服に着替えていた僕も再びそれらを脱いで裸になった。
ディアナ様の裸を見ないようにしっかりと目をつぶり、ベッドに僕も入る。
そしてそのまま裸のディアナ様を強く、固く抱きしめた。
こうやって人肌で直接暖めるのが、この状況での最善の策だ。
皮肉なものだが、昨晩とは逆の立場となった。
昨晩と同じ柔らかな肌の感触が伝わってくる以前に、昨晩とは全く逆の肌の冷たさが
僕の体温まで奪っていきそうになる。
このままディアナ様が消えてしまいそうな気がして、抱きしめる腕に力を込めた。
不思議なことに昨晩のような恥ずかしさや嫌らしい感情といったものは僕の心にはなかった。
あるのはただ、自分の大切な人を救わなければならないという使命感だけだった。
ディアナ様しっかりして下さいディアナ様僕がもっと早く見つけていればディアナ様目を
覚まして下さいディアナ様僕はどうなっても構いませんからディアナ様どうか一命だけは
ディアナ様ディアナ様ディアナ様っ……!!
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「……ディアナ様、起きてください。ディアナ様」
それまで固く閉ざされていたまぶたが一瞬ぴくっと動いたあと、ゆっくりと開いていく。
その奥の瞳からの視線が、僕の存在に気付いてこちらに向いた。
ディアナ様はようやく意識を取り戻した。
「……ロラン、ここは……」
「よかった、ディアナ様。一時はどうなることかと……」
この時すでに体温がほとんど回復していたので、僕は少し前にベッドから出ていた。
僕は雨の中気を失ったディアナ様を連れ帰って、部屋を暖め看病していたと告げた。
「そうでしたか……。またわたくしは、ロランに迷惑をかけてしまいました」
「いえ、いいんですよ。どうか気になさらないで下さい」
「……ありがとう。ロラン。 あら? この服……」
「すみません。干してた洗濯物が雨で全部濡れてしまったので、かわりに僕の予備の
Tシャツを着ていただいてます」
「!! ということは、見て……しまったのですね」
「は、はぁ、ちょっとだけ……。も、申し訳ありません!」
「い、いえ、いいんです。どうか気にしないで」
二人して、顔を真っ赤にしてお互いうつむいてしまった。
実は見たどころか、小一時間は二人で裸で抱き合ってたなんて言えばまたディアナ様は
気を失ってしまうだろう。昨晩の出来事と同様、このことは黙っておくことにした。
すでに雨はすっかり止んで、夕焼けの光が僕とディアナ様の顔をより一層赤く染めていた。
柔らかな赤い光と静かな沈黙が辺りを包み込む。その沈黙を先に破ったのはディアナ様だった。
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「……ロラン」
「はい」
「これからも、わたくしはあなたに色々と迷惑をかけてしまうかもしれません。
それでもあなたは、このわたくしを許してくれますか……?」
いつにない神妙な面もちだ。この表情は、以前に見たことのあるものだった。
僕に一緒にこの山小屋で暮らすよう頼まれた時と同じだ。
僕はその時と同じように、自分自身の気持ちを素直に伝えた。
「何をおっしゃるんです。ディアナ様さえご無事でいらっしゃるなら、例えどんな
迷惑なことがあっても構いませんよ」
ディアナ様の顔色がふっと明るいものに変わった。僕は念を押してこう続けた。
「僕はディアナ様の使用人として、ここで一緒に暮らしているんですから」
「そ…… そうですか。ありがとう、ロラン。これからもよしなに頼みますね」
ほんの一瞬だが、ディアナ様の表情が落胆の色を見せた……ような気がした。
僕は何か間違ったことでも言ってしまったのだろうか?
しかしすぐにいつものやわらかな微笑みを僕に見せてくれた。
とりあえずディアナ様が元気を取り戻したことで僕の心の中は喜びに満ちていた。
ディアナ様にはもう少し横になっていてもらい、急いで夕食の準備に取りかかった。
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次の日。
すっかり元気になられたディアナ様と一緒に、僕はいつものようにモビールで
ノックスへと買い出しに出かけた。
一緒に買い出しに出る時のディアナ様はとても楽しそうだ。普段は山小屋でひっそりと
暮らすだけの生活だから、こうして時々都会に出るのはいい気晴らしになるのだろう。
少し前にノックスにも『デパート』ができ、今回は見物がてらそこで買物をすることにした。
都会の人々の関心も高いようで、デパートの売り場は多くの客でごった返していた。
そんな中、ディアナ様が寝具売り場へいきたいとおっしゃった。
なんでも、抱き枕を買いたいということらしい。
普通の枕では駄目なんですか?と僕が聞くと、
「あ、あのっ…… そ、そうです、最近手元が寂しくて夜なかなか寝付けないので……」
と、よく判らないが顔を真っ赤にして、なにやら慌てた様子で答えられた。
────僕が抱き枕にされた夜はあんなに熟睡していたというのに?
とはいえ、本物の抱き枕があればあの晩のようなことも起こらなくてすむと思って、
僕も一緒に抱き枕の品定めをした。
最終的にディアナ様の意向で、僕の背丈くらいある大きな抱き枕を一つ選び出した。
早速今晩から使われるとのこと。
代金を支払い、抱き枕を受け取ったディアナ様の横顔が心なしか寂しげに見えたのは、
僕の気のせいだろうか?
--------
<あとがき>
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