『闇と光と』


ここ最近は、心持ち暖かくなってきたようです。
あんなによく降っていた雪も今では冷たい雨にかわり、
時折強い風と雷を伴って強く降ることもあります。
この嵐が幾度か過ぎれば、やがて生命の息吹に満ちあふれる春がやってきます。
今からとても楽しみです。

で、今日はその嵐の日。朝からずっとこんな天気です。
ロランはノックスまで買い出しに行こうと思っていたようですが、この天気では
さすがに車を出せない様子。一緒にこのコテージでぼんやりと過ごしています。

「なんだか暇になっちゃいましたね、ディアナ様」
「そうですわね。フフフ」
「……? ぼく、何かおかしいですか?」

いえ、ただこうして二人でぼんやりと過ごしている時間も、
わたくしにとっては何物にも代え難いものなのですよ。

「そんなにお暇でしたら、わたくしのチェスの相手でもしてくださいな」
「ええ、喜んで」

--------

ロランには以前、このわたくしが直接チェスのやり方を手取り足取り……って足は使いませんが、
こちらに越してきてから念入りに教え込みました。
そう、ロランに密着するくらいすぐお隣に座って、駒を持つロランの手を取って。
時折ロランの頬がわたくしの頬にふれ、ロランの体温が直接肌に感じられて……。

はふぅ。

……はっ。
わたくしったらまた妄想が暴走して小一時間ほどフリーズしていたようです。
こんな事でどうしますよディアナ・ソレル。いちいち細かいことで暴走していては
これからロランとの関係をより深めていくことなどできましょうか。

そんな下心夜中の夜明け状態のわたくしをよそに、ロランのチェスの腕前は
メキメキと上達していきました。
今ではわたくしと互角以上の勝負ができるほどに。
そう、チェスを通してなら、ロランとわたくしは真剣に心をぶつけ合うことができるのです。

できることであれば、わたくしとロランが一糸まとわぬ姿になって
真剣に心と体をぶつけ合い、お互いの体温を確かめつつ激しい勝負を……。

はふぅ。

--------

結局今日のチェス対決は、全7戦中4対3で辛くもわたくしが勝利しました。
実は結構危なかったのです。実際1回だけ「待った」を使ってしまいましたし。
それでもその勝負は負けてしまったのが師匠として少しばかり屈辱的ですけれど。

それにしても、また腕を上げましたね、ロラン。
こうしてロランが少しずつ成長していくのを見守るのも、わたくしの幸せの一つです。

ひとしきりのチェス勝負のあと。
いつものようにロランが作ってくれたおいしい夕食を堪能すると、
すっかり夜が更けてきました。
それまでの間、ずっと嵐は続いたままでした。

--------

朝からの嵐は、夜になってさらに強さを増してきました。
雷も徐々に激しくなっています。

「ディアナ様、なかなか嵐が収まりませんね」
「そうですねロラン。このコテージ、ちゃんと持ちますでしょうか」
「それなら安心ですよ、ビシニティーでも一級の木材を取りそろえて作られたそうですから
多分大丈夫かと」
「……そうですね、確かに作りもしっかりしていますものね」

このコテージの頑丈さもさることながら、あなたの声が一番わたくしを安心させてくれます。

「あ、でも」
「どうしました?」
「駐車場の小屋の方が少し心配になってきました。ちょっと行って見てきます」
「気をつけてね、ロラン」

彼は足早に小屋の方へと駆けていきました。

ダイニングに一人残されたわたくし。
ざぁざぁと激しく打ち付ける雨の音と、だんだん近くなっている雷の音だけが
部屋に響いています。
以前の戦いの時は一人気を張って作戦行動を指揮していたわたくしも、
この身一つでは多少不安にもなってまいります。
しかしすぐに、少し遠くでロランの声が。

「ディアナ様ぁー、駐車場も無事でしたー。ちょっと雨で濡れたので体を拭いてますのでー」
「はいー。よしなにー」

そう答えてすぐ、わたくしが濡れたロランの髪や体を拭いてあげますよ、と
言えばよかったと少々後悔するわたくし。
とはいえニブチンロランの事ですから、結局は同じ結果になっていたことでしょうね。
それでもロランの声を聞けて、ほっと胸をなで下ろすわたくし。

その瞬間。

--------

あたりがいつになくまぶしく光ったかと思えばほぼ同時に、
まるで爆発でも起こったかのような激しい雷鳴。

「キャアァ―――ッ!!」

さすがのわたくしもこの時は驚いて、耳をふさいでそのまましゃがみ込んでしまいました。
どうやらコテージのすぐ近くに落雷したみたいです。

雷鳴が収まったようなので、一緒につむってしまった目をゆっくりと開きました。

あたりは真っ暗。
今の雷のショックか、停電になってしまったようです。

わたくしが部屋の中で一人暗闇の中おろおろしていると、すぐに遠くでロランの声が。

「大丈夫ですかぁ――、ディアナ様ぁ――」
「ええ――、大丈夫ですよ――」
「このまま地下室の配電盤を見に行くので、ちょっと待っててください――」

ここの電力はすべて、屋根の上全面に苔むすように生えている発電芝(ナノマシンによる
太陽光発電システム)でまかない、余った電力を地下室の家庭用バッテリーに貯蔵して
夜間はそれを利用して部屋の明かりを灯します。
先ほどの雷で、おそらくバッテリー用のヒューズが飛んだか、屋内配電用のブレーカーが
落ちてしまったのでしょう。
ここは下手に動かず、じっとしているのが最善のようです。

暗がりの中またしばらくして、今度は下の方からロランの声。

「……原因がわかりましたー。3分待ってくださーい」
「……2分ですませて下さいましー」

正直言ってわたくし、暗闇というものは好きになれません。
月の女王としての宿命が、わたくしに暗闇を恐れさせることになったのです。

--------

見た目でこそわたくしは、うら若きキエルさんと瓜二つの若さに見えますが
実質的には2000年以上もの年月を経てきたこの体。
そしてその内の何百年かは、冬の宮殿での冷凍睡眠という形で過ごすことになります。
すべては、長期にわたり月世界の住民の人心を掌握せんがための、月の女王の宿命なのです。

冷凍睡眠の直前に、ナノマシンの入った専用の睡眠導入薬の錠剤を飲みます。
そしてすぐに『ゆりかご』(冷凍睡眠用カプセル)に入り、重いふたが閉められます。
わたくしの周囲は漆黒の闇に包まれます。
やがて『ゆりかご』の温度が徐々に下がっていきます。
自分の体もだんだん冷えていくのがわかりますが、同時に先ほど飲んだ薬が効いてきて
全身の感覚がなくなり、寒さも暖かさも感じない状態になっていきます。

五感のすべてが機能しなくなっていく中ただひとつ、わたくしの『意識』が、
いえ、『魂』が、と言い換えた方がよろしいでしょう。
その魂が、底なしの寒さの中にたたき込まれるような感覚がしてくるのです。
そして魂を含めたわたくしの存在全てが、漆黒の闇の中に取り込まれてしまうかのような
幻覚にとらわれていくのです。

今に思えば、あれが『死』というものなのではないでしょうか。

おそらく普通の人間であれば、人生の最後の最後で1回だけ体験すればいいことを
わたくしは長い年月の間に何回も何回も繰り返してきました。
そしてその度に、底なしの恐怖が暗闇の中にいるわたくしを脅かします。

できることならば、あんな思いをするのはあと1回だけにしたい。
そしてその時を、暖かなベッドの中で、安らかな心を持って迎えたい。

こんなわがままにロランを付き合わせることになってしまい、彼には本当に
申し訳なく思っています。
でも、こんな事に付き合ってもらおうと思えるのは、ロランを置いて他にはいないのです。
本当にごめんなさい。そして、本当にありがとう。ロラン。

--------

そんな事を思い出して、非常時にもかかわらず
ちょっぴりセンチメンタルな気分にひたっていたのですが。

……おかしい。
先ほどから3分どころか、もうすでに10分以上は過ぎています。
もしや、ロランの身に何かあったのでしょうか……?

こんな時ロウソクの1本でもあればかなり不安はかき消されるのでしょうが、
なんといっても生活能力絶無のわたくし。ロランがどこになにをしまっているのか
さっぱりわからないのです。
ああ、なんて情けないのでしょう。こんな事でどうしますよ、ディアナ・ソレル。

ふと気がつけば、あんなに激しく降っていた雨が今はぴたりと止んだみたいで
あたりには物音一つしません。
風や雷も、いつの間にやらどこかに消えてしまったようです。

無慈悲な漆黒の闇と静寂が、わたくしの心を容赦なく凍えさせて行きます。
無意識のうちにわたくしは椅子の上で立て膝を抱え込んで、背中を丸めていました。
それはまるで、うち捨てられた子猫のように。
わたくしは勇気を振り絞って、彼の名を呼んでみました。

「ロラン……?」

いつもであれば、取って返すがごとく元気のいい返事が部屋に響くのですが。
静けさがそのまま、一人で居るには少し広いこの部屋に満ちています。
彼の耳には届かなかったのでしょうか。
ますます不安になって、もう一度彼の名を呼んでみます。

「ロ、ロラ――ン……」

先ほどよりも少々上ずったわたくしの声が、暗闇の中に吸い込まれていきます。
が、そのあとはなにも見えません。なにも聞こえません。なにも。なにも……。

「……ロラン、ロラン……!  ロラァァァァァァァァァァン!!!」

--------

ぱっ。

あまりの恐怖に駆られ、自分でも信じられないほどの大きな声でロランの名を叫んだ瞬間、
部屋の中が明るい光に包まれました。
電力が回復したみたいです。
わたくしは条件反射のように椅子から離れ、その場に立ちつくしました。
やがて地下室から、バタバタとあわてた様子で階段を駆け上がる音。

「ディ、ディアナ様、大丈夫ですかっ! お怪我はありませんかっ!」
「……えっ、あ、ええ……」
「お待たせしてすみませんでした。配電盤から外に繋がる配線でひどく焼き切れた所が
あとで見つかって、必死で修理してたんです。どうも遅れてごめんなさい。
ディアナ様こそ、お一人で心細い思いを……」

ロランの申し訳なさそうな顔を見ているうちに、わたくしは両頬に
なにやら熱いものが流れたのを感じました。

涙でした。

--------

わたくしの頬を流れるのが涙だと気づいた瞬間、急に胸の中がぎゅううっと
締め付けられる感覚にとらわれました。

「あ、あの、ディアナ様……?」

ますますわたくしの心が苦しくなってきます。

「……えっ、あ、あぅっ、うぐっ、ううううぅっ……」

その苦しみから逃れようとして、わたくしは思わずロランの胸の中に飛び込んでいました。
女王としての、いや、一人の女性としての恥も外聞もかなぐり捨て、彼の胸の中で
涙を流し続け、嗚咽を漏らし続けました。
そんなわたくしの髪を撫でながら、彼は黙って自分の腕の中に引き留めておいてくれました。
いつまでも。いつまでも。
少し背の伸びた彼の胸の中で、ついさっきまで感じていた心の冷たさが
ゆっくりと暖められていくのを感じました。

--------

気がつくと、わたくしは自分のベッドの中で横になっているのに気付きました。
どうやら、あのまま泣き疲れ眠ってしまったみたいです。
そのあとロランがベッドまで運んでくれたのでしょう。

カーテンの隙間から差す朝日。今日も元気そうな小鳥たちの歌声。
そして、いつものようにロランの作ってくれる朝ご飯のおいしそうなにおい。

「おはようございます、ディアナ様」

そんないつものあなたの声が、わたくしに生きる力を与えてくれます。

そうです。
こちらに越してきたばかりの頃のロランでしたら、昨夜のような事態になったとき
泣き崩れるわたくしの周りでただオロオロとしているばかりであったでしょうね。
でも昨夜は違っていました。
昨日のチェスの腕前と同じく、あなたはわたくしが思っていた以上に成長していたのですね。

そしてわたくしは、自分が思っていた以上にロランを必要として……。

「あ、あの、ディアナ様……?」
「……おはよう、ロラン。フフフ」
「……? ぼく、何かおかしいですか?」
「いいえ。さて、今日もおいしそうな朝食ですね。早速いただきましょうか」
「そうですね。では、いただきまーす!」

幸い、わたくしはこちらでの健康的な生活のおかげで
このままの暮らしを当分は続けていくことができそうです。
ですから時々は、わたくしのチェスの相手もしてくださいましね。
わたくしもがんばってさらに腕を上げますので。

これからもよしなに、ね。 ロラン。

--------

<あとがき>

<トップに戻る>