『二人と世界』 [前編]
「あ、それなら、わたくしがあとで入力しておきましょうか?」
そのとき僕は、なぜディアナ様が月からの物資調達のための注文票を送信しようと言って
下さったのか、判っていなかった。
珍しいこともあるなぁ、と思いながら僕は
「いえ、それは僕の仕事ですから」
と、今までにも何回かディアナ様に言った記憶のある答えを返したけど、
「久しぶりにキエルさんにメールでも書こうかと思って。そのついでにですよ」
と返され、それじゃすみませんがお願いします、とお任せすることにした。
書いておいた注文票をディアナ様に手渡し、入力する項目と内容を伝えた。
今になって思えば、実は注文票の入力がディアナ様の本来の目的で、キエルお嬢様への
メールこそ『ついで』じゃなかったんだろうか、と考えることもある。
しかしそれは僕達にとって、ちょうどいい『きっかけ』だったのだ。
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ディアナ様がご自分のメール端末を使って注文を入力されたのは、まだ森の木々が
紅く染まっていた頃だったけど、その注文した物資が届いたのは家の周りがすっかり
雪で覆われていた頃だった。
長い間降りつづけていた雪がようやく止んで、雲の隙間から久しぶりに穏やかな朝日が
射した、とても静かな早朝だったと記憶している。
その静けさをかき消すかのごとく、独特の振動音を唸らせて月からの荷物を載せた
フラットが僕とディアナ様の住むコテージの庭にゆっくりと着陸した。
「それじゃ、ここにサインをお願いします」
「いつもご苦労様です。どうぞ少し休憩していってください」
「ありがとうございます。では遠慮無く」
わざわざ親衛隊直々に月から物資を届けてくれているのだから、せめてお茶の一つくらい
出さないと申し訳ない。それに僕自身、月が今どんな様子なのか聞きたいというのもある。
物資が入った段ボール箱を玄関まで持ってきた後、僕は物資を届けてくれた親衛隊の
若い隊員さんにいろいろと月の話を聞かせてもらった。
以前ディアナ様(と入れ替わったキエルお嬢様)と親衛隊長のハリーさんが婚約されたという
話は聞いていたのだけど、婚礼の儀式の前にどうも『おめでた』になったということらしい。
まだ親衛隊や王宮内のみにしか知らされていないとのことで、一般市民にどう説明するべきか
王宮の上層部では頭を抱えているそうだ。これはさすがに僕も驚いた。
それに、今までの月での考え方としては主流だった、冷凍睡眠などを駆使し人口を増やさない
ようにしてきた政策が見直されはじめ、自由に子供が作られる環境にしていこうという考え方が
議会でも取り上げられてきているとのこと。
おそらく、キエルお嬢様の考え方がディアナ様の権威を通して出てきているのかな、とも思ったが
実はディアナ様とキエルお嬢様の入れ替わりは王宮内でもお嬢様本人とハリーさんしか知らず、
ここに物資を届けてくれるのも、地球との戦時に活躍したムーンレィスに対し女王の勅命で
行っているということになっているので、その辺の事情をおそらく知らない隊員さんに僕は
「へ〜、そうなんですか、月も色々変わってきてるんですね〜」
と、なんだか奥歯に物が挟まったような返答しかできないのだった。
あまり長い間お引き留めするのも悪いので、話の頃合いを見計らって僕は親衛隊員さんに
再びお礼を言って、上空高く飛んでいくフラットが見えなくなるまで玄関で見送った。
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そして僕は、物資の入った段ボール箱を開け、注文票の控えと中身を一つ一つ照らし合わせて
いった。
生活に関するものは地球上で、というかノックスに買い出しに行けば十分間に合うのだけれど、
ディアナ様が月のキエルお嬢様に政策上のアドバイスをするための資料とか、月での新刊本、
地球の技術ではまだ作ることの出来ない電気製品などは直接月に注文するようにしている。
段ボールの中身と注文票の内容は一致していたのだが、一つ僕が注文した覚えのないものが
その段ボールの中に入っていた。ディアナ様が追加で注文されたのだろうか?
ちょうどその時、起きてきたディアナ様が僕の近くを通りかかった。
「あ、ディアナ様、おはようございます。さっき月からの物資が届いたんですけど」
「おはよう、ロラン。その中にジグソーパズルが入っていませんでしたか?」
「やっぱりディアナ様が注文されていたんですか」
僕は段ボールから、そのジグソーパズルの箱を取り出し、ディアナ様に見せた。
「これですね……。 うわ、3000ピースもある」
「どうせ作るならこれくらいのものでないと、面白くありませんよ」
「でもジグソーパズルならノックスでも普通に売ってますよ。わざわざ月から取り寄せなくとも」
「いえ、その絵柄のパズルはここでは手に入らないはずです」
ディアナ様にそう言われて、箱を自分の方にひっくり返し絵柄を確認した。
「……あ、確かに」
「でしょう? あとパネルは次のノックスでの買い出しの時にでも買っておきましょう。
ところで……」
「はい、何でしょうディアナ様」
「これを作るの、一緒に手伝ってくださいましね(にっこり)」
「……は、はぁ、わかりました」
正直、僕はジグソーパズルは苦手だったりするのだけど、ディアナ様にそう命じられたならば
仕方がない。頑張って手伝うことにしよう。
それに、手伝っている間はディアナ様のすぐ横にいられるわけだし。
それにしても、なぜこの絵柄のジグソーパズルをディアナ様はお選びになったのだろう。
そもそも、暇つぶしに最適とはいえ、なぜジグソーパズルを作ろうと思われたのだろう。
この時点では、僕の頭にはその疑問に対する答えは全く思い浮かばなかった。
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結局、月から届いたジグソーパズルを組み始めたのは、その日の夜になってからだった。
遅めの朝食のあと家事を済ませ、昼からは溜まっていた洗濯と部屋の掃除。
夕食は幾分早くすませて、それからジグソーパズルをリビングルームの床に用意した。
暖炉の火の明かりに照らされながら、僕たちは二人、黙々とパズルを組み上げていく。
そんな中、僕はパズルに夢中になっているディアナ様の横顔をちらっと眺めた。
そういえば、ディアナ様が何かに真剣になっている表情はここしばらく見てなかったなぁ。
二人でチェスをしていた時に次の手を考えているディアナ様の表情が近いような気もするけど。
しかしチェスも長いこと指してないなぁ。飽きてしまわれたのかな……。
「ロラン」
「! は、はい」
「手が止まっていますよ」
「え。す、すみません。ええっと、このピースは……」
「それなら、ちょうどこの辺りじゃないですか? ほら、ここ」
「あっ」
ディアナ様はふと、パズルのピースを持っている僕の手を取った。
ディアナ様の手が触れた瞬間、僕の心臓が急激に収縮した。
その手は、ディアナ様の目の前の既に何十ピースか組み上がっている所にまで持って行かれた。
その端の辺りで、僕の持っていたピースが吸い寄せられるようにひっついた。
「ほら、ね。ぴったり!」
そう言って、ディアナ様は僕の方に向かってにっこりと微笑んでくれた。
こんな笑顔も、ここしばらく見ていなかったような気がする。
僕の心臓の鼓動は幾分早まっていた。おそらく顔も少し赤くなってしまっただろうと思ったが
暖炉からの赤い明かりのおかげで何とかごまかせそうだ。
そうだ、こうして二人で一緒に何かすること自体、久しぶりなんじゃないだろうか。
食事の時はさすがに一緒に過ごすけれど、それ以外では僕は家事全般に時間をとられてしまうし、
ここしばらくディアナ様はキエルお嬢様への政治的なアドバイスのための資料整理で忙しそうに
されていたしで、こうやって二人で時間を共有することがなかなか出来ないでいた。
それに、このコテージに越してきてから結構経つし、二人の生活の中で新鮮さがなくなりつつ
あるのかもしれない。もう少し、ディアナ様と過ごせる時間を大切にしないと……。
「……ロラン」
「! は、はい」
「また手が止まっていますよ」
「す、すみません……」
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さすがに一晩で3000ピースのジグソーパズルが完成してしまうはずもなく、時間も遅くなったので
ひとまず今晩は終了とし、続きは明日の昼からということになった。
僕は自分の寝室のベッドで、このコテージに越してきてから今までのことを思い返していた。
最初はディアナ様のお側にいるだけで、さっきディアナ様に手を取られた時と同じくらいドキドキ
していたものだった。でも最近は、二人で生活しているのが当たり前になってしまっている。
ディアナ様は現在の共同生活に満足されているのだろうか。ひょっとすると、ディアナ様自身も
退屈されている可能性もある。だからジグソーパズルの一つでも作ろうか、という気になったの
かもしれない。
やはりディアナ様にお仕えする者としては、ディアナ様を退屈させるようなことはしてはいけない
だろう。なにか心理的に刺激のある事をしないといけないんじゃないか。そうはいっても……。
こんな事を考えているうち、いつの間にか眠ってしまった。
そして翌朝。
いつも通りの時間に目が覚めた僕は、冬の朝の寒さにくじけそうになりながらも気合いを入れて
ベッドから飛び抜けるようにして起きた。外はまだ暗いままだ。
急いでキッチンに向かい、ストーブに火を入れる。ゆっくりと部屋の中が暖かくなってくる。
そして僕はおもむろに朝食の準備を始める。
いつもと同じ朝。いつもと変わらない僕の行動。そしてディアナ様も、いつものように少し遅れて
朝食ができあがる頃にゆっくりと起きてくる。
そして、僕たちはいつもと変わらない朝の挨拶を交わす。
「おはようございます。ディアナ様」
「おはよう、ロラン」
そう、いつもであればこうなのだけれど、その日の朝は違っていた。
すでに朝食ができあがっているというのに、まだディアナ様が起きてこない。
朝食の皿を並べ終わったテーブルを前にして座っていた僕は、しびれを切らしてディアナ様の
部屋に向かった。
「ディアナ様、もう朝食の準備ができてますよ。ディアナ様ぁー」
ドアをノックしながら僕はディアナ様の返事を待った。しかし中からは何も聞こえてこない。
おかしいな、と思った僕はドアのノブをひねった。鍵はかかっておらず、すんなりと開いた。
「ディアナ様、失礼します」
僕はおそるおそるドアを開け、部屋の中をのぞいた。
ディアナ様はいらっしゃらなかった。
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「ディアナ様、どこにいらっしゃるんですか、ディアナ様ぁーー!」
僕はコテージの中の部屋を順番に小走りで回っていった。
リビング、風呂、トイレ、来客者用の寝室、再度キッチンとダイニング。
まさかとは思うが僕の部屋、まず滅多に行くことのない屋根裏部屋や地下の倉庫。
どこにもいらっしゃらない。
となると外しかない。僕は玄関の方に向かった。
案の定、ディアナ様のブーツが見あたらない。深く雪が積もっているというのに、ディアナ様は
外に出られたというのか。
僕もあわてて自分の部屋に戻り、コートとマフラーを羽織ってから急いで表に出た。
ディアナ様が付けたと思われる足跡が、雪の上に点々と続いていた。僕はその足跡をたどって、
少し急いでディアナ様のあとを追うことにした。
足跡はコテージより少し高いところにある丘の方に向かって続いていた。
柔らかい雪を踏みしめながら10分ほど歩くと、丘の頂上にまでたどり着いた。
外に出た時はとても寒かったのに、ここまで上ってくるとすっかり体が温まっていた。
顔を上げると、空が少し明るくなっている方向に向かってディアナ様がたたずんでおられるのが
見えた。
「ディアナ様、ここにおられたんですか」
「あ、おはよう、ロラン。ちょうど良かった。ほら、あそこ」
「えっ」
ディアナ様が遠くの雪山の方に向かって指をさした。僕もディアナ様の近くに行き、ディアナ様が
指し示す方向に顔を向けた。
朝の太陽が、白い山の麓からゆっくりと顔を出し始めた。
オレンジ色の柔らかな朝日で、暗闇に覆われていた森や湖が急速に彩りを取り戻していく。
「綺麗ですね……」
そう言ってディアナ様はじっと、太陽が徐々に昇っていく様子をしばらく眺めておられた。
明るいオレンジ色に染まるディアナ様の横顔は、その朝日のすばらしさに引けをとらないくらい、
僕にはとても美しく見えた。
「本当だ、すごく綺麗です、本当に……」
それからしばらく、僕たちは二人、丘の上で世界が明るくなっていくのを見届けていた。
「あ、そうだ、ディアナ様、朝食の準備ができているんですけど」
「えっ、もうそんな時間ですか。ごめんなさいロラン、早く目覚めたものだから、久しぶりに
朝の散歩でもしようかと思って」
「いえ、いいんですよ。とにかく、そろそろ家に戻りましょう」
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辺りはすっかり明るくなって足下の様子もよく見えるようになったのだけど、下りの道は少し
歩きにくい。ディアナ様が転んではいけないと思って、僕は斜め後ろを歩くディアナ様の方に
どうぞ、と言って手を差し伸べた。
「あら、ロラン、手袋はしてこなかったのですか」
「……えっ、あ、そう言えばあわてて出てきたので、忘れてました」
「ではすっかり手が冷えているのではありませんか」
しまった、確かにこんなに冷えた手を差し伸べたのではかえって失礼になってしまう。
僕はあわてて差し伸べた手を引っ込めようとした。その時だった。
「なら、わたくしも手袋を外します」
「えっ?」
ディアナ様は片方だけご自分の手袋を外してコートのポケットにしまい、はずした方の手で
僕の引っ込みかけた冷たい手を取った。
ディアナ様の手の温もりが、僕の冷たい手を通して伝わってきた。
「ほら、やっぱり手が冷え切っていますよ。こうすれば、少しは暖かくなるでしょう」
「……あ、いえそんな、そこまで気を使っていただかなくても」
「ロラン、先ほどはわたくしのことが心配でわざわざここまで迎えにきてくれたのでしょう?
だからわたくしにも少しくらい、あなたのことを心配させて下さい」
「……」
なんというか、思いがけないディアナ様の言葉に感激してしまって、こちらから返す言葉が
無くなってしまった。
僕はそれでも、別の言葉をひねり出すようにして答えた。
「……あ、あの、ディアナ様」
「はい?」
「ありがとうございます。そこまで言っていただけるなんて光栄です」
「いいえ、こちらこそ。 ……いつも本当にありがとう。ロラン」
……だめだ。何だかうれしくて少し涙ぐんでしまった。
僕は時々鼻をすすって涙がこぼれそうになるのをこらえながら、ディアナ様の手を取って家に
戻った。
家に戻ってみると、できあがっていた朝食はすっかり冷めてしまっていた。
僕は急いで温められるものに再度火をかけ、温めなおした。
少し味は落ちてしまったけれど、その分、ディアナ様との食事の時間はいつもよりいい雰囲気で
過ごすことができた。
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その日の昼食のあと、再び僕たちはジグソーパズルと向き合うことになった。
「……ねぇ、ロラン。わたくし、思うんですけれど」
パズルを組み始めてからしばらく続いていた二人の間の沈黙が、ディアナ様によって破られ始めた。
「この世の中に起こる出来事は全て、このジグソーパズルみたいなものだと思うのです」
「……ディアナ様、それはいったいどういう事ですか?」
それからしばらく、ディアナ様によるジグソーパズルを手にしながらの講義が始まった。
「世の中の全ての事象は、それぞれがこのジグソーパズルのピースのように何かに、そして
どこかに繋がっていくとは考えられませんか」
「この一つのピースが別のピースと組み合わさり、また別のピースや、別の固まりと組み合わされて
だんだんと大きな固まりを作っていきます。人が集まり、家族、そして社会、やがて国家を作り上げて
いくことに例えられます」
「しかしピースの固まりと別の固まり。この二つを無理矢理繋げようとしても、隣り合う型が合わな
ければ決して繋がることはありません。以前月と地球が争った時のように、互いの民族や国家が
戦争状態となっているようなものです」
「しかしその間に何か一つでも『きっかけ』となるピースが見つかり、それぞれの間に程よく収まれば、
それ以降二つの陣営は一つにまとまることができるのです。そう、さしずめこの間に収まってくれる
ピースは、さっきの話で言えばロランみたいなものなのかもしれませんね」
僕は呆然とした。
僕には単なる暇つぶし、あるいは気晴らしの対象としてしか考えられなかったジグソーパズルで、
ディアナ様はこんなに哲学的なことが考えられるのか。
改めて、月の女王陛下としての尊厳が直接この身に伝わってきた。
ディアナ様は、なおも話を続けられた。
「例えばこのピース。一つだけ持っていても何の意味もありませんが、全てのピースの中の1つ
だと考えれば、その1つが欠けるだけでジグソーパズルの絵柄、すなわち世界が不完全なものと
なってしまいます」
「一つ一つの事象はそれ単体でとらえるものではないのです。時間的、空間的な繋がりを考慮すれば
何らかの必然性があるからこそ、そこに存在しているのです」
「先の月と地球の間の戦争は非常に残念な出来事でしたが、その中でもキエルさんやソシエさん、
わたくしに良くして下さった地球の皆さんと出会うことができたのも、そして、ロラン。あなたと出会い、
こうして二人で暮らしているのも、何かの必然性があるからとは考えられませんか……?」
いつしかディアナ様の手は、手元のパズルのピースではなく、床に落としていた僕の手に
添えられていた。
そしてディアナ様の瞳は、じっと僕の方に向けられていた。
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