クド沢でのビバーク        
 自分自身このような失敗談を書くのは非常に恥ずかしい。過去仲間同士で行った時の失敗とかは仲間同志で話題のタネになり、そういった仲間とのより深い結びつきのイッカンともなる。
 しかし自分の失敗談などを話すのはすごく恥ずかしいし、万一話した場合でもピントをぼかして話したりしていた。そんなわけで、過去のそう言う話は、苦い経験、辛い思い出として僕の胸の奥にしまい、風化させるつもりでいた。では何故こんな話を恥じをしのんで書いているのかと言えば、過去の強烈な思い出があったからだと思う。
1で書いた棚沢のことだ。沢の出合まであと一歩の所で、またあと15分も下れば小屋があると言うのに、この場で倒れる無念さと言うのが伝わってきた。実際涸滝の下にはザックがあり、その中の時計はまだ確実に動いていた。整理整頓の行き届いたザックの中にはその日の行動記録を事細かに書いたメモ帳も出てきて、その人の人柄が浮んできた。
 それ以上に、残された方々の辛い気持。その後、手紙を頂いた時の文面を読んで、どれほど悲しい気持でいられるか察するに余りあるほどだった。僕自身、その時動揺して乱筆の汚い字と、ちゃんとした文面で手紙を遅れなかったことをいまだに後悔している。
 その時に思ったのは、山に単独で登られる中高年の男性の方々が以外に多い、と言うことだった。それと中高年の女性のグループ。経験の少ない若い人達。
 僕などは過去に若さにかまけて、事故もスリルの内と考え、一歩間違えれば大変だったことを随分としてきた。しかし若干の慎重な性格と若さと、体力で乗り越えることができた。それに親しい友人や先輩のちゃんとした指導も危険をかわすのにどれたけ役立ったかわからない。

 本などを読んで頭で分かっていたとしてもアクシデントに遭遇すると言うのは遠い国のような気がしてしまう。だから分かっていながら、そのアクシデントに対する対処を怠ってしまうことが多い。
 アクシデントもいきなり起こると言うのではない。その兆候はいつもあるわけで、ヒヤリとしたことが起こっても無視し続けていることがある。その兆候といくつかの悪い環境が重なって起こることが多いと思う。
 スピード違反で捕まるのは運が悪かったのではなく、日頃からスピードを出しすぎる傾向を自分が自覚していないからかもしれない。逆に捕まることで、大事故につながるのを防いでくれていると感謝しないといけないのかもしれない。
 山などでは、そう言った違反行為は自己申告的だ。内なる呼びかけを無視していれば、いつかアクシデントが起こるのは自明の理だろう。

 19XX 夏
 以前、奥秩父の水晶谷に1人で入ったことがある。川俣から山懐の奥へ奥へと入っていくのは、気持を高揚させてくれる。釣橋小屋の一夜は、淋しさと、暗黒の夜の怖さ、朝靄の夢のような雰囲気など、1人でなければ感受できない感覚を味わうことができた。
 沢のツメも苔の生えた樹林帯で、さまようように登るうち稜線に辿りついた。重いザックを背負い、充分すぎるほど行動したためいささか疲労も蓄積していた。気持のよい雁坂峠で大休止したあと下山をはじめた。
急坂を下りる頃は、下で飲むビールなどを思ったり、うまいソバでも食べたいなど心ははや下界に飛んでいた。峠沢に至り、沢ぞいの道をなんなく歩いていく。そのうち河原となり思考能力もやや低下していたのか、気がつくと道が河原にまぎれて消えてしまった。
 四方を見てもそれらしい道もなく、下を見ると小川のような沢が続いている。道はこの小川を下るとまた現れるのではないか、と言うのが一つ。一旦道のあるところに戻って下りなおすと言うのが一つ、その二つが頭のなかに浮んだ。
 気持の奥ではこの小川の下に道があってほしいと言う願望があったのだろう。そのまま20分も下ると沢が深くなってきてしまった。ここで道を間違えたとはっきり分かった。
 だいたい20分山を下った場合、登るのはその倍の40分はかかる。体力は倍以上消耗するだろう。体力の消耗と間違えたと言う精神的なダメージもあって登りなおすと言う行為は果てしなく徒労に思えてしまう。振り返れば小川のような沢がまだ続き、心理的に里に幾らかでも近い位置にいる方が安心感が出てきてなおさら戻るのが嫌になってくる。
(山の本などでは道に迷ったら元の分かる場所まで戻れ、と口をすっぱく書かれている。しかし実際、そういった場面に遭遇すると大変に難しい行為だと本当に分かる。疲れていればなおさらだ。)
 その時も、自分はそう言ったこと、アクシデントには遭遇しない、と思っていた。思い上がりもいいところだナ。
 それにいままで険谷である水晶谷を越えてきたわけで、このような案内書にも載っていない沢など目じゃない、と言う気持も多いにあった。そこで自信をもってその沢を下り始めた。今回は水晶谷のルート図とその地域の2万5千分の1地図のコピーしか持っていなくて、その沢の地形とか現在位置も全然わからないでいた。
 下りていくと谷が深くなり様相が変わってきた。そのうち滝が現れる、クライムダウンしているうちは良かったが、今度は下りられない滝が出てきた。そこには過去に道を間違えた人がセットしたであろうナイロン製の太い縄が下ろされていた。それをバランスの一助にしつつ下りる。沢は蛇行しカーブには水の深い場所や滝が待ち構えていた。
 沢は核心部が始まったような険悪な様相となりカーブを曲がるごとに不安がよぎりだす。クライムダウンできない滝が出たときは自前のザイルで懸垂下降。もしザイルがなかったらここで立ち往生だ。無理して下りたら転落だろう。深い谷となっていて、高巻きもあるはずもない。一つの滝を越えるのに15分から20分も費やしてジリジリと下りていく。予想外の大変さに「おりなきゃよかった」と後悔する。これが道を間違えたときの悪い結果の見本だな。
 普通このあたりでパニックに陥るのかもしれないけど、いつも単独で歩いているので「ヤレヤレ」と言う気持でいられるのがせめてもの救いか。しかし下りれども下りれども屈曲と滝とゴルジュが続き、どのくらいこの行為をすれば下に着くのか見当がつかないと言うのは辛いことだ。
 気がついて時計を見ればすでに5時を過ぎていた。とりあえず休憩して座り込む。頭に血が上っているのでそれが下がっていくのを待つ。血が頭に上った状態で何かしてまともなことが出来たためしがない。
(競馬にしろパチンコにしろ頭に血が上っているうちは徒労の行為でしかない。気がつけばスッテンテンの自分がいる、と言うことが常であって、徒労の行為中は自分は現在マトモだ、と思っているのだからよけい始末が悪い。)
 飴玉を舐めつつ、今後どうするか考えはじめる。眼下にはまた大きな屈曲があってその先になにがあるかわからない。現在はまだ明るいし、今の場所は比較的広い平坦な場所と急でない山腹が見える。家のことは心配だ、しかしちゃんと計画書も置いてきた。以前も何度か遅れたときもあったが、その時は半日後電話している。だから半日の猶予は信頼してもらっている。
 そこでこれ以上ジタバタしても始まらない、そう考えビバークすることにした。大きめの沢に入る場合は必ずツェルトは持っていく。それに今回は一泊しているので、予備の燃料やら食料はある。その分かなり気楽なものだ。「過去のビバークなどはこれよりもっと悲惨だったもんな」と述懐したりする。
 まず沢でのビハークは天候とかを考える。事前に当日の天候が分かり晴れねのが確実なら河原でビバークするのが良い。しかし雲行きが怪しいとか、現在位置の分からない場所にいるなら沢からなるべく高い場所にツェルトを張るのがセオリーだろう。万一大雨が降った場合、上流からの増水で逃げ場を失って流されるのがオチだ。今回も夕方になって厚い雲が空を覆い雨も降り出してきた。
 沢から10mくらいの山腹のややゆるやかな斜面を整地し木と木の間にヒモを張ってツェルトを立てた。ビバークと言ってもなるべく整地なり、住環境を良くして休む方が肉体的にも精神的にも負担がかからない。
 半袋のラーメンを煮て食べ、後はお茶を飲む。暗くなったので太いローソクを灯す。時間的に早いが眠ることにした。シュラフカバーにくるまって眠る。夜になって小雨だった雨が、やや強い雨に変わる。下の沢はやや増水して流れる音も厳しくなっている。もし河原にいたら今ごろ暗闇で右往左往していたことだろう。
 しかし強い雨と、今後の沢の展開が気になって不安になる。みんな心配しているかな、などと思ったり、なんで引き返さなかったのだろう、と悔やんだり、その後はなかなか寝つくことができなかった。でもこれで気のみ気のままだったらもっと悲惨だったナ。
不安のあるビバークの時の夜は長い。強い雨でツェルトの縫い目から水が染み出てきてあたりを濡らす。夜の2時に起きてカッパを着て、ローソクを灯してあぐらをかく。こう言う時の火の光と言うのはなんて心を和ませ、励まし、あたためてくれるんだろうか。
「いつかあなたが1人で山に入ったとき淋しくなったらローソクの火を灯して、その光りを眺めてごらんなさい。勇気づけられ、その神秘的な明かりに心うち震えるでしょう」
 ローソクの火を見ていると時間のたつのが思った以上に早い。大体10分から15分、果ては5分起きに時計を見てみる。ずいぶん経ったかなと思って時計を眺めると5分も経っていなかったり、10分だと嬉しかったり。
 4時30となり、そうそろそろいいな、と言うことで出発の準備を始める。疲れていると意外と準備が面倒になる。そのうち外が薄ら明るくなってきた。外に出ると空は厚い雲に覆われていて雨も降り続いている。幸い沢の水は思ったより増水はしていなかった。
下に見える屈曲の場所まで下り沢を下りはじめる。水流に入り急な右曲がりを下っていくと緩やかになり、そこから10分も歩くと目の前がポッカリと開けて道が現れた。
 もう少し下れば道に出られたのに、と言うくやしさはあったけれど、自分の行動はべつに間違ってなかったと思っている。
登山道を下る舗装道路となり新地平までそのまま歩いた。途中帰りのタクシーが半額で乗せてくれると言うので乗り込み、8時前に塩山に着くことができた。早速家に電話をし、その後ビールを飲み、売店にて弁当を購入して食べた。今現在ここにいるのが夢のような気持ちでありました。外はいよいよ雨が激しくふり、テレビでは台風が近づいていることを報じていました。

 この悲惨な目にあったので、その後、道に迷ったり、沢に迷い込んだ場合はたとえ疲れていようが身体が先行して元の道に戻っていくようです。
 あの時まだ体力もあったので、乗り越えることのできた内容でした。しかしあれ以上の悪い状況だったり、身体が疲労困憊していたら、もっと辛い目にあっていたかもしれません。
 自分で本などを読み分かっているつもりでも、いざ実際の状況となるとなかなか元の道に戻ると言うのは難しいことです。こんな大げさではないにしてもアクシデント寸前と言うことなど結構だれでもやっているのではないでしょうか。その辺を自覚して自分なりにイメージトレーニグをするのも良いかもしれないです。

以前、日本テレビの「おもいっきりテレビ」を見ていたとき、今日は何の日コーナーで数年前の遭難のことをやっていました。
本とか新聞とかにのったのかもしれないですが。
九州は屋久島の宮之浦岳に登山していた人が頂上から下山中に道に迷ってしまいました。下っていくと沢に出て、その沢を下りれば下に着くと思い、登り返さずそのまま沢を下りていきました。しかし沢は深く長い。何日かビバークもしました。
 そのうち島では遭難事件と言うことになり、捜索がはじまりました。しかし屋久島は熱帯気候に近いので樹林と苔で島全体が覆われていて、一度道に迷うと二度と発見できないと言います。ちょっと水汲みにと言ったまま帰ってこなかった、と言う話も聞かれるくらいです。
 その方は随分ガンバリ屋さんで何日もビバークに耐えつつ沢を下りて行きました。捜索も何日か行われましたが結局何の解決も出来ぬまま中止になったようです。
 遭難した人は沢を下りつづけましたが、そのうち険悪な沢に阻まれて下ることが不可能となりました。絶望ののち、こんどはその沢を登り返し、頂に向かって引き返し始めました。宮之浦岳の沢は日本一険悪といわれる沢ばかりです。あのまま沢を下りてもまず下降は完全不可能です。
 頂に向かって登り続け、奇跡的に頂に戻ることができ、生還することができた。
と言う話でした。話の内容では、もう想像を絶する困難さで、よくガンバッタと言うしかありませんでした。
道を間違え、そこで戻りさえすれば、なんでもなかったかもしれません。戻らなかったためにその何十倍も大変な目にあってしまった。それでも生きて帰れたのだから僥倖と言えるでしょう。

最後に、ここでしめくくるのはお説教じみていて反発を食らうかもしれないですネ
だから道にまよったら元来た道にもどれ、と言うのは誰でも言えることです。そんなことはみなさんも重々ご存知です、よけいなお世話ですネ。

そこで
1一度道に迷って見る
2意識的に沢に下りてみる。
3山でビハークしてみる。

これをやってみると、無謀な行為はしなくなると言うか、できなくなります。
1をやる場合は複数でやること、とか自分より経験者の同行を願うこと。またトランシーバを所持したりする。
2の場合、深入りしすぎて、戻れなくなる場合がある。ザイルなど必要かな。
3は小屋の傍とかでやって見て状況を把握しつつやるのが良いです。冬だとあまりにもキツイです。

3は非常に大切かつ、山の厳しさを知るのに一番適しているかもしれません。夏でも着の身着のままでやる、と言うのでもかなりな効果があります。

意識的に山の恐ろしさの片鱗でも肌で感じることが安全な登山をする上で必要です。




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