某沢における遭遇
19XX 初夏
ある初夏の頃、いつものごとく1人で沢に入りました。日も長くなって沢登りには良い気候ではあるし、野山の花にも誘われて、お茶道具などをザックに入れ、時間があれば上で昼寝でもしよう、と言う自分でも良い計画を立てました。
場所はそれほど難しい沢ではなく、その時は厳しい沢に入る気分ではなく、のんびりウララに歩きたい気分だったので、人のあまり入らない沢を選びました。と言っても途中に大きな滝は一つあります。でこも今回はそれを見物したい、と言う物見遊山的な気分も含まれていて我ながら行く前からウキウキものでした。
林道の途中まで車を走らせ停めました。最奥まで入ると稜線から大回りして下りた時、車にもどるのが大変なので、下山したときに余計にあるかないで済むように林道の奥まで入らなかったわけです。車からザックを背負って林道を歩きはじめました。
なんかこう、林道をトボトボ歩いて山に分け入ると言うのは個人的に好きな状況なわけで、野山に咲く花など眺めつつ、「ああ初夏だな…」などとつぶやきつつ歩くのはなんとも気分が良いです。
林道終点から沢沿いの道をたどり、丸太橋などを渡りつつ山奥へ入って行きました。道も踏み跡程度となり、程なく例の沢の出合に到着。
休憩と同時に沢の支度をして出発。
前置きがながくなりました。先を急ぎましょう。
沢の小滝を気持良く越え、大滝見物も済ませ、沢の上流へとやってきました。展望も良くなり、稜線も見え始めました。古い案内書によるとこのあたりの二俣で右俣に入り、稜線にでるような文面になっていました。しかし2万5千/1地図では左俣の方がより沢に忠実に遡行するような感じですし、そのコースの方が直接、某山頂に辿りつける納得の行くものでありました。そう判断した私は左俣に入ることに決めました。
実際問題、ルート通りに遡行した場合、まず何の疑問もなく右俣を登るわけで、左俣に入るのは100パーセントありません。そこをあえて左俣に登ると言うのが僕の僕たる由縁かもしれません。自分の気持を先行させている、と言うか。
一休みしたあと、左俣に入りました。小滝がボチボチと現れ、急になっていき、それにつれて水も減ってきました。そこで水筒にお茶用の水を入れ、登り続けると水は涸れました。その後も涸棚が続き樹林と好展望が交互に続きました。
ややゆるい斜面になったとき、ふと前方に靴らしきものが見えました。よく見ると、靴は靴裏だけが見えていて、それ以外は土に埋まってしました。それと折畳み傘。傘はまだ新品に近くて、色もブルー系の洒落たかんじでした。「なんでこんなところにあるのか、誰か落としたか捨てたか、もったいない」と傘を拾い、持って帰ろうとしましたが、やや錆びていたので下に置きました。
山を始めて随分ながくなっていますが、山での落し物を随分たくさん見つけました。ザック丸ごととか、ヘルメット、シュラフ等、でも持って帰ったことはありません。どうしてだか分かりませんが。
それの傘を一瞥したあと、また登り始めました。急斜面となり涸滝が連続し始めました。それほど難しくはないが、急です。
3mほどの涸滝を登り始め、落口に手をかけ、グイと身を乗り出す格好で落口に顔を出しました。
その時、発見しました。と言うよりは顔から20cmも離れていないところに頭の骨がありました。ややうつむき加減で。
最初なにか分かりませんでしたが、それと分かるのに2秒くらいでした。
2秒後、なんと言うか左上5mくらいまでビュンと駆け上りました。そして急な斜面の木に飛びついてすごい動機のまましばらくぶら下がっていました。
こう言った状況に自分でもなれているはずですが、それでも……。
しばらくして迂回して上にある小屋に連絡する、と言う判断をしました。しかし間違って騒ぎを起こすと大変なので、もう一度確認することにしました。ぶら下がった状態からトラバースして今度は上からズリ下り、近づきました。
やはり人の頭であるわけで、骨なわけで、何度も見たことのある骨なわけで。確認後、疲れていた状態がウソのような足取りでツメを登りはじめました。息が上がってもそれほど疲れた感じはしません。
一気に登るとツメは樹林と草地の中に消え、なだらかな斜面となり足元は道のような踏み跡となって頂の肩へと続いていました。上に着いたときはガスがかかってきて、頂付近であっても現在位置を確認するのが難しい状態。このまま頂にいったらこの場所にもどってこれない状態です。しかたがないのでシュリンゲ(ザイルの細いのを輪状にしたもの)を5m間隔で木に縛りつけ頂を目指しました。
そこから10前後でガスのかかった頂到着。すぐに小屋にいって小屋番の人にその旨を伝えました。
いつものことながら、意見の総意を相手がつかむまで時間がかかります。こちらもやや取り乱しているし。
一息ついて、「それじゃあそこまで下りてみましょう」と言う事になり、「案内してください」とのこと。その時はもう一度確認する気持にはとてもなれるものではなく、「沢の下降の出だしまでまでなら一緒に行きます」と答え、了承してもらった。
1人タフそうな人と一緒に沢の下降地点まで行き、僕は小屋にもどった。
なんと言ってもその時まで昼飯どころか水も飲んでいなかったので、疲れが一気に出て小屋に座り込み飯を食い始めた。飲み物ほしいものありますか、と言うのでポカリスエットを貰って飲み干した。沢で入れてきた水はとりあえず捨てる。
しばらくしてタフそうな小屋番の人が帰ってきた。顔は下りていった時とは違って硬直したような形相。
やはり間違いないです、とこちらに言ったあと、あとの小屋番の人達と話込んでいた。その後、これから最短の道を下って車で警察に行くので一緒に行ってくれ、とのこと。僕は、車を山一つ向こうに置いてあるので無理だ、と断った。それに知っていることは全て話したし、それ以上のことは知らないわけだし、後は小屋のスタッフの人の方が土地カンとか行動しやすいし。
それ以上に、警察に行った場合、事情聴取が相当ながいし、関係無いことまで聞かれるし、果ては、家に電話してきて、僕のいない時に電話があって「山での骨の件」とか家族の者にストレートに話したりして家族が、過大な不安を抱くし。
そんなことで、今回は頂から近いし小屋のスタッフの人にまかせた方が絶対良いと判断し、後の全てをお願いした。
僕としても、小屋のスタッフがいない場合とか、まわりに人がいないのなら100パーセント警察に協力を惜しまない。いままでもそうしていたし。ただ、最初の時に懲りたので、そう言った件を自宅に電話してくる場合は不在なら、下り返し電話する、と言うかたちにしてもらっている。
なんか疲れがドドッと出てきて、それでも時間もないので車まで下山することにした。帰りがけに、飲み物どうぞと言うことでウーロン茶とポカリスエットを一個ずつ貰う。なんと言うかご褒美みたいな。
帰りは長い道のりで、休み休みあるいた。
貰ったウーロン茶を飲みつつ、これも一つのお茶飲みの形態だな、などと思いつつ4時間あまりかけて車まで戻った。
事故原因は何かと言われてもはっきりしたことは分からない。
ただ僕なりに勝手な推察をしてみよう。
頂からやや下付近はゆるやかになっていて草地と樹木が適度に配合した感じだった。頂から下りてくると、そのあたりは踏み跡やら登山道やらが交錯している。晴れていてたら見誤ることはないが、霧など出たら、スルスルと引かれるように低い方へ下りてしまいそうだ。
それに沢の下り口はヤブでもなく、不信も感じずに下りてしまうかもしれない。しばらくゆるやかな斜面が続き、そこからゆるい涸滝からだんだんと急な涸滝へと変わっていく。ゆるい涸滝で少し不信に思い、一旦上に戻ろうと言うのが普通かもしれないが、疲れていたり、先を急いでいた場合、もうちょっと下ってみよう、間違えるハズはないと思うかもしれない。
その下はもっと急な涸滝だ。普通の軽登山靴だと滑りやすいかもしれない。
これはあくまでも一つの推察なすぎない。本当のところはまったく分からない。
ただ言えることは、下りを間違えた場合でも、長年山をやっていると「自分は間違えるハズはない」と思ったりりする。また疲れていたり、山になれていなかったりした場合「間違いであってほしくない」と言う強い願望もうまれ、現実を直視するのが怖くてできなくなることもありうる。
もし間違ったままおりて、本当に間違いであるとわかるまでに相当取り返しのつかないところまで下りて二進も三進もいかない状態に陥る可能性もある。(このへんは僕自身も体験しているので実感できる)
そう言った状態におちいらないためにはどうすれば良いか。
間違えたら戻る。これは疲れたり時間がないとやるのは難しい場合がある。
まずカンは100パーセント当たらないと心に決める。
間違えれば間違えるほどパニック状態になるので、何がなんでも座り込んで3分くらい深呼吸するか、タバコ、行動食、水などをとり、頭に血が上った状態を普通の状態にもどす。そこで冷静な判断が生まれる。
道がもし発見できなければ、何が難でもがむしゃらに上を目指す。沢に下りるのは100パーセント遭難すると考えてよい。