4 単独登山とパーティー登山にいて

無理やりこじつけで比較するわけではなく、僕がこうありたいと思う一面を書いてみます。

 山や自然を通じて本人がなにを受け取りたいかによって単独かパーティか違ってくるのではないかと思います。
●パーティー
複数の人達と自然にあった場合、美しい景色を見て、互いに美しさの確認が出来ます。また後日、その時の事に対して再確認したりして、楽しむことができます。
 でも、その時の自然を見る状態において、皆とのコミュニケーションの時間により、美しい景色を見る自分の時間が何パーセントか差し引かれると言うことになります。
 また、当人にとっては自分が感動した場所がもっと別のところにあったが、自分本意にできずに、実際に感動に浸れなかった、と言う場合もあります。
パーティの場合そう言った自分の時間を差し引いても、皆との美しさの共有とか、コミュニケーションをして楽しく行動することが無常の楽しみとなることが多いです。
 そう言った山歩きを通じて友達を作ったり、親友になったり、友を作るには下界的な損得勘定が少ない分、本当によい機会になります。
私の場合、その事は身にしみて分かりますし、今後も友人との楽しい山歩きを続けていくことは間違いありません。

●単独
 その一方で山や自然を通じて本人がなにを受け取りたいか、と考えた場合自分なりの考えが浮かんできます。
 要するに、山や自然から自分の感性の琴線に触れるような物事を感受したい、と言うことです。
一人だと気楽で良い、とか気を使わないで良いとか言うのではなくて、自分にすんなりと入ってくる風景、状態に浸りたい、と言うことです。
 どこかの山に行った場合、麓でなんとなくシックリ行く景色なり、総合バランスの良い空間があった場合に、そこでじっとしていて、その総合的な感覚をこころ行くまで感受したいと言うことはありませんか。
以前皆と行った時すごく好きになった山のテッペンがあって、なんだか良くわからないけど、そこに行くと嬉しくなって、何度登っても飽きないと言うことなどもありうることです。
 美しさとか、雰囲気と言うものに対しする感受性にも個性があると考えます。たとえば画家、作家、音楽家などは自然とか、回りに有る物事に対して自分なりに感受してそれを表現しています。音楽家などは、自分の好きな音楽と言うものに対してするどい感性を持っていて、自分はこうありたい、と明確にアピールしています。
 たくさんこなしたから良いと言うものではなくて、誰でもない、その人らしさの音楽とか絵などの表現に対して私達は共感したり感動したりします。
 私達自身も彼達とおなじユニークな存在であるわけで、潜在的に自分の個性とか、感受性は確実に持っているはずです。
 そう言ったものを社会という固定観念の積み重ねにより単に気づかなくしてしまっていると考えます。これは山に関してだけではないです。しかし今は山や自然だけに限定していきます。
 案内書どうりに山に登って、見るもの聞くものを本を頼りに感じるのはもったいないと思うわけです。
 実際のところ山や自然に一人で入った場合、自然とのコミュニケーション、及び受け取る情報量は100%でしょう。それを自分がどう感受するかと言うことになってきます。
 どうするかは、後は自分で考えるべきことです。どうなって行くか一人一人判断することが、自分の個性ではないかと思います。
 ただたくさん登ったから偉い、と言うわけではなくて、どう自分が山や自然に関わったかと言うのが、自分に反問した場合に正直な答えとして返ってくるのではないかと考えます。
人生など高々100年で、山に登れるのも2000回もないでしょう。その中で大事に自分なりの山や自然に親しんで本当に自分にとって美しいもの、琴線に触れるものを少しでも感受できたら素晴らしいと考えます。

さいごに

単独登山はプラスの思考によって登るのが正解である

 単独山歩きをする場合、負のエネルギーで登るのはどちらかと言えば、良い方法ではないと考えます。
 たとえば、
○社会からの逃避の場として考えること。
○山に行ってありもしない自慢話とか、誇張して見ず知らずの人に吹聴すること。その場限りのマイナス思考の積み重ね。
負のエネルギーの蓄積はそれなりのパワーを持っていて、かなりな行動力がでます。しかし、精神的に後戻りできない(癖のような状態)になってしまって、社会での折り合いがしっくりこなくなるのではないかと思います。

自分にとっての精神的な徳の積み重ねは、本人の良心を成長させると考えます。
やはり、
1 美しい自然を見て感動する
2 自分にとって感性の琴線に触れる場所を探り当てる
3 人のいないところでもちゃんと自分をコントロールする。(ゴミを捨てたり、花や樹木を折ったり)
上の三つのことは単独でも、単独だからこそ出来ることであって、自分の情操なり良心を豊かに育てるのには最高のことだと思います。
特に意識しなくても普通のあたりまえのことをしていれば、そうなるのかもしれませんが。
そう言ったことで、一人であっても社会的な良心とか、深層心理面で人を恨らみ続けたり、社会に対して反発したり、といったことまでも変えてくれると考えます。自然のパワーは正しく感受すれば素晴らしいと思います。

とりあえず先決として複数で山登りを行うよう努力し、その合間に単独山歩きもする、と言う形が最高かもしれません。
 パーティと単独の配分パーセンテージはその人が決めれば良いことですが、はやり両方の良さを深い所まで知ることが、もっともっと楽しい山歩きを続けられることだと考えます。

HOMEヘ