丹沢 棚沢出合付近における遭遇
19XX
玄倉バス停止からユーシンまでの長い徒歩ののち、ユーシンヒュッテの横の道から沢に降り立ち、玄倉川をさかのぼりました。
堰堤を越えたところで、景色のよい所にたどりついたので、荷物の重さも手伝ってかここにベースを置くことに決めました。
時間も14時となっていたので今日の予定の石小屋沢はあきらめるにしても、途中まで確認してみようと思って沢の支度ののち玄倉川沿いを歩き始めました。最初に左からやや大きめの沢が水を持って入ってきたので地図をちらっと見たあとこの沢に入りました。すぐに水が減ってきたので石小屋沢ではないと分かりましたが、ちょっと面白そうな沢なので時間の許すかぎり遊んでみようと考えてそのまま遡行を続けました。
ふと左斜め下に目をやると、なにやら発砲スチロールのような容器がありました。ちょうど吉野家の牛丼の容器のような色合いで、こんな所で牛丼なんか食べてそのまま容器を捨てるなんてしょうがないな、などと考えつつ数歩登りました。
その時はやはりアプローチと荷の重さで頭がややもうろうとしていたので、ちょうど古い蛍光灯のように見た内容が網膜から脳裏に鮮明に映しだされてきました。
ようするにその容器のようなものは表面にヒビがたくさんあって丸っこいもの…。一瞬立ちすくんでしまい、にじり戻ってしっかりと確認しました。要するに「頭の骨」だったわけです。
最初に係わり合いになりたくない、と思ってどんどん登りました。しばらく登りますと、大きな涸滝に近い滝があり、その左端にザックやら、衣類やら袋やらが散乱しています。
これは本当に本当にえらいことだ、とやっと確信して、よく考えた結果ユーシンロッジに連絡にいかねば、と考え一目散にロッジに駆け下り、小屋の人に連絡しました。
最初は鹿かなんかの死骸だろう、と言っていたロッジの人も僕の状況説明でよく分かっていただき、即、警察に連絡しました。
詳しい説明の末、警察の方がパトカーでロッジまで向かうとのこと。1時間あまりで到着し、警察の方と一緒に現場まで同行ましした。
検査および遺留品の状況により、昨年遭難された方のものであるとわかりました。
その後警察の方が帰りしなに明日の早朝調書を取りたいのでここに居てくれとのこと。僕としてはここから一刻も早く立ち去りたかったのですが、ロッジに泊まる金もないし、なるべく早く来てくれ、と念を押してここで泊まることにしました。
現場から200mも離れていない場所ですし、明るい時はいいとして、夜になってくると、いろいろ考えてしまい、ほとんど睡眠ができませんでした。遠くでトラツグミのヒーヨ、ヒーヨと言う鳴き声。眠ったと思うとうなされるような夢ばかりでした。
やっと朝を迎え、オオルリの姿などを見ることが出きる場所で心あらわれるような気持ちでした。
7時すぎに警察の方が来てくれて、その場で調書を取りました。
その後、その日は沢どころではない気持で、遭難された方のいらっしゃる沢に黙祷をした後、尊仏平から塔ケ岳を越えて大倉に至り、東京の自宅に帰りました。
数日後、遭難された方からお手紙をいただきました。
またその時にザックにあった御本人のメモとご家族の方の報告によりますと、日帰りで塔ケ岳まで行くと、詳しいコースを伝えて塔ケ岳まで登られたそうです。頂にて小屋の電話機にて、ここから桧洞丸まで登り、中川温泉に泊まって帰宅すると連絡が入ったそうです。
メモからしますと、ちゃんと桧洞丸まで登られ石棚山まで来られました。しかしそこで道を間違え、沢に迷い込んでしまったようです。
また降りた沢は棚沢と呼ばれる沢で、その涸滝のあと、ゆるやかな沢を数百mも下れば登山道も堰堤もある場所となる、と言うことを考えますと非常に残念な気持で一杯です。
その時の状況は今となっては全く知るよしもありません。遭難された方にたいしてどうこうは言う立場ではないでしょう。
しかし結果的に亡くなられてしまったと言うことは事実です。
この件に関して僕だけが知っているだけでは、遭難された方にすまない気持です。その方は一般的な中高年の男性の登山者で荷物もしっかりと持ち、記録もしっかり取る、と言う真面目な方のようでした。
そう言う真面目な方が、遭難回避の基本的知識をもっていれば遭難を防げたかもしれません。
そう考えますと事前に基礎的な遭難回避の方法をいくらかでも持っていれば心強いし、回避できる可能性はかなり高くなるのではないでしょうか。
沢は下ってはいけない。上へ逃げろ
この一言につきます。もし下った場合、90%以上遭難の可能性を持つと確信します。またそう考えてもらったほうが良いでしょう。
この遭難対策についての詳しい内容は単独登山のお約束に書き込んであります。