4厳冬期富士山単独

 みなさんは新田次郎の「孤高の人」を読んだことがありますか。単独で山歩きをしている人で、まだ未読の人はすぐ書店に直行して読んでみてください。
 「孤高の人」は実在する人物である加藤文太郎の物語です。終始単独で山を登り続けた人で、もう泣けてくると言うか、ひしひしと気持ちが伝わってくると言う内容の、よい本です。
 僕もこの本を読んでかなり感動しました。読む以前からけっこう単独で行動していたのもですから、読んだとき、こお言うやり方もあるし、多少なりとも同じような心情の人もいるのだなと感じました。
 この本に出てくる冬の富士山での光景なども、いまでも脳裏に残っています。
 この本に触発されて厳冬期の富士山に登ろうと思ったわけではないですけれど、ただ心のどこかに1パーセント以上は加藤氏のことが存在していたのは確かです。

 冬季において富士山は標高が高いわりに他の雪山と較べると登りやすいのではないかと考えます。
 それは場所的に表日本気候に属し、冬季は西高東低の影響下で晴天が続きます。また、その冬季以前の11月に雪が比較的ふりますが、12月以降になりますと東京が雨がほとんどふらないのと同じように富士山でも雪も雨も降りません。そのため雪は比較的少ないです。
 雪が少なくて、晴天が続くとなると、単独者にとっては行動しやすいです。なぜかと言いますと、北アルプスなどは雪が2m以上積もりますから、ラッセルがひどく、単独でのラッセルしながらの登頂と言うのは不可能に近いです。休暇がたくさんあるならそれも違ってきますが。
 踏み跡を期待して行くのは甘いにもほどがありますし、パーティの後ろにくっついて行くのはラッセル泥棒だし。また、天候が安定していないことも不安です。少ない日数で山行をする場合、ちゃんとした計画を立てても、麓での待機で終わりと言うこともありうるわけです。

19XX 5/3、4 甘くみて追い返される
 以前より単独て厳冬期の富士山に登りたいと思っていました。そのためには冬以外の季節に一度下見をかねた山行をしておかねばと考え5月の連休に登ることにしました。コースは傾斜の一番少なそうな、御殿場口からです。一泊もすればなんとかなると判断しました。
 御殿場駅からバスに乗り、終点まで。しかしこの時期の終点は自衛隊の演習場のあるところまででした。まだ富士山ははるか向こうに見える。やや重めのザックを背負って舗装道路を歩き出しました。
 新五合目には昼近くに到着。夏季ここがバス終点のようです。ここからやっとジャリの登山道となります。雪はかなり下まであります。広い雪原を歩いていくと、途中で等間隔な距離に電信柱のような太い柱が全て倒れている場所につきました。その柱はずっと富士山の上の方まで続いていました。このような太い柱が根元でポッキリ折れるなんてのは、まともな風ではないなと、恐ろしい風だなと、感心。
 途中からやや斜面が急になり、道がジグザグになりました。一つ曲がるとゆるく登り続け、いいかげん歩いた頃、次の曲がり角になる。と言う感じで、すぐに飽きてしまい直登しましたが、それも疲れた。
 3時頃、風で1/3破壊された、測候所用の小屋に辿り着き、屋根も柱も傾いた場所にツェルトを張って、もぐりこみました。ぼんやりしていたらだんだん暗くなってきて、ローソクを点し、食事の支度。ガスバーナーでソーメンを作り、お茶も沸かしますと、一人でもなにかうれしい気持ちになってきますね。
 食事後明日の準備をして、草々に子猫のように丸くなって就寝。夜は強い風の音に何度か起こされました。
 翌朝は日の出前に起床してパンを食べお茶を飲んで準備。安全ベルト、ザイル、ヘルメットを付け、ザックに行動食と水筒を詰めこんで出発。身支度はアイゼン、ピッケル。
 前日と同じに長いジグザクを繰り返して行く。その内短いジグザクへと変わって行き、急になってくる。下は雲海となっていて壮観です。
 だいぶ調子が上がってきて、かなり頂も見えてきました。手すりのある道にさしかかったとき、突風が一閃、手すりをつかんだお陰で吹き飛ばされずに済みましたが、その後は止むことのない強風が吹きつづけ、数歩進むのに大変な苦労となりました。手すりにザイルをビレーして、登り返しの要領で登ろうと試みましたが、立っていられず、ほとんど匍匐全身になってしまいました。気持ちはかなり冷静なのですが、身体から勝手にもがいている、と言う感じで、「このままだとやばい、帰ろうと」判断しました。その時はスローモーションのようなのんびりした思考判断で、判断を下すまでにかなり時間がかかったようです。
 ザイルまで戻り、そこから懸垂下降の要領でエイト環を使って20m下ると、強風地帯か脱出できました。
 それでもかなり風が吹いていて、そこから小屋まで必死で下りました。
 小屋にヘルメットをわすれてしまったほど、気が動転していました。麓の道路では五月の熱風のような風が吹きつづけ、振り返って見る富士山を恐ろしく感じました。
 はじめての富士山の体験はこのようなものでした。とんでもない山であり、知り合いから聞いていたのは本当のことであり、甘くみるとすごいしっぺ返しにあう。と言う大変なな経験を得た山行でした。
 
月日は変わり3年後
 11月〜6月の雪がなくなる頃までの休日や祝日の積雪期の富士山でひと荒れすると、必ず遭難騒ぎが持ちあがるのはうそではないでしょう。ひと風吹いてもかなりあぶない。以前5月の連休に吉田口から登ったとき、七合目付近に山スキーの片一方が刺さっていて、持ち主はそこから800m滑落して亡くなったと聞きました。

 3年前の5月にひどい目にあって以来、いろいろな山に登りつつ、富士山の計画を練り直しをしたり、トレーニングもしてきました。
 文献において、冬の富士山特有の風があることも知りました。登っている最中に後ろから吹き上げてきて、飛ばされて、へたをするとそのまま滑落してしまうと言うもの。
 上部では雪が低温のためすごいアイスバーンになり、一度滑ると、もう止めるすべもなく、数百mは滑落してしまう。3778mの高さは伊達ではないです。

 11/23,24 新雪期での登頂 しかし本命は1月だ。 
 厳冬期に登るために、その前に雪のある時期に登ってみなければ、恐ろしくて登れない気がしました。コンディションもだいぶ良いので、11月の下旬の雪の降った日以降に登ることにしました。
 11月頃ですと、冬と言っても強い西高東低ではなく、1日雪が降ると、その後は移動性高気圧が張り出してきて小春日和の日が数日続きます。それを狙って登る計画を立てました。
 11月中旬から朝の新聞を見て、気象図と富士山の気温の確認をしました。19日前後に雪になりそうで、ちょうど23、24が休みなのでいい具合です。
 直前の22日に御殿場付近の天気予報を電話で念のため確認して23日出発。

 今回は前回の教訓で御殿場駅から夏季バス終点の新二合目までタクシーで入った。雪はそれほど積もっていなくて、夏道もちゃんと確認できる。もう爽快な夜の空であり、月も明るい。11月とは思えない高い気温なので、ここでビバークせずにこのまま登ることに決定。
 雪明りで足元もはっきり見える。長いジグザグ道をは時間はかかるが、道がハッキリ見える分快調に登れる。直登ルートと合流し、七合目の小屋風のこないのカゲにて休憩。ここで朝を迎える。冷え込みはきつくないが、水筒の口が凍ってしまい、飲むことができない。ピッケルにて口にある氷を砕いて水を飲む。ほかに持ってきた、ヤクルトは非常に携帯性が良くて、行動中でも飲むことができて良かった。
 つかしこれ以後水筒は完全に凍ってしまった。
 雪も少ないまま、安定した天候とお日様の暖かさに見守られつつ、八合目のガードレールぞいに登る。この辺は初めてなので緊張する。しかし暖かくて、上着を脱ぐ。
 頂に着くとはるか向こうに丸い屋根のある測候所が見える。視界は良好で麓の茶色い風景が良く見える。
 しばし休憩の後、下山。部分的に岩が露出しているのでアイゼンに引っ掛けないように緊張する。
 七合目までくるとホットする。ここから下は強風を避けられるからだ。
 大休止の後、小屋まで下り、残りの荷持を整理して下山した。
 今回すんなり行動できたのは、前回の経験のお陰だ。

 1月9、10
 氷点下20度、強風の世界
 自分なにりある目標を設定し、それに対して勉強したり、訓練したり、計画を練ることはすごく楽しいです。
 他人がどうあろうと、それがどのような山であれ、自分のオリジナルな考えに基づいてのものならば、なりきり状態で充実もします。

 いろいろ検討の結果、二月中旬の積雪期以前ならば、夏道の跡が積雪面にも若干残っており、また、ビバークもやってみてある程度耐えられることも分かった。
 山行日は1月の中旬に決めました。12月より新聞の高層天気図および普通天気図を集めて、冬型の周期を調べました。12月上旬は冬型が崩れて、次の冬型になるのは短かったですが、下旬になるにつれて冬型になっているのががだんだん長くなっていきます。
 1、2年前から冬の気象図を切りぬいて、冬型のパターンを勉強していたので、12月から1月は冬型が長いと分かります。
 周期パターンにより、1月10日前後に冬型がゆるむと予想しました。そこで会社の休みを1月9〜10と取りました。
 山行直前の天気図では8、9日は移動性高気圧に覆われて10日は気圧の谷の通過で荒れそうであり、行動は9日いっぱいに限られると判断しました。
 悪天の状態がどの位なのか想像できないので、9日の五合目での幕営もすごく不安に感じました。
 思案の末、今回も標高差2000mを一気に登って、そして一気に下る方法をとることにしました。

 毎朝見る高層天気図の富士山の気温は−20度前後で風も20m前後です。そのため前回の経験と、真冬のことを考えて衣類には相当気を使いました。手袋はミトンも含めて三枚など
 幕営は二合八勺で荷物をデポし、ビーバーク用具はしっかり持って、途中でバテてもビバークできる態勢に入れるようにしました。
 水分は羽毛服の内側にショルターバックを二つさげ、そこに10個のヤクルトを詰めました。これなら寒くても凍らないし、いつでもすぐ飲めるし。

 19××年 1月8日
 暖かいタクシーの中から、厳しい寒さの世界にたたずむ。そしてタクシーはエンジン音とともに去っていき、無音の闇の世界に取り残されたような気になる。心細さも空満面の星空でちょっと癒されるけど。
 22時20分、御殿場コース新二合目を出発。月明かりは広大な雪面を照らし、富士の姿までクッキリと浮かび上がらせていて、ライトの必要はなくなり、消す。三合目までは雪原であり、踏み跡をはずすとヒザまでもぐる。
 午前2時 2000mの次郎小屋着。余分な物をデポしてゆるいジグザグの夏道を登る。しかしトレールが不明瞭で、自然に直登ルートに戻ってしまった。このルートは、小屋も障害物もなく、風をよけることができない。
 斜面が急になり風もでてきたので、細かくジグザグに登る。休憩はザックを山側に向けて風をよけて3分がいいところ。羽毛服の中からヤクルトを一個飲んで休憩は終わり。
 気が遠くなる程ジグザグを繰り返し、午前7時にやっと斜面がゆるくなり、強風の中、日の出を迎える。
 下界は雲海、上空は青空。いまさらなれど、あまりの自然のおおきさに言葉もでない。六合目付近で宝永沢を渡り、七合目からはザイルのみを持ち、出発。岩が露出していて登りづらい。
 八合目からさらに風が強まる。ガードレールづたいにジリジリの登り続ける。もうこのあたりは−20度を超えているようだ。氷がプラスチックのように輝いている。
 突風的強風をさけつつ、息切れ状態でやっと頂上に到着。パラボラ用の丸い屋根が白く見える。
 午後2時30分。下から出発して16時間登り続けたようだ。座り込んで麓をぼんやりと眺める。残りのヤクルトを目出帽の上から飲む。感激は少なく、もう登らなくて良いと言う気持ちだけが唯一のうれしさのようだ。
 こんな時間なので休む暇なく、即下山開始。しかし日没は早い、ノロノロ状態の下山なので三合目前に暗くなり、デポした小屋を発見できなくなってしまった。小屋も雪で白いのでまったく確認できない。
 いろいろ思案して、すこしでも気温の高い下に下ろうと判断し二合目までおりる。これも予定ビバークの内なので、それほど不安はないけれど、登頂祝いのいろいろな食べ物もなく、あたたかい飲み物もないのはちょっとさびしい気分だ。
 19時30分、22時間と言う長い行動が終わった。
 雪原の凹地を捜してツェルトのをかぶり、厳冬季用のシュラフに入る。いつもの太いローソクを灯して、メタクッカーに雪を入れ、炎でお湯を沸かして飲む、白湯でもおいしいね。
 その日は疲れで安眠した。
 1月10日 悪天 強風
 昨日の夕方から曇りだし、今朝は強風が吹き悪天である。予想通りだ。頂はみえない。8時30出発。三合目のデポの回収に向かう。強風のため耐風姿勢を保ちつつ小屋に着く。
 地吹雪になっていて、下りもかなり気を使う。
 13時、新二合目着。大休止。お茶を1、2リットル飲む。
 15時下山。悪天時を過ぎ、富士山が姿を現した。雪が降り積もり、昨日よりもより一層すごみを見せていた。

 雪山はのめり込むと果てがない。充実感は麻薬のようで、やめるのがむずかしくなる。それほど感動的で、生きてる甲斐とか、充実度がすごいです。
 困難度が増すほど、それに答えるように感激も増してくるのだからウソは全くない世界です。

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