7 トレーニング。
事故りたくなければ歩け
@脚力「万歩計の効用」
はっきり言うと「死にたくなければ、あるけ」の方がピッタリくるけど、そのものズバリ過ぎるので替えました。
トレーニング
山登りと言うのは、スポーツの中で危険を身近に感じる意味合いが強いものの上位ランクに入るのではないだろうか。新聞で時々山での遭難報道がなされているのを見るとよく分かる。今年の冬も何名か雪崩にあったり、凍死したりしている。
べつに雪山とか岩とかハードな山登りでなくても、標高百mであれば、事故を起こす可能性はあるわけだ。
そういった危険性があるにもかかわらず、山登りをする人はそれに対する対処に、楽観的だと思う。普通のスポーツなら試合のためにトレーニングに励んで、自分の勝ち負けの度合いを高めたりする。山登りの場合は、山に登ることが試合という概念に近いかもしれない。もし試合と考えた場合その試合に臨んで、負けたのとうのは遭難とか事故に該当するかもしれない。これはあくまでも他のスポーツとの比較のための仮定として見ているが。
なんらかのスポーツを楽しむためには、それなりの技術、体力、知識が備わっていないと、余裕をもって楽しむことはできない。
テニスにしても、柔道、カヌー、アーチェリー、にしても。
そう言った考えで行くと、危険性のある山登りでトレーニングをせずに山に行くということは、かなりな無謀行為と見てよいだろう。
よく山登りを健康維持、増進のためにしている、と言う方々がいる。しかし、それはちょっとおかしいのではないか、と思う。
健康維持のために行うほど、山登りは、安直ではない。
最近足腰が弱ってきたから、ひとつ山登りでも行ってこようか、と言うのは本末転倒だろう。他のスポーツに置き換えると、足腰が弱ったから、テニスの試合でも行ってこよう、と言うことになってしまう。そんなことをしたら相手に失礼だし、試合中に、足でもつりそうな雰囲気が伝わってくる。
要するに、他のスポーツと同じように、山登りをするならそのためのトレーニングは必要不可欠だ、と言うことだ。
健康維持の一方策などと考えていると、いずれ取り返しのつかないことになる。その時になって、「もっと体力つけておけば良かった」と思っても遅すぎる。自然の猛威は老若男女、良い人悪い人にかかわらず、無慈悲で情け容赦のない猛威で分け隔てなく向かってくる。
トレーニングについて
無理しないで長続きすること、
団体に属して行うスポーツならば、仲間がいるので、比較的トレーニングもしやすい。自分がダレていても回りでやっていれば、それに引きずられてなんとかこなすことができる。しかし山登りの場合、かなり厳しい山岳会でもないかぎり、みんなでトレーニングすることはない。団体でさえそうなのだから、個人、単独に至っては、やる意欲さえ出てこないのが普通だ。
まあ一般的山岳会の場合でも、当人の登り方で、こいつは登れない、とすぐに分かってしまい、連れて行ってもらえないことになる。山岳会のリーダークラスになると、その人の歩き方を一目見ただけで、相手のレベルが分かってしまう。
だから連れて行ってもらうためには、自分で努力するしかない、と言うことになる。そのために辛いけどトレーニングをする。
よくトレーニング山行と云うのがあるが、そのためのトレーニングは平地で日頃から厳しくやって、その上で成り立つ山行だと思うのだが。要するに、基礎体力が出来ていてはじめて成り立つ山行という事だ。
しかし、団体に属していない人の場合、自分がどの程度なのか把握できない。または主観的になってしまって、ナアナア的基準になってしまう。
団体であれ、単独であれ、フリーランスであれ、トレーニングはやはり辛いものがある。
僕も一時スポーツジムに通っていたことがあるが、あれは飽きる。と言うかなんとなくスッキリできない。マシン相手でルームランナーやっても、単調で苦痛になってくる。なにか明確な目的があるなら続けられそうだが、通常こなしていくには、多大な意志の力が必要かもしれない。
水泳にしても、泳いだ後に、風呂に入って、使用したものは即洗う、と言う行為は、なんとなく疲れる。それやこれやで、ジムに足が行かなくなる。いつの間にか足が遠のいてしまう。
僕の場合、やや離れたところに大きな公園がある。以前はそこで、ジョギングをやっていた。普通だと6キロは走っていた。四季の景色がきれいで、それを見ながら走るのは結構快感だった。また、走ること自体が楽しかった。
でも最近やらなくなってきた。何故かといえば、一人でやっているとあまり面白くないからだろう。やはり山登りと違って、同じ場所で、結構キツイ運動は辛い。おまけに明確な目的もないので、ある期間行かないでいると、そこに行くのがおっくうになるからだ。おまけに一人だと、自分が行くのがイヤならそれで終わりだし。
そんな訳で、僕自身もトレーニングに関しては頭痛のタネだった。トレーニングしたのとしないのとでは、山での身のこなしとか、身体の俊敏性、思考の判断力などもかなり違ってくる。
レーニング不足から、山登りでまねき易い障害について
足の引きつり、マメによる歩行の困難
多大な筋肉痛による歩行低下
疲れによる思考低下、判断力の低下
以上のことにより、バランスを崩す、地図の読図間違い、道の選択ミス、天候判断、状況判断低下。と言った過程の後、遭難の確率が高まる。
悩みに悩んだ末、やっと最近、自分なりなトレーニングができるようになった。
万歩計
以前、年配の友人が仕事柄、歩かないので、休日は万歩計を付けて歩き回っていた。山でもそれをもって行って、今日は何歩歩いたとか叫んでいた。
万歩計は年寄りの使うものかと、思っていたが、そうでもないようだ。最近のものは東海道五十三次、とかいうのがあって、いまどのあたり、と文句がでるのがある。また、キロ数、カロリーとかの出るのとか、もっ探せばいろいろ売っているかも。
去年の秋から時々使いはじめた。本によると大人の場合一日7000〜12000歩程度あるかないと足が弱っていくそうだ。そんな状態で山に行ったらアウトだ。
僕の場合仕事と通勤がらみで15000は歩いているようだ。歩幅40cmで換算すると6キロ。これは足の筋肉の維持にはソコソコな出来だ。僕の考えではトレーニングライン+2で2万歩を目標としているが、最低は10000歩にしている。
しかし、休日に山に行かない日は一日パソコンに向かったりしているので数百歩などという日もあった。しかし休日こそ適度なトレーニングがうってつけなわけだ。
万歩計を使い出してからは山に行かないで、パソコンに向かっている日は、夕方になると運動着に着替えて、遠い公園までとりあえず、歩くことにしている。パソコンを中断して時間の浪費と思うかもしれないが、今後のことを考えると、イヤイヤと言うより意欲的な自分に驚いたりしている。その公園は広いし、花も四季折々咲いていて、なんとなく、軽い達成感と爽快感が気持ちよい。
また運動着を着ないでも、なんとなく散歩という感じでブラブラするのも良い。
戸外でのウオーキングならマシンではないので、周囲の刻々と変る景色と状景を見つつなので飽きがこない。また歩数がカウントされるので、それなりの達成感も味わえて、無理のないトレーニングとなっている。
あまりウォーキングをやっていない人がいきなりたくさん歩く、と言うのも危ないから、最低線は自分で決めるのが良い。最低線を5000〜7000歩から始めるのがよいかもしれない。
積極的な使用法。万歩計にもいろいろな種類がある。歩数計に自分の歩幅を入力できる機械もあるので、野山に行った際に、地図と歩いた距離で現在位置も正確に割り出すことが出来る。自分で記録を書く場合でも、どこそこから何キロあるくと、何所何所に到着とか。
それ以外に、東海道五十三次、伊能忠敬になって日本地図を作る。シルクロード天山南路、世界の動物を救う旅。とかゲーム的に楽しく歩く機械もある。
数値のみが単調であるなら、こう言った機械も続けるためには楽しいだろう。
最近僕の場合は、シルクロードを歩く旅、と言う機械を使い始めた。総距離4000キロあまり、なんだか遥かなる旅路に出発した感じが、とても良い。この旅編については、別のコーナーを作って綴っていきたい。
そんな訳で。
トレーニングは苦しい。その辺のところを考慮して。
1 毎日続けるのに苦にならないこと。
2 無理しないで行えること
3 やりたい時に即できること。
4 おおまかな計画的な目標を持てること。
5 誰にでもできること。
と言った命題にマッチするのは万歩計を使用したウォーキングが最適と考える。
おおまかな目標と言うのを考えた場合、ゲーム的な東海道400キロ、シルクロード4000キロ、伊能忠敬、数万キロと言った手近なものから壮大な目標まで設定できる万歩計もある。
ウォーキングの違いで、山での自分の歩きや行動に違いが出てくるのは間違いない。山で遭難事故に合わないためにも万歩計でのウォーキングは必須だ。
それ以上のトレーニングは各個人が工夫してやれば良いことだ。しかし、やはり一年365日はこの歩行と言うトレーニングをベースにする、と言うのが。無理なく出来るのではなかろうか。
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