ダンテ Dante と サヤジラオ Sayajirao

 ダンテ Danteサヤジラオ Sayajirao の兄弟は、いずれも第2次世界大戦最中の1942年および44年、イギリスに生を受けました。

 両頭の父ネアルコ Nearco は、次項で述べるようにフェデリコ・テシオ Federico Tesio 氏が生産した14戦無敗の名馬。1941年の時点ではまだ初年度産駒もデビューしていませんでしたが、種牡馬として大いに期待されていました。
 一方の母ローズィレジェンド Rosy Legend も、ファロス Pharos やその全兄フェアウェイ Fairwayに続く配合相手を求めており、それが Pharos の仔 Nearco に決まったのは当然といえば当然でした。
 そして果たせるかな、両者の結婚による Dante の配合は、後で述べるように半兄*ハロウェーにも増して手の込んだ、完成度の高い血統構成に仕上がったのです。


兄、ダンテ ― 地獄の戦終わりて

 さて、Dante を受胎した Rosy Legend を41年、3,500ギニーで買ったのがエリック・オウルソン卿 Sir Eric Ohlson です。彼は生まれたばかりの美しい黒鹿毛馬に、『神曲』などで知られる中世イタリア最大の詩人ダンテ・アルギエリ Dante Alghieri [1265-1321] にちなんだ名を付けました。

 Dante はイングランド北部ヨークシャーはミドルハムの調教師マシュー・ピーコック Matthew Peacock 氏の下に預けられ、2歳から快進撃を始めます。地元ストックトンでデビュー戦カールトン・スウィープステイクス(以下SS)を勝ち、リンソープSSタントンSSと3連勝。さらに勇躍乗り込んだロイヤルアスコット恒例のスプリント戦コヴェントリーSでは4馬身差の大楽勝でした。
 これで名を轟かせた Dante は、地元のランブトンSSを経由してミドルパークSも制覇、この年を6戦全勝で終えます。獲得したフリーハンデは実に9ストーン7ポンド(=133ポンド=60.3キロ!)というもの。当然、来たるダービーに最も近い馬と目されていました。

 明くる年の Dante は、地元のローズベリSから始動。10頭立てのレースで1.1倍というオッズを背負いながら、Dante は鮮やかに勝利します。そしていよいよ迎えた第一冠・英2000ギニー、2.0倍の本命に推された Dante でしたが、何とここで初めての敗戦を喫してしまいます。Dante を首差押さえたのは、アスター卿晩年の傑作コートマーシャル Court Martial でした。3着にはロイヤルチャージャー Royal Charger (後に Dante を凌ぐ「Nearco 第三の父系」を築くことになる種牡馬) が入っています。
 聞く所によると、どうやらこのレース前、Dante は砂によって眼の外傷を負っていたようです。もちろん、人気馬の敗因は常に必要なわけですが (^^; この外傷はむしろ彼に後々の苦労を強いたのではないか、と思われます。

 2000ギニーでの敗戦にも関わらず、依然 Dante の人気は衰えることを知りませんでした。ちょうど1ヶ月前にヒトラーのドイツが全面降伏しており、終戦の安堵と歓喜に溢れた人々は、Dante の勝利を信じて、6月9日の(エプソムではなく)ニューマーケットに詰め掛けたのです。出走馬全27頭のうち、戦前の人気は Dante が4.3倍の1番人気、鞍上はビリー・ネヴェット Billy Nevett 騎手でした。続いて、ダービー女卿のハイピーク High Peak が6.0倍、ローズベリ卿のニューマーケットS勝ち馬ミダス Midas が7.0倍。英2000ギニー馬 Court Martial はスタミナに疑問が呈され、12.1倍の5番人気に留まりました。
 第166回のザ・ダービーは、好スタートを切ったリオラルゴ Rio Largo が引っ張る展開。続いてサンストーム Sun Storm。直線に入って、先頭に立った Midas を Dante が外から猛追、坂上を前にして、遂に Dante が先頭へ躍り出ます。突き抜けた Dante はそのまま2馬身の着差を付けてゴールイン。2着に Midas、頭差で3着 Court Martial、さらに首差でチャモセア Chamossaire が入りました。Royal Charger はやはり距離が合わず、着外に終わっています。
 この時の勝ち時計は、ニューマーケットでそれまでに行われた10回のダービー中最速の2.26.60(経緯はともかく、これは英ダービー史上不滅のレースレコード ^^;)。また、北部調教馬の勝利も1869年のプリテンダー Pretender 以来ということで、ミドルハムの有名な鐘は Dante の勝利を街中に告げたと伝えられます。

 Dante はこれで三冠目のセントレジャー(※ 当時はダービーと並ぶ3歳馬の最高峰) でも有力視され、数ヶ月の間は前売で2倍以下の人気となります。しかし、陣営は仕上がりが間に合わないとしてこれを回避(勝ったのはダービー4着の Chamossaire)。結局ダービーの後、Dante が観客の前にその勇姿を現すことはありませんでした。通算成績は9戦して8勝、2着1回です。

 引退した Dante は翌46年からシークストンスタッド Theakston Stud で種牡馬として供用され、英2000ギニー馬ダライアス Darius、女王陛下の英オークス馬カーロッツァ Carrozza といったクラシックホースを始め、幾多の名馬を送り出して
一大系譜を築いてゆきます。
 もっともその陰で、彼は2000ギニー前の外傷に由来する眼病で失明し、晩年は「盲目の種牡馬」として種付けに従事していました。1956年9月16日、心不全でこの世を去っています。


弟、サヤジラオ ― マハラジャの望み

 偉大な兄のおかげで、2歳年下の全弟 Sayajirao はデビュー前から大いに期待を集めることとなりました。イヤリング=1歳時の購買価格は28,000ギニー、当時のレコード価格です。
 これを支払ったのが、インド西部に位置する古都バローダ Baroda/Vadodarâ の統治者、ガーイクワール藩王殿下プラタプシン・ラオ卿 His Highness Maharaja Sir Pratapsinh Rao Gaekwad でした。彼は、5年前に先代のサヤジラオ殿下 Maharaja Sayajirao Gaekwad [1875-1939] からガーイクワール藩王の座を受け継いでおり、その名を転じて愛馬に与えたものと考えられます。

 全兄と違い、Sayajirao は2歳時には目立った成績を収めることができませんでしたが、3歳になると英2000ギニーテューダーミンストレル Tudor Minstrel の3着して、ようやく注目を集めるようになります。何しろ Tudor Minstrel は、この頃からもう「100年に1頭級、世紀の名馬」と称されたスターホースだったからです。
 続いて Sayajirao はダービートライアルSを勝つと、兄弟ダービー馬を目指し、再び Tudor Minstrel に挑みます。第168回英ダービーの戦前人気は Tudor Minstrel 1.6倍に対し、2番人気の Sayajirao でも7.5倍。愛2000ギニー馬グランドウェザー Grand Weather が17.6倍、デューハーストS勝ち馬で後の凱旋門賞馬ミゴリ Migoli が21.0倍と、おおむねヒモ探しの雰囲気が想像されます。
 しかし勝利の女神が微笑んだのは、フランスの名牝パールキャップ Pearl Cap の息子*パールダイヴァーでした(この馬は後に、英ダービー馬としては初めて本邦に輸入)。単勝41倍の大穴が、4馬身差の圧勝に輝いたのです。2着は Migoli。3/4馬身遅れて、Sayajirao はまたも3着。大本命の Tudor Minstrel が道中折り合いを欠いて4着に敗れており、これに先着したのがせめてもの救いと言えるでしょう。

 これで終わればイマイチ君と言われかねなかったのでしょうが、Sayajirao はしっかり続く愛ダービーを制覇、一応「兄弟ダービー馬」にはなってみせました。
 秋になると馬体に厚みを加え、エクリプスSは Migoli の2着。続いて、兄 Dante の無念を晴らすべく、英セントレジャーSに進みます。ブサックの名馬アーバー Arbar、ライヴァル Migoli、ダービー馬*パールダイヴァーといった面々に対して、Sayajirao は一歩も譲らず、最後は Migoli の猛追を頭差退けて、大枚はたいた馬主を満足させました。
 翌4歳時、ハーストパークのウィンストンチャーチルSでは、ブサックの刺客ニルガル Nirgal の逃げ切りを許し、2着。しかしロイヤルアスコットのハードウィックSでは逆に Nirgal に影を踏ませず逃げ切りました。
 続くプリンセスオブウェールズSでも1番人気となったものの、ここは後の「カップ三冠馬」アリシドン Alycidon の2着に終わり、事実上この馬に長距離王の座を譲った形で、通算16戦6勝の競走生活を終えています。このように、Sayajirao は特に距離伸びて、また逃げ先行して強い馬だったと言えるでしょう。ただ、少々気性に難があったとも伝えられます。

 種牡馬としての Sayajirao は、女だてらにアスコット金杯などを制し「キングジョージ」でも2着したグラッドネス Gladness、父同様に英セントレジャーを勝った*インディアナ Indiana をはじめ、主に自身同様のすぐれたステイヤーを残しました。ただし、現在その父系は、ブラジルで細々と続いているアイセイ I Sayクラクソン Clackson のラインを例外に、ほぼ途絶えたと考えられています。(T_T)


ダンテ&サヤジラオの血統構成

 それでは、この2頭共通の血統表から、その本格派たる所以を読み取っていくことにします。
※ 当サイトでは、基本的に5代+6代目父(場合によって母も)で構成した〈5代半血統表〉を採用しています。その際、インブリードなど通常のクロスは青太字で、父/母内のクロスは黄太字もしくは灰青太字で、〈全きょうだいクロス〉は赤太字で表記しています。おそらくこれだけで、通常の5代表とは見えてくるものが少し変わるはずです。
 また、より深く考えたい方のために、配合を詳述した馬については、〈9代完全クロス血統表〉も公開しています。血統表の末尾リンクから、別窓を呼び出してご覧ください(ただしSVGAではなくXGA対応です)。
Dante 1942 牡 黒鹿(=Sayajirao 1944 牡 黒鹿)/ FNo. 3-n / Dante 系
Nearco
1935黒鹿
Pharos
1920黒鹿
Phalaris
1913 黒鹿
Polymelus
1902 鹿
Cyllene Bona Vista
Maid Marian [F3-f] Hampton
Bromus
1905 鹿
Sainfoin Springfield
Cheery St. Simon
Scapa Flow
1914
Chaucer
1900 黒鹿
St. Simon Galopin
Canterbury Pilgrim Tristan
Anchora
1905
Love Wisely Wisdom
Eryholme Hazlehatch
Nogara
1928 鹿
Havresac
1915 黒鹿
Rabelais
1900 鹿
St. Simon Galopin
Satirical Satiety
Hors Concours
1906 鹿
Ajax Flying Fox
Simona St. Simon
Catnip
1910 鹿
Spearmint
1903 鹿
Carbine Musket
Maid of the Mint Minting
Sibola
1896 鹿
The Sailor Prince Albert Victor
Saluda Mortemer
Rosy
Legend
1931 黒鹿
Dark
Legend
1914 黒鹿
Dark Ronald
1905 黒鹿
Bay Ronald
1893 鹿
Hampton Lord Clifden
Black Duchess Galliard
Darkie
1889
Thurio Cremorne
Insignia Blair Athol
Golden Legend
1907 鹿
Amphion
1886
Rosebery Speculum
Suicide Hermit
St. Lucre
1901 鹿
St. Serf St. Simon
Fairy Gold Bend Or
Rosy
Cheeks
1919 黒鹿
St. Just
1907
St. Frusquin
1893 黒鹿
St. Simon Galopin
Isabel Plebeian
Justitia
1896 鹿
Le Sancy Atlantic
The Frisky Matron Cremorne
Purity
1903 鹿
Gallinule
1884
Isonomy Sterling
Moorhen Hermit
Sanctimony
1896 鹿
St. Serf St. Simon
Golden Iris Bend Or
SireLine for Windows Ver1.50 - Build 547 / 9代クロス血統表はこちら

 何と言ってもまず目に付くのは、父
Nearco の血統表で堂々主役を張っていたサンシモン St.Simon のインブリードが、代替わりしても同様に明快な主導権を握っていることです。そして母側でも、それに釣られるような形で複雑な近交が解消され、St.Simon のクロスだけが浮かび上がっています。
 このように複雑な近交馬とシンプルな配合馬を組み合わせて後者に揃える手法は、最後の英三冠馬ニジンスキー Nijinsky や、日本の同じく三冠馬であるシンボリルドルフなどにも見られるもので、非常に興味深い所です。

 これによって St.Simon のクロスは(全妹 Angelica を含む)合計で (5*6)*(5*6*8)x(6)*(5*6) となり、トータルでは血量16%という濃さにも関わらず、6代表上では実に端正な表情を見せています。
 そして、9代内で合計54種(8代内27種)存在するクロスのほぼ全てが、9代内に29本(8代内22本)を数えるストックウェル Stockwell=ラタプラン Rataplan(およびその母ポカホンタス Pocahontas)の「基盤クロス」を通じて主役の St.Simon と近親関係を持っています。インブリードが後退しながら、それら相互の結合はむしろ幾重にも強化されるような、そういう不思議な(しかしリスクマネジメント的には理屈どおりの)現象がここに出来上がっているわけです。これは、蛮勇を振るって近交に進んだE.P.テイラーのニアークティック Nearctic などとは対照的な方向性と言えます。

 しかも、解消されたとはいえ母ローズィレジェンド Rosy Legend の持っていた特殊なX染色体径路上クロスの仕掛け(母自身の項目を参照)は、息子にも受け継がれるわけですから、この配合は高い確率で「素晴らしい競争能力を発揮する」であろうと考えることができます。

 Nearco 産駒で最も高いパフォーマンスを示した馬が、このような何拍子も揃った美しい配合によって生まれた事実、これを指して血統の成果と称するのは、それほど傲慢でありましょうか。

1999/10/14 ( Revised on 1999/10/18,1999/11/09,2000/01/09,02/17,03/04,09/10 )
Mainly referrd to "The Derby Stakes 1780-1997" by Micheal Church, 1997, RACING POST

全きょうだいと能力の違いについてのノート

 ここに挙げた Dante & Sayajirao に見るように、血統表上は同一の表現となる〈全兄弟/姉妹〉が、しばしば大きく異なる能力を発現することは、よく知られています。
 このことから、サラブレッドをはじめとする動物にとって、純粋な〈遺伝要因粋笂`形質〉以外の(遺伝的資質を発現する〈環境条件〉を含む)〈環境要因衰l得形質〉がどれだけ重要かがわかる、と主張する方もおられます。さらに最近は、調教とローテーション(出走レース選択)がサラブレッドの個性を決定していくのだ、というような現象学じみた分析も盛んです。鞘次郎もこれらは、短期的な、つまりレース予想の上では非常に重要かつ有益な方法論だと認識しています。

 しかしそもそも、全きょうだいは全く同じDNAを持っているわけではないのです。生殖過程において減数分裂と受精が行われる際に、32対の染色体に含まれる対立遺伝子について、それぞれ父方・母方のいずれかが選ばれ(メンデリアンサンプリング Mendelian Sampling)、また染色体内部でも交叉や遺伝子内変異による変化が生じます。こうした一連のランダムサンプリングを経験することで、全きょうだいのDNAは、部分的に似通っている場合は多くても、全く同じものを形成する確率はほとんどなくなります。

 ですから、ビワタケヒデがナリタブライアンほど走らなかったからといって「血統はアテにならない」と考えるのは、いかにも短慮だと言わざるを得ません。むしろ、この配合が重賞勝馬を2頭輩出しえた点こそ重要ですし、両者のどの点が共通し、どの点が異なっていたかと考える方が、ずっと実り多いのではないでしょうか。

 このように、人間のとにかく優劣をつけたがる性向は、全きょうだいに対し「賢○愚○」などと形容しレッテルを貼ることで、議論を終わらせようとします。ところが血統史を振り返ると、Dante & Sayajirao だけでなく、Stockwell & Rataplan や Pharos & Fairway など、「賢○秀○」つまり両方ともに名馬なのだけれどタイプが違う、そんな場合も沢山あったわけです。
 こうした全兄弟名馬(かつ名種牡馬)について、偏屈爺師は「弟の方がスタミナが優り、そして結局は父系としては数十年後に兄貴の圧勝に終わった」ものが目立つ、と述べられました。
 私の場合は、長距離レースの価値が高く生産頭数自体も限られていた時代には、「期待された全弟クン」はほとんど必然的に「王道」すなわち長距離戦へとに導かれた、ということもあったのでは? などと、文化的・人為的要因にも目を向けたくなりますが、*オペラハウスと Kayf Tara の全兄弟などを見る限り、別の考え方もできるように思われます。

 ちなみに、Dante と Sayajirao の場合、両者はその馬体において顕著な差異を見せます。下図を見る限り、Dante(赤表示)は前肢、特に胸前と首さしがよく発達しています。対照的に Sayajirao(青表示)はかなりの胴長体型で、後肢に Dante と違う丸みが見て取れようかと思います。

馬体比較

 そしてまた、この「似て非なる」2頭は、いずれカミノスミレタイクーンリル Tycoon Lil らの血統表において、再開を果たす(=〈全きょうだいクロス〉)ことになるのでした。

2000/03/12 ― ( Revised on 03/16,09/10 )
Photos as raw materials from "Dams of Classic Winners 1777-1993" by Micheal Church, 1997, RACING POST
Keeping the Berne Convention for the Protection of Literary and Artictic Works.


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