「燦然と輝く」 スターロッチ

 日本競馬に微笑む女神、スターロッチ――この偉大な牝馬について、鞘のごとき若造が何事かを語るにあたっては、まるで Nearco や Hyperion のことを語るのと同じくらいの困難を感じます。それは実は、現状、彼女を巡る言説が過剰なまでに流通しているということの裏返しでもあるのですが、はてさて、そうした状況へさらに加え入れるに値するだけの、確固たるパースペクティヴを本項が持ちうるか? …不安は尽きねど、ここは諸兄のご叱正をお待ちしつつ、筆を進めることに致します。

 現今スターロッチの神話性は、およそ2つの点に由来すると考えられます。第1は抽選馬・3歳(当時4歳)・牝馬なる身での有馬記念制覇、という空前にして絶後の偉業。第2は彼女の子孫と、藤原牧場や伊藤雄二・境勝太郎両師らとの共犯関係。これらの点を検証しながら、スターロッチの実相へ近づいて参りましょう。
スターロッチ 1957 牝 鹿 / FNo. 11-c / Fairway 系
*ハロウェー
Harroway
1940 黒鹿
Fairway
1925 黒鹿
Phalaris
1913 黒鹿
Polymelus
1902 鹿
Cyllene Bona Vista
Maid Marian Hampton
Bromus
1905 鹿
Sainfoin Springfield
Cheery St. Simon
Scapa Flow
1914
Chaucer
1900 黒鹿
St. Simon Galopin
Canterbury
Pilgrim
Tristan
Anchora
1905
Love Wisely Wisdom
Eryholme Hazlehatch
Rosy Legend
1931 黒鹿
Dark Legend
1914 黒鹿
Dark Ronald
1905 黒鹿
Bay Ronald Hampton
Darkie Thurio
Golden Legend
1907 鹿
Amphion Rosebery
St. Lucre St. Serf
Fairy Gold
Rosy Cheeks
1919 黒鹿
St. Just
1907
St. Frusquin St. Simon
Justitia Le Sancy
Purity
1903 鹿
Gallinule Isonomy
Sanctimony St. Serf
Golden Iris
コロナ
1942
月友
1932
Man o'War
1917
Fair Play
1905
Hastings Spendthrift
Fairy Gold Bend Or
Mahubah
1910 鹿
Rock Sand Sainfoin
Merry Token Merry Hampton
*星友
Alzada
1923
Sir Martin
1906
Ogden Kilwarlin
Lady Sterling Hanover
Colna
1909 鹿
Collar St. Simon
Ornament
Nausicaa Gallinule
秀節
1936 鹿
*ペリオン
1916 鹿
Amadis
1906 黒鹿
Love Wisely Wisdom
Galeta Ladas
Panacea
1907 鹿
Cyllene Bona Vista
Quintessence St. Frusquin
玄香
1932 鹿
*チャペル
ブラムプトン
Chapel Brampton
1912
Beppo Marco
Mesquite Sainfoin
St. Silave
昭英
1927 鹿
Blink Sunstar
*クレイグダーロッチ
Craigdarroch
Grosvenor
SireLine for Windows Ver1.50 - Build 547 / 9代クロス血統表はこちら


開墾された牝系

 スターロッチは1957(昭和32)年、
静内・藤原牧場に生まれました。この牧場は1902(明治35)年の創業以来、規模に比して驚異的な数の名馬を送り出したことで知られ、ことに牝系を丁寧に育てていく腕前にかけては、日本でも屈指の存在です。新冠御料牧場より引き継いだ牝系からスターロッチを導き出したのも藤原牧場なら、後にその子孫を大繁栄させた功の大部分も、この牧場に帰することができます(門別産のミホノブルボンでさえ、祖母の代までは藤原牧場の生産)。

 そもそもロッチの名を持つ牝系が初めて日本の地を踏んだのは、本邦競馬黎明期の1926(大正15)年。国営の新冠御料牧場が、イギリスから*クレイグダーロッチ Craigdarroch(1922 牝 鹿 by Grosvenor)を輸入したことによります。この牝馬は、サンシモン St. Simon の全姉アンジェリカ Angelica から数えること4代目にあたり、超一流ではないけれども、由緒は正しい血統の持ち主でした。特にチョーサー Chaucer(Pharos、Fairway、Hyperion らの母父)グロヴナー Grosvenor(母は英4冠の超名牝 Sceptre)など、母系向きの種牡馬が掛けられていたことは重要です。
 彼女は輸入の際、ウォルドルフ・アスター卿の良血種牡馬ブリンク Blink(1915 牡 黒鹿 by Sunstar ― プリンスオブウェールズS、英ダービー2着。母は英1000ギニー馬)の種を宿してきており、翌年この地で昭栄を産みました。この持ち込み牝馬は競馬に使われず、若くしてハクカ(1931 牡 鹿 by *ブラックスミス ― 農林省賞典競走)玄香(1932 牝 鹿 by *チャペルブラムプトン)らを送り出します。
 玄香は、秀節を通じて、下総御料牧場の秘宝月友(1932 牡 栗 by Man o'War ― 持ち込み、未出走。半妹に久友。2頭のダービー馬を出した後、新冠の御料牧場へ移る)との間にコロナを、また秀節の下にセフトの牝駒セフトザンを作りました。そして戦後、御料牧場の解体に伴って民間へと移ったこの2頭が、それぞれライジングウイナー・スターロッチタイセツザン・ヒカルタイセイといった活躍馬を輩出し、*クレイグダーロッチ系の名を徐々に高めて行くことになるのです(牝系図を併せてご参照ください)。
 この2つの分枝には、配合史的にも興味深い点が数多く見られます。コロナは母・秀節の相似配合を元手に、St. Simon と Sainfoin、そして Ornament(Bend Or+Macaroni+Hermit)でアウトクロス寄りに決めており、一方セフトザンの娘ブゼンタカフジは、ヘレンサーフ系のホウシュウを迎えて Sunstar と St. Serf ≒ Atalanta を軸にまとめています。これらの文脈の上で初めて、より複雑・積極的なスターロッチやアーチエンゼル(1965 牝 栗 by *ネヴァービート ― 7勝。マックスロゼ&キャンドゥの祖母)キタノベンチャー(1975 牝 黒鹿 by *ヴェンチア ― ビッグサンデーの祖母)といった配合が意味を帯びるのです。
 このように、早い段階から基礎的な血脈を統合し、良血種牡馬を受け容れるための土壌をつくってゆく工夫は、近代競馬の後発(つまり輸入血統をベースとする)国にとって、大変重要なプロセスでした。農業において、最初に「根っこを引き抜き、穴を埋め、水はけを良くして」、やっと「畑を耕し、肥料を仕込み、種を蒔く」ことができるのと同じですね。御料や小岩井に入った古牝系も、後代に血を繋ぎえたものは、例外なくこうした「開拓」的過程を踏んでいます。

レッテルの下の狙いと成果

 ただし、スターロッチが恒例の静内二歳馬競り市に出場した1958(昭和33)年8月の時点では、まだ牝系にそこまでの実績はなく、せいぜいライジングウィナー(1954 牡 鹿 by *ライジングフレーム ― 京都記念・春、阪神大賞典-2着、毎日杯-2着、神戸新聞杯-2着、阪急杯-2着 他 43戦12勝。最優秀3歳(2yo)牡馬)の半妹で、父は良血の2年目種牡馬*ハロウェー、といった点への期待があるくらいでした。
 おまけに、血統は水準以上ながら、競りでのスターロッチ(当時はロッチと呼称)は、腰から後肢にかけてが寂しいなど見映えのしない馬体であり、競りでも目立った存在というわけではなかったのです。

 ことによると、スターロッチをこの時から相応に評価していたのは、生産した藤原牧場とその周囲だけだったかもしれません。彼女が抽選馬となり、松山吉三郎厩舎へ入ることになった経緯について、伊藤雄二師はこう語っています。
 「スターロッチの半兄のライジングウイナーが重賞に勝っていたくらいで、本来、抽選馬になるような血筋やないんです。うちの家内の親(引用者注:騎手時代の師匠でもある伊藤正四郎調教師。伊藤正徳師の実父)と藤原さんところは、遠い親戚にあたるから、実は、正四郎も、スターロッチには仔馬の頃から眼をつけていたようです。いまと違って、あの頃は、いくら買い戻しの条件をつけても、馬が走ると平気で踏みにじるようなことが横行していたからね。藤原さんは、どうしてもこの馬だけは、牧場に戻すんやいうてね、確実に戻ってくるには、競馬会に買って貰うのが、一番やと。だから根本が違うんです」(『書斎の競馬』1999年9月号より)
 ともあれ、「昭和37年の正月競馬まで使い、その後は買い戻し」という条件の下、なんとか150万円(競りでは平均をやや上回る程度の価格)で中央競馬会に落札された彼女は、間もなく宇都宮の育成牧場に引き取られて行きます。

 3ヵ月後、生産者の藤原諭次郎氏が宇都宮を訪ねると、彼女は大きく成長していました。飼い葉食いも良く、脚も丈夫、気合のよさも抜群、とその馬っぷりは育成牧場でも群を抜き、驚いた藤原氏は、金子忠三場長に「これがうちの馬ですか」と三度も念を押したほどでした。聞かれた金子場長も、「一番腕の良い牧夫をつけたからね」と自信満々で、「これだけ立派になればオークスでも十分やれると思う」と太鼓判を与えたとか。
 かくして彼女は松山厩舎に送られ、これが初めての所有馬となる馬主・藤井金次郎氏によって、(6代祖先 Sunstar と幼名ロッチを組み合わせた)スターロッチという名を与えられました。

 生産者、育成者、馬主、調教師…さまざまな人々の間で磨かれつつ、それらの人々に「この牝馬は大事にしなければ」というような、確信にも似た実践知を芽生えさせた、スターロッチ。その期待に答えた瞬間から、彼女は伝説への階段を駆け上がってゆきます。


東天にまたたく一等星

 スターロッチのデビュー戦は3歳(現2歳)11月の抽選馬限定の未出走・未勝利戦(東京1200m)。動きの良さから1番人気を背負って登場したものの、重馬場で経験馬マタイチに先手を取られ、9馬身も離された2着に終わりました。2戦目も3着、年末の中山に移った3戦目でやっとセナリのクビ差勝ち上がると、明け4歳になってからは、抽選馬限定条件ばかりを3戦して3着・1着・1着、これで桜花賞の出走権を獲得します。ここまで、1番人気を背負い続けて6戦3勝。

 本番前に急上昇してきたスターロッチでしたが、一般馬の強敵と対戦が無かったため、やはり穴人気がせいぜいといった所。何と言っても20頭立ての第20回桜花賞には、関東の1番人気チドリ(1957 牝 鹿 by クリノハナ ― 3歳女王)、次いで関西のホープトキノキロク(1957 牝 黒鹿 by *ライジングフレーム ― この桜花賞の他、大阪杯2着、京都記念2着 など19勝、最優秀古牝馬。直孫にリニアクイン)、さらにはケンエイ、スターロッチと同厩のヒカルクイン、といった面々が揃っていました。
 レースは、やや重の馬場を逃げたのがチドリ。野平祐二騎手のスターロッチもグイと押して向正面では4番手につけます。直線、チドリとトキノキロクが馬体を併せて叩き合い、残り100mでトキノキロクが脚色優勢と見えた所へ、外からスターロッチがあわや両頭を交わす勢いで突っ込み、0.1秒差3着に入りました。
 5番人気の抽選馬が繰り出した末脚に多くの人が驚いた中、不適な笑みを浮かべていたのが伊藤(当時木下)雄二現調教師でした。スターロッチが西下した折、現地で調教をつけた伊藤師は、すでに独特の良さを見抜いていたと語ります。
 「見た目はひょろっとした牝馬でね、えらく発汗するんですわ。後から学んだことですが、この体質はハロウェー…から受け継いでいたんやね。…それも発汗しているときの方が走る系統なんです。脾腹も薄くてね、ところが、跨るとすごい、いいところのある馬なんです。芯がしっかりしていて、背筋がしゃんとしている。キャリアが浅くて、桜花賞は三着でしたけど、完成したらどれだけ走るんやろ、と思いましたわ」(前掲書)
 その後スターロッチは、一息入れたのが響いたか、太め残りの馬体で四歳牝馬特別で人気を裏切り、7着と初の着外に敗れます。これで世間の評価は急落…所詮は抽選馬、もう底を見せた、距離延長にも不安、などと見られるようになりました。トライアルを使って人気の下がるパターンは、あるいはライトカラー(1989年)とも似た状況だったのかもしれません。

 そして本番、晴れの良馬場で迎えた第21回優駿牝馬は、ヒカルクインが取り消して、25頭立て。1・2番人気はもちろんトキノキロクチドリ、次いで四歳牝特の勝ち馬スマイリー。スターロッチは、何と9番人気に甘んじました。それでも陣営は勝負気配で、鞍上に初のコンビとなる高松三太騎手(現・高松邦男師の実父)を招いています。
 レースの発馬は、これが最後の年となるバリア式で、かなり手間取った末のスタート。そこから人気の2頭がハナに立ちました。スターロッチは例によって好位4番手。2コーナーあたりから距離を意識してペースがスローになると、向正面で掛かり気味にミスシノブ、3コーナーでヴァイオレットが進出して一気に乱戦模様へと変わります。手綱をがっちり絞ったスターロッチは、7・8番手にまで後退していました。いよいよ直線、大混戦の馬群から、やっと4番人気のクインオンワード(1957 牝 鹿 by *ヒンドスタン ― 後に神戸新聞杯、阪神牝馬特別)が抜け出した所で、馬群の外、馬場の中ほどを一気に伸びてきたスターロッチがクインオンワードをクビ差交わしてフィニッシュ(勝ち時計2.33.4)。1/2馬身遅れてハクニシキ、人気のトキノキロクは9着、チドリも12着に敗れました。
 わずか2.5%の単勝支持率に対するスターロッチの意趣返しは、2,800円とオークスレコードの好配当をもたらします。しかしそれでもなお、人々は「スターロッチは嵌まっただけ、抽選馬が勝つなんて今年の牝馬はレベルが低い」と、十分な評価を与えませんでした。


侮る者はやがて悔やむ

 次走の中山四歳S(現・ラジオたんぱ賞)では、牡馬との対決とはいえ、経験不足や斤量を嫌われて6頭立ての6番人気。それでも彼女は*ビッグヨルカ(1957 牡 黒鹿 by Big Game ― 他に日経賞とオールカマーの2着。グレートヨルカの半兄)から1秒差の3着と健闘しています。
 その後のスターロッチは、同コースの白百合Sをハンデ頭56キロの1番人気で快勝、京王杯AHヤマトノハナの5着、中山のスタンド完成記念(2000m)をチドリレコード走破の3着して、オープン特別(中山1800m)で6勝目を挙げました。
 秋の府中重賞戦線に入ると、60キロを背負ったクイーンSチドリの微差2着、東京牝馬特別(現・府中牝馬S)では古牝馬女王ヤマトノハナより重い59.5キロでヴァイオレットの3着。冬枯れ馬場の特別ハンデ戦(中山2000m)では、オークスと同じ高松騎手の手に戻って、軽量を活かしヤマトノハナを撃破します。ここで「自分でもこう楽に勝てるとは思わなかった(高松騎手)」と出来の良さを確認した陣営は、大胆にも有馬記念へ進路を取ります。

 この時点で、スターロッチはようやく同世代の牝馬屈指の実力を認められていました。しかしグランプリ戦で、唯一の牝馬で明け4歳(現3歳)、しかも抽選馬、おまけにファン投票外(18位、推薦委員会で選出)の身で出走してきた彼女に、重い印の打たれるはずもありません。この年、第5回目の有馬記念には、秋の天皇賞馬オーテモン(1955 牡 黒鹿 by *ライジングフレーム ― この年他に日経賞)や「ターフの超特急」コダマ(1957 牡 栗 by *ブッフラー ― 無敗で皐月賞・ダービーを制覇)、さらには菊花賞馬キタノオーザ、阪神大賞典の勝ち馬ヤマニンモアーなど、錚々たる面子が揃っていたのですから、なおさらです。結局出走馬12頭(ウイルディール取り消し)のうち、スターロッチの人気は9番目に過ぎませんでした。
 発馬まもなく、快速ヘリオスの2番手につけたスターロッチは、出入りの少ない展開へ静かに溶け込みます。有力各馬は後方で牽制し合い、必然的にスローペース。最終コーナーを回った辺りで、ノーマークだったこの牝馬が、妙に手応えの良いことに周りが気づいた瞬間、高松スターロッチはスパートを開始しました。それでもまだ、どうせ有力馬が差してくるだろう…と皆が思っていると、コダマの脚にはいつもの斬れがなく、古馬王者オーテモンももたついている様子。ようやく春の記憶に目覚めどよめく観衆の前で、あれよあれよの内にスターロッチは先頭でゴールを駆け抜けました(勝ち時計2.44.5)。オーテモンは1と3/4馬身差の2着、さらに同じだけ遅れてコマツヒカリ。……5回目にして初、そして40年を経た今でも追随例のひとつとてない、明け4歳牝馬の有馬記念優勝はこのようにして成りました。
 ※ 明け4歳(現3歳)牝馬による有馬記念挑戦は、古今問わずしばしば行われているものの、他にはせいぜいニットウチドリ(1973年、7番人気)、ヒシアマゾン(1994年、6番人気)が2着した例があるくらいです。牝馬の勝利自体、スターロッチと前年のガーネット(1959年、当時5歳、9番人気)およびトウメイ(1971年、6歳、2番人気)の3頭を数えるばかり。
 有馬の結果を受け、スターロッチは文句なしで最優秀4歳牝馬に輝きました。年度代表馬の座こそコダマに譲ったものの、古馬王者・古牝馬王者・4歳王者のすべてを破った異色の女王として、競馬史に名を刻んだのです。


 ところが、明け5歳となりAJC杯(中山2600m)に参戦したスターロッチは、ショウザンと無理な先行争いをした挙句、あろうことかブービーに惨敗してしまいます。昨年の激走による疲労もあったのでしょうが、彼女の運命はこれを境に暗転します。
 脚元の疲れを取るため、3ヵ月半ほど休養し、春の府中で復帰。しかし、オープン特別を4着、3着、安田記念ではシンガリに敗れ、またオープン特別を4着、と前年の輝きが見られないまま、スターロッチは上半期を過ごします。

 再び2ヶ月の休養を挟んだ彼女は、9月の東京競馬場に登場。前年5着に敗れた京王杯AHに出走すると、やっと出来の戻ったスターロッチは、チドリに次いで2番人気の支持を集めました。レースでもハイペースを後方からじっくり進み、直線コンコルドを楽に捕らえての優勝。久しぶりの美酒を味わいました。
 勢い込んだ陣営は、彼女を中一週となる毎日王冠(東京2300m)に進ませます。しかしこの選択が、結果として、この名馬の競走生活に幕を引くこととなりました。4頭立てのしんがりからじりじり進出していった第3コーナーで、ガクンと躓いて故障発生、高松騎手はあわてて競走を中止しました。
 診断の末、彼女は右第一指節種子骨脱臼、さらには右前屈腱断裂という深刻な症状であることが明らかとなり、引退を宣告されます。皮肉にもこのレースを制したのは、同じ*ハロウェーの産駒で、無事是名馬を体現したハローモア(1956 牡 栗 ― 翌年も船橋のNTV盃を勝つ)でした。


 以上見てきたように、スターロッチが残した通算25戦9勝という数字には、牝馬のスケールを越えた一流の能力 ―― 特に瞬発力 ―― と、一面で取りこぼしの多いことが見て取れます。そうした取りこぼしが時代や環境によるものか、個体の特徴によるものかはさておき、彼女の能力が大一番でこそ発揮された点、そしてそのパフォーマンスの最大値が、時代を超えて私たちにも伝わるだけの(ある意味で神話的な)存在感を持ちえているのは、間違いない所でしょう。


奇跡の全体性

 では、このような活躍を見せたスターロッチ、彼女の配合は、一体どんな知見を与えてくれるでしょうか。言うまでもなくそれは、観察する人によって異なるものです。場合によっては、血統に大したことがなかったからこそ彼女は偉大なのだ、と主張される方もいらっしゃるかもしれません。しかしそうした見方には、鞘次郎に言わせれば、ハイセイコーやオグリキャップの血統背景を過小評価するのと同じ危うさがあります。

 冒頭の6代表、もしくは付設の9代表をご覧下さい。スターロッチは、実は何やら5・6代目に色々クロスのある配合だったとわかりますね。もしくは、4代まで見ている限りはアウトブリードだったものが、5代で2種、6代で8種、7代で17種(以降27、55、98種…)と普通以上に急速な増加を示す形、とも読めます。
 ここから、少なくとも父母の血統が似通っていることは明らかです。が、いわゆる〈狙った相似交配〉とは違って、どの部分とどの部分が似ているのか、ちょっと整理しにくい感じを受けないではありません。
 では一体、スターロッチの血統は、シンプルさを欠いたものなのでしょうか。その競走/繁殖両面での能力は、根拠を求めえない類のものなのでしょうか。

 こうした配合一般とその解釈について、いわゆるクロス・ニックス論を用いようとすれば、教条的な知識よりも、むしろ柔軟な思考が必要となります。
 例えば〈I理論〉。故五十嵐良治氏が独自の血統分析理論、すなわちI理論を確立する上で明らかにしたのは、特に「優駿の血統構成には、必ず全血統をリードする主導勢力があって、その勢力を力強く支援するいくつかの別の勢力がある」(「血の提言」『週刊競馬ブック』1984年1月9日号より)ということでした。
 これを受けて、現在多くのI理論ユーザーの間ではややもすると、ここで言われる主導勢力とは、代々の祖先を類似の血統で補強された〈系列ぐるみ〉のクロスであり、血統表中唯一無二の強力さを持つ場合が理想的だ、と考えられています。
 しかし五十嵐氏は、そうしたシンプルな配合モデルと同じフレームで、Ribot や Secretariat のような、複数の(やや曖昧な)主導勢力による「連合」型配合、Alleged のような〈中間が断絶〉した主導勢力を中心とした「複合」型配合をも称揚していました。したがって、上記のテクストもまた十分深くに解釈され直すべきでしょう。
 また彼の分析は、数代をまたがったシークエンシャルな視点異なる時代を比較する形式を取ることが少なく、その方向での論考が十分に残されているわけではありません。こうした点を理論的に補完してゆく仕事は、五十嵐氏の直弟子である久米裕氏に限らず、広く試みられてよいはずです。
 ここでは、以前有芝まはる殿下。によって指摘されたポイントが、スターロッチ解読の鍵となります。同馬の6代目周辺に並んだ、4頭の馬――― Bona Vista:6x6*9、Fairy Gold:6x5、Golden Iris:6x7、Ornament:-x6*8 ―――に注目しましょう。
 9代表でもわかるように、これらの Bend Or 産駒は、いずれも母方から Macaroni、Hermit ないし Pocahontas の血を入れた形。19世紀末のイギリスで黄金配合ともてはやされたパターンであり、上記4頭は、その中でも最も成功した血統に他なりません。

 となれば、これら4頭は、ほとんどクロスに近い意味合いで「媒介」として働くだろう……、このように考えた途端、一見煩雑に見えていたスターロッチ内のクロスは、にわかにまとまりを帯びてきます。Cyllene:5x5*8、Sanctimony=St. Silave≒St. Lucre:5*5x6、Fairy Gold:6x5、Collar≒Sceptre:-x5*7 などは互いに〈擬似クロス〉と言ってもいいくらい似た者同士ですし、St. Frusquin:5x6*7、Chaucer:4x7、Sainfoin=Sierra:5x6*6*8、Love Wisely:5x5、Gallinule:5x6 らにしても、4頭の媒介と少なからず共通した要素を持ち、接続を果たしています。
 さらに、ここに挙げたクロス馬は、すべて4代以内に複数の Stockwell=Rataplan(St. Frusquin のみ King Tom1本)を有し、根底で一枚に繋がってもいるのです。

 こうした観点からは、スターロッチの配合には、煩雑さどころか、かえって稀に見る完成度が感じられます。連綿と続いた文化的蓄積が、一瞬の火花の後に、有機的な全体を生み出した―――その様は、「僧の一投げで全ての部材が組み上がった」という三仏投入堂伝説などを思わせないでもありません。


 さて、ついでに同馬の伴性血縁的な構成も観察しておきましょう。例によってオール牝馬の〈5代伴性血縁血統表〉をご覧いただきます(表の仕組みは別項参照)。

スターロッチ 1957 牝 鹿 / FNo. 11-c
Rosy
Legend
1931 黒鹿
Golden
Legend
1907 鹿
Suicide
1876 黒鹿
Seclusion Palmyra
Miss Sellon
Ratcatcher's
Daughter
●Pocahontas
Lady Alicia
St. Lucre
1901 鹿
Feronia [F8-d] ■Alice Hawthorn
Woodbine → ●
Fairy Gold Rouge Rose →■
Dame Masham
Rosy
Cheeks
1919 黒鹿
Justitia
1896 鹿
Gem of Gems Souvenir
Poinsettia [F4-h]
The Frisky Matron Rigolboche → ●
Mayfair
Purity
1903 鹿
Moorhen Seclusion
Sister to Ryshworth
Sanctimony Feronia → ■
Golden Iris → ◆
コロナ
1942
*星友
Alzada
1923
Lady Sterling
1899
Bourbon Belle Queen Mary [F10-a]
Ella D.
Aquila Whisper
Eagle
Colna
1909 鹿
◇Ornament Rouge Rose →■
Lily Agnes [F16-h]
Nausicaa Moorhen → ▲
Verte-Grez
秀節
1936 鹿
Panacea
1907 鹿
Arcadia Isola Bella → ●
Distant Shore → ▲
Quintessence Isabel
Margarine
玄香
1932 鹿
Mesquite Sanda
St. Silave → ★
昭英 Winkipop
*クレイグダーロッチ
→ … →
SireLine 改メ HeartLine

 むぅ、通常血統表にも負けず劣らず複雑な作り…しかし、これも St. Lucre≒Sanctimony=St. Silave:3*4x6 が、母にあった Ornament:3x6 クロスも取り込む形で成立し、その脇に Moorhen:4x5 〜 Seclusion:4*5x6*6 が控えている、と解すれば何のことはありません。2系統がそっと寄り添う Purity の部分を中心に、Alice HawthornSeclusion が全体へと散りばめられた、見事な構成ですね。
 これはまた、名花
Rosy Legend へ対するに、スラバヤ Surabaja(1951 黒鹿 by Sayajirao ― ヌアージターフの祖母、カズシゲ、ダイナガリバー、ケントニーオー、マイネルプラチナムらの3代母)とは好対照なアプローチだと言えます。
 ちなみに、スターロッチの半妹カミヤマトとミスコロナは、コロナから Ornament を重ねる方向で伸びています。これらの枝は、しばらくしてミホノブルボン(1989 牡 栗 by *マグニテュード ― 皐月賞、ダービー、菊花賞2着 他。年度代表馬)という華々しい成果を挙げました。
 以上に見たように、スターロッチの血統構成は、先代から巧みに繋いで来た見事なものでした。後にそれは、彼女の子孫において様々に読み替えられ、手を加えられてゆきます。


大樹を導く枝々

 スターロッチの直仔10頭は、ほとんどが複数の勝ち鞍を挙げる実力馬でしたが、今日の私たちにとっては不思議なことに、直仔から重賞勝ち馬は1頭も出ませんでした(再び牝系図をどうぞ)。
 そればかりか、孫世代でも重賞を制したのは2頭、すなわちロッチの仔ハードバージ(1974 牡 栗 by *ファバージ ― 皐月賞、毎日杯、ダービー-2着)と、ロッチテスコの仔カリスタグローリ(1988 牡 鹿 by *ブレイヴェストローマン ― クリスタルC-G3)だけです。
 スターロッチが86年8月7日に亡くなるまでの間を考えても、ハードバージにサクラシンゲキ&ユタカオーが加わるくらい。
 これらはいずれも、Nasrullah を最も性急な形で取り込んだ配合(同:3x4)から生まれています。ハードバージの父方 Legend of France は、スターロッチの活かし方としてはまずまずですが(オースミロッチ(1987 牡 鹿 by *アーティアス ― 京都記念、京都大賞典)の母父も*ファバージ)、それにしても、これは軸足がスターロッチよりも Nasrullah に傾いた配合。少なくともスターロッチ牝系は、単に Nasrullah を1本取り込むだけでは、次のステップへは進めなかったのです。

 だとすると、今日私たちが知るような大牝系スターロッチ系は、どのように成立していったのでしょう。
 …その問いには、大きく3通りの答えがあり、それぞれを、スターロッチの曾孫にあたる3頭のエリート繁殖牝馬が体現しています。

 第1は、祖父から Nasrullah や米血を入れつつ、X染色体径路上の Solario 2本で Rosy Legend を純粋に強調していったアンジェリカ(1970 牝 黒鹿 by *ネヴァービート ― 2勝。サクラシンゲキ&ユタカオーの母、サクラスターオーの祖母)。さしずめ「純化パターン」と言えるでしょうか。
 シンゲキ以降、ほとんどがさくらコマースの所有・境勝太郎師の管理となった点で、他の分枝とは大きく異なりますが、その持ち味はやはり逃げ先行の鮮やかさにありました。

アンジェリカ 1970 牝 黒鹿 / FNo. 11-c / Never Say Die 系
*ネヴァービート
Never Beat
1960 栃栗
Never Say Die
1951
Nasrullah
1940 鹿
Nearco Pharos
Mumtaz Begum Blenheim
Singing Grass
1944 鹿
War Admiral Man o'War
Boreale Vatout
Bride Elect
1952 鹿
Big Game
1939 鹿
Bahram Blandford
Myrobella Tetratema
Netherton Maid
1944 鹿
Nearco Pharos
Phase Windsor Lad
Lost Soul
スターハイネス
1964 鹿
*ユアハイネス
Your Highness
1958
Chamossaire
1942
Precipitation Hurry On
Snowberry Cameronian
Myrobella
Lady Grand
1943
Solario Gainsborough
Begum Blandford
スターロッチ
1957 鹿
*ハロウェー
Harroway
1940 黒鹿
Fairway Phalaris
Rosy Legend Dark Legend
コロナ
1942
月友 Man o'War
秀節 *ペリオン
SireLine for Windows Ver1.50 - Build 547

 第2は欧州血脈重視で、Mumtaz Mahal 〜 Lady Josephine をたっぷり盛り込み、Uganda や Buchan も利かせたクリプシー(1975 牝 栗 by *アローエクスプレス ― コニーストン、マチカネタンホイザの母、ワコーチカコの祖母)。Nasrullah との「融和パターン」と言うか、発想としてはハードバージの延長上にあり、またアガ・カーン3世の影響が強い枝です。
 字面まんまの気性と韋駄天ぶりがセールスポイントで、早い時期から走ってくるため、POGなどでも人気なのでしょう。

クリプシー 1975 牝 栗 / FNo. 11-c / Grey Sovereign 系
アローエクスプレス
1967 鹿
*スパニッシュ
イクスプレス
Spanish Express
1962 鹿
Sovereign Path
1956
Grey Sovereign Nasrullah
Mountain Path Bobsleigh
Sage Femme
1954
Le Sage Chamossaire
Sylvia's Grove Fairway
*ソーダストリーム
Soda Stream
1953 栃栗
Airborne
1943
Precipitation Hurry On
Bouquet Buchan
Pangani
1945
Fair Trial Fairway
Clovelly Mahmoud
Udaipur
モンタロッチ
1963
*モンタヴァル
Montaval
1953 鹿
Norseman
1940 鹿
Umidwar Blandford
Tara Teddy
Ballynash
1946 鹿
Nasrullah Nearco
Ballywellbroke Ballyferis
スターロッチ
1957 鹿
*ハロウェー
Harroway
1940 黒鹿
Fairway Phalaris
Rosy Legend Dark Legend
コロナ
1942
月友 Man o'War
秀節 *ペリオン
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 そして第3は、Nasrullah や Hyperion 〜 Selene だけでなく、Buckpasser、Princequillo などの米血を並べ、懐を広げていったパワフルレディ(1981 牝 黒鹿 by *マルゼンスキー ― ウイニングチケット、ロイヤルタッチらの母、マルブツセカイオーの祖母)。将来性を見据えた「拡大パターン」とでも言うべき方法です。
 特に、スピードを殺さずにタフネスを伸ばすのに成功した点は、牝系の中でも特筆もの。先の分枝同様、伊藤雄二厩舎の定番血統で、ここからダービーを取ることは師の宿願となっていました。

パワフルレディ 1981 牝 黒鹿 / FNo. 11-c / Nijinsky 系
マルゼンスキー
1974 鹿
Nijinsky
1967 鹿
Northern Dancer
1961 鹿
Nearctic Nearco
Natalma Native Dancer
Flaming Page
1959 鹿
Bull Page Bull Lea
Flaring Top Menow
*シル
Shill
1970 鹿
Buckpasser
1963 鹿
Tom Fool Menow
Busanda War Admiral
Quill
1956
Princequillo Prince Rose
Quick Touch Count Fleet
ロッチテスコ
1975 鹿
*テスコボーイ
Tesco Boy
1963 黒鹿
Princely Gift
1951 鹿
Nasrullah Nearco
Blue Gem Blue Peter
Suncourt
1952 黒鹿
Hyperion Gainsborough
Inquisition Dastur
スターロッチ
1957 鹿
*ハロウェー
Harroway
1940 黒鹿
Fairway Phalaris
Rosy Legend Dark Legend
コロナ
1942
月友 Man o'War
秀節 *ペリオン
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 このように、3つの典型的な方法論が、この牝系の最も成功した部分で観察できます。もちろん実際には、クリプシーにしても、ある程度まで行き着けば今度は米血への対応を考えてゆかねばならないわけで、どれが良いとかいう話ではありません。
 けれど、どの枝も Hyperion、Solario、Nasrullah、Mahmoud、Princequillo といった重要な血を非常に良い形(径路および位置)で導入しているのは同じで、牝系をグレードアップ、ないし最低でも維持しようとする際に、こうした手順を踏む大切さが改めてうかがい知れます。
 もしくは、これら3パターンとは別に、牝系やボトムラインの累代種牡馬に対して〈戻し交配 back crossing〉を行っていく手も考えられます。例えばテンザンアムール(1987 牝 鹿 by サクラシンゲキ ― ニホンピロマーチの半妹)がこの形。
 スターロッチ牝系に活躍馬(→種牡馬)が出てきたのが比較的最近だったこと、その間牝系が中小零細規模の牧場に散逸していったことから、こうした形は今まであまり存在しませんでした。しかし代を経て、直系から強い遺伝力を期待できなくなる状況が目前に迫った今、スターロッチ牝系の血を伝える上で、この方法論は、おそらく欠かせないものとなるでしょう
 その際、「どの径路をくぐったスターロッチを、どのように組み合わせて用いるか」という問題で、先の3パターンそれぞれは、再び重要な意味を帯びてきます。
 スターロッチの牝系、といっても、そのすべてがまさかスターロッチ由来(それとも*クレイグダーロッチ? St. Angela ?)の細胞質遺伝効果や伴性遺伝効果で走ってくれるわけではありません。それよりはむしろ、牝系を伸ばす最中に払われた不断の努力こそが、全体の結果としてスターロッチ系の繁栄をもたらしたのだと考えるべきでしょう。
 そしてまた、現在から振り返って言えるのは、スターロッチ自身が伝説的な激走を見せつけ、かつ仔出しが良く、さらにその直孫に出たハードバージの活躍があったからこそ、この牝系はここまで大切に扱われてきた(そして伊藤厩舎や境厩舎に入り、人気に応える走りをしたことでさらに価値を高めた)のではないか―――つまり、そうした記録や記憶といった文化的側面も、これらの血統を支える重要な力だったのではなかろうか、ということです。


2000/08/25 ― ( Revised on 2000/10/09 )
参考 ―― 伊与田 翔「スターロッチと天の邪鬼(上/下)」『書斎の競馬』1999年9/10月号, 飛鳥新社
伊藤 元彦「マル抽最大のスター」『日本の名馬・名勝負物語』1980年, 中央競馬PRセンター
有芝まはる殿下。:
「名競走馬にして、牝系を伸ばす:スターロッチ」、および「日本競馬の明星:星友」


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